第107話 危機感
爆撃の雨に晒され痛みすら曖昧になるなか、城ヶ崎河合はぼんやりと思う。
どうして、こんなことに……?
城ヶ崎河合にとって、綺羅星善子は理想の友達と呼ぶに相応しい人物だった。
いつも真面目に委員長を務め、成績優秀、校則違反のひとつもなく皆をまとめようとする努力家。
口煩くてつまらない子という意見もあったけど、城ヶ崎にとって彼女は模範的な生徒であり、友達になるにふさわしい少女そのものだった。
本当は……同じ友達でも、鎌瀬姉妹とは距離を感じるときがあった。
言葉の端々に、小さなトゲを帯びているような。
けれど彼女は、庶民の暮らしに不慣れな自分を健気にサポートし、クラスの課題で手伝いをお願いしたら嫌な顔ひとつせず同じ班になってくれる……
本当に、理想の友達そのものだった。
そんな、心優しいはずの子が――
どうして……
どうして私を縛り付け、モンスターの囮にしているのだろう?
理解できない。
まるで理解できない。
友達とは互いに慈しみ、苦労を分かち合い、ともに困難を乗り越えていくものであって――
ただの的。モンスターの攻撃を受ける盾にするような行為なんて、許されるはずがない、のに。
「っ……」
爆撃の雨が止んだ。
自分がどうして生きてるのかも分からないまま、城ヶ崎は痛覚すらおぼろげになりながら、顔をあげる。
ダンジョンに浮遊する、巨大な星型のモンスター。
全身を灰色に包んだ金属のようなボスを相手に、綺羅星は――素人目でみても、圧倒していた。
「シッ……!」
メタリックに輝く野蛮な得物を拳につけ、ボスを守護しようとする小型の星をよけながらの強烈な振り上げ。
ボスの装甲にひびの入っていない箇所はなく、その姿はもはや陥落寸前の城のよう。
――何かの射出音。
綺羅星が身を引き、盾に縛られた城ヶ崎の背後へと待避。
直後、爆風と激痛――城ヶ崎の身体を犠牲にしたのち、綺羅星はすかさず攻撃へと転換。
爆弾処理に費やすインターバルを極端に短くした綺羅星は、そのままボスへと一気にラッシュをかける。
荒れ狂う台風のように。
真面目で、やさしい委員長の面影など何一つない、獰猛な獣の如く。
黒々とかがやく瞳に、殺意を爛々と輝かせながら。
暴力こそが人間の本性だとその身で体現するかの如く、殴り、殴り、ひたすらに殴り――
オオオ――ッ、と空気が震えた。
視界が歪む城ヶ崎の前で、ボスから紫色のガスのようなものが噴き出した。
ガラガラと煉瓦が崩れるようにボスの装甲が剥がれ、浮遊力を失い地面に墜落。
砂煙に包まれ、ボスの姿にノイズが走り、消失し……コツン、と音を立てて魔石が転がる。
「…………」
そのボスを前に、油断なく構える綺羅星は――ノーダメージ。
舞い上がった埃に塗れ、戦闘による汗こそ流しているものの、学校帰りに着用したままの制服に傷ひとつなく。
それが日常の一コマであるかのように、ふっ、と呼吸を挟みゆっくりと警戒態勢を解いていく様はどこか熟達の武道家を思わせる色気がある。
――あってはならない、はずなのに――
城ヶ崎はその背中に一瞬、見惚れ。
やがて彼女が魔石を回収し、こちらを振り向いた瞬間……
その感情が愚かな勘違いであったことに、気づかされる。
瞳に殺意を輝かせたまま三日月のような笑みを浮かべた綺羅星は、……まだ、戦闘態勢を解いていない。
ボスが消えたなら、ダンジョンの攻略は終了。
野蛮な武器なんてもう仕舞って良いはずなのに、彼女はなぜか新しいモンスターへと迫るように、城ヶ崎へとゆっくり迫り……
盾を、蹴り飛ばす。
斜めの姿勢を保っていた盾が崩れ、地べたに転がった城ヶ崎を前にうっすらと唇を歪めた友達が迫る。
理由はもちろん、囮にした城ヶ崎を助ける……た、め……?
「っ……き、綺羅星、さ……ボス、倒したなら……も、もう――へぶっ!?」
返事は、顔面を踏み潰す靴底。
そのままぐりぐりと尊厳を踏みにじられ、待って、おかしい、と城ヶ崎はもがく。
城ヶ崎を囮にしたのは決して許せない行為ではあるが、理解できないわけではない。
ボスの攻撃を引きつける戦術の意味もあったのだろう。
けど、これは。
いまの彼女の行為は戦闘と何の関係なく、ただただ、無意味な暴力を振るっているだけ――!
「っ、綺羅星さん、何で……っ」
「なんでって。ここからがダンジョンの本番ですよ?」
「……は? は?」
「前座は片付けました。なので私は、私の倒すべき本当のボス戦に挑むだけです。……というわけで城ヶ崎さん、さっきの話の続きをしましょう。私とあなたの、友達関係について」
「っ、何を言ってるんですか!? ボスはいま倒して、それに、こんなの友達に対する態度では――がふっ」
腹部に思いきり、靴底を叩きつけられた。
あまりの痛みに悶絶する中、続けてドスッと身体に体重がかかり、思わず吐きそうになりながら、見れば。
綺羅星が自らの腹部に腰を下ろし、ぐっ、と両の指先につけた鉄製の武器を微調整しながら、はぁはぁと獣のように荒い呼吸を繰り返していた。
まるで盛った雄が女相手にマウントポジションを奪い、いまにも飛びかからんとばかりに――
「ひっ……」
いかに脳天気な城ヶ崎であっても、本能が理解する。
これが、友達に対する態度でないことくらい……!
「……城ヶ崎さん。まだ質問に答えてなかったわよね。あなたは私の”敵”か、それとも無関係な赤の他人か」
「っ、だから、それ――」
返答の代わりとばかりに殴られた。
ぐえ、とカエルのような悲鳴が零れるにも構わず、綺羅星に胸ぐらを掴まれ強引に引き上げられる。
「私ね。あなたを見てていつも思うことがあったの。城ヶ崎さんって、現実味っていうか、危機感がないよね、って」
「っ……」
「あなたがお金持ちだからかもしれないし、まあ私も、ダンジョンに入る前は危機感なんてなかったけど――あのね? ダンジョンって、油断すると本当に死ぬんですよ。あっさりと」
そういう人、たくさん見てきたんですよ……と語る綺羅星に、ひっ、と喉が引きつる。
暴力に怯えた訳ではない。
彼女の脅迫めいた言葉に、震えたわけでもない。
間近でみた彼女の顔が、あまりにも、……あまりにも楽しそうだったから。
学校で見かける、控えめの笑顔ではない。
家族や友人と楽しく過ごす、幸福の微笑みではない。
ただただ人を踏みにじることに愉悦を感じる、いじめっ子――すら越えた、支配者の喜び。
相手を意のままに操り、己が上に立つことに圧倒的な快楽を感じる、人として歪んだ喜びを抱く彼女に、城ヶ崎の隠していた本能が震えたのだ。
――この人間は、城ヶ崎の知っている人間という生物ではない。
別種の、全く異なる……。
――いや、違う。
彼女は、そんな人じゃない。
本物の綺羅星善子は、もっと優しく正しく、誠実で真面目で誰にでも分け隔てなく接する、理想の友達――
「だから、あなたにもまず危機感を持って貰いたいんです。油断すると本当に死にますよ、っていう」
「っ……」
「その上でもう一度、返事を聞かせてください。あなたは私と、友達をやめますか? それとも私の敵ですか? もし敵だというなら――」
この場で殺さなきゃいけない。
ダンジョンに潜むモンスターは、退治するのが正しいから。
城ヶ崎の首に手をかけ、呼吸を奪われる。
全てのダメージが魔力変換されるダンジョンであっても、窒息という恐怖に城ヶ崎はもがき、震え、涙をこぼしながら――
それでも。
それでも――彼女は私の友達だ、と、城ヶ崎は深く念じる。
彼女が、ダンジョンという狂信に飲まれてしまったのなら。
その過ちを正し、普通の人間に戻してあげることこそ、城ヶ崎河合の矜持にして――彼女が信ずるべき狂信だ。
答えは、ひとつ。
「っ……私は。それでも、綺羅星さんの友達です。あなたの心を救う、唯一のお友達になります……っ!」
「…………」
「だからお願いです。友達を脅そうとする真似なんて、してはいけません。そんなこと、現実では起きてはならないことですから……!」
友達は、仲良くするもの。
友達は、傷つけあってはいけない。
だから彼女の行為は間違っていて、城ヶ崎はその狂気を、己の身を挺して止めなければならない――!
「じゃあ聞くけど。私がその友達だった鎌瀬姉見と、鎌瀬妹屋に殺されかけた件。あなた、止めた?」
「……え?」
ふっと拘束が緩められ、咳きこむ城ヶ崎。
先程の愉悦から一転、感情の窺えない瞳でじっとこちらを見下ろす彼女はまるで、虫でも見ているかのように、冷たく……
「あなたが冗談だ、誤解だ、って言い続けてきた友達の殺人未遂を、あなたは止めた?」
「……それ、は」
「実際に救わなくてもいい。あなたは現場にいなかったから。でもその後、あなたは一度でもこの件で私の味方をしてくれた?
姉見や妹屋に反省を求めた?
全部、何かの間違いだ、勘違いだ、で済ませなかった? 私に押しつけなかった?
そしてもし、勘違いだって言うなら――いま目の前で起きていることは、何?」
ゆらり、と、綺羅星の拳が振り上がる。
瞬間、城ヶ崎は経験したことのない、ひやりとしたものを覚え、心の底から涙した。
どうして。
分からない。
彼女が殴りかかろうとするのは、全く同じなのに、何かが違う。
目に見えない魔力、気迫。冷徹さ。
そのどれとも異なる、生物として本能的に、最も恐れるべきもの。
――殺意。
に、対する危機感。
「だからね? 私と本気で友達になりたいなら……私と同じように、一度、本気で死にかけてから言ってほしいの。もし、それでも私と友達になりたいって言い切れるなら、その時はあなたの勝ちでいい」
「……っ」
「でも覚悟してね。ここからは本気でやるから、うっかり死んでも責任取れないわ。……けど、いいでしょう? 鎌瀬姉妹だって、私をうっかり殺しちゃってもいいかな、って気持ちだったんだから」
良かったわね、あなたと仲のいいお友達と、同じ経験ができて。
綺羅星がゆっくり拳を引き上げ、城ヶ崎が息を飲むなか。
「さあ勝負よ、城ヶ崎河合。あなたの狂った信念が勝つか、私の歪んだ暴力が勝つか。その身体で応えてみせて」
ごっ、と。
骨を砕くような鈍い音が、崩落をはじめたダンジョンに響き渡った。




