第105話 馬鹿
「妹屋くん。私と君はずいぶん年も離れているが、よき友達、いや親友になれると思わないかね?」
安物の赤ワインを揺らし、満足げににやつく剛翼取締役に、そうですね、と妹屋は愛想笑いを浮かべて返した。
中年キモオヤジに、友達、などと言われても鳥肌しか立たないが、貴重なクライアントだ。煽てておくに越したことはない。
妹屋は現在、剛翼が取締役を務める事務所、Re:リトライズ”取締役室のソファに腰掛け、とある映像が届くのを待っていた。
玉竜会による綺羅星の拉致映像だ。
世間で散々騙された妹屋は、ようやく――SNSなんかに頼ったところで、まともな狩人など見つからないと学習した。
程度の低いごろつきなら、引っかけることが出来る。
が、いまの綺羅星は、ごろつき程度には倒せないくらいレベルが上がっているし、かといって地上で何か仕掛けるのはリスクが高すぎる。
彼女を仕留めるためには、組織の力が必要だ。
もちろん、荒事を請け負ってくれる組織など表向き存在しない……と悩んでいた最中に思い出したのが、妹屋の先輩にあたる元”ナンバーズ”悪七ナナが務めていた事務所だ。
あんな犯罪者を匿ってた事務所なら、と、用意できるだけの現金を集めてきた。正解だった。
本音をいえば、自分の手でじっくりいたぶってやりたい。
けど、もう手段を選んでいられない。
あの女だけは生かしておけない、と妹屋は未だうずくお腹を撫でながら爪を噛む。
そんな態度を、不安とみられたのか。
「安心したまえ、妹屋くん。今回の計画は必ずうまくいく。理由は分かるだろう?」
「ええ。……ダンジョン外での誘拐、ですよね」
ダンジョン内で犯罪を起こすメリットは、事件を隠蔽しやすいことと、レベル差があれば相手を圧倒できることの二点だ。
が、闇バイトのような使い捨てがいるなら、話は別。
ダンジョン内では名を馳せる英雄も、外に出ればただの人。一介の女子高生に過ぎない綺羅星に抵抗できるはずもない――作戦は100%成功する。
「一応聞くけど、私達が関わったっていう証拠はないでしょうね……」
「少なくとも、君に嫌疑がかかることはないだろうね。私と共に、この事務所にいたことを目撃されない限り」
確かに。
剛翼と”玉竜会”の関係はいくらでも調べがつきそうだが、そこから妹屋に繋がる線はない。
この男がどうなろうと知ったことではなく、それは剛翼も理解の上だろう。悪くない話だ。
「……私達、いい友達になれるかもしれないわね」
「だろう? あとは時間が解決してくれる。ゆるりと待とうではないか」
試してみるかね? と赤ワインを勧められ、妹屋は試しにひとつ受け取ってみることにした。
苦いが、悪くない。
それから、一時間が過ぎ……。
「遅いな」
連絡がない。
情報によれば今日、綺羅星は城ヶ崎の自宅に遊びに行っているらしい。手はずでは、その帰りを襲うはずだが……。
剛翼のスマホが震える。
来たか、と妹屋は薄く唇をつり上げたが、しかし。
「……実行犯との連絡がつかない?」
チッ、何をグズグズしている、と苛立つ剛翼。
続けて別の者に連絡を取るが、……こちらも不発。
どういうことだ、と剛翼は別の者に連絡を取ろうとして――再びスマホが震え、耳に当てる。
『剛翼くん。きみは自分が何に手を出したのか、分かっているのかね……?』
実況動画でよく聞く合成音声のような声。
「ほう。君こそ一体誰かね。名前すら名乗れぬ者に、私を非難されるいわれはないが……」
『――――』
「なに? まさか、あなたは……」
名前は、妹屋には聞き取れなかった。
しかし剛翼がぴくりと震えたことから、ただ者ではないのは分かる。
『――――』
「――――」
それからの会話は、残念ながら聞こえなかった。
ただ傍目で見ていても、剛翼の顔色が次第に険しくなったのは明らかで、妹屋は腕組みをしトントンと苛立たしげにつつく。
どうしたの。何事? トラブル?
実行犯が失敗した程度のことなら驚かない。
誘拐なんてリスクの高い作戦だ、そういうこともあるだろう。いいから情報をよこせ、と睨む前で通話が終わる。
ようやくこちらを見た剛翼は、うっすらと青ざめながらも眉間に皺を寄せ、ちいさく喉を鳴らした。
「妹屋くん。残念ながら、本日の作戦は失敗したようだ」
「そう。残念ね。でも次が――」
「玉竜会はじきに壊滅する。いや、もうした可能性もあるな」
は? ……壊滅って、何?
「だが、慌てることはない。つぎの作戦を考えるとしよう」
「……でも次って。その組織、あなたの後ろ盾って話じゃ……」
「君は大人のしたたかさを理解していないようだね。大人とはつねに最悪の事態を想定し、先を見据えて動くもの。それが、出来る大人というものだ」
「っ……そう、ね。策があるのね?」
「私を誰だと思っている? この剛翼星雄は、欲しいものを常に手にしてきた男だ。大船に乗ったつもりで信じたまえ」
ゆうゆうと大人の余裕を見せて語り、しかし、と剛翼が溜息をつく。
「とはいえこの事態はさすがの私も予想外だ。考えを整理するため、一服させて頂いてもいいかね」
懐から煙草を取り出し、妹屋をみて「失礼」と席を立った。
「未成年の前で吸うのは宜しくないね。私も大人だ、きちんと分煙しよう」
「人にワインを勧めておいて、今さら?」
「大切な友人に対する気遣いだよ。君とは末永く、友情を育みたいからね」
その背が執務室から消え、妹屋は「格好つけが」と舌打ちしつつも、……まあ、第二の手があるならいいか、とソファにゆるりと腰掛ける。
ほんと、うまくいかないわね、ともう一度ワインを口にしつつ、……それにしても。
壊滅、とはどういう意味だろう?
剛翼の話が誇張でなければ、玉竜会の構成員は百名近くに上るらしい。
それも、ただの素人集団ではない、ダンジョンでの詐欺を専門とした特殊なグループだ。
それが壊滅……となると迷宮庁の職員が一斉検挙に乗り出したくらいしか考えられないが、妹屋のスマホにそんな情報は出てこない。
おかしい。何かがおかしい、と妹屋がふと思い浮かべたのは、……あの男。
何の変哲もない背広姿でふらりと部屋に現れ、おそらく、綺羅星のことについて語りながら消えた、あの男なら……
壊滅……文字通り、百人近い人を消すことも……?
「っ……」
悪寒を覚え、妹屋はぎゅっと両肘を抱きしめる。
ダメだ。思い出すな。
あの男のことは思い出してはいけない……理解してはいけない存在。
あれは夢。
何かの悪夢、ダンジョンの特別なアイテムを用いたワープ魔法で、それを使って部屋に……いやでも、ダンジョン外で魔力を用いたアイテムは使えないはずで……
心の芯が冷えるような感覚に奥歯をちいさく鳴らし、くそ、あいつ早く戻ってこいよと膝をかきむしる。
私は……必ず。
どんな手を使ってでも、あの男を。
そして綺羅星善子という人間を潰さなければ、鎌瀬妹屋の人生は、もう――
「…………」
気分を落ち着けるためもう一度、グラスを手に取り赤ワインを口にする。
苦い。大人になるとこの味で落ち着くのだろうか。
…………。
…………?
ねえ。
あの取締役、遅くない?
煙草ってそんなに長いのかしら。トイレにでも行ってるの……?
と訝しんだその瞬間、
バン!
音を立てて、取締役室の扉がこじ開けられる。
飛び上がった妹屋の前に現れたのは、背広を着込んだ男達だ。
素早く室内を見渡したのち睨まれ、え、何――
「逃げたか。逃げ足の速い奴め。それで、君は?」
「わ、私は……あっ」
くそ……やられた。
どうしていつもいつも、私だけ……!
心の中で、何が友達よ、と沸き立つような憎悪をかき立てながらも、すまし顔でにこりと笑う。
第二の策を用意してるのは、あの男だけではない。
妹屋とて言い訳の一つくらい、用意している。――馬鹿にするな!
「私は何も知りません。配信者になるためのオーディションを受けにきた、ただの女子高生です」
「なるほど。しかしだね、お嬢さん。ただの女子高生が取締役室で赤ワインを嗜んでるのを見逃すようでは、我々の仕事もあがったりというものだよ」
がちゃん、と妹屋の手元からグラスが零れ、絨毯に赤い染みが広がる。
酸っぱいブドウでも食べたような表情をうかべる妹屋に、男が呆れたように鼻で笑った。
「言っちゃあなんだがね。君――馬鹿だろ?」




