第102話 驚き
どうして。どうして。どうしてどうしてどうして。
どうして俺の人生は、こんなことになったんだ?
俺はなにも、悪いことなんてしてないのに……。
背広を着込んだ元リーマン姿の化物に連れられながら――風見鶏合地は己の半生について、泣きながら振り返る。
風見鶏合地は至極平凡な……いや、平凡よりちょっと貧乏な家に生まれた。
小学校の頃はごく普通に友達と馬鹿をやり、中学高校と過ごし……ああ、あの頃は楽しかった、なんて思いながら、でも勉強をサボったせいで底辺寄りの大学に進学。
そこで運命の女と出会い、恋に落ちて関係を結んだ。
世界一の女である彼女に、男として頼りがいのあるところを見せるため、無茶をしていい車を買った。
彼女を連れてドライブに行き、夜景を楽しみそのままベッドイン。彼の人生はまさに絶頂を迎え――借金がバレた。車を買うための金だった。
すると女はあっさり風見鶏を見捨て、別の男に乗り換えた。
残ったのは借金と、単位不足による留年。
風見鶏はそのまま退学し、両親にも愛想をつかされ家を出たのち、ふらふらと渡り歩き――気がついたら借金のカタに、ヤクザみたいな男に高価な武器を買わされ、ダンジョン配信者デビューとなり……今に至る。
「っ……」
なあ。なあなあなあ。
どう考えても俺の人生、運が悪かっただけだよなぁ!?
そりゃあ確かに借金を背負ったのは俺の間違いだったさ、けどな、俺と付き合ってた女も「風見鶏君と一緒になれるなら、私、頑張るから」って言ってくれて……
なのに借金が百万くらいに膨れたからって、……そりゃあ、パチとかスロットとかで多少……いや大分やっちまったけど、その程度のことで見捨ててくるような女に引っかかったのは、運が悪かったとしか言いようがないよな? な?
その後もまあ女二人と関係を……いや、三人だったか?
まあ一人うっかり孕ませちゃったあと逃げたし、いまは不倫相手に慰謝料がどうとか揉めてるけど、んなの運が悪かったっつーか、女の側もノリノリだったっつうかぁ。
こういうの、男にだけ責任を取らせるの、違うと思うんすよな? な?
なのに揃いも揃って、なんでなんで俺ばっかり――
*
「……正直、驚きました」
「だろ? だろ? 俺って、めっちゃ不幸な男だろ?」
「ええ。――これほど中身のない人間がこの世にいるとは、逆の意味で理解に苦しみます」
タクシーの後部座席に揺られながら、影一は別の意味で溜息をつく。
悪人を擁護する気はない。
自らにとって邪魔な者はすべからく排除する、影一の方針がぶれることはない。
とはいえ、排除してきた者達に対し、全くなにも思わなかった訳ではない。
例えば、ナンバーズと呼ばれたグループのリーダー――九条信。
彼の過去など知る由もないが、彼が歪んだ英雄像、虚栄心を抱いていたのは想像に難くない。
玉竜会を動かしてまで執拗に自分を付け狙う、Re:リトライズ取締役、剛翼星雄――顔を合わせたことはないが、彼からもある種の執念を感じるし、自分の管轄外ではあるが、綺羅星の自称友達――鎌瀬妹屋や城ヶ崎河合もまた、別ベクトルの狂気を抱いているなと感じたのは、確かだ。
が、この男には、本当に何もない。
噛めば噛むほど味のないガムのように、ただただ虚無だけが広がっていく。……こんな敵は、別の意味で初めてだ。
「風見鶏さん。安心安全ノンストレスを地で行く私は、他人の妨害を決して許しません。――しかし、私と敵対してきた相手にも相手なりの矜持があった。私は、それ自体を否定する気はありません。
が、あなたには本当に何もない。
空白だ。空っぽだ。
積み上げてきたものが何一つなく、その場限りの勢いに流されてきただけの人間――そのように、私の目には映りますね」
始末はする。
が、始末したところで微塵の旨味もない、極めつけのゴミ……それが影一の、彼に対する評価だ。
「っ、いや待ってください、ブラザー! 俺だって人生、必死に生きてきたッスよ? でも、でも仕方なく……!」
「ではどうして、努力しなかったのです?」
「は!? いや俺、超頑張って……でも運が悪くて、どうしようもなくて、」
「私と出会ったのが、ある種の不運だと仮定しましょう。しかし、本当に機会はありませんでしたか?」
チャンスは与えたはずだ。
自分達に二度と手を出さなければ許す、と。にも関わらず、彼女は綺羅星に危害を加えようとした。
「っ、それはだって、えと……し、仕事で、命令で」
「綺羅星さんに手を出す前に、やめる、と一言言えば良かった。そもそも闇バイト紛いの仕事に手を出さなければ良かった。己の身の丈を理解し、借金などしなければ良かった。違いますか?」
人は、知らぬ間に幾つもの分岐点をくぐっている。
己を正せる機会なんて、幾らでもあったはずだ。
少なくとも彼の弟子、綺羅星善子はその機会を自ら掴みに来た。
出会った当初こそ奴隷根性の抜けきれない幼さを抱えていたが、修羅場をくぐり、いまは立派に羽ばたきつつある。
「際限なく努力をしろ、とは言いません。怠惰でありたい気持ちは、私も理解します。しかし物事には限度がある」
「っ……」
「不倫など論外。それも、どうせあなたのことです、適当に誤魔化そうと嘘をついたのでしょう?」
「そ、それはだって、本当のことを言うと、相手を傷つけると思って……俺、優しい男ッスから」
「それは誠意とは言いません。おためごかし、と言うんですよ。人生を相応に生きていれば、そのような言葉が逆に相手を傷つけることくらい、分かりそうなものですがね。……ああ、運転手さん。そこで大丈夫です」
ありがとうございます、と影一は初老のタクシー運転手に、――少々多めに現金を支払った。
白髪の運転手が、ふむ、と瞳を細めそっと懐に入れる。
「騒がしい客を乗せてしまった、細やかな迷惑料です」
「口止め料、有難く。儂は今日、おかしな客は一人も乗せなかった。それで良いかねお客人」
「その心は?」
「定年退職が間近でね。余計なトラブルなく一日を終える――今の儂には一番大切なことだ」
老後はのんびり、孫の顔を見ながら暮らすのが夢なのだよ。
そう語る運転手に影一はもう一枚お札を加えて支払いを終えたのち、カザミに最後のアジトへの案内をさせた。
四カ所目に到達した影一は、入口に立っていた見張りを消したのち同様の処理を実行。
”レコーダーブレイク”の便利な点は、相手がダンジョン内にいる場合に限り、全ての監視カメラやスマホを一律で潰せる点だ。
周波数の違いや、例外的な機械について悩む必要がない。
つくづく、ダンジョンというのは犯罪行為に向いている。
かくして全てのダンジョン清掃作業を終えた影一は、さて、と空模様を確認。
太陽も既に沈み、人が次第に息を潜める時間へと向かう中――
「さて。最後の目的地に向かいましょうか」
「へ? さ、最後って……?」
「本丸です。表にある事務所の方ですよ」
玉竜会はダンジョン内での活動を主とする詐欺グループだが、地上にも事務所を構えている。
ダンジョンに知見のある者であれば、ダンジョンが逃げ場のない密室であると理解している。なら、本丸は地上に置くのが鉄則だろう。
「は? い、いや無理ッスよそんなの! つか相手はダンジョンにいない訳ですし……!」
いかにダンジョンで強くとも、魔力密度の薄い地上ではただの人。
カザミもそう考えたが、よく考えたらこの男はダンジョン外でも爆発を……あれ? ナンデ?
「では参りましょうか、カザミさん。ちなみに私がどうして、あなたを連れ回しているか理解出来ますか?」
「……えっと、あ、案内……?」
「地上の事務所の場所は、既に調べがついています。案内を頼むまでもありません」
「っ……じゃ、じゃあどうして」
影一は「簡単なことです」と眼鏡を押し上げ、悪魔のように僅かに唇をつり上げ、笑う。
「あなたには人間としての中身がない。故に、奪うべき尊厳がない。ならせめて、目の前で人が消えていく様を見せつけることで恐怖を与え、涙ながらに震え死んで頂かないと、約束に反した罰にならないと考えたのです」
料理における塩胡椒。
恐怖と絶望というスパイスをまぶすことで、味のないガムでも多少は食えるものになるだろう、という親切心だと説明すると、カザミはハッキリとその表情を引きつらせ、ふるふると打ち震え――
「す、っ……すんませんでした……お、俺の人生が、間違ってました……っ! でもどうか俺に、やり直すチャンスをください……っ!」
涙しながら、影一に深々と頭を下げる。
ふむ、と影一は顎に手を当てながら、ゆるりと玉竜会の本部事務所へと歩き始めた。




