6.5、ワタクシの物語1~アンノ・キッカ~
閉じていた目をふと開けば、天蓋からうっすらと光が差し込んでいる。窓にあるすべてのカーテンは開けられており、外からは小鳥の声が聞こえていて、いつの間にか朝を迎えていたようだ。
寝起き特有の気怠さにぼんやりとしていれば、コンコンと軽く扉を叩く音と、「失礼します」という聞きなれた女性の声に自然と目が向く。無意識に返事でもしていたのだろうか。扉は開かれ、そしてベッドに近づいてくる女性と目が合うと、彼女は柔らかな笑みを浮かべてお辞儀をした。
「お嬢様、おはようございます」
「ん……えぇ。おはよう、マリタ」
寝起きで掠れた小さな声で返事をすればマリタはそっとワタクシの様子を伺い、いかにも心配していますという様な表情をする。
「顔色が優れませんね……お嬢様、本日もお休みになられた方がよろしいかと思います」
「大丈夫よ」
俯きながら小さく返せば、まだ心配だとでも言いたそうにしている。
うっとうしいなぁ。監視をしなきゃいけないんだろうけど、こっちは早くひとりになりたいんだよね。さっさと部屋から出て行って欲しいんだけどな。
「朝食はどうされますか?」
お腹は空いているけど、家族が集まる食堂に行くのも何だかなぁ。
「みな様、食事を終えられていますのでお嬢様おひとりになってしまいますが……」
えーっ、もうみんなが動き出してんの?昨日は舞踏会だったんだしさぁ、次の日ぐらいゆっくりしたらいいのに。貴族って朝はのんびりゆっくり起きてくるもんじゃないの?キルッカ家の人達って朝早くからキビキビと働きすぎじゃない?
ていうかさぁ、以前からも思っていたのだけど、この世界の貴族ってそんな感じの人達ばかりなんだよねぇ。まぁ、ワタクシが勝手に想像してた貴族の生活と違うだけで、実際はこういうものってだけなのだろうけどさぁ。
この世界は平和で国内も生活水準は高く、トイレや洗面まわりの事情も現代日本とあまり変わらないくらい清潔仕様なのは転生者にとってはありがたいものだ。日本人が考えた中世ヨーロッパ風乙女ゲーム的な異世界とでも言うのだろうか?魔法もあるし便利だし文句なしの異世界には万歳!!
「後ほど何か軽い食事をお持ちいたします」
おおっと、ついうっかり自分の世界に入り込んでいたらワタクシの返事を聞くこともなく、マリタがそう言って部屋から出て行った。
やっとひとりになれたのね。
思わずため息をついてから、ぐっと体を伸ばして身支度を始める。ワタクシの服は、ほとんどがひとりでも簡単に着る事ができるようになっているので、侍女などにも頼る事なくワタクシだけで用意できるのだ。
さっきまで部屋に居たマリタはワタクシの専属侍女で、歳は見た目から四十代後半ぐらいかな。代々キルッカ家に仕えている家の出身の既婚者で娘達も我が家に仕えている。マリタの娘は姉のユリアナと妹のアマリアにそれぞれ専属侍女としてついていて、もちろん彼女達の他にも何人かの侍女たちが二人にはつけられている。
ワタクシにはマリタひとりだけ。
しかも監視のためにいるのだから、よくある絶対的な忠誠を誓った主だけが大切っていう侍女ではない。でもワタクシのお世話を最低限はしてくれるし、仲が良いわけではないがいじめてくる生意気な侍女達はいないのだからワタクシ的には超快適な状態である。
「うふふっ、ワタクシはドアマットヒロインですものね」
あぁ、そう言えば昨夜は物語が始まるのが嬉しくて、小さい頃にノートへと書きまとめたワタクシの人生設計をもう一度読み直していたのだった。窓際にあるアンティーク風な机の引き出しから鍵付きのノートを取り出してその表紙を優しくひと撫ですれば、昨夜の高揚感が再び湧き上がってくる。
体が、心が躍りだす。ゾクゾクとワクワクが止まらない今の気持ちを、どうにか落ち着かせなければ。
よし、あの頃のワタクシをもう一度ふり返ってみるとしよう。
わたくしこと、グロリア・キルッカは転生者である。何をいきなり言っているのだと思われるだろうが、ワタシである安野橘花はまぎれもなく転生したのである。
キルッカ家の次女に生まれたわたくしには、二つ上の姉と同い年の双子の妹がいた。姉のユリアナは父譲りの銀髪に母譲りの青い目、妹のアマリアはわたくしと同じである母譲りの金髪と青い目をしていた。領地の経営は当時まだ公爵だった祖父とその妻である祖母が中心になっており、若い夫婦である父と母は王都にて社交をおこなっていたようだ。
王女であった母は降嫁したものの王家の方々にとても愛されており、私達三姉妹も彼らに可愛がられていた。特に妹のアマリアは病弱なのもあってか、いろいろと過保護に守られていた様に感じる。両親はもちろん姉や王家の方々、屋敷の使用人達も当然だし、わたくしも妹を守るためと姉ぶって面倒を見ようとしていたのだと思う。
まあ、僅かに先に生まれただけの同い年の姉であるわたくしに出来る事など、両親が妹ばかり気にしてわたくしに目を向けてくれない事を我慢するぐらいであっただけですけどね。
そんな妹だけどわたくしには可愛く見えていたし、わたくしは姉なのだから妹に色々と譲るのは当たり前なのだとでも思っていたのだろう。三歳か四歳ぐらいの時に、祖父母の提案で妹は領地にて療養をする事が決まった。
離れ離れになって寂しかったのかそれとも安心でもしたのか、わたくしは妹を見送って数日後に倒れてしまった。今まで健康だったわたくしが倒れた事に驚いたのか何なのか、当時の屋敷内はとてもざわざわとしていた。両親や姉が、使用人達が、みんなが、たくさんの本当にたくさんの人達に囲まれてわたくしは、しあわせだった。いつもなら優先するのは妹だったけど、今はわたくしが優先されている。
そうよね。やっぱり中心は姉でも妹なんかでもない、わたくしであるグロリアなのだと、この世界が言っているのだわ!
きっとそんな事を思ったから罰が当たったのかもしれない。酷く痛んだ頭が朦朧として、目を閉じているはずなのに目の前がぐるぐると回転するような気持ち悪さが続き、そして世界が真っ白に包まれて――。
ワタシとわたくしがひとつになった。
目を覚ましたワタシは、まだ状況をうまく理解できずにボーッとしていた。
ここは何処なのだろうか?頭が痛いような気もするけど、何だかまわりが騒がしいような……。
身体が動かないので目だけで見まわしていると、たくさんの人達に囲まれている事に気づいた。金髪の綺麗な女性の涙であふれた目とあえば、女性は信じられない物でも見たように肩を震わせながら口を開いたり閉じたりしている。
え?いや、この美女はいったい何処の誰なのよ!!?
「グロリア?」
ん?今度は少女の様な声が聞こえたけど……?
目線をそちらに向ければ、そこには銀髪の美少女とその肩に手を置いている銀髪の美男子が立っており、さらに周りには執事みたいな人にメイド服の女性やお医者さんみたいな人達に囲まれている。
ど、どういう事なの!?ワタシは自分の部屋でネット小説を読んでいたはずじゃなかった??
今の状況がわからなくて何か言わなくてはと口を開くが焦っているのか声が出ないので、さらにパニックに陥ったワタシに出来る事は……。
こっ、ここは寝たふりをするしかないよね!?皆さん、おやすみなさ~い。
気絶するの一択である。
それからは夢の中で今までのワタシからわたくしになるまでの走馬灯の様な何かを見ながら状況を把握し、考え、結論を出した頃には夢から覚めるように意識が浮上していった。
“グロリア……”
誰かが名前を呼んでいる気がしたけど、それが誰かなのかはワタシにはわからなくて。でも、目が覚めればワタシはグロリアとなる。
現代の日本に生きていたOLの安野橘花ではなく、この世界のヒロインである公爵令嬢グロリア・キルッカになるのだ。