26、エドヴァルド・フェルン
中央大陸の半分より上はツェニート王国の国土であり、五国の中でも大国である。その北側は『魔の森』に覆われていてその土地をフェルン家が治めており、魔獣狩りを生業としながら常に魔獣が近くに存在するそんな生活をおくっていた。そういった土地柄か領民もみな逞しい。だからエドヴァルドも物心つく頃から鍛錬を積み、近所の子供とは貴族も平民も関係なく遊んでいた。男女の差など感じず、むしろ女性の方が逞しいとも思っていた。
「女の子は繊細でか弱いのだから大切にしなさい。男なら守るのですよ」
そう母に言われてもピンとこなかったのだ。母の実家も騎士の家系で、男女問わず剣の道に進むような人達ばかり。母も見た目は貴族の可憐な女性だがそれは見た目だけだった。意外と乙女な趣味は持っているが、嫁いで来る前から逞しい女性だったそうだ。
だから初めて王都に住む貴族の女性達に会った時は驚いた。フェルンで生きる女性達とは全然違っており、男性も言っては何だが貧弱に見えたものだ。今思えば比較対象が悪いだけだが、当時はそう思っていたのだ。
まず、祖父が規格外だった。そして、その親友であるキルッカのジジイも規格外で、そんな二人を見ていたせいだったのだろう。
キルッカのジジイはよく孫自慢をしていた。その時は顔がデロデロにとろけるかのように緩ませて満面の笑みで語るのだ。「はいはい」と適当にあしらっていれば首根っこを掴まれて鍛錬コースに突入する。それは今も変わらないが、おかげで少しは鍛えられたのだろうから感謝はしている。
そんなジジイの孫がいる離宮にクリスティアン殿下に引きずられて連れて来られたのは九歳の時だった。お互いの母が従姉妹同士であるのもあってか、同い年の殿下の遊び相手として呼ばれる事がよくあった。他の側近候補達と一緒に訪れたそこで出会ったのがキルッカ家の三姉妹だった。
お淑やかな長女、活発な次女、そして病弱な三女。それが三姉妹でなぜか勇者ごっこをして遊んでいる。お姫様役をしていたユリアナ嬢は見た目も中身も公爵家の姫君といったところだろうか。ただ、明らかにそう見えるようにしているだけで中身はシスコンの腹黒。クリスティアン殿下と同じタイプだったからか、その事にはすぐに気づいた。
次女のグロリア嬢は見たそのままで男児のような格好に活発な性格をしており、どこかのジジイを連想したのは間違いではないはずだ。そして勇者役として魔王役の殿下に向かっていったグロリア嬢の隣に立っていたのがアマリア嬢だった。幼さが際立っていて、か弱そうだとまず最初に思った。聖女役ではなくこの子の方が姫役なんじゃないかとも思って見ていたら、なぜかユリアナ嬢がニッコリと笑顔で俺の方を見てくる。
魔王殿下が倒され、ヘンリクが「めでたし、めでたし」と終わらせたはずなのに第二第三第四の魔王が現れて勇者ごっこは再開。これはいつまで続くのだ?
ユリアナ嬢の隣から駆け出したアマリア嬢だが、日光に当てられたのか顔を赤くしてフラフラと走っている。このごっこ遊びに加わるつもりなどなかったのについ手を出してしまったのは、この子が母の言う守るべき存在なのではないかと思ったからだ。
「残念だったな。聖女アマリアはこの真の魔王がもらって行く」
後ろから抱き上げれば驚くほど軽くて柔らかい小さな女の子。力を入れすぎないようにそっとガゼボのソファーに下ろせたのでホッとした。よく弟にしていたように熱の具合を確かめて、だがその手は壊れ物を慎重に触れるかのようで自分らしくもない。よく遊んでいる領民の年下の女の子にさえこんな風に接した事はない。目が合った時は怖がらせないようにとなるべく顔から力を抜いて緩めておいた。
離れてからも時々アマリア嬢の様子をうかがっていれば、隣に座っているユリアナ嬢からの笑顔の圧を感じる。おい、見るなっていう事か。引きつりそうになる頬を誤魔化すようにすぐに殿下達に視線を戻しておいた。
それでも気になるのはアマリア嬢の事だった。初めて認識した守るべきか弱い存在だったからだろうか。その後も頭に浮かぶのはあの子の事ばかり。
「エドヴァルドはキルッカの三姉妹に会うのは初めてだったよね。可愛いでしょ? あの子達は私にとって妹同然なんだよ。だから……」
「殿下?」
「アマリアを触る手がいやらしかった。許せないね。お兄様は許しません」
「ふざけるなクリスティアン! 誰がいやらしい手だ。普通に熱を確かめていただけだろうが!」
「アマリアを手に入れたかったら、まずは私を倒してからにしてもらおうか」
「はぁ……お前は父親か?」
そんなやり取りをしていたが、俺の手は決していやらしくなかったはずだ。五歳下の守るべき存在、そう殿下の言葉を借りれば『妹』なのだ。弟しかいない俺にとって彼女は『妹』だった。
だが、それは無意識に言い聞かせているだけの言い訳だったのかもしれない。
次に会ったのは俺が十五歳で彼女は十歳。王宮にある『北の温室』にいた時だった。温室は王宮に訪れた者なら誰でも見る事ができる。フェルンの地を思い出すこの場所が俺は好きだった。そこにクレメッティ殿下と一緒に入って来たのが彼女で、殿下の後ろに控えていた。前に会ったのは彼女が四歳の時。それも一度きりなのだから覚えていないと思っていたが、あちらはちゃんと覚えていてくれた。それが嬉しかったのかもしれない。つい、顔が緩んでしまった。合わさった先にあるその目は、空を落とし込んだような澄んだ青色でキラキラと輝いている。ジジイにも聞いていたが健康になったようでしっかりとそこに立っている。それでもまだ小さな存在は、やはり自分にとって守るべき存在なのだと再認識した。
あれから、ふと空を見上げる事が増えた。目に映るこの空色が彼女の瞳と同じだからだろうか。空を見上げて彼女を思い出す事がいつの間にか日課に加わっていた。
王国の空に暗雲が広がりだした頃、俺は学園からフェルンの地に戻った。各地で起きている魔獣出没事件の調査もあり『魔の森』での魔獣討伐隊に加わっていた。
「父上、これは……」
「うむ。『天山』の頂から広がる暗雲だが原因はいったい……」
この時にはまだ原因は判明していなかったが、突如現れたドラゴンによりそれが引き起こしたものだと考えらえた。上空をぐるぐると飛行しているだけで地上に降りてくるという事でもなく、しかし日に日に黒い靄が濃く纏わりついていく。
監視を続けていたある日、ドラゴンが急に動きを変えて南西を見据えている。その方角にあるのは……。
「何処へ!? この先はキルッカか……それともさらにその先へ?」
キルッカにはアマリア嬢がいる。いや、もしかしたら今は王都にいるかもしれないし、何よりジジイがいるのだから大丈夫だ。そう自分に言い聞かせるしかできなかった。
「今の高度で通過するなら問題はないだろうが、念のため各領地に急ぎ通達せよ! エドヴァルド、お前はキルッカに向かえ!」
「わかった!」
緊急用の門で向かえば、そこにはいて欲しくなかったあの子がいる。驚いている顔が目に入ったが今はそれどころではない。とにかく避難する事が先で声をあげてうながすが一歩遅かった。
フェルンで見た時よりも高度を落とし確実に向かって来る黒いドラゴン。突然の暴風にどうする事も出来ない。ただ、腕の中にいるこの子だけは守らなければいけないと強く抱きしめる。
傷ひとつ付けさせたくない。襲いかかるすべてから守りたい。この小さな温もりを失いたくない。
そんな風に思いが過り抱きしめる手に力を込めた。
結果はあっさりとドラゴンは倒されて終わったのだが、自分の腕の中にいるこの温かな存在がどれだけ大切な者なのかを認識したのがこの時だったのかもしれない。
離れがたいがいつまでもこうしているわけにもいかない。ジジイには怒られるし、状況を確認してフェルンに戻り報告もしなくてはならない。きちんと言葉を交わせず別れたのだけは心残りだった。
それからの後始末によりゆっくりと落ち着けたのは数か月後。自分の祖父はキルッカを訪れてアマリア嬢と仲良くなっていた。自分が会えないのに仲良くなっているのが何だか気に食わない。言伝は伝えてくれたみたいで彼女からのお礼と大量の傷薬が届いた。
キルッカには薬草農園はあるが、そこで手に入らない薬草は自らの足で山を駆けずり採取しているらしい。昔見たあの病弱で小さな女の子がこんなにも立派になっている。彼女の頑張りと七年という期間でずいぶんと活発になったものだと笑ってしまった。
彼女ならフェルンの民達に混じってやっていけそうだ。そんな事が頭に過っていた。




