序、始まる物語
夢とは、睡眠中に現実での経験であるかのように感じる一連の観念や心像。
将来、実現させたいと思っている事柄や、現実からはなれた空想や楽しい考え。
さて、私の夢は――。
キルッカ公爵家には三人の娘がいた。二つ上の姉にユリアナ、同い年の双子にグロリアとアマリアの三人姉妹である。筆頭公爵家の父と王妹の母、二人の間に生まれた三姉妹はとても有名だった。
「見て。ユリアナ様よ」
「お隣にいらっしゃるのは妹君のアマリア様かしら?」
王宮の広間の中心では、二人の女性がまわりから視線を集めていた。煌びやかな照明の中で光り輝く銀の髪を結いあげた柔らかな雰囲気の女性と、晴れ渡った青空のような瞳を宝石のようにキラキラと輝かせている少女が笑顔で楽しそうに歓談しているのを、年若い令嬢達はうっとりとしながら眺めた。
「お二人が並ぶと場が華やかになりますわね」
「えぇ、さすがキルッカの三女神ですわ」
「あら? でもグロリア様は……」
中心にいるのは長女のユリアナと三女のアマリア二人だけで、次女のグロリアの姿は見当たらなかった。
「ちょっと、あの方はほら……」
「え、あぁ……そうですわね」
「おほほ。やめましょう。あの方のお話は……ねぇ」
「そ、そうですわね。わたくしったら、おほほほっ」
先程まで楽しそうに話していた彼女達は扇子で口元を隠しながら、小さな声で誤魔化すように笑った。
キルッカ三姉妹は有名である。だが、社交界では美しく可憐な三女神とも称されるキルッカの女神の中に、三姉妹の次女は数えられてはいないのだった。
「アマリア、どうしたの?」
「お姉様。いえ、あの人は今何を思っているのかと考えていたのです」
今日の夜会に参加していないあの人を思い浮かべ、ゆるりと頭を振って追い出す。きっとあの人は今日のこの日を待ちわびて、喜びに震えているのだろう。
同じ頃、とある部屋で人影がもぞりと動き出す。
「ふわあぁっ……ああ、何か懐かしい夢をみたわ」
明かりの消えた暗い部屋のソファに寝そべりながら、ふと懐かしいあの頃を思い出す。 あの日、前世を思い出した時からワタシはこの世界のヒロインなのだ。ちょうど読んでいたネット小説の世界に転生するなんて……。
「ふふっ、ラッキーだよね」
この小説はハッピーエンドで終わる異世界恋愛小説なのだ。作者さんは切なくて甘い恋愛モノを得意としていて、ワタシはこの作者さんの大ファンだった。
あの時も、新作を投稿されていたからそれを読もうとしていた。小説のヒロインはいわゆるドアマットヒロインだったのでちょっと心配したけど、感想やネタバレを見た感じではあまり酷い目に合う様には見えなかった。ワタシ的に酷いと思う暴力とか食事抜きとか虐待とか……まあ、そういう感じではなく、ゆる~いドアマットヒロインというのかな?表現があっているのかはわからないけど、安心安全のちょっぴり薄幸美少女ヒロインなのだ。
筆頭公爵家に生まれながらも、美人で何もかも持っている天才の姉と甘えん坊で天真爛漫で皆に愛されている妹の間に挟まれている目立たない子なヒロイン。父は衰えを知らないその美貌で、今でも婦人方に熱い視線を送られ続けている公爵様。母はこの国の元王女で、王国の至宝として皆に愛され続けている絶世の美女。
四人が並べば華やかで一点の曇りもない高貴な家族が出来上がるが、残念な事にそこには汚点となるワタシが存在しちゃっている。
「あぁ……今日って満月なんだったっけ?」
暗い部屋に柔らかな光が入り込むのに気付いたワタシはソファから立ち上がり、姿見に近づく。覗き込んだそこに映るのは、長い前髪で顔を見えにくくしている暗めの金髪を持つ女性。前髪をかき分ければ、綺麗な青い目をした美少女が映り込む。
「グロリアってば美少女なのよねぇ」
まあ、あの人達が規格外の美貌を持っているってだけで、ワタシだって世間的に見れば美少女なのよ!
父と母どちらにも似ているような気もするし、きっといいとこ取りをしたのだろう。そしていかにも儚いと言わんばかりの微笑みを浮かべれば……。
「はい、美少女ヒロインの完成!」
あははっ、と声を弾ませ前髪を下ろしながらクルクルと回ってみせる。今日は王家主催の舞踏会。一人除け者にされた可哀そうなヒロインの物語が小説と同じように始まる日。
「今宵、ワタクシの物語が幕を上げますわ」
ワタクシは月の光が閉ざされた暗闇の中で陶酔し微笑みを浮かべ、今日という新たな始まりに心を震わせた。
しかし、この物語の主人公は彼女ではない。幸せな夢と妄想を追いかけ続けた空想の住人の横で、自分の夢を実現させるために追い続けたもうひとりの令嬢のお話が、今語られる――。