第七話「それでは、チヤさんの生家の家探しとまいりましょう」
「やっと着きましたね……チヤさんの生家まで」
晴れた青空の下、レイヤは一つ伸びをしていた。
舞白市のある県から、いくつもの県をまたいだこの場所は、広い空き地や畑の中に、ときおり一軒家が混じる閑静な一角だった。
舞白市には、複数の電車の路線が引き込まれるターミナル駅もあり、その周辺ではビルも立ち並ぶ。それに比べれば、この場所は明らかに田舎と言えるだろう。
(ここですと、車がないと生活も一苦労でしょうね)
レイヤは伸びの姿勢を元に戻しながら、ここまでの交通手段として使っていた白のセダンを横目で見た。
白のセダンには、あれから更にいくつものバンパーのへこみが刻み込まれ、ボンネットまでもが不吉な歪みを見せている。
ここから舞白市に戻るまでに、このセダンが廃車にならずに持ちこたえられるかどうか、たいていの人間は真剣に心配になるであろう惨状。
だが、レイヤはそれでもどこ吹く風、とばかりにその場で振り向いた。目の前に建っている、二階建ての一軒家を視界に収めるために。
この家こそ津上家の家にして、五年前までチヤが父カズトモと共に暮らしていた生家である。
「津上」の表札はいつの間にか剥がれ落ちていた。二階建ての一軒家は、一階部分がいまだに黒く焦げ、五年前の火災の傷跡を今でも残している。
レイヤは、地図機能をオンにしたスマートフォンと、滅魔師連盟で受け取った書類と、そして焼け焦げた二階建ての家の間で、視線を何度か往復させる。この家で、間違いないことを確認するために。
(ここで間違いありませんね。それでは、さっそく中に入ることとしましょう)
レイヤは、チノパンのポケットから、車のキーとは別の鍵束を取り出した。同じく、滅魔師連盟で受け取ってきた、この津上家の鍵である。
「お邪魔しますよ」
鉄製の門扉を引き、塀の中に入り、玄関のドアに近寄る。
ドアの鍵穴に鍵を差し込めば、五年経過しているとは思えないほどにするりと錠が開けられた。
レイヤがドアノブを引くことで、津上家の玄関には、しばらくぶりに太陽の光が差し込む。
(さすがに五年も経っていると、中は埃まみれですか)
レイヤは玄関で靴を脱ぎ、その代わりにビニール製のカバーを両足に着ける。これならば、埃まみれの床を歩いても、問題はない。
それが終われば、玄関のスイッチに手をかける。だが、反応がない。
(やはり、電気や水道はもう通っていないようですね。であれば明かりの懐中電灯を……いえ)
今後のことを考えれば、こちらの方がいいだろう。レイヤは思い直し、手にした巾着袋から、一冊の本を取り出した。
現代の技術で出版された本ではない。綴じ糸でその背をまとめられた、和紙の束――すなわち、それは「草紙」と呼んだ方がよいものである。
この表紙に、毛筆で記されたその題名は、「大慈獄卒秘授巧経写本」。レイヤが滅魔士としての修行の一環で、写経を終えた一冊の経典である。
レイヤはこの写本を静かに開きながら、印を結び、唱える。
「活きよ、活きよ、等しく活きよ」
その時、涼しくも、異臭のする風が、窓の閉ざされた津上家の玄関でそっと吹いた。
この異臭は、レイヤが生まれて今まで嗅いだことのある、どんな臭いにも似つかない。焦げたものの臭いのようで、同時に腐敗臭のようでもあるが、その二つとも、明らかに違う。
レイヤたち滅魔師(または滅魔士)は、この臭いを、時に「地獄の臭い」と呼ぶ。そしてこの地獄の臭いを放つ風こそ「等活業風」と呼ばれる地獄の風である。
レイヤの髪が揺れ、部屋の積もった埃が舞い上がる。
その中で、レイヤは写本に記した経を読み上げた。左手手の平を、そっと上に向ける。
レイヤの左手の中で、静かに燃える真紅の炎が生み出された。炎に照らされ、津上家の内装が明らかとなる。
(早速ですが、お教えいただいた「鉄鍱飢渇炎」の術、使わせていただきますよ、連盟長)
「大慈獄卒秘授巧経写本」の阿鼻の章を開いたレイヤは、滅魔師連盟の連盟長に、心の中でそう伝えていた。
「鉄鍱飢渇炎」の術は、滅魔の術の奥義の一つ。大獄正の位を持つ者のみに伝授されるこの術は、地獄の炎を呼び出す。黄色も橙色も混ざらない、純粋な赤の火炎は、呑み込まれた者の体を焼き尽くすが、その真価は別にある。
この炎に身を焼かれたものは、そのまま餓鬼道に堕ちたかのような激しい飢えと渇きに、その身をさいなまれる。血肉を食らう妖魔であれば、そのまま飢えと渇きで力を失う。たとえ血肉を口にしない妖魔であっても、その身に巡る妖力が消え失せる、という形で飢えと渇きに苦しめられる。
それはすなわち、この真紅の炎に焼かれて無事でいられる妖魔は、そうそういないことを意味する。
(この家に封印されている妖魔の正体が分からないなら、まずはどんな相手にでも通用しやすいこの術で相対するのが正解でしょう。それに……)
レイヤは、玄関から歩を進めた。右手にある、リビングが目に入る。
(こうすれば、懐中電灯も兼ねられますからね)
「鉄鍱飢渇炎」の術がもたらした炎と、赤い光が静かに居間を照らしていた。
壁や床のあちこちが黒く焦げ、その上から埃が積もったその光景の中、レイヤの眼鏡の中に、ふとそれが映り込む。
(あれは……コルクボード? そしてあの写真は……)
五年前の火事の時に焼け残ったコルクボードには、今も何枚かの写真が貼られていた。その中の一枚には、自分自身も映り込んでいることに、レイヤは間もなく気付くことになる。
(獄正得度戦のときの写真ですね。カズトモ先輩は、あんなものを残していたのですか)
その写真は、今から十年前に撮られたもので間違いない。レイヤは確信する。
全身のあちこちに傷を負い、汗だくになりながらも笑顔を浮かべる、幼かった頃のレイヤ。その隣には、レイヤを見守るカズトモの姿もある。
獄正得度戦――滅魔師連盟にて、獄正の位を得たい者に試練として課せられる戦いを経て、レイヤは獄正となった。そしてその二年後に、カズトモもまた獄正の位を得た。
(カズトモ先輩を差し置いて僕が獄正の位を得たのは、今思い出しても気恥ずかしいものです)
コルクボードに貼られた写真は、それだけではない。
獄正得度戦の時と前後して、チヤが生まれた時の写真もある。
(あのとき、カズトモ先輩に抱っこさせてもらった赤ちゃんであるチヤさんが、今では僕の弟子なのですから、不思議な縁もあるものです)
チヤが生まれ、成長するまでの間、カズトモはよくチヤを連れてレイヤに会いにきた。レイヤがチヤの遊び相手となっているうちに、やがてチヤはレイヤになつき、いつしか滅魔師としての修行をつけてやるほどになった。そのときに撮られた写真が、連なってコルクボードに飾られている。
だが、この思い出の写真の数々は、あるとき突然途絶えることとなる。言うまでもなく、今から五年前の時点で。
レイヤは、そこで一つ、眼鏡をずり上げた。
(今は、思い出に浸っている場合ではありませんでしたね。カズトモ先輩の研究資料を探さなくては)
コルクボードの写真をいつまでも眺めていたい気持ちを抑え、レイヤはそっときびすを返した。
当たり前ながら、居間には研究資料とおぼしきものは残されていない。五年前の時点で、滅魔師連盟が回収してしまったのだろう、とレイヤは考えた。
(念のため、僕自身の足でも、結界の外側を回っておきましょう。五年前のときの取りこぼしが、まだ残っているかもしれませんからね)
次は、向かいの洋室を探ろうと決め、レイヤは左手に燃える地獄の炎を掲げた。
◇◇
(そして、残るはここだけ、ですね)
レイヤは、固く閉ざされた扉の前に立っていた。
一階の部屋に二階の部屋、風呂場やトイレなども回っては見たが、やはりカズトモの研究資料は残されていなかった。当時の滅魔師連盟の資料回収は徹底されていたことを、改めてレイヤはうかがい知ることとなる。
あとは、この扉――滅魔師連盟で受け取った資料によれば、地下室に通じる――の向こうだけが、調べられていないことになる。
扉の表面には、不可思議な文字の列が黒く刻み込まれ、あちこちにのたくっている。
ただの人間には、不気味な模様としか思えないであろうその文字の意味は、けれどもレイヤにとっては一目瞭然だった。
(やはり、連盟長の情報通り、妖魔封印の結界ですね。それも、かなり高位の妖魔ですら、長時間の封印が可能なものです。あまつさえ、足を踏み入れた妖魔のみならず、周囲の妖魔にも反応して、封印が起動するように術が重ねがけされています――。さすがはカズトモ先輩、こんなものをふつうの家に準備しておけるなんて)
レイヤは、改めてカズトモの持っていた技術に、内心で舌を巻いていた。
このような結界を作り出す術それ自体は、決して難しいものではない。だが、地脈の流れを考慮し、呪術的な最適化が行われた設計がなされていない通常の住宅で、これほどの結界を用意することは、決して容易ではない。滅魔師連盟屈指の呪具師だったカズトモだったからこそ、可能な芸当とすらいえる。
(ただ幸い、外部から封印を解くこと自体は、そこまで難しいものではなさそうです。これなら、僕の知識でも何とかなりそうですね)
レイヤはそう言い、左手に赤の炎を灯したまま、右手を扉の前にかざす。
レイヤの右手に最も近い文字が、おぼろげな碧色の光を発した。碧色の光は、隣の文字にも広がり、更にその隣の文字にも伝わっていく。
扉全体が、鎖状の碧色の光に覆われるまで、そう時間はかからない。
(しかし、そもそもの話ですが、カズトモ先輩はなぜこんな手の込んだ結界を、自分の家に張っていたのでしょうか?)
じわじわと封印の解除が進むのを見るレイヤの脳裏に、ふとそんな疑問が去来した。
この手の、結界型の妖魔封印の術がよく利用される状況は、レイヤの知りうる限りでは二つ。
一つは、何らかの理由で撃破が困難な妖魔を誘い込み、封印するという状況。いわば、妖魔に対して「罠」を仕掛ける局面である。
そしてもう一つは、妖魔を召喚する術を使用したのち、万一呼び出した妖魔が暴走した際の安全装置として、利用されるという状況。
(カズトモ先輩が、チヤさんたちご家族が住んでいらっしゃったこの家そのものを、妖魔に対する罠として利用していたというのでしょうか? それとも、カズトモ先輩が妖魔を召喚する術をひそかに研究していたか……? どちらも、にわかには考えにくいですが)
扉全体に広がる碧色の光は、扉の端から徐々に消えてゆく。この光のすべてが消えうせた時、封印の解除は完了するだろう。
(何かわけがあるのかもしれませんが、現状では情報が足りませんね。扉の向こうにあるであろう、カズトモ先輩の研究資料が、この結界のあるわけを解き明かす鍵となってくれればいいのですが)
自身の眼鏡に映り込む光が減っていくのを見ながら、レイヤは静かに身構えた。
先ほどから左手の炎の周囲に吹かせていた地獄の風――等活業風を少しずつ弱める。同時に、赤の炎は身震いし、膨れ上がっていく。
(結界が解けたなら、その瞬間に中にいる妖魔に、これをお見舞いするとしましょう)
「鉄鍱飢渇炎」の術が、いよいよその本来の用途でもって、結界の中に潜む妖魔を焼き払う準備を整える。
その頃になって、扉に刻まれた最後の一文字が、碧色の光をひときわ強く放ち、消えた。
レイヤは、すかさず扉を開け放った。
左手を右手で支える体勢を取り、レイヤは地獄の炎の本来の威力を解き放った。