第二十八話「浄化と滅殺の光」
――なんてことになるのを、ワタシが見逃すはずもない。
「あんたの娘と後輩は、今取り込み中でしょうが――」
真祖の緑屍衣で強化された脚力で、ワタシは駆け出す。
退魔師と滅魔師の牽制の術をすり抜けて、倒れたチヤとレイヤさんのところに向かう閻婆。その背中をにらみながら、ワタシは跳躍。
閻婆の背後の闇からにじみ出るようにして、ワタシは奴の首元に現れ、すぐさまそこに「死神の鎌」をかけてやった。
「用が済むまで――」
その後、ワタシは閻婆の背中を足場にして、大鎌に両手の腕力を込めた。
「――あんたは引っ込んでなさいよ!!」
そしてそのまま、力任せに閻婆の首を後方に引き寄せてやる。
閻婆の首元から、とても言葉にできないような濁った奇声が吹き上がった。
閻婆は首元を刃物で引っ張られる苦痛で、そのまま後ろにもんどりうち、地響きを立てて倒れ込む。その時偶然ワタシの「死神の鎌」の刃先が、レイヤさんの示してくれた急所に入ったようで、閻婆の持つ地獄の血液が宙に吹き上がり、そして自然発火を起こしていた。
「カズトモ殿。貴殿がチヤ殿のお父上であるとはいえども、さすがにそのような行いは無粋、かつ野暮というものでございますぞ」
フルクフーデも……「死神の鎌」も、相変わらずの緊張感のない顔から、渋い男性の声で閻婆の行いをとがめる。
それが終われば、フルクフーデは更に顔をだらしなく緩ませた。これは、フルクフーデが安心したときの表情だと、主であるワタシには分かっている。
「それにしても、レイヤ殿も思い切りましたな。残る霊力のすべてを、チヤ殿に託すとは」
「ええ。それだけチヤのことを信じているのね、レイヤさん」
フルクフーデの両翼……今はフルクフーデの背中で一つにくっつき、大鎌の刃と化している……で、暴れる閻婆の首筋を押さえながら、私はチヤを竜の両目の視界に収めた。
それから、あいつに向けてハッパをかけてやる。
「チヤ! あんたの師匠とのメロドラマが終わったんなら、さっさとこっちに戻ってきなさい!」
◇◇
「誰がメロドラマをやってるように見えてんのよ、妖魔風情が。不死者だからって、脳みそまで腐った寝言をほざいてんじゃないわよ」
およそ味方に向けるものとは思えないほどの剣呑な視線を、チヤは背中越しにユキへと投げかけた。
チヤの目の前では、辛うじて意識があるレイヤの体が、近くにいた数名の滅魔師によって運ばれようとしている。
チヤはそれを見守りながら、左手に「布都御魂剣・人為」を握り、右手のリンフォンを持ち上げ――。
そこで、チヤはもう一度だけレイヤのもとへと歩み寄った。
「お師匠様。今更かもしれませんけど、お師匠様の言いつけに従わせてください。お師匠様に、このリンフォンをお預けします」
チヤは、レイヤの腰に着いたきんちゃく袋を開き、その中に黒い正二十面体を滑り込ませる。
口を動かすことも億劫なほどに力を失ったレイヤの目が、眼鏡の中で丸くなった。
チヤはそこで、にへっ、とはにかみながらも笑顔を見せる。
「もう私が持ってても大丈夫だとお師匠様が思ったら、そのときにそれを私に返してください」
チヤは、照れ隠しとばかりに前髪を一つ、空いた右手でかき上げた。いつも愛用している、猫のヘアピンの感触が、そこに残る。
それが終われば、チヤは「布都御魂剣・人為」を、左手から右手へと持ち替えて、自身の師匠へと背を向けた。
「ここから先は、これ一本で勝負しますから」
その言葉を残して、チヤはもう一度駆け出した。
ユキの押さえ込んでいる、閻婆のもとへと。
■■
「なるほど、チヤ殿も一計案じましたな。レイヤ殿から託された霊力を少しでも長くもたせるために、あえてリンフォンを使わず、『布都御魂剣・人為』のみを構える戦法に切り替えるとは」
フルクフーデは、ワタシたちの戦いの輪に走り寄ってくるチヤを横目で見ながら、感心したように声を上げる。
右手で光り輝く剣の柄を握りながら接近し、閻婆に斬りかかる直前に、左手をも柄に添える。
そのとき、ワタシの鼻の奥に焦げたような臭いが立ちのぼった。
「あっつっ! 熱い!!」
元の刀身を取り戻した「布都御魂剣・人為」の刀身は、強い浄化の光を届ける。ワタシの肌が焼けただれるということは、その力が戻った紛れもない証だ。
けれどもこんなのに近寄られたらワタシの体の方が持たないっての! ワタシはたまらず、閻婆の首にかけた「死神の鎌」を引っ込め、フルクフーデともども閻婆の背中から退散した。
チヤはそのまま、閻婆の胸を狙って、「布都御魂剣・人為」の刀身を突き入れる。そこには、レイヤさんの残した十字模様が、まだ残っている。
「よくも私のお師匠様にまで手を……もとい脚を出したわね! 閻婆ッ!!」
閻婆の胸元で、彩雲色の浄化の光が弾けた。
「ああああああっ! チヤぁぁぁぁぁ!!」
閻婆のくちばしからは、ごぼりという湿った音とともに、紫色の液体が吐き出された。
チヤが「布都御魂剣・人為」を引き抜けば、閻婆はたまらずたたらを踏んで後退する。先ほどまでに比べても、更にその体の動きが鈍くなっている。
その隙を縫うようにして、ワタシの父親に負けないぐらいよく通る声が、この空き地を引き裂いた。
「おい滅魔師ども! こっから先、レイ坊に成り代わって、手前ぇらは己が采配する! 耳の穴かっぽじって己の指示をよく聞けや!」
その声のもとは、なんとあのクソジジイこと、ザンエとかいう滅魔師連盟の連盟長だ。今ワタシの父親の隣に立つのは、レイヤさんではなくあいつということか。
ザンエのジジイは、手に持った扇子で、滅魔師のグループを指しながら、次から次へと指示を出していく。
「子組、丑組、寅組は引き続き『血盆穢渦』『刀輪鉄壁』の術を構えとけ! 残りの全組は、それぞれ得意の術で攻撃だ! 閻婆の野郎のくちばしを狙え! くちばしが壊れるまで攻撃を続けろ!」
その声を聞いて、レイヤさんが倒れたことで動揺していた滅魔師たちに、再び活力が戻ってくる。
もちろん、ワタシの父親だって負けていない。
「丁班、戊班、己班! 引き続き水行と木行の五行術を準備! 残る班は式神術を閻婆に放て! 閻婆の動きを封じ、滅魔師の攻撃を支援しろ!」
ワタシの父親の声が上がるが早いか、月夜を切り裂いて、式神の群れが飛び立った。ママを含めて、みんな疲労の色は濃いけれど、誰一人として勝負を諦めてはいない。
閻婆の身は、もう何度目になるか分からない、式神の鎖による拘束を受ける。
「性懲りもなく、同じ手を何度も何度もぉっ!!」
閻婆はそれを振り払おうと暴れはするが、その力は明らかに弱っている。
時折、閻婆の暴れっぷりに引きずられて、倒れたり、ひどければ空に振り上げられる退魔師もいた。けれども、そんな退魔師たちは、絡新婦の子グモたちが吐いてくれた糸で、無事に空中でキャッチされ、事なきを得る。
退魔師たちが閻婆の注意を逸らした隙に、今度は滅魔師の術が閻婆を襲う。
針山地獄の針の嵐が舞う。
地獄の獄卒の刃が、鉄の杖が、振りかざされる。
高熱のあまり融解した灼熱の銅の津波が、焼き尽くす。
どの攻撃も、閻婆のくちばしを狙っていた。すべての攻撃が命中したわけではないにしても、それでも術の波状攻撃は、確実に閻婆のくちばしを傷つけてゆく。
「!!!!!!」
もはや、この叫び声はチヤの父親のものか、それとももともとの閻婆のものかも分からない。その叫び声とともに、閻婆の妖術も放たれた。
だが、どの術も水行で克たれ、木行でその根元を絶たれ、最後には滅魔師の術で防がれる。
「もはや、完全な悪あがきでございますな」
ワタシが「死神の鎌」で閻婆の脚を斬り払い、少しでも閻婆の動きを抑えようとしているところで、フルクフーデも言う。
ふと、ワタシの頭上の斜め上で、「ぴしり」という音が立った。
「! あいつのくちばしが!」
この音の発生源は、閻婆のくちばしだった。
あの金属のような固そうなくちばしが、滅魔師の術による波状攻撃で、とうとうひび割れるにまで至っている。
そして、次にくちばしへ当たった炎の玉が、とどめの一撃となった。
くちばしの表面のひびは、あっという間にその全体に広がった。さらにもう一瞬ののちに、「刀輪鉄壁」の術に止められた地獄の刃のようにして、あのくちばしは砕け散る。ワタシが今立っている場所からでは見えないが、おそらく閻婆の口内に浮かんでいる、チヤの父親の顔は丸見えになっているだろう。
「滅魔師ども! 攻撃を止めろ! 今度は『熱鉄懸縄』の術に切り替えて、奴の動きを止めやがれ!」
ザンエのジジイが言った瞬間、それはもう見事に、滅魔師の攻撃の術は止んだ。代わって、いくつもの熱された鉄の縄が、この空き地の四方八方から飛んでくる。
「ユキ! お前は閻婆を地面に縫い止めろ! 今のお前の力ならできるはずだ!!」
そこにワタシの父親の指示の声も合わさり、飛ぶ。
ちょっと癪には感じるけど、それじゃあ、アレをやるとしましょうか。
「フルクフーデ。アレをやるわよ。しっかりその口で受け止めなさい」
「は。御意のままに」
ワタシは閻婆の足元の地面を蹴った。滅魔師が放った鉄の縄を回避するようにして、ワタシの身長の何倍もの高さまで、一気に跳躍する。
空中で、完全には満ち切らない月を背負いながら、ワタシはフルクフーデを持ち替えた。
今のワタシは、フルクフーデの伸びた足の先端を、両手でつかんでいる。「死神の鎌」に最大の遠心力が乗り、一番破壊力の出る握り方だ。
そのまま、空中で「死神の鎌」を持ち上げ、頭の上で大上段に振りかぶる。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
閻婆の背中めがけて落下する速度と。
ワタシとフルクフーデの全体重と。
そしてヴァンパイアと竜の剛力と。
すべてを乗せた渾身の一撃が、閻婆の背中に突き立った。
「ごがぁぁぁぁぁっ!!」
鎌の先端は、閻婆の強靭な羽毛と皮膚を突き破り、その肉にまで食い込んでいる。
けれども、これではまだ足りない。
ワタシは、閻婆の背中に突き刺さった「死神の鎌」の柄を足場にして、再度空中に飛び立った。体を折りたたんで、空中で宙返りを何度も繰り返す。
十分な勢いが乗った。そう判断したところで、ワタシはもう一度体を伸ばした。
狙いは、「死神の鎌」の柄の先端。今では刃となっている側のちょうど反対……つまり、大口を開けたフルクフーデの顔面だ。
「しっかり味わいなさい!」
行灯袴の裾から、太ももまでも覗かせて、私は空中からの宙返りかかと落としをフルクフーデの顔面にお見舞いした。
もちろん、これはフルクフーデを傷付けるために、じゃない。「死神の鎌」の刃を、閻婆の腹側にまで貫通させるための一撃だ。
「!!!!!!」
ワタシのかかとをしっかりくわえこんだフルクフーデ。その翼の先端は、腹の方にまで抜け、そして地面にまで突き立つ。
これで、閻婆は地面に釘付けだ。
「今だチヤ! 『布都御魂剣・人為』を、カズトモの眉間にブチ込めぇっ!!」
退魔師の放った式神。
滅魔師の打った鉄の縄。
そしてワタシが背中から突き刺した死神の鎌。
この三つで、閻婆の動きは完全に封じられた。
その隙を、チヤが見逃すはずもない。
「ま……待て……待つんだチヤ!」
くちばしが壊れ、その顔を直接月光にさらすことになったチヤの父親は、娘に声をかけた。
けれども、チヤの足は、そんなものでは止まらない。止められない。
「お前は騙されているんだ! 退魔師どもに! 滅魔師どもに!」
チヤの目には、いつものあの深海のような昏い眼光しか、残されていない。
それはすなわち、閻婆の声に耳を貸す気など、さらさら無いということ。
「パパと一緒に、もう一度地獄に行こう! なあ、チヤ!」
チヤは、最後の一歩を踏み込んだ。
膝に溜めたバネで、一気に空中に飛び立つ。
腰を右側にひねり込み、「布都御魂剣・人為」を右手に構える。
「よせ! 考え直せ! チヤぁっ!」
「いい加減その話は聞き飽きたわ」
「布都御魂剣・人為」の切っ先が、動き出す。
「今、二度とものを言えないようにしてあげる」
「布都御魂剣・人為」の切っ先と、閻婆の口内にあるチヤの父親の顔と、これらをを遮るものは、もはや何一つとしてなかった。
浄化と、滅殺。
相反する二つの力が、チヤの父親の眉間から、閻婆の体内に注ぎ込まれる。
「チヤぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「布都御魂剣・人為」は――人の業が為した神の霊剣は、たとえ偽物ではあっても、妖魔を討つには十分すぎるほどの力を閻婆の体内で炸裂させた。
閻婆の体のあちこちから、彩雲色の光がほとばしる。妖力から成る閻婆の肉体は、頭の方から順に、塵と化して消えてゆく。
ワタシはそれを確かめたのなら、真祖の緑屍衣を脱ぎ捨て、そしてフルクフーデを送還した。同時に、閻婆の元から離れる。
この光に呑み込まれれば、妖魔はその体を保つことはできない。それは、ワタシだって同じことだ。
竜の力が体から抜けていくのを感じる中、ワタシは何とか一瞬だけ、その姿を捉えることができた。
チヤの父親の、人間としての体が、光の中に浮かび上がっていたことを。
この光は、ありとあらゆる妖力を浄化し滅殺する。けれども、人間を傷付けることは一切ない。つまり、チヤの父親の肉体だけは、無事に残るはずだ。
妖魔であるワタシの瞳では、それを最後の最後まで見続けることは、できなかったけれども。
かくして、二人の滅魔師のすれ違いから始まった、十年間の因縁は光の彼方へと消え去った。
チヤの父親、津上カズトモを残したまま。




