第二十七話「霊力の限界」
ワタシとチヤと、ワタシの両親と、レイヤさんと、そして他の退魔師と滅魔師と絡新婦と。
その総力を挙げた閻婆との戦いは続いていた。
「全班ともに、閻婆の妖術への対策を最優先! 近くにある金属から水行と木行の術を備えろ!」
ワタシの父親は、退魔師のグループに次から次へと指示を出す。
「滅魔師は全組、退魔師に合わせて『血盆穢渦』『刀輪鉄壁』の術を構えてください!」
レイヤさんがそれにならい、滅魔師のグループを退魔師と連携させる。
「手の空いた者は、式神術で閻婆を牽制! ユキとチヤちゃんを援護しろ!」
閻婆はあの後、力任せに式神の鎖と焼けただれた鉄の縄を引き千切って暴れ始めた。
「同じく滅魔師の皆さんも、隙を見て閻婆を術で再拘束してください! くれぐれもチヤさんたちを巻き込まないように!」
けれども、退魔師のみんなは式神の鎖をもう一度伸ばしてくれたり、もしくは閻婆の体に式神が張り付けたりしてくれる。
滅魔師たちだって負けじと、焼けた鉄の縄を撃ち出して、そこに地獄の拷問器具を混ぜたりしてくれる。
退魔師のみんなと滅魔師たちからの援護は、十分に閻婆の動きを牽制してくれている。
閻婆は、そのせいか明らかに苛立った声をくちばしから漏らしていた。
「ちぃっ! 鬱陶しい小細工を!」
ワタシは鉄の縄を打たれた閻婆のくちばしが振り下ろされるのを、紙一重でかわす。くちばしは地面を切り裂き、深々と食い込むだけの重さがあったが、鉄の縄で速度が殺されていたので、回避は簡単だ。
ワタシは更に後方にジャンプし、空中に張られた白い糸の上に、愛用のブーツで着地。
絡新婦が、工事現場の資材から張ってくれたこの糸をトランポリン代わりにして、ワタシは前へ跳躍。閻婆の頭上を飛び越えざまに、その頭を「死神の鎌」で叩き斬ってやる。
けれども、そこにはレイヤさんの示してくれた急所は無く、ただ固い手ごたえが残るのみ。与えたダメージは小さいだろう。
「さすが、相手は地獄の最下層に棲むという強力な妖魔ですな。真祖の緑屍衣の力で振るわれた小生の翼を受けても、それを耐え抜くとは」
驚くフルクフーデの体にも、ワタシの両手にも、痺れるような手ごたえが残る。
一応言っておくと、真祖の緑屍衣を着たワタシの振るう「死神の鎌」の威力は折り紙付きだ。全力で振り抜けば、生身の人間はもちろん、中級程度の妖魔くらいなら、その胴体をやすやすと輪切りにできる。
それだけの威力の斬りつけすら、急所に受けない限り有効打にならない閻婆は、やはり恐るべき相手だ。
けれども。
「着実にあいつの体力は奪っている。この勝負、ワタシたちが押してるわ!」
もともとヴァンパイアの持久力が備わっているワタシは、まだまだ体力は余裕だ。
その一方で、生身の人間である他の退魔師や滅魔師は、術を使う手に疲れをにじませている。蜘蛛の糸に霊力を流したり、地獄の門を開いたりしたその後で、この戦いを始めているのだから、当然だ。
けれども、閻婆の体力の消耗は、それよりも早い。
「おのれ……お前たちの取り巻きがいなければ!」
鋭い鉤爪を伸ばした脚で、閻婆は悪態交じりにワタシに蹴りを放ってくる。
けれども、その蹴りはもう、ワタシを捉えられるほどには速くない。退魔師や滅魔師の術の拘束が無い状態でも、まともに動くことが厳しくなってきている証だ。
閻婆が時折思い出したように繰り出す火炎の吐息や刃の波、それに炎の猛犬による攻撃の威力も、じわじわと落ちてきている。
このまま行けば、攻撃のチャンスも増えていくだろう。そうなれば、そのまま一気に押し込める!
「さあチヤ、あともうひと踏ん張り――」
今はワタシの方を向く閻婆の向こう側で、かすかに物音が聞こえた。
この音は、チヤと並んでいてすっかり聞き慣れた音だ。リンフォンが木組み細工のように動いて、変形する――
「!?」
閻婆の鉤爪の隙間から一瞬だけ見えた光景を目にして、ワタシの竜の瞳孔が拡大した。
チヤの右手に握られたリンフォン「魚」の「刀」が、変形している。
リンフォンは「鷹」の「弓」に変わり、次いで「熊」の「爪」に転じる。
「チヤ! こいつと戦うには『魚』の『刀』が一番向いてるでしょ! 何やって――」
「ユキ様。これはまずいですぞ」
ワタシが正眼に構えた「死神の鎌」が、深刻な声色で呻いた。今の位置関係だと、大鎌の柄になったフルクフーデと、対面する形になる。
「チヤ殿は、どうやら霊力が切れかかっているようです」
「霊力が……!?」
チヤは、閻婆の向こうで、膝を折っていた。
その顔には脂汗が浮き、肩で息をしている。
その手の中のリンフォンは、すでに「熊」の「爪」すら維持できず、とうとう元の黒い正二十面体にまでなってしまった。
肝心の、あいつの左手に握られた「布都御魂剣・人為」は……
「……あのバカ! 無駄な強がり癖をこんな時に出して!」
……今のワタシの目でも、何とか刀身を見ることはできる。だがそれが意味するのは、剣から放たれる浄化の光が、ほとんど失われているということ。さっきまでの状態なら、ヴァンパイアであるワタシの目では、直視できないほどの光が放たれていたのに。
「布都御魂剣・人為」は、もはや風前の灯のように、チヤの左手の中で、小さく、そして短くなっていた。
◇◇
時を同じくして。
退魔師らに指示を出すシロガネらもまた、チヤの異変を察していた。
「チヤちゃんの……霊力の消耗が激しすぎる! チヤちゃんの膨大な霊力をもってしても、『布都御魂剣・人為』を支えきれないというのか!?」
その横で、眼鏡をかけ直したレイヤもまた、膝を折ったチヤを見つめる。
「チヤさんも、少しペース配分を誤ったかもしれません。リンフォンを最も強力な形態である『魚』の『刀』に変形させ、同時に『布都御魂剣・人為』まで維持するというのは、さすがのチヤさんでも長くはもたないようです」
レイヤは、口元を引き絞った。シロガネの額にも、焦燥の汗が浮き始める。
「巫女のユキの『くにつかみのよそほひ』は、もうこの夜の内には使えない。もしこのまま『布都御魂剣・人為』が失われてしまえば、再度あれを作り出す手立てはないぞ!」
何とか、今からあの剣の一撃を閻婆に届ける手立てはないものか。シロガネは自身のこめかみを指で叩きながら、必死に思考する。
だが、シロガネの思考が完成する前に、レイヤは一歩、前に出た。
それから、その場で振り返る。
「すみません。ここから先はお任せしますね。ザンエ連盟長」
レイヤの両目が眼鏡の下から見ていたのは、シロガネではなかった。
「……ちっ。結局土壇場で己にケツを持たせやがるか、レイ坊」
この工事現場の後ろで、ただただたたずんでいた、鋭い眼光をした禿頭の老爺が、レイヤの視線の向かう先だった。
ザンエは、夜の闇の中から、静かにその身を月光の下に現した。相も変わらず、唇は不機嫌そうに歪められている。
レイヤは、そんなザンエに、無邪気とも思える笑顔を向けて言った。
「はい。すみませんがよろしくお願いします。今この状態だと、『布都御魂剣・人為』をもたせる手段は、おそらく『あれ』しかなさそうですから」
「蜘蛛の糸」作戦を立案したときは逆に、今度はレイヤとザンエのやり取りを前に、シロガネが困惑することになる。
「レイヤ君……? 一体ザンエ殿と何の話を……」
けれども、レイヤの言葉はシロガネの困惑を前にしても、止まることはない。
「それと、ザンエ連盟長。閻婆の……カズトモ先輩の最後の急所も、先ほど見ておきました」
レイヤは、右手の人差し指を伸ばして、そこを指す。
レイヤの両目の真ん中のやや上――すなわち、眉間を。
「シロガネ連盟長と一緒に、カズトモ先輩のここに『布都御魂剣・人為』を突き込む作戦の立案をお願いします」
「――いいだろう。ここはレイ坊の顔に免じて、一肌脱いでやるぜ」
「では」
レイヤは、そのままシロガネとザンエに背を向けて、駆け出す。
「お、おい! レイヤ君、どこへ――」
右手を伸ばした体勢のまま、シロガネの体は思わず前に泳ぎそうになる。
それを制したのは、ザンエの手に握られた、畳まれた扇子だった。
「シロガネちゃんよ。こっからはレイ坊じゃなく、己に付き合えや」
その老いた顔にそぐわない、白く整った歯を月光で輝かせながら、ザンエは肩をすくめた。
「ったく、餓鬼の時分から面倒を見てやってたせいか、どうにもレイ坊が相手だと、己も調子が狂うぜ」
「ザンエ殿……」
シロガネは、ザンエの横顔に一瞬ばかり浮かんだ顔つきを、忘れることはできなかった。
まるで、実の孫を見るようにして、レイヤの背を見るザンエの目元には、わずかばかりのほころびがあった。
◇◇
「はぁ……はぁ……!」
チヤの膝は、すでに持ち上がらなくなっていた。
息が苦しくなり、体に力が入らない。霊力を限界近くまで消耗したときの、体の異常がチヤに襲いかかる。
本来持つ霊力が膨大であるがゆえに、レイヤとの修行や妖魔との戦いの中でも、これまでチヤはほとんど霊力切れの苦痛を味わうことこそなかった。
そのはずの自分が、ここまで追い詰められている。それを認めたチヤは、怒り狂った獣の形相を浮かべた。
(これしきの……これしきのことで!)
正二十面体の姿に戻ったリンフォンに、もはや剣どころか白い人魂のようになった「布都御魂剣・人為」に、チヤはありったけの霊力を注ぎ込もうとする。
けれども、父の組み込んだリンフォンの自動変形は働かない。
神代の霊剣を模した光の剣は、伸びようともしない。
(まだ……こんなところで私は!)
「布都御魂剣・人為」は、チヤの体内に残された残りかすのような霊力で、かろうじてその面影を残しているに過ぎない。
だがそれも、もうわずかももつまい。
退魔師や滅魔師なら、一度は味わうであろう、霊力が底を尽きるという事態に、チヤもまたぶちあたろうとしていた。
そのまさに直前に、チヤの左手は、より大きな両の手で包まれていた。
「!」
この手の温かさと、そこからにじみ出る霊力は、チヤも物心がついた時から知っているもの。
にわかに、チヤは気付く。膝を折って地面にへたり込んでいた自分自身の体が、後ろから誰かに抱きとめられていたことに。
「お……」
チヤは、首をその「誰か」の方へ曲げた。
「お師匠……様……」
そこでは、チヤの師匠こと前戸レイヤが、いつものように優しい眼光を、眼鏡の下から送っていた。
「あの……お師匠様! 私……」
レイヤにリンフォンを預けるのを拒み、その場から逃げ去ってしまったあの時から、レイヤとはろくに言葉を交わしていない。そのことに気付いたチヤは、その舌をもつれさせた。
レイヤは、口元をわずかに緩めて、それから首を小さく横に振る。
「この戦いが終わったら、またお話ししましょう。それより今は――」
消えかかった「布都御魂剣・人為」を持つチヤの左手を包んだレイヤの両の手。その手の甲から、傷口も無いのに赤い液体がにじみ始める。
血のように赤い液体は、レイヤの手の甲を流れ落ち、チヤの左手の上にしたたり落ちる。赤い液体は、青白い燐光を伴いながら、チヤの肌に吸い込まれ、消えゆく。
「――これを受け取ってください。僕に残った霊力のすべてを、チヤさんに託します」
チヤの持つ白の剣が、心臓の鼓動のように跳ねた。同時に、チヤの肩もびくりと震え、師匠の行いの意味を理解する。
「これは……まさか、血霊授法ですか!? お師匠様!」
人魂のようにかすかだった「布都御魂剣・人為」は、やがてその姿を再度顕現させる。短刀ほどの長さの刀身が戻り、そしてそれはたちまちのうちに、元の霊剣としての刃渡りを取り戻す。
「はい。これなら、チヤさんの霊力を完全に回復させることまではできずとも、もうしばらくはその剣を維持できるはずです」
「……りです……」
血霊授法――自らの身に秘めた霊力のすべてを、血のように赤い液体として分泌し、他者に譲る秘術を受けるチヤは、涙をこらえるような声音で言う。
「無理です……。私がこの剣を持って、閻婆と戦うなんて……! お願いです、お師匠様が私の代わりに、この剣で閻婆と戦ってください!」
レイヤは、しかしもう一度首を横に振った。
「それこそもう無理な話です。一度血霊授法を始めてしまえば、すべての霊力を放出し終えるまで、僕自身にもこの術は止められません。チヤさんには……前にそう教えましたよね」
チヤの足腰に力が戻るのと逆行するように、レイヤの体からは、力が失われていく。
赤い液体をにじませ、徐々に動かせなくなってゆく左手の指先で、レイヤはチヤの左手の甲を優しくなでた。
「大丈夫。チヤさんは、あのカズトモ先輩の娘さんなんですから。『布都御魂剣・人為』を持つのに、この場で一番ふさわしいのは、僕ではなく、チヤさんです。その体に秘めた膨大な霊力、それを操る才能、戦いの時に情で迷わない心……どれも、僕では及ばない強さです。その強さがあれば……『布都御魂剣・人為』は……必ず、応えてくれます」
レイヤの息も徐々に荒くなる。両手からにじむ赤い液体の中には、徐々に彼の汗すらもが混じりこんでゆく。
「僕が……手助けできるのは……ここまでです。あとは……ザンエ連盟長と……シロガネ連盟長の言うことを聞けば……必ず、この戦いに……勝てるはず――」
血霊授法によって生み出される最後のひとしずくが、レイヤの手から流れ落ちた。
それがチヤの左手の上で弾け、彼女の体に吸い込まれると同時に、レイヤの体は、糸の切れた操り人形のようにして、地面に倒れこむ。
「あとは……頼みました……よ……」
すべての霊力を振り絞り、力尽きた師匠を前に、チヤは涙を浮かべながら、唇をわななかせていた。
「お……師匠……様……!」
けれども、地面の下から突き上げてくるような衝撃が、チヤがそれ以上ほうけていることを、許しはしなかった。
「チヤ、ちょっとそこをどいてくれないかな?」
赤い地獄の影が、その両脚を地面に叩きつけ、食い込ませた。チヤとレイヤの顔に降り注ぐ月光が、さえぎられる。
「!?」
弾かれるようにして首をその影に向けたチヤの視界いっぱいに、巨鳥の妖魔の姿は広がっていた。
巨鳥の妖魔は、金属を思わせる硬質なくちばしを開き、その口内に張り付いた人間の顔を二人に見せる。
「チヤを惑わすことを言うレイヤ君を――」
ユキとチヤの二人がかりで懐に飛び込むことと、退魔師や滅魔師らの援護を合わせれば、閻婆はその動きを十分に牽制できていた。
しかし、チヤが霊力切れを起こし、倒れかかる事で、そこに閻婆を自由にさせる隙が生じてしまった。
そのことにチヤが気付いたときには、すでに閻婆はあまりにも接近しすぎていた。
「――今始末してあげるからね」
閻婆は、右脚を高く持ち上げ、それを振り下ろす。血霊授法によって霊力のすべてを失い、身動きができないほどに消耗したレイヤめがけて。
チヤの耳には、遠くでシロガネの叫ぶ声が飛び込んできたが、チヤがその言葉の意味を理解するよりも先に、鈍い音が響いていた。
空に、熱を帯びた液体が吹き上がる。
月光は、ただその様子を、静かに見守っていた。




