第二十六話「見つけ出した弱点」
「フブキと甲・乙・丙班! 『野辺若草』の術だ! 先ほど生んだ水行を利用しろ!」
「はい! シロガネさん!」
すかさず、ママを中心とした退魔師が、印を結んだ。五芒星をかたどったその印は、まぎれもなく五行の術を操る証だ。
すると、またも鉄パイプの山に異変が起きた。びしょ濡れになった鉄パイプの山――その水気が消えてゆく。
その水気は、今度は苔や、柔らかな下草に変わっていく。それはやがて背の高い草にまで育っていった。
と同時に、この空き地のむき出しの土の上に、急成長した草が一気に広がった。緑のペンキでもぶちまけたようにして広がった草は、地面に深く深く根を張っているようで、地面のあちこちが盛り上がり、ところどころで根っこが見え隠れしている。
術で生み出した草原は、最後には閻婆の放った刃の波を迎え撃つようにして、その周辺を囲んでいた。
けれども、閻婆のやつは、それをただただ笑い飛ばすのみ。
「バカめ! 先ほど大見得を切っておきながら、とんだ愚策を打ったな!」
閻婆の鳥の顔も、くちばしの中にあるチヤの父親の顔も、仲良くあざけるような眼光を向ける。
「私の放つこの刃の波は金行の妖術! だがその術はどう見ても木行だろう! 『金は木に克つ』……五行の講釈を垂れておきながら、そんな基本すらも忘れたか!」
もちろん、ワタシの父親だって、退魔師連盟の連盟長をやっている男だ。それくらいのことは当然理解して――
「その通りだ。この術では、あなたの妖術に克つことはできない」
――ってええ!? ワタシはそれを聞いてあごが落っこちそうになった。
でも、ワタシの父親は、それでも慌てずに、地面を指さす。
「だから、代わりにその根元を断たせてもらった」
「野辺若草」の術で生み出した草原に、とうとう刃の波が到達した。
地面深くまで張っていたはずの草の根っこは、まるで紙切れのように簡単に切り裂かれてしまう。地面から伸びる地獄の刃を抑える役には、まるで立っていない。
そのはずなのに。
「なぜだ……!?」
閻婆は、くちばしをぽかんと開けたまま、絶句していた。
草原から飛び出す地獄の刃は、明らかに短く、そして細くなっている。これほどまでに威力が弱まれば、滅魔師の術でも十分に防御できるだろう。
かくして、「刀輪鉄壁」の術――さっきレイヤさんも使っていた、地面から鉄の壁を生み出す術により、刃の波は防がれた。鉄の壁に突き立った地獄の刃は、どれも鉄の壁に食い込むか、悪くすればそのまま粉みじんに砕けてしまう。
その様子を見ながら、ワタシの父親は、静かに語り出した。
「確かに、あなたのその術は金行の妖術。しかし、あの地獄の刃が地面から突き立つところを考えると、その力の根源は地面に……つまり土行にあると私は踏んだ。すなわち、『土は金を生む』ことにより、この妖術は成り立っていると見たのだ」
閻婆の顔からはあざけりの念はすべて剥がれ落ちていた。ただ今は、驚愕のみが張り付いてる。
「ならば、土行の力を弱めれば、あなたの妖術の力もまた弱まる。そのためには、『木は土に克つ』ことを利用して、木行の術を用いれば良い。幸い、『水は木を生む』ことができるから、先ほどあなたの炎を防御するときに使った、水行の力を使うこともできた。この一手なら、刃の波が来るのを見てからでも、術の指示も間に合うと私は判断したわけだ」
自らの想定の、更に一枚上手を行かれたことを思い知り、閻婆はうめく。
「ぐ……っ! 伊達に退魔師連盟の連盟長を張っているわけではない、ということか!」
ワタシの父親は、それに対してまた笑んだ。今度は、勝利を確信したときの笑みではなく、自嘲の混じったような苦笑いの笑みだ。
「とはいえ、私もあなたと同じだ。今では霊力も失い、術の一つも使えなくなった、しがない一人の父親だよ。この仕事をしていて長いのでね、霊力を持たないあなたの苦労も、理解できるつもりだ」
ワタシの父親の苦笑いは、そこで静かに消えていった。その両目の中に燃える意志の炎が、もう一度その顔に満ち満ちる。
「だからこそ、あなたをただ人に害なす妖魔と戦うときのように、祓って終わりにするつもりはない! ――レイヤ君!」
今度は、眼鏡を外して、鋭い目つきとなったレイヤさんが動いた。
「活きよ、活きよ、等しく活きよ」
レイヤさんの周りを、つむじ風が包み始めた。さっき地獄の門の向こうで、「わたし」が嗅いでいたあの臭いをうんと薄めたような異臭が、かすかに漂う。
さっきまで握っていた、焼けただれた鉄の縄を、レイヤさんは手放した。続けてその両手の中に生まれたのは、どろどろとした黒い液体をたっぷりと吸い込んだ網だ。
「見えていますよ、カズトモ先輩」
レイヤさんが、黒い液体を吸った網を閻婆に投げかけた瞬間、網は一気に広がった。
いまだに翼や脚や胴体に、いくつもの式神の鎖と鉄の縄、そして蜘蛛の糸を巻かれた閻婆では、その網から逃れることはできない。
その網は閻婆を包み、全身のいたるところに黒い液体を塗りつけた。それが終われば、網は燃えて消えてしまう。
その後に残ったのは、閻婆の表面のあちこちに塗りつけられた、黒い十字型のあとだけだ。
ヴァンパイアであるワタシは、見ているだけで鳥肌が立ちそうな模様ではあるが、レイヤさんが無意味にこんなことをするはずはない。
レイヤさんは、ワタシとチヤがどこにいるのかを探そうとして……結局眼鏡をもう一度かけ直してから、ワタシたちの方に顔を向けて言った。
「……僕が今感じ取れている、閻婆の急所に印を付けました。チヤさん、ユキさん、そこを狙って攻撃を」
閻婆のくちばしの下で、津上カズトモの……チヤの父親の顔が、一気に蒼白に変わる。
「ま……まさか……獄正得度戦で私に向けたあれを、もう一度やるというのか、レイヤ君!?」
レイヤさんは、うつむいた。苦しそうな声で、そして答える。
「カズトモ先輩が望まれたことですよね。……僕に最初から本気を出してかかってこいと」
でも、レイヤさんの瞳には、もう迷いは残っていない。
「これが、今の僕が出せる……そして出すべき『本気』です。僕はもう、ためらいません!」
「!」
閻婆の動揺は、その場にいる誰もが見ても明らかだっただろう。今度ばかりは、ワタシも、それからチヤも、他から指示が飛ぶ前に、動き出した。
ワタシは、ヴァンパイアと竜の力の乗った両足で、地面を蹴った。
チヤは、リンフォン「魚」の「刀」と「布都御魂剣・人為」を下段に構え、走り出した。
「叩き斬ってやるわ!」
ワタシは、なるべく直視しないようにして、レイヤさんの付けてくれた十字模様の辺りを狙い、「死神の鎌」を大上段から一気に振り下ろす。
「容赦しないわよ……妖魔!」
チヤは、レイヤさんの付けた十字模様をそのままなぞるようにして、黒の刀と白の剣で、十文字斬りを繰り出した。
リンフォン「熊」の「爪」のアッパーカット程度では小揺るぎもしなかったはずの閻婆の肉体に、今は確かな打撃を与える手応えが返ってくる。
「があああああああっ!!!」
結果として。
ワタシの「死神の鎌」は閻婆の左翼を。
チヤの黒の刀と白の剣は閻婆の右翼を。
それぞれ深く傷付けていた。
ワタシは振り切った「死神の鎌」を構え直す。すると、横からフルクフーデの言葉も聞こえてきた。
「この手応えからすると、翼の怪我が癒えない限り、閻婆はもう空を飛ぶことはできないでしょうな」
ワタシも、長く太く伸びた犬歯でもって、ちょっとばかりサディスティックに微笑んでみる。
「そりゃますます好都合ね。これであいつはもう、空を飛んでチヤの『布都御魂剣・人為』から逃れる、って手は使えないってことになるわ」
大鎌に変わったフルクフーデを肩にかけて、ワタシはチヤに呼びかける。
「チヤ! 今の要領で、あんたとワタシでこいつを挟み撃ちにして戦うわよ!」
チヤはあの深海のような深くよどんだ目で、ワタシをにらみ返した。もはや深海どころか、氷河か何かを思わせるほどに、今のチヤの視線は冷たい。
「妖魔風情が指図するな。そうしたいんならあんたが私に合わせて、挟み撃ちの形になるように立ち回りなさい」
フルクフーデが、ワタシの肩の上で、フレーメン反応を起こした猫みたく、顔をクシャっとさせて、ため息をついた。
「やれやれ……ユキ様にああまで無礼な口を利いて、全く悪びれないとは困ったものです」
「ま、やる気は十分みたいだし、今回はワタシがチヤに合わせてやるわ」
そういうわけで、次の急所を狙いに行くチヤの動きに合わせて、ワタシも回り込んだ。閻婆の体を挟んで、百八十度反対側のポジションを、常に取りに行くわけだ。
そうでもしないと、真祖の緑屍衣の力の代償で、今のワタシの肌が焼けただれかねない。
「やはり、真祖の緑屍衣はおいそれとは切れない切り札でございますな」
こればかりは、まったくもってフルクフーデの言う通りだ。
真祖の緑屍衣がワタシにとっての切り札である理由は、もたらしてくれる力に見合った代償を、ワタシに課してくるところにある。
ヴァンパイアの血を活性化させることで、ワタシはヴァンパイアの特性を増幅させることができる。だが、増幅されるのは力のみならず、弱点すらも例外ではない。
つまりワタシは、ヴァンパイアの弱点に更に弱くなるということだ。
ニンニクの臭いは、今のワタシにとっては毒ガスも同然。レイヤさんの描いた十字模様ですら、今の状態で直視すれば、ワタシは確実に気分が悪くなる。ましてや、真祖の緑屍衣を着た状態で直射日光のもとを歩くなど、もはや自殺行為以外の何物でもない。
チヤの握る「布都御魂剣・人為」の光でも、今のワタシならチヤの近くに寄るだけで、皮膚がヒリヒリする……を通り越して、焼けてしまうだろう。
だから、この状態でチヤと連携するなら、ワタシは閻婆の体を日傘代わりにして、「布都御魂剣・人為」の放つ光を浴びないようにしなければならない。そう思って、ワタシはチヤに挟み撃ちをしよう、と言ったわけだ。
結局、あいつはあっさり突っぱねたけどね。
「それじゃあ、謹慎期間の間、『わたし』にニンニクラーメンの我慢を強いさせた分も含めて、たっぷりとお礼はさせてもらうわよ」
閻婆の周辺を回り始めたチヤに合わせて、ワタシもぐるぐると回りながら、閻婆の次の弱点を探し始める。
できれば、急所を示した十字模様は、今度から別のやつに変えてもらいたいわね……と、頭のほんの片隅で、考えながら。




