第二十四話「黒の刀と白の剣」
時は、「蜘蛛の糸」作戦のおよそ二週間前。
滅魔士連盟本部・書庫の間には、わずかばかりの静寂のとばりが書庫に下りていた。
それを破ったのは、レイヤのスマートフォンから放たれた、シロガネの「否」の応答だった。
(――おいおいレイヤ君。それはザンエ殿に吹き込まれて言っているのではないだろうね?)
その語尾こそ冗談めかしてはいるが、この声の持ち主の意志の固さは、スマートフォンのスピーカー越しにも伝わってくる。
スマートフォンを握る青年、レイヤはその意志の固さをくみ取り、生真面目な応答を返す。
「いいえ。これは僕の意志での発言です。あまり考えたくはありませんが、もし僕のこの推理が的中していたとすれば、最悪の事態も想定しなければならないでしょう。あの閻婆と相対し、その魂を砕くことも今から考えておかねばなりません」
レイヤに対し、電話の向こうのシロガネは、「なるほど」というあいづちを返した。
(確かに、あの閻婆が本当にカズトモ殿だったとすれば、それはカズトモ殿の魂を砕くことに等しい。言い方は悪いが、そうなれば元人間だった者を、同じく人間である我々が滅するという、『同族殺し』を強いられることにもなりかねない、ということだな)
シロガネの声は、重々しくレイヤの耳の中に響いた。レイヤは、小さくうなずいて、シロガネの物言いを肯定する。
「はい。ですが、カズトモ先輩は僕と同じ滅魔士……滅魔師連盟にいた人間です。であれば、仮にカズトモ先輩の魂を砕かなければならない事態になったなら、その手を汚すべきは僕たち滅魔師連盟の側です。僕たち滅魔師連盟の問題で、シロガネ連盟長たちが『同族殺し』に手を染めていただく必要はありません。だからこそ、僕はシロガネ連盟長にこうして、この件から手を引いてほしいと連絡をした次第です」
レイヤの持つスマートフォンが、その声をマイクから吸い込んだ。
それを最後に、書庫の間にはまたも沈黙のとばりが下りる。
それを次に破ったのは、電話の向こうにいるシロガネだった。
(念のため聞こう、レイヤ君。その考えも、君が一人で持ったもので間違いないのだね?)
「え……? ええ。そうですが」
次に、右手に握ったスマートフォンがレイヤにもたらしたものは、シロガネの笑い声だった。
今の発言に、何かしらおかしなところでもあったのか、と奇妙に思ったレイヤに、シロガネはすぐさま言葉をつなげた。
(すまない。君のその発言、いかにもザンエ殿が言いそうなことだと思ってしまってね。やはり、君はザンエ殿の教え子ということで、間違いはないようだ)
「は……はあ……?」
(そして、レイヤ君のその発言で読めてきたぞ。ザンエ殿が昨日、ああまでけんもほろろに我々退魔師連盟の介入を断ったのは、つまりそういうことだ、とな。滅魔師連盟の内輪の話に、我々退魔師連盟が首を突っ込む形になるのは、ザンエ殿のメンツが許さなかったのだろう。あの御仁の考えそうなことだ)
そう言って、シロガネはひとしきり笑った。
このシロガネの笑い声には、やがてもう一つの質問が伴われる。
(ではレイヤ君、君に改めて聞こう。もし我々がこの件に介入することで、その『同族殺し』を回避できるかもしれないとしたら、それでもなお我々退魔師連盟の介入を君は拒むかな?)
レイヤは奇妙な思いに駆られ、くにゃりと眉を波打たせた。
「『同族殺し』を回避……? 本当にそれが可能ならば、シロガネ連盟長のご助力はありがたいです。ですが、一体どうやって?」
「実は私も、君とのこの会話の中で今しがた思いついたことなんだがね――『布都御魂剣』なら、可能性があるとは思わないかね?」
◇◇
時を同じくして、退魔師連盟本部・シロガネの書斎にて。
シロガネのスマートフォンのスピーカーからは、レイヤの声が届く。
(もしや……『布都御魂』の術を使うというのですか、シロガネ連盟長……!?)
「ああ。そのつもりだ」
退魔師連盟の書庫を兼ねたこの書斎にしつらえられた革張りの椅子から、シロガネは再び立ち上がった。
背後の棚の中に所狭しと詰め込まれた古文書や、その写本の数々に、シロガネは指先を向けて、さまよわせる。
やがて目当ての本を見つけたシロガネは、写本の中の一冊を引き抜いた。
「遥か神代の伝承にいわく。武御雷神がもたらした、とある霊剣があったとされる。その霊剣の名こそ布都御魂剣だ。これは、天津神の御子がその旅の道中、荒ぶる神の放った妖気によって倒れた際にもたらされ、たちまちのうちにその妖気を払ったと語られる」
(そして、その神の霊剣の力を、人の手で再現しようと考えた古の退魔師と滅魔師は、力を合わせて一つの術を編み出した。それが、『布都御魂』の術でしたよね)
「いかにも。やはり、レイヤ君もこの術のことは知っていたようだね」
シロガネは、引き出した一冊の写本を、書斎の机の上で広げた。
そこには、白い衣をまとった退魔師と、黒い衣をまとった滅魔師が並び、二人で手を取り合う姿が描かれている。二人の間には、一振りの剣もまた、描き加えられていた。
シロガネは、この絵の周りの文字を読み解きながら、スマートフォンに向けて話しかける。
「退魔師連盟に残された記録によると、残念ながら、『布都御魂』の術で再現された霊剣は、本物の布都御魂剣に比べれば、偽物と言わざるを得ないほどの力しかないようだ。しかも、刀身を維持している間は大量の霊力を常に消耗し、並の退魔師の霊力では維持すらも困難だという。そのような諸々の理由から、今までこの術が実際に利用された記録はほとんどない。しかし、だ」
シロガネの両目が、写本からスマートフォンへと再度向けられた。
「一方で、妖気を払うその力は依然として健在。ならば、これをあの閻婆に使ってみるという手はどうだろうか?」
スマートフォンの向こうで、レイヤが息を呑む声がかすかに響いた。
(――もしそれがうまくいけば、あの閻婆の妖気を払う……つまり、妖魔の部分のみを滅し、祓うことで、カズトモ先輩を再び人間に戻すことができるかも知れない、ということですね!)
「そういうことだ。この術を発動させる絶対条件は、退魔師と滅魔師が共に力を合わせること。しかし、今の我々がこの条件を満たすことは、何ら難しくはないはずだ。私もこうして、レイヤ君から本来口止めされているはずの情報をもらえる程度には、滅魔士である君に信頼を受けているようだからね」
(ええ。それに幸い、『布都御魂』の術自体は、僕も、それからチヤさんも知っていますし、実際に術を編むこともできるでしょう。ですが……)
スピーカーから届くレイヤの声が、おもむろに力を無くす。
(……もう一つ。『布都御魂』の術を成すには、退魔師の練る霊力と滅魔師の練る霊力を混ぜ合わせた上で、そこに神の力による霊力の『点火』が必要だったはずです。神代の昔から遥かな時がたった現代に、神の力を宿したものなど、残されているのでしょうか)
だが、それを受けたシロガネの目は、輝きを失ってはいない。
シロガネは、目の前で広げた写本に、机の中から引き出した押し花のしおりを当てつつ、レイヤとつながるスマートフォンに話しかける。
「それも問題ない。我々としてもとっておきではあるが、神の力をもたらす手なら、一つある」
シロガネの手により、しおりを挟まれた写本は閉じられた。
その本こそ、こののちユキが父シロガネより受け取ることになる、「布都御魂」の術の書に、他ならなかった。
□■
「わたし」がワタシと代わるちょうどその瞬間に、ワタシの体は地獄の門をくぐって、地上にまでたどり着いた。
糸を引き上げる勢いのまま、ワタシとチヤの体は、工事現場となっている空き地の上を舞う。
このままいくと、ワタシたちの体が落ちるのは、積み上げられた鉄パイプの山の中……
……となるところ、ワタシたちの体の横から、新たに飛んできた別の蜘蛛の糸が、ワタシたちの体を宙に支えてくれた。
「おねえちゃんたち、つかまえた!」
この糸を放ってくれたのは、絡新婦の子グモたち。「わたし」が舞白市の緑地公園で、チヤから逃がしてあげたあの子たちだ。
この助けの手はありがたい。ただ、欲を言えば、糸で絡め取るときの姿勢も、きちんと調整してほしかった。
今のワタシは、上下さかさま――地面に頭を向けて、絡新婦の糸にぶら下げられた状態だ。とっさに行灯袴の裾を押さえなければ、ちょっとばかりはしたない姿をさらす羽目になっていただろう。
ワタシは、行灯袴の裾を膝で挟み込みながら、隣でぶらぶらと揺れているチヤに緑の両目を向けた。
「チヤ。あんたもせいぜい『わたし』には感謝しときなさいよ。あのとき『わたし』が絡新婦を助けてなかったら、ワタシたちもあんたをこうやって救うことはできなかったんだからね」
ワタシと一緒に宙ぶらりんになっていた根暗女ことチヤ――こっちは運良く、地面に足を向けた状態で蜘蛛の糸にぶら下がっている――は、返事代わりとばかりに手に握った輝きを振るった。
たちまち、チヤを空中に支えていた蜘蛛の糸は散り散りに切り裂かれる。
チヤは地面に着地するが早いか、ワタシの方に向き直って言い捨てた。
「黙ってなさいよ、妖魔風情が。あんたに先に、もう一人のあんたから託された『これ』をお見舞いしてやってもいいのよ?」
一方のワタシは、ヴァンパイアの怪力でもって、無理やり蜘蛛の糸を引きちぎって、一つ宙返りをしながら地面に着地する。さすがにこの子たちの母親の吐く糸とほどではないけど、案外頑丈だ。
チヤに遅れて地面に立ったワタシは、その場で肩を一つすくめた。
「やめときなさいって。霊力の無駄遣いよ。そんなことよりも――」
と言っている間に、シロガネの……ワタシたちの父親のうち人間の方が、大きな声で指示を上げるのが耳に届いた。
「今だ! 地獄の門を全開に!」
「分かりました! シロガネ連盟長!」
その場で振り向けば、空中にぽっかり空いた穴が、いきなり大きく広がった。
その中からは目に刺さるような赤い光が溢れ出し、やがて巨大な鳥の影が飛び出してくる。
「チヤぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ワタシは、肩をすくめたまま親指だけ立てて、そいつを指していた。空中に空いた穴――もとい、地獄の門から飛び出してきた巨鳥の妖魔を。
「――それは本命のあいつに取っときなさいよ」
巨鳥の妖魔こと閻婆が、再びこの工事現場に降り立つ。ワタシたちがチヤを地獄から引き上げるところについてきて、地獄から地上に舞い戻ったわけだ。
(ワタシたちを糸で釣り上げ終えたなら、その場で即座に地獄の門を閉じて、そのまま閻婆は地獄に置き去りにしてやった方が、お互いに幸せなんじゃないかしら?)
ワタシは、ワタシの父親が「蜘蛛の糸」作戦を立てているときに一応そうも聞いてはみた。そうしたら、ワタシの人間の方の父親は、それをあっさり断ったわけだけど。
(この作戦で救うのはチヤちゃんのみではない。カズトモ殿も、我らの手で救うのだ)
とか何とか言ってね。
閻婆は、象のように巨大な体に見合った、同じく巨大な足の鉤爪を地面に食い込ませた。そのまま、周囲を見渡す。
やがて、閻婆の視線は、ワタシの隣にいるチヤに注がれることになった。
「見失わなくてよかったよ、チヤ。さあ、もう一度パパと地獄に戻ろう。リンフォンで地獄の『門』を……」
びりり、と甲高い音が、チヤの胸元から響いた。
最初にまとっていた、二つの胸ベルト付きのコートは、すでに黒焦げのぼろ屑になっている。それをチヤは引きちぎって脱ぎ捨てた。
その下に着ていたチヤの深い青のワンピースも、あちこち焦げ跡がついている。あいつが、さっきまで閻婆と一緒に地獄にいた、その証だ。
チヤは、閻婆の声に誘われるようにして一歩ずつ歩み出す。その途中で、リンフォンをもう一度かざした。
「変形――『魚』の『刀』」
だけれど、閻婆の望む地獄の「門」は、もはや出さない。細工物がひとりでに動いて組み上がる音とともに、魚の鼻元が伸びた、異形の刀へと変形する。
チヤは、「魚」の「刀」を右手に握った。
そして、左手に握ったその武器も、共に天高くに掲げる。
この工事現場を囲む退魔師と滅魔師が、一斉にどよめいた。
チヤの左手に握られたのは、光の剣だった。
それはさながら、空に輝く彩雲を、そのまま古代日本の直剣の形にし、人の手に収まるまでに凝縮したかのような姿。
刀身から放たれる輝きは、妖魔であるワタシが肌に受ければ、それだけでもヒリヒリする。あれを直接受けることがあれば、ワタシもただでは済まされないだろう。
ワタシの父親は、それを見て大きく口を開け、やがて快哉を上げた。
「よくやったぞ! ユキ! チヤちゃん!」
その隣では、レイヤさんも眼鏡に手を当てて、震えていた。
「『布都御魂剣・人為』……まさかそれを、この目で見る日が来るとは信じられません!」
そう。これこそがワタシの父親が、あの日「わたし」に復習を命じた術の正体。
「布都御魂」の術は、簡単に言えばあの「布都御魂剣・人為」を生み出すための術だ。
この「蜘蛛の糸」作戦が始まる直前、ワタシの父親は、「くにつかみのよそほひ」で神の力を得た「わたし」と、そしてチヤの力を合わせ、あれを作り出しておくように言っていた。「布都御魂剣・人為」があれば、カズトモさんも救うことができるかもしれない、そうワタシたちに言い聞かせていたわけだ。
もっとも、「わたし」はあれだけの力を使って、今はワタシの胸の奥で深い眠りについている。どんなに早くとも、この夜のうちに目覚めることはないだろう。
「……? どうしたんだ、チヤ? なぜパパにそんなものを向けるんだね?」
リンフォン「魚」の「刀」と、「布都御魂剣・人為」とで二刀流の構えを見せるチヤ。黒の刀と白の剣――二振りの刀剣の切っ先は、いずれも閻婆の方を向いている。
今のワタシのいる場からは、チヤは背中しか見えない。
だけれども、あのチヤの凍てつくような言葉は――あいつが妖魔と戦う時の冷徹さは、ワタシにも伝わってくる。
「あんたは――私のパパなんかじゃない」
閻婆の体の発する、まがまがしい赤い光を前にしても、チヤは小揺るぎもしていない。
「私のパパは、五年前に死んだのよ。閻婆に……あんたに命を奪われてね」
閻婆は、チヤの発言の意味が分からないかのように、首をかしげている。
「パパだけじゃない。ママも、モモコお姉ちゃんも、バンも! 私の家族はみんなあんたが殺したんだ! そのあんたが、私のパパを騙るな。生まれ故郷の地獄に落ちることすらできずに――」
すう、とチヤは右手を動かした。
「私のこの手で滅されろ……あんたは私がこの手でぶっ滅す! 閻婆ッ!!」
リンフォン「魚」の「刀」の切っ先は、まごうことなくそこを突き付けていた。
閻婆の口の中に浮かぶ、チヤの父親……カズトモさんの顔を。
……あのさ、チヤ。ワタシたちの作戦、ちゃんと理解してるよね? とワタシが思わず口にしたくなりそうになったとき、がちがちと何かが打ち合わさる音が、この工事現場の空き地で起こり始める。
「……なぜそんなことをパパに言うんだい、チヤ? さっきは私と一緒に地獄に行こうと言ってくれていたはずなのに」
このがちがちという音は、閻婆のくちばしから放たれている。刃のように鋭い上下のくちばしがぶつかり合うたびに、火花が散って夜の中に弾ける。
「そうか……レイヤ君や、他の滅魔師、それから退魔師連中が、妙なことを私の娘に吹き込んだのだな」
閻婆のくちばしの中で、カズトモさんの顔から、わずかばかり残っていたはずの正気が、拭い去られた。
「ならばやるべきことは一つだ」
閻婆は、その場で宙に舞い上がった。
閻婆のくちばしが、にわかに地獄の炎の真紅で、内側から光り輝く。
「ここにいる滅魔師も退魔師も……いや、生きている者はチヤ以外――」
がぱり、と閻婆のくちばしが開かれた。
「全員、地獄に落ちろ」
瞬間、そのくちばしから、獄炎の滝が地面へと降り注いだ。
この工事現場にいたもの全員が、怒涛のような炎の津波に呑まれたのは、それからわずか先のことだった。




