第十九話「あの日の敗北から」
今をさかのぼること、およそ十年。
当時の滅魔師連盟、連盟長室。
頬のこけた長髪の男、カズトモは、連盟長室に敷かれた座布団の上で、驚きの声を上げていた。
「なんと……私に獄正の位を!?」
自身の対面であぐらをかいた老爺――獄門寺ザンエの放った声を聴き、カズトモは喜色をにじませる。
それとは対照的に、ザンエの言葉はあくまで静かな調子を保つ。
「獄正の位を今すぐくれてやるとまでぁ言ってねえ。だが、手前ぇのこれまでの積み重ねを考えりゃ、その機をくれてやるには十二分だ」
十王図――滅魔師連盟の連盟長室に掲げられた絵の中で、十人の地獄の王たちが、二人のやり取りを見つめていた。
「津上カズトモ。この己、滅魔師連盟連盟長、獄門寺ザンエの名において、手前ぇに獄正得度戦への挑戦を許可する。この戦いで手前ぇが勝利すれば、手前ぇは晴れて獄正の仲間入り、ってわけだな」
「ありがとうございます! 感謝の念に堪えません!」
座布団の上に正座するカズトモは、ザンエに向けて恭しく一礼を行った。
だが、それが終わればカズトモははたと気が付く。
獄正得度戦とは、腕利きの滅魔師同士が、より位の高い滅魔師の立会いのもとで、その技の優劣を決める戦いのこと。滅魔師が、真の滅魔の術を学ぶことを許される、獄正の位を得るすべの一つとされる。
よって、当然獄正得度戦に挑むカズトモには、相手がいるはず。
果たしてそれは、誰なのか?
カズトモが聞けば、ザンエはにやりと笑みを浮かべる。
「決まってんだろ。レイ坊だ」
前戸レイヤ――カズトモの後輩にして、わずか十歳で天才滅魔士としてという名をほしいままとする少年の名前を耳にして、カズトモは驚いた。
「レイヤ君が、私の相手ですか?」
「ああ。今の滅魔師連盟ン中で、獄正の位をやってもいいと思える奴は、手前ぇかレイ坊か、二人に一人と己は踏んでいる……とそう聞いて、怖じ気づいたか?」
挑むようにそう口にしたザンエを前に、カズトモもにやりと笑みを浮かべて返す。
「まさか。レイヤ君は確かに優秀ではありますが、いかんせん優しすぎる。私と共に妖魔を滅しに行ったときも、滅魔の術を使うのをためらって、行動が遅れることもあったくらいですからね。そしていくら相手が可愛い後輩とはいえ、獄正の位がかかっているなら、私は手心を加えるつもりはありません。ですので、レイヤ君に後れを取るつもりなど、更々ありませんよ」
「そうか。それは随分と頼もしい話だな」
ザンエはからからと笑い声を上げた。
「――ときにカズトモ。手前ぇはレイ坊と組んで妖魔を滅しに行ったとき、レイ坊が眼鏡を外すところは見たことがあるか?」
「眼鏡を、ですか?」
カズトモは眉間にしわを寄せて、ザンエの問いかけをいぶかしんだ。
だが、追ってすぐさまに答えを出す。
「いえ。レイヤ君が戦いにおいて眼鏡を外すところなど、私は見た経験はありませんが……。それがどうかしたのでしょうか、連盟長?」
「いや。無ぇなら無ぇで構わねぇぜ。今のは老いぼれ爺のたわ言だと思って、聞き流してくれや」
カズトモは、ザンエのその言葉の真意を探ろうと、目の前の老爺の顔を見やった。けれども、目の前の眼光鋭い老人の思うところなど、カズトモは推し量れなかった。
「は……はあ……」
カズトモは、最後の最後まで、ザンエの言葉には、戸惑うほかなかった。
◇◇
「そこまで! 勝者、前戸レイヤ!」
滅魔師連盟本部、試技の間。
薄暗い屋内に、突き固められた土で作られた床の上で、カズトモは文字通り土を付けられていた。
獄正得度戦の勝者の声を宣言するザンエの声は、唖然とした表情のまま固まるカズトモの耳の中で、むなしくこだまする。
そこに、全身生傷だらけで、肩で息をしている一人の少年が駆け寄ってきた。
少年は、当時十歳のレイヤ。彼は、試技の間の床に落ちた眼鏡を慌てて拾い、それをかけながら、満身創痍の体が許す限りの全力疾走で、カズトモの側に向かう。
「だ……大丈夫ですか、カズトモ先輩……!? すみません……目が見えなくて、手元が……!」
そこで、レイヤは傷の痛みに耐えかねて、右手で左腕をかばいながら、膝を屈した。
(……手元が……狂ったとでも言いたいのかレイヤ君……?)
この戦いに負けたことのみをかろうじて理解したカズトモは、少しおいてからレイヤの言葉を胸中で引き取る。
(いや……むしろ逆だ……!)
カズトモは、自分を先輩として慕う目の前の少年の才覚に、戦慄に近い気持ちを覚えていた。
この獄正得度戦、試合開始の時から、終始主導権はカズトモにあった。
霊力を持たないカズトモは、呪具をこの戦いに持ち込んでよいと事前にザンエから許しを得ていた。それを受け、カズトモは自身が作り上げたものの中でも、特に選りすぐったものを持ち込んできた。
レイヤの学ぶ滅魔の術を封じ、あらゆる間合いで通用する攻撃の手立てを用意し、更には滅魔の術にはことさらに強い防護用の呪具まで、一通りそろえてきた。
その結果、レイヤをほどなくして満身創痍に、そして敗北寸前にまで追いやることは難なくできていた。
「戦いの最中に、眼鏡を拾っている暇はないと思って、やむを得ずそのまま戦い続けたのですが……」
だが、眼鏡が外れた後のレイヤの戦いぶりは、一変した。
カズトモの持ち出した霊力封じの呪具で、大半の霊力を封じられた状態から、わずかな霊力のみでその呪具を破壊してのけた。
そこからレイヤは破竹の勢いで、カズトモの持つ呪具を次々と打ち破り、最後にはほとんど丸腰に近い状態となったカズトモに、遠慮仮借のない滅魔の術の一撃を見舞った。この一撃によりカズトモは敗北を告げられることになる。
(眼鏡が外れてからのレイヤ君の攻撃は、ことごとく私の呪具の『急所』を的確に狙っていた。私の呪具に込められた霊力の流れを断ち、一撃で破壊できるような『急所』を――!)
それは、妖力や霊力を極めて鋭敏に感じ取り、かつ滅魔の術の制御を完璧に近いほどにまで制御する――この二つを同時にこなさなければなしえない芸当である。少なくとも、カズトモがこれまで戦ってきた妖魔の中には、どれほど高位であってもこれを成しえた者はいなかった。
(レイヤ君が、これほどの実力を隠し持っていただなどと……!)
カズトモの奥歯がきしんだ。
レイヤにこの呪具壊しという芸当を見せられた今、カズトモに対抗するすべはない。これに対抗しうる呪具の設計など、可能かどうかすらも分からない。
すなわち、カズトモはレイヤに勝つことは、最初から不可能だったのだ。
(ザンエ連盟長のあの言葉は……レイヤ君の隠し持っていたこの力のことをほのめかしていたのか!)
はらわたの奥底で、地獄の釜が煮えたぎるような感覚に襲われるカズトモ。
そんなカズトモを我に返らせたのは、彼を敗北に追いやった、目の前の少年だった。
「あ……あの……カズトモ先輩。どこかケガを……!」
「……ああ、いや。そういうわけではないんだ」
カズトモは、心配そうに声をかけるレイヤに、笑みを作ってみせた。この笑みは引きつったものだと自分でも分かってはいるが、今のカズトモにそれを止める手立てはなかった。
ついで、カズトモは震える唇で言葉を紡ぐ。今この場で最も口にしたくはないながらも、同時に先輩としてはかけねばならない声をかけるために。
カズトモは、血を吐く思いで、口にした。
「獄正への得度、おめでとう。レイヤ君」
◇◇
その日、カズトモはただ一人になったとき、人生でまたこれを繰り返すことがあるだろうかというほどの激しい怒号を吐き出した。
今まで自分の後ろに立っていたに過ぎなかった少年が、実は自分の先を行っていたことを知って。
レイヤの真の実力を測れなかった、愚かな自分への怒り。
これを知りながらも、はっきりとは告げなかったザンエへの怨嗟。
そして何より、同じ男に生まれ、高い霊力を持てないはずのレイヤに対する嫉妬。
カズトモは自身の激情に、身も心も焼き尽くされんばかりだった。




