第十三話「あなたと話すのも久しぶりだ、ザンエ殿」
数日後。新月だった月が、再び満ち始める頃合い。
平屋建てとして造られた退魔師連盟本部を、西の地平線にかかりゆく三日月が照らしていた。
時折響く中庭の鹿威しと、篝火で燃える浄めの火の弾ける音のみが、夜の静寂を破る。
そんな中、退魔師連盟本部の大広間で、彼らは一堂に会していた。
「よぉ、シロガネちゃん。手前ぇがわざわざこうして己に面を貸せと言ってくるたぁ、随分と珍しい風の吹き回しじゃねえか」
大広間の西側に集った十数人ほどの滅魔師たち――ほとんどは年若い女性――を後方に控えさせ、座布団の上で胡坐をかいた老爺が言う。
老爺の頭髪はすべて抜け落ち、見事な禿頭を薄暗い大広間の中で光らせる。それと同じほどに光るのは、老爺の落ちくぼんだ眼窩の中にはまった両の目だった。
「お忙しい中、急な呼び出しとなってしまい申し訳ありません、ザンエ殿」
そこに対するのは、同じく大広間の東側に十数人ほどの退魔師らを控えさせた状態で、座布団の上に座るシロガネ。彼は胡坐ではなく、正座の姿勢で、眼光をぎらつかせる老爺に、「ザンエ殿」と呼びかけた。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか……?)
腹の内で考えを巡らせるシロガネは、一瞬限り目線を横に向けた。自分の後方で控えているであろう、妻の方へと。
(万一に備えて、我らのこの会話の証人となってくれ、フブキ)
この会合には、自身の妻にして歴戦の退魔師であるフブキを同席させている。
一方で、シロガネの娘であるユキの姿は、ここにはない。あえて、使いの者のもと、自室で待機するように言いつけている。
(下手にユキが同席すれば、ザンエ殿からユキが妙な探りを入れられるやも知れないからな。そして――)
シロガネは、ザンエの背後に控える滅魔師の顔ぶれを一瞥した。その中に、チヤの姿が無いことも確認する。
(――ザンエ殿も私と同じような腹積もりか? チヤちゃんをこの会合に出さないとは)
獄門寺ザンエ――滅魔師連盟の連盟長を務める老人を、シロガネはもう一度正眼に見据える。
シロガネの腹の内を知ってか知らずか、ザンエは漆黒の紋付の懐から一本の扇を出した。それで一つ自分の膝を叩いてから、口を開く。
「シロガネちゃんよ。これから別嬪の姉ちゃんと閨で睦言を交わそうってわけでもねぇんだ。七面倒臭ぇ前置きは無しにして、とっとと本題に入ろうぜ」
「分かりました。ザンエ殿。それでは始めましょう」
(そして、こういう言葉もユキには聞かれたくはないからな)
ザンエの口にした際どい言葉を耳にし、こういった意味でもユキを連れてこなくて良かったと、シロガネは頭の片隅で思う。
思いながらも、シロガネの放つ言葉に遅滞は無かった。
「すでにザンエ殿も聞き及んでいるかとは思いますが、数日前の昼に私の娘のユキと、あなた方からお預かりしたチヤちゃんが出会ったという、巨鳥の妖魔の件です。その件について、いくつかお話をできればと」
「ああ。その件なら、あれからうちのチヤからも事情は聞いたぜ。象みてぇにバカでけぇ図体をした、火を吹く鳥が現れたっつう話だな?」
「はい。我々退魔師連盟内で、ユキの証言からその巨鳥の妖魔の正体を割り出すべく、調査を行ってみました。その結果、我々は巨鳥の妖魔を、閻婆だと見ています」
「閻婆」の名を聞いて、ザンエは口元を歪めた。笑んでいるようにも見える唇の下で、年老いてもなお健在に見える歯が、白く映える。
「そういうことなら、話が早ぇな。己ら滅魔師連盟も、手前ぇらと同じ考えよ。チヤたちの見たっつう鳥の妖魔は閻婆――八大地獄の最下層、阿鼻地獄の隣にある閻婆度処で罪人を苦しめるとされる、地獄の妖魔だろうな。ヤツは火を吹き、地面から刃を生やし、炎の牙を持った犬まで呼びやがったようだな。こいつが魂消るくらい見事に、伝承に伝わる閻婆と噛み合いやがる」
「さすがはザンエ殿。地獄のことについては、我々以上にお詳しいようで」
シロガネは、そう伝えたなら座布団の近くに置かれた湯呑を一口すすった。その隙を縫うようにして、ザンエは言葉を返す。
「そういうおべんちゃらを聞かされるのは悪くねぇ気分だな。だがな、その様子を見ると、手前ぇの用事は己にそんなおべんちゃらを言いに来ることじゃあねぇだろ?」
ぱちりと乾いた音を立てて、ザンエの手にある扇が開かれた。
「とっとと手前ぇの言いてぇことを言いな、シロガネちゃんよ」
シロガネに向け、開かれたザンエの扇が向けられる。扇の柄は、奇しくも八大地獄を描き表した地獄絵図。
地獄絵図に描かれた鬼にまで睨みつけられるような心地になりながら、シロガネは一つ息を吸った。
吸った息を、言葉にする。
「では結論から申し上げます。我々退魔師連盟は、今回閻婆が地上に現れたこの一件に、あなたたち滅魔師連盟が絡んでいるのではないかと考えています」
シロガネの声が、退魔師連盟の退魔師らと、滅魔師連盟の滅魔師らが会する大広間を打った。
一拍遅れて、その言葉の意味を呑み込んだ者たちが、ざわめき出す。滅魔師らが、口々にシロガネの発言の意味を隣の者に問う。
その声を制するように、ザンエの扇がぴしゃりと彼自身の膝に打ち付けられた。
たちまちに、大広間はまたも静まり返る。
「囀んなや、手前ぇら。退魔師連盟の連盟長がまだ話している最中だろうがよ」
膝に打ち付けられると同時に、再び畳まれた地獄絵図の扇。ザンエの手の中でくるりと回る。
「下らねぇことで話の腰を折ったな。で、話を戻すぜ。己ら滅魔師連盟が、閻婆が湧いて出やがったこの一件に絡んでると、手前ぇは言ったな?」
「はい」
「そう言うシロガネちゃんの了見、聞かせてもらおうか」
「はい。もちろんです」
シロガネは、軽くうなずく。
「まず、ザンエ殿が先ほどおっしゃった通り、閻婆は地獄の最深部、阿鼻地獄に隣接する小地獄に住むはずの妖魔です。地上に姿を現すことなどまずありえませんし、当然我々退魔師連盟にも、閻婆が地上に現れたとする記録はございません」
「だろうな。地獄の妖魔……それも地獄の一番深くまで潜らなきゃ会えねぇ奴と、この地上で鉢合わせする道理なんざ無ぇ」
「ええ。となれば、その『道理』を引っ込めるような『無理』が、今回はどこかで通ってしまっているはずです。例えば、地獄に通じる道が開いてしまった、とか」
ザンエは、能面のように眉一つ動かさず、シロガネの顔に眼光を向けていた。
「そんな真似ができうる者の数は、限られてきます。少なくとも、退魔師連盟にはそのような術はありません。しかし、あなたたち滅魔師連盟はそうではない」
粘り気の強い唾液を、シロガネは口の中で一つ呑み込んでから、舌を繰る。
「チヤちゃんの持つ呪具リンフォン。あれは確か、地獄への門を開く力があるということでしたね。レイヤ君とチヤちゃんが、そのようなことを話しておりました」
チヤの名を口にしたシロガネは、もう一度だけ、滅魔師連盟の車座の中に視線をやった。車座のほとんどを占める女性の中に紛れ込むようにして正座する、眼鏡をかけた若い男性を確認するために。
眼鏡をかけた若い男性ことレイヤと、シロガネの視線が重なり合う。
ほんの一瞬の間で、レイヤはすぐに目を離してしまったが。
(チヤちゃんはいずとも、レイヤ君は今ここにいる。ということは、彼が話していた任務とやらはもう終わった頃合い、という事だろう。ただ、何やら様子がおかしいようだが……?)
残念ながら、シロガネの座る位置からでは、彼の表情までは分からない。
(この会合の前にレイヤ君とも話をしておきたかったが、それはかなわずじまいだったか。だが、私がやることは変わらん)
シロガネは、もう一度視線を目の前の老爺に戻した。次に切り出す話も、もう決めている。
「それと、これもチヤちゃんから話を聞きました。リンフォンは、かつて滅魔師連盟で呪具師をされていたチヤちゃんのお父上――カズトモ殿が形見として遺したものでしたね?」
「……なるほど。話が見えてきたぜ」
シロガネは、ザンエに視線を戻すとともに、目を剥きそうになった。
先ほどまで無表情だったザンエの口の端に、不気味な笑みが浮かんでいる。続けて、彼の口の端からは、シロガネへの返答もまた現れた。
「そうだ。チヤの持つリンフォンは、カズトモの手がけた呪具の一つ。確かにあれを使えば、地獄への道を開くことも、やってやれなくは無ぇだろうな。で、手前ぇは己らがそれを使って、地獄から閻婆を呼んだんじゃないかと睨んでいる――と、こう来るわけだな?」
「はい。申し上げにくいながら、結論としてはその通り――」
シロガネの答えに、ザンエの呵々大笑の声が被さった。
唖然となるシロガネを尻目に、ザンエは折り畳んだ扇子で、またも自身の膝を二つ三つ打った。
「なるほどな! それで得心が行ったぜ! わざわざ己らをここまで呼んで、こんな話をおっ始めやがった手前ぇの腹積もりがな!」
ザンエのからからという笑い声は、しばらくの間止まることはなかった。
ひとしきり笑い終えたなら、ザンエはシロガネの顔を見つめ直す。
「わざわざ面白ぇ小咄を一席打ってもらってありがとうよ、シロガネちゃん。確かに己ら滅魔師連盟は地獄の専門家だ。しかも、うちのチヤはリンフォンっつう地獄の門の鍵だって持っている。己らが地獄から閻婆を呼び出したんじゃないか、と手前ぇが考えんのも、至極ご尤もだろうよ」
「では今回の一件はやはり……」
「だがよ」
ザンエの持つ扇子が、迫ろうとするシロガネを制するようにして、その鼻先に向けられた。
「シロガネちゃんのその小咄は、ちと筋が悪いぜ」
「……とおっしゃいますと?」
困惑するシロガネを前に、ザンエは諭すようにして語り出す。
「そもそも閻婆の野郎がチヤたちんとこに姿を見せたとき、チヤはリンフォンをそのまんまの姿で持っていたと聞くぜ。まるっきり姿を変形させてねぇ、正二十面体の状態でな。そんな状態のリンフォンで、どう地獄への道を開くってんだ?」
シロガネは遠慮がちに、それでも覚悟を決めたように、ザンエに言う。
「ええ。その旨はユキも申しておりました。ですが、あなたたち滅魔師連盟には、リンフォンという呪具を生み出したカズトモ殿がいらっしゃった。チヤちゃんがあの場でリンフォンを『門』にしていなくとも、あの時点ですでに他の滅魔師がリンフォンの技術を利用して、地獄から閻婆を呼び出していたとすればどうでしょうか」
「残念だが、その筋も無ぇな」
決然と放たれたシロガネの弁を前にしても、ザンエの眼光は揺るぐことがない。
「チヤが持っているリンフォンは、原初のリンフォンをカズトモがどっからか手に入れてきやがって、カズトモが更に加工したものだ。それも、己にろくすっぽ話も通さねぇでな。そのせいで、あれの設計や呪法の内容を知っている奴は、カズトモ以外にいねぇ。そしてそのカズトモは、もう五年前に例の事件でチヤを遺してくたばった。シロガネちゃんもその事件のこたぁ、もう知っているはずだよな?」
ザンエを見据えるシロガネの頬に、汗が一筋流れ落ちる。
「つまり、己らの中にも、あの時地獄への門を開くことができたはずの奴なんざ、一人もいねぇってこった。百歩譲って、縦しんばそんな真似のできる奴が己らの身内にいたとしても、己が見逃してやるはずもねぇ」
ザンエは、そこで両の手を持ち上げた。
シロガネは何事かと目を見開いたが、それは単にザンエが肩をすくめようとしていただけだったことに、すぐに気付くことになる。
「――とまあ、長々と御託を並べさせてもらったが、話の落ちはこうだ。己ら滅魔師連盟も、あの閻婆がどっから湧いて出やがったのか、皆目見当もつかねぇのよ」
「――その言葉、信じてよいのですね」
肩をすくめ、おどけたような動作をするザンエを前に、シロガネの腹の中から笑いがこみ上げることはない。むしろ、冷たいものが腹に流れ込んでくる感覚に耐えて、そう聞き返すのが精一杯だった。
「ああ。己が正直者なのは、シロガネちゃんも知っての通りだろう?」
(……まったくどの口が言うか、この御仁は!)
シロガネは心中で毒づくが、その毒を口から吐くことはこらえた。
けれども、せめてとばかり、シロガネはこの一言を伝える。
「では、今回の閻婆退治については、共に真相を探りましょう。先ほども申しました通り、地上に地獄の妖魔が現れるのは一大事。退魔師と滅魔師、共に協力して事に当たるのが――」
「その必要も無ぇ」
だが、ザンエはシロガネの申し出を、ぴしゃりと跳ね除けた。
「シロガネちゃんよ。繰り返すようだが、己らは地獄に関しちゃ一家言ある立場だ。たとえ地獄の門を開くことができなかろうが、地獄から来た妖魔を地獄に送り返してやる手なら、他にいくらでも持っているぜ。わざわざ退魔師の力を借りるまでもなく、な」
「ですが、閻婆は強大な妖魔です。真昼の直射日光を浴びながらでも、なお不自由なく空を舞い、地獄の炎と刃を操れるほどに、奴の妖力は強い。奴と渡り合うには、我らの力を合わせ――」
シロガネはザンエに呼びかける。だが、ザンエはそんな彼に応じることはない。
「そんなに己ら滅魔師の手伝いがしてぇってんなら、絡新婦狩りの続きでもやっていたらどうだ?」
「!」
シロガネは、不意に腹が痛み出しでもしたかように、口元を歪めた。
「チヤも言ってたぜ。こないだこの町に出やがった絡新婦のガキどもを、手前ぇんとこの退魔師の嬢ちゃんが討ち漏らした……いや、わざと逃がしたらしいじゃねぇか。しかも相当な数をな。そんな体たらくで、一緒に閻婆狩りをしよう、っつわれてもなぁ?」
シロガネは、汗を額から流し、歯を噛みしめる以外、手はない。
シロガネが歯噛みする間に、ザンエは胡坐をかいていた両足をほぐし、立ち上がる。
「まあ、そういうわけだからな、シロガネちゃんよ。手前ぇら退魔師連盟は、己ら滅魔師連盟が閻婆を始末するところをゆっくり見といてくれや。絡新婦の始末だけでも手一杯じゃ、閻婆の相手はちと荷が重いだろうからなぁ?」
ザンエは、そう置き土産のように言い残して、この大広間を発っていった。それが終われば、レイヤを含めた付き添いの滅魔師たちも、ぞろぞろと大広間の出口へと歩いて、去ってゆく。
滅魔師らの中でただ一人、レイヤだけはシロガネに気づかわしげな目線を送るが、シロガネはそれに気付けるほどの余裕はなかった。
(……相変わらず、こちらの痛いところを的確に突いて来られる! ザンエ殿!)
シロガネの後ろでは、今度は同席した退魔師らがざわめき出していた。
ユキが絡新婦の子グモを逃がした件は、機を見てから他の退魔師にも伝えることを狙い、これまでのところは退魔師連盟内でも一部の者のみに知らせてきた。
だが、チヤを経由してザンエに話が伝わり、それをこの場で公にされたのは、まさにその判断が裏目に出たと言えよう。
(これは少々まずいことになった……だが)
滅魔師らが一人残らずいなくなった大広間の中で、顔中から脂汗を流すシロガネは、苦し紛れながらもわずかに口角を上げていた。
(ザンエ殿からも、「閻婆がどこからやって来たかについては知らない」、という言質は取れた。それも、我々退魔師が複数同席している、この会合でな)
震えそうになる手を押さえつけながら、シロガネはそっと手ぬぐいを取り出した。それをもって、顔ににじむ汗のしずくをふき取っていく。
(ならばこちらはこちらで、打つべき手を打たせてもらうぞ――ザンエ殿!)
その背に刺さる、妻以外からの退魔師の不審と疑惑の視線を受けながらも、シロガネの瞳の奥底の決意は、今なお揺らいではいなかった。




