第十二話「真昼の激戦!」「リンフォン第二の姿!」
「急々如律令!」
わたしは懐から、あらかじめ術を込めておいた一枚の和紙の式神を抜き出した。そこにわたしの思いを込めた文字を書き記し、空に投げ放つ。
投げ放った式神は、まるで放たれた矢のような速さで、あっという間に遠くまで飛んで行った。
わたしが使ったのは、「随錦」の術。これは妖魔を祓うための術じゃなくて、救援を要請するための術だ。この術が込められた式神は、退魔師連盟本部まで素早く飛んで行き、わたしの込めた思いを受け手に伝える。パパやママにあれが届けば、退魔師連盟からわたし以外の退魔師も連れてきてくれるはず!
術の成功を確認したわたしは、すかさず目線を空の上から地面へと戻した。
「チヤちゃん! 滅魔師連盟にも連絡しないと!」
わたしは、わたしと同じように救援を求めるべきだとチヤちゃんに言う。けれども、チヤちゃんの返事はにべもないものだった。
「必要ない。こんな妖魔を滅するくらい、私一人で十分よ」
そう聞いて、「ワタシ」が驚きあきれた。
(チヤの奴、マジで言ってんの?)
わたしの奥底で日の光を避ける「ワタシ」も、今回ばかりは真剣に心配するようにして、心の声を響かせた。わたしも、気持ちとしては「ワタシ」とおんなじだ。
(あれだけ強烈な妖気を放つ妖魔……いくら夜のワタシであっても、正直一対一の勝負だって厳しそうな相手なのに……。あの根暗女、何か策でもあるのかしら? それとも、ただのバカ?)
(分からないけど……でも、何とかママたちが来るまでもたせないと!)
地面に降り立っている巨鳥の妖魔に目掛け、リンフォンの「熊」の「爪」の拳をぶつけ合いながら、チヤちゃんは飛び込んでいく。
わたしはそれに合わせるようにして、チヤちゃんの後ろから式神の群れを解き放った。
「白妙小町」の術。この術で放った式神たちをあの妖魔に張り付かせてやれば、動きが鈍ってくれる――
――はずだった。
「!!!」
巨鳥の妖魔は、あの鋭いくちばしをおもむろに開いた。それと共に、口の中からは炎の吐息が吐き出される。
「白妙小町」の術で放たれた式神の群れは、炎の吐息に呑み込まれ、たちまちのうちに焼け焦げて灰になり、消えてしまった。
(あいつ、なかなか強火の調理で来るわね!)
わたしは、巨鳥の妖魔は十分な間合いを取っているけれども、それでもあの炎の吐息がもたらす熱は、わたしの顔に突き刺さってくる。何か術を使ってない状態であれに呑み込まれたら、きっとただでは済まない予感がする。
でも、チヤちゃんはそれでも歩みを止めず、火炎の吐息の届かない角度から、巨鳥の妖魔の足元まで駆け込んでいた。
「しぇあっ!」
握り締めたリンフォンの拳で、アッパーカットを下くちばしに叩き込むチヤちゃん。巨鳥の妖魔は口元を揺らされ、火炎の吐息を止めてしまう。
けれども、できたのはそこまで。
巨鳥の妖魔は、チヤちゃんのアッパーカットを食らいながらも、大して効いている様子もなく、空中に舞い上がった。そこから、鋭い鳴き声を放って、商店街の空気をびりびりと震わせる。
「!!!!」
すると、商店街の道路の下から、「何か」が飛び出した。
その正体は、鋭い刃。それも一本だけじゃない。道路のアスファルトを突き破り前進しながら、次々生えてくる。地面から生えてくる刃の波が向かう先は――
「チヤちゃん! 危ない!」
このまま行くと、刃の波はチヤちゃんを切り裂くことに! わたしは思わず声を上げたけれど、そんなわたしに「ワタシ」が警告の声を出す。
(ワタシたちもよそ見をしてる場合じゃないわ! あれを見なさい!)
巨鳥の妖魔の起こした刃の波とは別に、商店街の地面のあちこちが赤く熱されていた。そこからアスファルトを突き破って、ぞっとするほどの熱気を伴う炎がいくつも吹き上がる。
吹き上がった炎は、やがて大きな犬のような形をとる。
こうして呼び出された炎の猛犬は、燃え盛る牙を剥いて、わたしをにらみつけていた。
「!」
息を呑んだわたしに、炎の猛犬が飛びかかってきた。猛犬の牙の一本一本が、吹き上がる炎と化すところが、わたしの目に映る。
わたしの姿は、猛犬の牙を全身に受けて、たちまちのうちに燃え尽きた。
そう、わたしの姿だけが。
「……あっぶな……!」
(「空蝉丸」の術……ギリギリ間に合ったわね)
炎の猛犬に噛みつかれたわたしの姿は、炎に焼かれて歪み、変な顔になり、首がにょろにょろとろくろ首のように伸び始めた。そして最後には弾けて、その中から一枚の和紙の人形が姿を見せた。この人形も、あっという間に灰になる。
「空蝉丸」の術は、わたしのママに教えてもらった式神の術のひとつ。霊力を込めた和紙の式神に、わたしそっくりの姿を取らせることができる。
炎の猛犬が見えたとき、わたしはとっさにこの術を使って、わたしのニセモノを作り出していた。これで、あの巨鳥の妖魔が呼び出した、炎の猛犬の攻撃を逸らしたわけ。
炎の猛犬が燃え尽きて消えたことを見計らって、わたしは首を横に向けた。
「チヤちゃん! 大丈……」
わたしは、チヤちゃんを見て、言葉をなくしていた。
チヤちゃんは、巨鳥の妖魔の放った刃の波を、受け止めていた。
地面から生える刃を、リンフォンの「熊」の「爪」で作った握り拳で、左右から挟み込むようにして。
地面から生えた刃は、チヤちゃんの眉間を貫く寸前で止まっていた。チヤちゃんは、おでこをほんのちょっと切ったくらいで済んでいる。
「――――」
わたしが言葉を失ったわけは、チヤちゃんの見せたこの真剣白刃取りがすごかったからでもない。
チヤちゃんのおでこについた傷にビックリしたからでもない。
この刃の波を受け止めたチヤちゃんの目が、今までのチヤちゃんの目じゃなかったから。
「――炎……地面から生える刃……甲高いその鳴き声……」
まるで、うなされるようにして何かをつぶやくチヤちゃんの目は、いつもの底知れない深海のような深さを持っていた。
「思い出したわ……ううん、そもそも忘れるはずがない……」
それに加えて、今のチヤちゃんの目の奥には、光が燃えていた。深海の奥底で、大噴火を起こす寸前の海底火山のような、燃えたぎるような光が。
「……す……あんたはここで――」
チヤちゃんが受け止めた刃の表面にひび割れが走り抜ける。
「――私がぶっ滅すッ!!!」
地面から伸びた刃が、チヤちゃんの「熊」の「爪」に挟まれたまま砕け散った。
チヤちゃんは、その「熊」の「爪」を、熊の置物に戻した。
「変形! 『鷹』の――」
チヤちゃんのリンフォンが、ひとりでに動き出し、回り、出っぱり、へこんで、熊の置物から別の置物と化した。
それは、真っ黒な鷹の彫刻。けれども、リンフォンの変形はまだまだ終わらない。
広げられた鷹の翼が一気に伸び上がった。鷹の右と左の翼の端から端まで、一本の細い糸が渡される。
鷹の首は九十度曲がり、大口を開けた。口の中から舌が伸びて、矢をかけるための支えに代わる。
ここまで姿が変われば、この形が何なのか、もうわたしだって見間違えるはずがない。
「――『弓』ッ!!」
チヤちゃんのリンフォンは、「熊」の「爪」ではない別の姿、「鷹」の「弓」へと変わっていた。
チヤちゃんは、弓幹へと変わった鷹の、その尾羽を引き抜いた。たちまちのうちにそれは、一本の矢へと変わる。
「よくも、わたしのパパを……ママを……きょうだいを!」
チヤちゃんは一気に「鷹」の「弓」につがえた矢を引き絞り、それを撃ち放つ。
リンフォンが「熊」の「爪」だったころよりも、明らかに大きくはっきり聞こえるようになった不気味なうめき声。そのうめき声が尾を引いて、漆黒の矢が巨鳥の妖魔に迫る。
空中に浮く巨鳥の妖魔は、この一矢こそかわしたけれど、チヤちゃんの撃つ矢はそれで終わらない。
次から次へ鷹の尾羽を引き抜いて、矢を作り出して射かけるチヤちゃん。まるで、チヤちゃんが、地面から空に降る黒い雨を作り出しているようにさえ、わたしは感じてしまう。
(ふーん……そういうことね)
(え? どういうこと?)
わたしは、「ワタシ」が心の中で思わせぶりに言うのを聞いて、頭の上に「?」を浮かべた。
(チヤの話しぶりからすると、どうやらあの巨鳥の妖魔が、チヤの家族を殺したっていう妖魔のようよ。そりゃ、あそこまであいつが頭に来るわけだわ)
(あの妖魔が……!? でも、なんで今、そんな妖魔がわたしたちのところに?)
(さすがにそれはワタシも分からないわ。これが単なる偶然なのか、それとも何か裏があるのか――)
と、そこでとうとう、チヤちゃんがリンフォンの「鷹」の「弓」から放った一本の矢が、空を飛ぶ巨鳥の妖魔をとらえた。
当たった場所は、巨鳥の妖魔の右の翼。その端っこの方だ。
(チヤちゃん、すごい!)
(とはいえ、あれほどの妖力を持った妖魔よ。あんな所に一発当てたくらいじゃ……)
「!?!?」
巨鳥の妖魔は、甲高い悲鳴を上げた。
(……って、あれがそんなに効くわけ!?)
わたしの中の「ワタシ」が、予想を裏切られて驚いた声を上げる。
巨鳥の妖魔は、そのまま空中でもがき苦しむように、じたばたと身をよじり始めた。たとえ妖魔でも、空中で羽ばたくことをやめてしまえば、その後どうなるかは言うまでもない。
(でも待って、「ワタシ」。あれはチヤちゃんの「鷹」の「弓」っていうのを痛がってる暴れ方じゃないと思う。なんだか……)
その場から、真っ逆さまに地面に向けて墜落する巨鳥の妖魔を見て、わたしは心の中で声を広げた。
(……なんだか、いきなりわけが分からなくなって、混乱しちゃってるような、そんな風に思えない?)
心の中でそう言い終えるのと、巨鳥の妖魔が商店街の道路と激突したのは、ほとんど同じタイミングだった。
巨鳥の妖魔が落ちた場所は、わたしとチヤちゃんのちょうど間の位置。わたしの方にくちばしを、チヤちゃんの方に尾羽を向けるようにして、倒れ込んでいる。
(……ったく、わけの分からない妖魔ね、こいつは!)
と「ワタシ」が毒づく。
その一方で、チヤちゃんはリンフォンを「弓」から、元の「鷹」の彫像に変形させた。海底の火山が爆発したような激しい眼光を宿して、地面に落ちた巨鳥の妖魔に、更なる追い打ちを放とうとする。
「地獄に落ちることすらできずに、この世から消え失せなさい! 変形――『さか――!」
でも、チヤちゃんの追い打ちよりも、妖魔の甲高い鳴き声の方が早かった。
巨鳥の妖魔は、くちばしを大きく開き、もう一度吠えたける。
(まずいわ「わたし」! またあの刃の波や炎の猛犬が……)
「!?」
(!?)
わたしと、「ワタシ」はそこで仲良く両目をみはった。わたしはわたしのこの体で、「ワタシ」はわたしの心の奥で。
この咆哮の後、巨鳥の妖魔は何の攻撃もしてこなかった。
それどころか、いきなり空高くに飛び立つ。
飛び立った妖魔は、あっという間に高度を上げて、どこへともなく消えていった。
そうすれば、後に残るのは、怒りに燃えるチヤちゃんの荒々しい息遣いと、リンフォンが元のセーニジューメンタイってやつに戻る、かちゃかちゃという音だけ。
商店街に、静けさが返ってきた。
「くそ……逃がした!!」
乱暴な動作でリンフォンをしまうチヤちゃん。だけれど、わたしと「ワタシ」は、奥歯をきしませるチヤちゃんよりも、もっと注意を注ぎたいものが、そこにはあった。
(……ねえ「ワタシ」。あれ、見た?)
(……ええ「わたし」。確かに見えたわ)
わたしと「ワタシ」が驚きの声を上げたのは、あの巨鳥の妖魔がいきなりここを飛び立ってしまったこともあるけれど、それ以上に大きな理由がある。
あの妖魔が吠えて、甲高い鳥の鳴き声を放った時、もちろんくちばしは大きく開かれていた。
そのくちばしの中、つまり妖魔の口の中に――
(一瞬だけだったけど、目が二つ見えたよね)
(見えたわね。まるで口の中にもう一個顔があったような……?)
最初から最後まで、わたしたちはあの奇妙な巨鳥の妖魔に対して、「?」マークが途切れることはなかった。
□□
「こちらフブキよ。ユキちゃんは無事だから安心して、シロガネさん」
あの妖魔が飛び去ってからしばらくして、わたしは「随錦」の術で呼んだママと合流していた。
今のママは、左目の下の泣きぼくろと銀縁の丸眼鏡はいつもの通り。だけれど、わたしと同じく、巫女服を着て商店街の裏路地に立っている。
ママの手の中に握られたスマートフォンはスピーカーフォンに切り替わっていた。そこからは、同じくわたしにとって聞き慣れた声が流れてくる。
(ありがとうフブキ。こちらは今、警察の担当部署と話をつけ終えた。ひとまずのところ、この一件は原因不明の爆発事故として処理することになる、とのことだ)
スマートフォンに表示された「シロガネさん」という文字も、この声の持ち主がわたしのパパであることを示している。
「それにしても、こんな時間から妖魔が現れるなんて、滅多なことではないわね。本当に、ユキちゃんが無事で良かったわ」
わたしたちの住む舞白市の商店街の表通りでは、今もパトカーが何台も停まっている。パトカーから出てきたお巡りさんの足音や、今更のように集まってきた町の人たちのざわめきの中、ママはわたしをぎゅっと抱いてくれた。
ママの腕の中で、ひと安心してわたしはため息をついた。でも、その後は言わなければいけないことがある。
わたしは、ママの持つスマートフォンに向けて話しかけていた。妖魔の妖気が収まった今なら、式神を飛ばさなくても、本部にいるパパとお話ができる。
「あのね、パパ。チヤちゃんのことなんだけど――」
(ああ。その件も把握している。チヤちゃんはいったん滅魔師連盟側に帰って、そこでこの一件の報告をすると言っていたのだろう? さきほど退魔師連盟本部に、滅魔師連盟からの使いの者が来て、チヤちゃんの荷物を持って行くとき、私にそう伝えてくれたよ)
そう。チヤちゃんはさっき、滅魔師連盟の滅魔師さんと一緒に、ここから帰って行った。なんだかあわただしいけど、これでチヤちゃんと一緒に暮らす時間は、いきなり終わってしまうことになる。
(ほんと、形がどうであれ、あの女が消えてくれるならせいせいするわ)
そのことに、「ワタシ」は嬉しそうな声を心の中で満たしている。
でも、わたしの心の中にはもう一個、もやもやが溜まったままだった。それを、パパに向ける。
「パパ、わたしたちが見たあの妖魔は一体なんなの?」
わたしも有名な妖魔なら、見ればその正体が分かる相手もいる。でも、あの巨鳥の妖魔は、わたしが見たこともない。こういうときは、パパに聞いてみるのが、わたしのいつものお約束だ。
そして、パパの今日の返事は、わたしと同じようにもやもやしたものだった。
(ユキに伝えてもらった特徴から考えると、ひとつ思い当たる節がある。だが、それが正しいかどうかは、ある人と話してみてから判断してみようと思う)
「シロガネさん、もしかしてそれって……」
ママは、そこでパパがしようとしていることが、何となく分かったみたいだった。
(ああ。早速だが数日後の夜、滅魔師連盟の連盟長……ザンエ殿と私が話をする場を設けることとしたよ。私としては、あの方は少々苦手なのだが、この状況ではそうも言っていられないようだからね)
いつも厳しくて、あまり弱ったところを人に見せないパパが、珍しくわたしとママにそんなことを言う。
(詳しいことは、その後にでも話させてくれ、ユキ)
電話越しに、パパはわたしと約束をしてくれた。




