雨薬
月曜日――週の初めでもあり、人によっては一番憂鬱な日かもしれない。そして外はあいにくの雨。どうして今日はこんなにも憂鬱なのだろうか。と、朝早くに眠い目をこすりながら布団から上半身を出し、窓の外をぼんやりと眺めながら、彼はそう思う。彼自身、もともと雨は好きで、小さい頃は、土日に雨が降っていると、合羽を着て、溜まった水たまりの上に仰向けで寝転がったこともあるほどだ。そもそも、小さい頃の彼は、曜日や時間帯によって雨が嫌いになるような事は全くなかった。雨が降ればどんな時でもワクワクしていたし、雨音に癒されてもいた。しかし大人になると、平日の雨は嫌いになり、月曜の、朝の雨は特に嫌いになった。その理由は明白で、まず土日が休みだった分余計に感じる、これから身支度をして、眠い中バスに乗り、駅まで行き、電車に乗って行きたくもない会社に仕方なく行くという辛さ、そしてバス停まで結構な距離を歩かないといけない上に、雨なため、会社に着く頃には髪は湿気で気持ち悪くなり、靴も多少雨水が染み込む可能性もある、という、簡単に言えば全てが最悪だからだ。
「小さい頃は雨と同じく雪が降るとワクワクして外で雪だるまを作って遊んでいたのに、今じゃ雪はただ鬱陶しいだけになっちまったしな」
小さい頃に好きだったものが大人になって嫌いになるという現象は、よくあることのように思える。
「めんどくせーな......」
おそらくこの面倒臭いには色んなものが含まれているのだろう。彼は立ち上がって洗面台に行くと、鏡を見た。そんな彼の年齢は、三十代半ばに見える。おそらく趣味の一つや二つくらいはあるだろうが、仕事が忙しくそれらをやる気力も体力もあまりなさそうだった。
彼は身支度を済ませ家を出て、傘を差しながら最寄りのバス停に向かう。バス停に到着すると、いつもと同じ面々がバスの到着を待っている。そんな中、自分の前に並んでいる、自分より少し若いスーツを着た男女の会話が耳に入った。
「俺さ、もう今の会社に勤めて五年経つし、そろそろフリーランスにでもなってもっと気楽に仕事がしたいんだよな。いやこの際フリーランスと言わず、朝早く起きなきゃぶっちゃけ何でもいいかもだけど」
「あーね、まあ言いたいことは分かるよ。私もそうしよっかなー。もっと精神的に楽になりたいし」
なるほど、確かに彼らの気持ちはとても分かる。だが実際はそうやって話したように変わるつもりはなく、彼らにとってはその場限りの愚痴でしかないのだろう。彼らも他多くの社会人と同様、朝から愚痴を吐いて、自分の中の憂鬱な気持ちを少しでも紛らわせてから、会社に向かい、仕事をする。それを、明日も、明後日も、その次も続けていくという事も、また分かっている。
全員がバスに乗ったところで、扉が閉まり、ゆっくりと動き出していく。周りを見ればほとんどのサラリーマンが、スマホを弄っているか、寝ているかのどちらかで、心なしか皆目に光が宿っていないように見えた。そして自分も傍から見れば似たようなものだろうとも思う。
駅に着くと、皆足早に改札口に向かい、中にはスーツを着て額に汗を浮かべながら走って改札口に向かっている人もいる。
「ああ、またあの集団か......」
雨で床が濡れてる上に、朝ということもあり人口密度も高くむさくるしい駅の中を、良い歳した大人達が必死に走って、会社に遅刻しないように満員電車から別ホームの満員電車の中に突入していく。幼い頃にその光景を目にした時は、本当に他人事のように思えて、大変だなぁと思いつつも、興味関心は次の瞬間には別のものに移り変わっていた。自分とはあまりにも無縁ですぐにそんな光景を目にしていたことすら忘れている。だが今はどうだろう。その光景は意識せずとも頭の中に残り続け、いつしかその集団の中に自分も入ってしまうのではないかと、怯え始めてすらいた。それと同時に、自分はこんなに切羽詰まってなくてよかったとも思う。
電車に乗ると、相変わらずバスの時と同じく、似たような人たちが、似たようなことをしながら過ごしていた。そして当然ながら自分も、その一部なのだろうと思う。そしてどこかの駅に着くたびに、同じような人たちが降り、また同じような人たちが乗ってくる。もはやロボットのようにも見えた。彼もまた傍から見れば、ロボットのように見えるのだろう。でも実際は人であり、その一人一人に人生があると思うと、彼らをロボットにしたのは一体何だろうか。そして、ロボットは自分を変えることはできないが、人は自分を変えることができる。せっかく変わることが出来るにもかかわらず、まるで自分を変えようともしない。その理由は、自分も他の人たちも、なんとなく分かっているのかもしれない。
そしてずっとこんなことを考えていたが、いざ会社に着くと、まるでスイッチでも入ったかのように淡々と無感情にいつもと同じような仕事をし、時には上司に怒られながら、終業時刻を迎える。そしてまた満員電車に乗りクタクタになりながら家に帰り、ビールを飲みながらネットサーフィンでもして、死んだように眠り、また朝早く、会社に出向いていく。この繰り返し。そしてまた土日を迎える。
そんな土日は、珍しく両日とも朝から雨が降っていた。幸い二日とも休みで仕事はない。心地の良い雨音を聞きながら彼は昼近くに目が覚める。もともと雨好きの彼にとっては、雨の日の土日は特に好きなようで、とても気持ちが着いて癒されるらしい。それは今も昔も変わっていないようだった。そんな土日は家で映画でも見ながらのんびりと過ごし、彼は束の間の休息と幸せを噛み締めた。
「土日が無かったらとっくの昔に過労死してただろうな」
考えてみれば心身ともに休める土日があるからこそ、辛い平日がなんとか耐えられるのだろう。特に雨の日の土日はこの上なく幸せである。体力と気力が全回復するどころか、それを超えてプラスされているようにさえ感じる。
「あーあ、明日からまた嫌な仕事が始まるのか......でもまあ大分休めたし、明日は天気もいいみたいだからもう少し頑張ってみるか」
と、そんなことを言っているが、この前向きさは長くは続かず、月曜の朝にはまた憂鬱になっていることは自分でも分かりきっていた。そんな日々を何年も何年も送ってきて、今こうして生きているのだから。しかし、そんな悲しい現実に思う事なんてもはや何もなかった。悲しかろうが辛かろうが、彼の生きてきた道がこれであり、日常だからだ。自分が変わりたいとも思わない。もうこの日々に慣れてしまったのだ。正直言って、物凄くキツい訳ではないし、今の会社に定年まで勤めていた方が先も見えて不安もない。
そんな事を考えながら、心地の良い雨音とともに眠りにつく。ただ、彼自身も心の深い部分では気付いているのかもしれない。そうやって考えたことは全て、現状を変えたくても一歩踏み出す勇気が出ない自分への言い訳でしかなく、それらしい言い訳を積み重ねていくことで、自分の本心を認めず、自身を欺き続けて無理矢理辛い現状の中で平静を保たせているだけということに。また、彼は自分が変わりたいとも思わない、と考えていたが、それは真っ赤な嘘である。彼の場合、自分を今まで欺き続けてきた結果、もはや自分の本心が分からなくなっているのだろう。それに少しでも希望を見出してしまったら、余計に今の自分の現状を見つめ辛くなってしまうことも考えられる。それらの理由で、無意識にもつい、自分に嘘をついてしまったのだろう。そしてそういった行為を続けている限り、土日で仕事が休みであろうと、五連休であろうと、心の底からリラックスしたり休めたりすることはないのだろう。
もし――もし彼が、土日の雨すらも鬱陶しく感じるくらい、仕事ノイローゼになっていたら、彼は限界を迎え、意を決して自分を変えることが出来ていたかもしれない。しかし幸か不幸か、仕事がそこまで辛いわけではなく、土日の休みと、雨による相乗効果により、しっかりと心身の回復をそこに見出してしまった。故に、彼は一生このような生活を続けるのだろう。そう、ぬるま湯に浸かる事を、彼は自分自身で選択しているのだ。