四話
廊下は、一言でいえばぼろぼろだった。
劣化が著しいところなどは崩落して、ぽかりと大穴が空いてしまっている。新たな出入り口となっている穴の先は、今にも風化して消えてしまいそうなおんぼろ部屋だったり通路だったりした。
眠っている間にすっかり天気はよくなった。
外から日が差して、昨日よりもあたりを見通せる。おかげで隅々までばっちりとよく見える。状況把握にとあちこちを探ってみて。そして。
――そして探索した結果。私はおろか、ルンもよく知らない場所だということがわかった。
うれしい発見ではない。
つまるところ、二人して遭難した。もしくは、連れてこられた。もしくは、怪異現象に巻き込まれた。そんな可能性があげられる。
さらに、またいくつか明らかになったことがある。
日が……太陽が、星形だった。
というより、太陽なのかすら疑わしい。
あの明るさからして、太陽に近い何かなのだと思う。昼間の星形の太陽は、まぶしいくらい白く輝いていた。その点は私の知る太陽と同じだ。ただ、その形が明らかに丸ではないだけで。
天体観測が趣味の叔父の言葉が頭の引き出しからひょこりと出てくる。銀河系には太陽と似た星が数千個をゆうに超えるという。その一つかもしれない。
まあ、五つの頂点をもった星型の太陽ってあるのか不明だけど。近くに昼の月みたいに浮かんでいる大小様々な形の惑星もよくわからない。
この時点で、夢かと思いたかった。けれど、あまりの驚きに壁にぶつかって痛い思いをしたので、実に残念なことに夢ではないこともわかった。
それからついでに、ルンがおそらく地球出身ではないこともわかった。
つまり、宇宙人。異星人。未知の住人だ。
わかった経緯は次の通り。
太陽に驚き慄いている私ほど動揺していなかったルンへ、なぜ驚かないのかと聞いてみたのだ。
そして言われたのが、「そもそも太陽とは?」だった。
なんでも、ルンの住んでいたところは、天候をすべて国が管理していたという。政府や王様は存在せず、上級市民のさらに上に位置する選ばれた市民によって統治されているそうだ。
一体どんなところなのだろうか。そこはかとなくディストピアっぽい気がする。
私の世界とあまりにかけ離れている。それを理解したルンが話してくれたこの話は、いっそ作り話であってほしいと思わずにはいられない。
ああ、でも、いいこともあった。
ルンの世界では、特異な能力を持つ人類が台頭している。もれなく、ルンもその能力者だったのだ。
本人は、取るに足らない力だと謙遜していたが、私は大変に感動している。
だって、火が起こせるのだから!
火の粉くらいの小さな火で、それで部屋を出る前に服を乾かしてもらった。床に直置きにして乾かしていたが、やはり生乾きで、それを我慢して再び着たことにぼやいていたら、時間をかけて温めてくれたのだ。すごい。
テンション高く、なにそれ、すごいじゃん! とほめて拍手したら、また泣かれてしまった。驚かせてしまったのだろう。即座に謝っておいた。
まあ、そのほかのいいことは目下探し中なので打ち止めである。
「ねえ、ルン」
通路にある適当な瓦礫の山に腰かけて、ルンへ声をかける。
現在、一度目の休憩をとるところだ。再び周辺の探索をしはじめる前に、すこしでも気持ちを落ち着かせておくためである。
本当に太陽かどうかはさておき、あの星形太陽のある位置からして、きっとまだ午前中のはず。
「疲れてない? 大丈夫?」
私からやや離れて座っているルンが、ゆっくりとうなずいた。
あのぼろぼろで臭う衣服ではなく、拝借した寝間着のままでいるルンは薄暗がりにいると、まるで幽霊のよう。ホラー映画に出てきても違和感がないかもしれない。
ルンの着ていた服が、あまりにぼろだったから着替えてもらったのだ。
外へ探索をと私が提案した後、元のボロ着を着ようとしていたのを阻止するのは一苦労だった。つい強い口調で、女物の使用人服と寝間着ならどっちがいいかと二択を強引に迫って、やっとあきらめてくれた。
曰く、「こんな着心地のいい素材の服、最下民にはもったいない」らしい。その言葉から、彼のおかれていた環境のひどさが垣間見えてしまった。
見ず知らずの私の意見に従ってくれたのは、その環境のせいかもしれない。けど、それだけでなく、もともとルンはとても大人しい人で、遠慮しいなんだと思う。落ち着けと身内に揶揄される私と大違いだ。
でも、嫌な人ではない。
過剰なくらい私に気を使ってくれるのが気になるけれど、相性が壊滅的に悪いわけじゃない、と私は思う。ルンがどう思っているかはわからないけれど。
「人、いないわね。どこもかしこも崩れてて……廃墟というか。どう、見覚えあるとこあった?」
「いえ、とくには」
控えめな返答だ。
もうちょっと気兼ねなく話してくれたら私としては助かるのに。けれど、ルンを見て強く言えなくなってしまう。いかにもな病み上がりに、無理強いはできない。
一人で動いて、ルンを部屋に置いて行くのもためらわれたから着いてきてもらったけれど、これで良かったのだろうか。今さらながらにちょっぴり後悔した。
だけど、ひとまず反省はあとだ。現状把握が先。
「ねえ。あのさ、ここまで見て……ちょっと思ったんだけど」
口に出してしまうと、実感するから本当はしたくなかった。
でも、もう直視せざるを得ない。
「ここ、地球じゃないわ。だから、やっぱり私の知る場所じゃない、というか同じ世界じゃないと思う」
そう言って、吹き抜けになってしまっている廊下から空を見る。やはり太陽の形は見慣れた丸ではなかった。
「それで、ルンのところの、その」
言いづらくなって言葉を濁してみる。
ただ、ちゃんと言いたいことは伝わったのか、ルンは静かに答えた。
「……乏しい知識のみでの判断は致しかねます」
「ルンのところの可能性もないってこと? それとも、ある?」
「いえ……自然地区への立ち入りは最上級市民のみが有する権利です。もしここがそうならば、即座に終了処分が下されるでしょう」
「終了処分ってなに?」
「治安維持隊による生命活動の停止措置です」
「ぶ、物騒だわ」
私の感想には、不思議そうな視線が返されてきた。ルンのところでは一般常識なのかも。異文化コミュニケーションにもほどがある。
しかしこれで、はっきりしてしまった。
「つまり、あなたも自分の世界と違うところにいるかも、ってことで……あってる?」
おそるおそる聞いたら、うなずかれてしまった。
気が滅入る……テンションががた落ちだ。なんなら泣きわめいてしまいたい。
けど、ルンが見ているとわかると、堪えることができた。
ひ弱なルンを私が守ってやらねば、という庇護欲が私の精神安定を保ってくれているのかもしれない。我がことながら他人事のように考えてしまう。これもまた、逃避なのかも。
ともあれ、じっとしていてもしょうがない。
ため息を飲みこんで、ルンに声をかける。
「ねえルン。暗くなる前に、水と食べ物を探しましょうよ。もう残りが少ないの」
私が持っている小さな水筒の中身は半分もない。あとは飴だけ。こちらもちょっぴり減った。
部屋から出て行く前、一緒に食べたのだ。
これからどうなるかわからない。そんな不安な気持ちを和らげるための必要経費だったのだ。そういうことにしておこう。あんまり暗く考えすぎてはどつぼにはまってしまう。
私の言葉に、ルンは頭を下げた。謝るだとか目上の人に対する敬う仕草は日本と同じなのかも。
「責めてないって。大丈夫。私だって食べたんだから、謝らないでね」
「ですが……」
「でももだっても言わないで」
下がり眉が一層下がって、なんとも情けない表情でうつむかれてしまった。小さな声で「もうしわけございません」なんて聞こえる。
うーん、やりにくい。悪くないよ、気にしないでよっていくら私が言っても、すぐ直る癖じゃあないのだろう。
「ね、こう考えてみて。ルンは私の服を乾かしてくれた。だから、成功報酬をもらった。どう?」
「あのようなことで、いただける報酬では」
「私は、助かったの! よーし、話はこれで終わり! さ、気を取り直して続きに戻ろう戻ろう」
お尻の汚れを払って立ち上がる。
ルンには気にするなと言ったけれど、正直なところきれいな水と食べ物は何でもいいから早く確保したい。
幸い、空腹感はまだない。食べようと思えば食べられるけれども。
だから、元気に動けるうちにどうにかしなきゃ。
「ここ、こんなにぼろぼろだけど、お城っぽいと思う。由緒正しいヨーロッパの古城というか……あ、私は行ったことはなくて、写真で見たことがあるくらいなんだけど」
ルンが自発的に話してくれないので、話しだすのはほぼ私だ。それでも、ちゃんと聞いてくれているので、小さく「はい」と返事のような相槌のような声が返ってくる。
「でね、もしそういう建物なら、食堂とかあるはず。あの部屋みたいにきれいかもしれないし、ダメだったら外で食べられるものを探さなきゃ」
さあ行くぞ、という気持ちでルンを見ると、何やら言いたそうな様子だ。
「どうかした?」
「あの、構造に関してなら、多少の覚えが……ただ、確証はないので、お時間を取らせるだけかもしれません」
なんと、提案だった。
「本当? 手掛かりなんてゼロだし、ルンがいいなら教えて」
「はい。先導をいたします」
そう言うや否や、少々よろけながらルンが歩き出した。
ひょろりとした背中は頼りなく、なんともはらはらしてしまう。食料の確保はやはり急務だ。
決意を新たに、私はルンの後についていった。
歩いて、それほどもないくらい。
ルンの覚えがよほどよかったのか、食堂に大した苦労もせずについてしまった。前半の私のやみくも行動はいったい、と思ってしまったが、場所の把握には役立ったので良しとしておこう。
そして喜ばしいことに、食堂はあの部屋みたいにきれいな状態だった。調理場と同じ空間にあるタイプの部屋だ。
人がいないのに埃一つない不自然さはさておく。
手入れが行き届いた石造りの食堂は、まるで映画のセットのようだった。
壁際にはかまどに水洗い場らしきところ。ちょっと離れて木製の机に食器や調味料らしきものが入った瓶が置いてある。それから岩壁に埋め込まれるようにある木製の棚にはピカピカの調理器具が置いてあったり吊るしてあったりした。
なにより嬉しいのは、水洗い場のすぐそばにある複数の籠。
「食べ物!」
野菜や果物のようなものがある。籠いっぱいにそれぞれ入っていた。嬉しい。
触っても、嗅いでも、変な感じはしない。鮮度がそのまま保たれているようだった。もしくは誰かがここにいれているのかもしれない。なんにせよ、食べ物の発見は喜ばしい。
「ルン、すごいじゃない!」
振り返って言えば、所在なさげに立っていたルンは気恥ずかしそうにうつむいた。
「ありがとうございます」
「よくわかったわね」
「文明の差異はありますが、もともと住んでいた場所と造りが似ていましたので」
「え? お城に住んでたの?」
「あっ、ええと、その……はい」
言いづらそうに肯定された。
「過去の話です。満足な働きもできず、放逐されましたから」
は、反応しづらい。
重たい事情が垣間見える。これ掘り下げるとまたルンの精神上にも私の気持ち的にもよろしくない。
「よおし、ルン!」
暗くなりそうな雰囲気を無視して、大きく声をかける。すこし離れて立っていたルンが小さく体を震わせて私を見た。
「ご飯にしましょ! あなた、料理したことは?」
「え、あ、いえ」
「じゃあ力をかして。あったかい料理が一番って言うでしょ、こういうときって」
おどおどするルンの腕を引っ張ってかまどの前に連れていく。
「勝手に拝借するのは申し訳ないけれど、服ももう借りちゃったもの。この際、食材も有難くちょうだいしましょう」
「あ、あのサエさま」
「ええ、サエよ。私の名前はサエ。改めて力を合わせて頑張るのよ、私たち」
会話をちゃんとつなげるより、ごり押しだ。そんな私に気おされて、ルンはおずおずと頷いている。よしよし。
ルンにかまどの上に置いていた鍋を渡す。
「腹が空いては戦はできぬって言うじゃない。あなた、好きな料理はなあに?」
きょとんとしたルンが、また徐々に瞳をうるませていく。やはり彼の涙腺はよくわからない。
「な、なんでも。なんでも、食べます」
「そう、気が合うわね私たち。さーて、作るわよ。私の勘が、ここの食材は大丈夫って告げてるの」
おどけて言って、野菜らしきものをつかんで笑う。
黄泉戸喫かもと思わないでもない。でも、きっと大丈夫だとも思うのだ。というより、ルンにはとにかく食べさせてあげないと。
「……はい」
そこでようやく、ほんの少しだけルンの口角があがった。涙はもちろん出ていたが、それでも笑ってくれたことに、私はなんだか達成感を味わったのだった。