九話
暗く狭いほぞ道をくぐりぬけると、ぽかりとした空間が広がる場所に出た。
古びてはいるものの、レンガのような石壁は比較的綺麗で、規則正しく並んでいる。
両側の横壁の上あたりには金属の燭台照明があって、ちびたロウソクが残っていた。ルンに頼んで灯してもらえば、辺りをよくよく見ることができた。
そのままトーチとして使えそうだったので、背伸びをして一つ拝借して掲げる。
踊り場みたいな場所だ。
来るときに通った坂道と違って、前方には下り階段が見えた。その横でには爪でひっかいたような細い文字が彫られている。
「何か、書かれているみたい」
「記号で下に何かがあると表しているように見えます」
ルンの言う通り、矢印っぽい記号があって角ばった箱が並んだような絵がある。
ただ、なんだか荒い印象を受ける文字は急いで記したのだろうかと思わせた。
階段の下に何があるのだろう。
そうっと先を照らせば、思ったよりも長くない階段の先が見えた。
また、踊り場があるようだ。さらには崩れた物が見える。瓦礫にしてはちょっと大きめの、何か。
「ルン」
「……足元に気をつけてください」
腕を引けば、ためらいがちにこちらへ顔を向けたルンがそろりと階段に進んだ。
ルンは自力で火が出せるからか、指先に明かりを灯してゆっくりと降りていく。
冷たい床を踏み鳴らすみたいな。かつん、かつん、と静かに音が鳴ってあたりに響く。
先ほどと同じくらいの、ちょっとした小部屋くらいの広さがあるだろうか。これまた同じように横壁にはトーチがあった。ルンに明かりを灯してもらって見渡せば、崩れた物がよくわかった。
石像だ。
どれもこれも無事ではなくて、パーツがばらけて落ちていたり粉々に砕けている。それでも、人の形の石像だったのだな、と無事な部位から推測できた。何やら武装した男の人だろうか。盾っぽいのや剣っぽい破片がある。
「サエ、まだ先があります」
私が石像を見て想像を膨らませていれば、ルンが先を指さした。
また階段がある。
その先もまた開けた空間があるようだ。それもここより広そう。
下りますか、と視線で問われた気がしたので、もちろんとうなずいてみる。
ルンはそれを見て、憂鬱そうに瞬きをした。そしてまたゆっくりと慎重に階段へと足を進めた。
「ねえルン。順番変わろうか?」
「いけません」
腕を軽く揺すって聞けば、食い気味で返答がきた。
「何かあったら、サエはすぐに戻ってください」
言外に自分を置いていけと言ってる気がしたので、否定をしておこうと口を挟む。
「わかった。ルンを抱えて走るわ」
情けない顔で振り返ってきた。ただでさえ幸薄めな表情が途方に暮れているようだ。そんな顔で見られると、じりじりと胸がとがめられるような重苦しさが積みあがってくるみたいに感じてしまう。
だが、容認できないものはできないのだ。
「一緒じゃなきゃ嫌だからね。私、一人でなんて耐えられる自信ないし。何より、置いていけるわけないでしょ」
何か言おうとして失敗したみたいな、口元が動いては声に出ずに終わっている。そんなルンの瞳が潤んでいるのに気づいた。
泣いて有耶無耶にされる前に、言っておかなきゃと私は続ける。
「運命共同体よ、私たち。意地でも離れないから」
そうして掴まえている腕に、軽く力を入れる。
にっと口の端をあげるように意識して笑えば、ルンは潤んだ瞳のまま呆気にとられたように固まって、やがて目を伏せた。
「わかり、ました」
かみしめるように言われた。けど、私が引かないことを理解してくれたみたいだ。
またルンは前を向くと、私に腕を掴まれたまま階段を進み始めた。
下に行けば行くほど、足を鳴らす音がよく響く。
互いの呼吸音も聞こえるくらい静かな空間に、なんだか緊張する。身を縮めそうになって、掴んだ腕先に励まされて前を向く。
ここもまた長い階段ではなかったようで、すぐに到着した。
さっきまでが小部屋なら、今度はちょっとしたフロアだ。
石柱が等間隔に配置されて、横壁の上から天井に差し掛かるあたりには幾何学模様の縁が走っている。無機質で簡素だった階段や踊り場に比べると、どこか厳かな雰囲気がする。
部屋には一つだけ無事な状態の石像があった。ちょうど部屋の奥、今まで階段があったくらいの位置を守るように立っている。
灰色の石を削り取ってできたみたいな大きな男の人の戦士像だ。
「見て。無事な像がある」
像は一昔前の外国の戦士みたいな恰好をしている。映画やゲームに出てくるみたいな、ひざ丈の鎧に、直剣を提げていた。
しかし、見上げるほどの巨漢というのはこういう人をいうのか。厳密には石像だから人じゃないけれど。
近寄ってみるとその大きさがよくわかる。
ルンや私よりも一回りも二回りも大きい。二メートルはゆうに超えているのではないだろうか。
ちなみにルンの背は、長年の栄養不足がたたってか私より高いかなくらいだ。本人はちょっぴり気にしているみたいである。目線の位置が同じくらいなのはいいことだと思うんだけど。
「ここまで背が高いと威圧感あるわあ」
筋肉の筋などの細かな部位まで狂気じみたくらいの緻密さだ。こんな石像を人の手で作れるのか不思議なくらいよくできている。
肉感的な筋肉が見事に盛り上がる様がすごい。みっしりと詰まった筋肉による肉体美は、どれほど時間をかけて作り上げたのかと思わずにはいられない。
顔もしっかり作りこまれていて、彫りの深い精悍な顔立ちだ。人造人間が出る映画みたいな……いわゆるハンサム顔といえばいいのだろうか。硬そうな短髪もそんな感じだ。
開かれた瞳だけは素材が違って、黒曜石みたいな黒く艶のある石が嵌めこまれてある。
まるで濡れているみたいに瑞々しい瞳は、今にも動き出しそうな生々しさがあった。
本当によく出来ている。服の皺ひとつとっても、薄く伸ばした金属板を繋ぎ合わせた鎧がポーズに合わせて揺れる様子も。
揺れる?
一瞬見間違いかと思った。
だけど、違う。
じゃらじゃらと音を立てて重たそうな鎧が鳴っている。地面を擦る足が出した震動は、洞に入る前に聞こえたものと同じだ。
「サエ!」
くん、と腕を引っ張られる。
「う、動いた!」
CGみたいに滑らかに石像が動いている。大きな戦士の顔が険しく変わり、腰元にある長剣の柄をごつごつとした手で握りこんだ。
慌てて、ルンの手をとってさらに後ろに下がる。
戦士像はゆっくりと長剣を出すと、重量感のある動きで一歩足を踏み出した。
「サエ、あなたは先に」
「抱えるわよ、ルン」
「えっ、な、サエっ」
一緒に逃げるに決まっているだろう。
ルンが私を先に行かせようとするのを遮って、今度は私がルンの腕を勢いに任せて引いた。
ルンの体が私より頼りないからか、それとも意表をついて態勢を保てなかったのか、こちらによろけて傾く。その拍子に腕から腰元に腕を移動させた。
おお……会ったときよりマシでも、めっちゃ腰が細い、薄い……!
お腹周りに余計な肉がなさすぎでは? へこんでない? お水溜まっているよりはいいのかもだけど、これ大丈夫?
一瞬、場違いな感想にぎょっとしそうになったけれど、急いで抱え上げる。
私の体は頑丈になっただけじゃなくって、力もよくなっているみたい。そこまで苦労せずに運べそうだ。ルンが軽いってのもあるかもだけど、なんなら走るのだって問題ない。
「戦略的撤退!」
「さ、サエ、私は自分で歩けますから」
「有言実行!」
ぎゅっとルンを抱っこしたまま、一歩、二歩、大股で登り階段へと向かう。
その背中に、しゃがれた声が追いかけてきた。
「……ま、て! 狼藉者! ロクタックに何用か!」
ずんずんと地響きをたてて重たい足音が追ってくる。だが、早くはない。
階段を駆け上がって、一つ上の階へと到着したくらいに階段前にやっと到着したようだ。徐々に聞き取りやすくなった声で、なおも投げかけられている。
「賊め! 如何なる者であろうと、容赦はせぬぞ!」
それでも上がってくる気配はない。どうしたのかと思えば、自分で理由を言っていた。
「おのれ、このような小さき道……ぐ、ぬぬ! 上がれぬ!」
体の大きさのために階段を登れないらしい。
ずしん、ずしんと心なしか悔しげな、地団駄みたいな足音を響かせている。
そろりとルンをおろして、二人して階段前の壁を背に息を吐いた。
ルンのほうを見れば、ぱちりと目が合う。
やや血色がよくなった顔色をさせている。無理に抱え上げて、男のプライド的に恥ずかしいものがあったんだろうと思う。思うが、一人で逃げるくらいなら抱えて一緒に逃げると宣言していたので、私は謝るつもりはない。
あえて指摘はせずに、なおも「姿を見せるのだ!」だとか「逃げるつもりか!」という声について対処法を聞くことにした。
「……どうしよっか」
「罪人と思われているようです」
「勘違いじゃないの。いや、勘違いでもないのかも?」
ルンの服は拝借した服のままだし、私たちが持っているこん棒やら火かき棒やらの道具もそうだ。
向こうからにしたら、勝手に使われてるって思ってもしょうがないのかもしれない。
「言葉がわかるなら話も通じないかしら。どう思う、ルン」
「それは……どうと聞かれましても、難しいのでは」
「でも現地の方っぽい感じするし。名前っぽいの叫んでたし」
「危険です」
慎重な姿勢のルンは、いい顔をしない。
だが、まだ声はかけられ続けていて、もどかしそうな地響きも終わらない。
ちらっと顔だけ出して様子を見れば、まだ階段上りに苦戦しているのがわかった。
あ、ひざをついちゃった。悔しそうに呻いている。なんだかとっても人間味がある石像だ。
なんとはなしに、従兄の楓太兄を彷彿とさせる。楓太兄も、よく悔しがったりごねるときしゃがむのよね。
そう思うと、ユーモアというか親しみを覚えなくもない。
それに、ルン以外での貴重な話をできる存在だ。
「ねえ、ここからなら話してもいいんじゃない? いいでしょ? 物は試しで」
「……あなたが、そこまで仰るのなら」
しぶしぶといった風に了承したルンを確認して、私は壁を背にしたまま声を張り上げた。
「あのう、すみませーん! お聞きしたいんですけど!」
部屋に私の声が響いてこもる。
足音が止まった。
「ここ、どこかご存じですかー! 私たち、気づいたらここの上あたりに寝かせられてて、まったくわからないんですよー!」
続けざまに言い切れば、私たちを責める声も止まる。
「どちらかというと、廃墟に連れ込まれた被害者ですのでー! むしろ、ここを知っているだろう方を探しているところです!」
これでどうだろう。
耳を澄ませて向こうの出方をうかがう。
「ロクタックの地に、連れてこられたと?」
こちらを疑うような声の調子が返ってきた。やはり、会話はできるみたいだ。
ルンを見て、どうよ、と心なしか胸を張ってみると、まだ心配そうな顔をされた。
まあ、見てなさいよ、と思いながら息を吸って吐く。
「すごい雨の中寝かされて、食べ物も宿もなくって。途方にくれていたら、お城を見つけました。それは、あなたが知る城ですか?」
「お、おお……おおぉ!」
なぜだか感動されている。
「フィドモン様の城はまだあるのか! 焼け落ちたものかと……」
「無事な部屋がいくつかありました。もちろん、物は誓って盗んでいません。生き延びるのに、必要なものだけお借りしています」
「なんと……まて、今はどれくらいの時が……いや、それどころでは……む、んん? お前たちは何者か。賊でないのなら、姿を見せたらどうだ」
「あのう、攻撃しません?」
「吾輩も情報はほしい。不意打ちなどと、大恩あるロクタック家に泥を塗るような汚い真似はするものか」
城に反応したかと思うと、ずいぶんと冷静になった。
これ、大丈夫なのだろうか。
ルンをちらっと見て、階下を指さす。
眉がきゅっと寄ったけれど、小さく「あなたの思うままに」とだけ返された。私が行きたい気持ちのほうへ傾いているのを察しているのだろう。ルンの指先に灯した小さな炎が揺らいでいる。
念のため、とこん棒を構えながら階段の前に立つ。
「今から降りますから、絶対、攻撃しないでくださいね。したら恨みますからね。日本人の恨みは末代まで祟るんですから」
「な、なんと恐ろしいことを言う奴か……一人は呪いの心得があるとは」
慄かれてしまった。
隣に立つルンにも、心なしかちょっぴり間をあけられた気がする。こっそりつつけば、気を取り直したように先へ一歩出た。先にルンが行くつもりなのだ。
遅れてはならないと、腕を掴んで一緒に降りた。