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異方よりこいねがう  作者: わやこな
おきる
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一話


 十八歳、春の日。

 私は山道から滑り落ちた。

 現在、気の逸った私の脳みそが走馬灯を流し始めている。


 誰もいない、静かな場所。

 土を踏みしめただけで舗装もされていない自然歩道から投げ出された体が空中を舞う数秒間。

 意識もしていないのにふっと頭に出てくる過去の体験を、私は不思議なくらい他人事みたいに鑑賞していた。これって現実逃避なのかもしれない。


 ただ今、高校卒業が終わった瞬間の記憶が過ぎ去って、続けてこの山道に来た経緯がパノラマ映画みたいに脳裏によみがえってきたところだ。


 そうそう、確か、経緯は……。






「――なあサエ。お前の卒業旅行を兼ねて、みんなでキャンプに行かないか」


 我が古野守(このもり)家の大黒柱であるヒロ兄が、提案してきた。


「いいわね、行きましょうよ! あそこの山とかどう? 掴まえたい虫ちゃんがいるのよねえ。楓太も暇でしょ」

「勝手に決めんなよなあ。暇だけどさ」


 従姉弟の南美(みなみ)姉と楓太(ふうた)兄がノリノリで賛同する。

 もちろん私も楽しみなのでとやかく言えない。うんうんと何度かうなずけば、決まりとばかりにヒロ兄はまとめた。


「じゃあ週末な。サエ、寝坊するなよ」

「はーい」




 そんなこんなの経緯があって連れられてやってきたのは、近隣県でも有名な山。


 道中は学者同士の夫婦なヒロ兄と南美姉による、山にまつわる伝説や豆知識を聞いたり、最近失恋したらしい楓太兄の一人失恋ソングを茶化したりと、ごくごく平和で楽しいものだった。

 仲良し家族でのキャンプ旅行なのだから、楽しいに決まっている。


 たとえ、家庭事情がちょっとばかり変わっていても、仲良しだと自負している。

 我が家は従姉弟家族と古い日本家屋をシェアしているくらいだもの。

 従姉弟一家とは物心つく頃からずっと一緒だったので、実の兄弟みたいなものと私は思っている。もっともヒロ兄はそんなことなくて、南美姉をずっと一途に好きだったらしいけども。私としては、さらに仲良し家族になれるなら万々歳だった。


 私、古野守(このもり)サエの家族は実の兄である古野守ヒロだけ。


 両親はいない。

 熱狂的な山屋だった両親は、私が小学生のときに海外の山へアタックすると出かけて、そのまま亡くなってしまったから。

 もちろん、悲しさや寂しさもあった。でも、時間の経過と日々の忙しなさで次第に薄れていった。痛みはなくならないかわりに古びていくのだと思う。

 不幸中の幸いにして、遺産が多かったため暮らしには困らなかった。

 前から、よく不在にしていた両親の代わりに叔母夫婦が分け隔てなく面倒をみてくれていたので、傍目の生活は特段変化はしなかった。ただただ、迷惑をかけて申し訳なく思うだけで。


 だからこそ、ヒロ兄が南美姉と付き合って結婚するとなったとき、でかした! という気持ちが大きかった。

 世話になっている従姉弟家族へ、名実ともに兄は家族の仲間入りを果たしたのである。

 つまり私も、彼らの実質妹であり末子。ヒロ兄たちよりも感極まって泣いたくらいだ。

 もともと民俗学の研究のために土地のフィールドワークをこなすヒロ兄と、昆虫類を研究するために近隣の野山を巡る南美姉は、生活スタイルも仕事内容も性格まで相性が良かったのだ。収まるところに収まったといってもいい。

 ともかく、まあちょっと変わった家庭事情の家族だけれど、こうして仲良く遊びに行くくらいには良好なのだ。

 山で亡くなった両親がいるから多少の思うところはあるけれど、山が悪いわけじゃない。私もヒロ兄も山が嫌いなわけじゃない。



 ――だから、山に来て、少々浮ついていたんだろう。



「準備終わり! はー、疲れた!」

「お疲れさまー」

「もっと感謝しろよ、俺に。設営はほとんど俺がやったんだからな」

「設営RTAを見せてやるって言ったの楓太兄じゃん。そもそも私も手伝ったし」

「そうだけどさー……あー、だる」


 テント設営も終わって、一息つく。お調子者の楓太兄を横目に日陰に入る。

 旅行先に選んだ山は、そこそこ高度があった。おかげで、日陰へ入れば快適な涼しさを得ることができる。

 このままテントでゴロゴロもいいけれど、せっかくの旅行だったし、あちこち散策をしたくなった。


「ね、楓太兄。あっち見てきていい?」

「いいけど、そんな遠くへ行くなよな」


 早速伝えれば、しょうがないなと言わんばかりに楓太兄が視線を向ける。


「姉ちゃんたちにも声かければ?」

「んー、いいや」


 テントの中では楽しそうな二人の声が聞こえる。

 ヒロ兄たちは採取と観察で忙しいようだ。趣味と実益をかねた研究職はまさに二人の天職に違いない。私には蝶々の羽を眺めて興奮する気持ちが残念ながらわからない。歴史やら土着文化やらなにやら小難しい言葉も聞こえる。

 うん、触れぬが吉だわ。


「ちょっとそこまでだし。さっき来た時の道に変わった形のキノコがあったからさ。それ見に行くの」

「お前は無駄に行動力があるから、心配してやってるんだっての。変なものには触るなよ。あと、変な道にも入るなよ」

「大丈夫だって。野生の生物には近寄らないし、お話みたいに迷い家なんてものもあるわけないし。平気平気」

「なら、いいけどさ」

「それにここにいたらヒロ兄たちの解説聞かされそうだし、一時避難しろって私の冴えた勘が言ってるわ。楓太兄、もし聞かれたらよろしく。いってきまーす」

「早く戻って来いよ」


 あきれたような眼差しで、肩をすくめた楓太兄が軽く手を振った。

 手を振り返して、キャンプ地で団らんしているヒロ兄たちを尻目に、山路をウキウキワクワク進み歩いたのだった。



 日陰の道はじっとり湿っている。

 落ち葉や草、木々の陰になっているところには苔があり、そこに見たことのないキノコが生えていた。


「あった!」


 往路で歩いていた時に見つけた、蛍光色のキノコは明らかに毒だろうが、見た目がちょっと変わっていて可愛らしい。

 そうだ。写真でもとってみんなに見せてあげよう。ついでにSNSにも上げよう。


 手すりのない山道のため、転がり落ちないように気を付けながら斜面の木へと近づく。木の股に隠れるように生えているのを確認して、サイドポーチに入っていたスマホを取り出す。

 片手に写真を撮ろうとかがんだところで、急に地面が揺れた。


 震動に、踏ん張ろうとした。けれど、ダメだった。湿ってぬかるんだ土に足が滑り、そのまま斜面へと投げ出される。

 くるりと体が反転して遠ざかる道へと手を伸ばす。

 持っていたスマホが手から零れ落ちて、私の体とは別方向へと転がり落ちていくのが見えた。

 日よけでしていた帽子がふわりと浮いて、それから。


 ――それから。




 ああ、走馬灯がいよいよ終わってしまう。

 もうここまでかなって思うと同時に、恐怖が遅れてやってきた。

 焦ってなんでもいいからと、声を出す。


「あっ……」


 うそ。うそうそ! いや、嫌だ嫌だ、落ちちゃう!


 もし頭で思ったことが声に出ていたなら、そう言っていた。だけどうまく言葉にならない。

 頭から血がすーっと引く感覚がする。視界の端が暗くなったようにも思えて、余計に怖くなった。

 私、死んじゃうのかな。


「あ」


 死にたくない、やだやだやだ!

 まだやりたいことがあるのに!

 ヒロ兄たちの赤ちゃんも私が抱きたいのに!


 声に出せない叫びが頭で暴れている。

 それに繋がっているみたいに、私の心臓がいやな音をたて続けている。耳元に爆音で響いているような、激しい動悸。


 一人で歩かなかったら、こんなことにならなかった?

 うかつにキノコに近寄らなかったら?

 ここに来なかったら?


 何が冴えた勘なんだろう。

 罵倒しても状況が改善されるなんてことはないのに、後悔が頭を埋め尽くしてやまない。


 遠ざかる上の山道を見上げて、猛スピードで横切る斜面の木々が視界の端で流れるように過ぎていく。

 後ろで一つに縛っている髪がひるがえって顔に当たる。

 何かつかもうにも手は土や苔をつかむばかり。逆に石砂利に当たって掠ってしまう。

 ほかに、ほかに何かつかむものは。

 後ろは、と見ようとして岩肌が見えた。

 そして。




 がつん。



 そんな音がした。





S県付近の山で一部土砂災害が発生しています。

引き続き情報を警戒してお待ちください。



取り残されたスマホに現れた通知は、一時的に画面を明るくさせ音を鳴らしたが、その受け取り手はいない。

やがてゆっくりと暗転し、あたりはまた静かになった。

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