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夢幻の月日④  作者: 吉田 逍児
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大学2年生へ

 平成18年(2006年)の正月休み、私、周愛玲は例年の如く、芳美姉と大山社長の暮らすマンションに行き、琳美や雪薇、月亮、風梅、長虹、月麗らと年越しをして、熊野神社に初詣に出かけた。何時もなら明治神宮にお参りするのですが、明治神宮は混雑するし、ちょっと遠いので、今年は新宿の守り神のいる熊野神社に参拝しました。その後、皆でゴロ寝して、朝日が昇ってから、お屠蘇とお節料理をいただき、それからお年玉を大山社長からもらって、楽しく元旦を過ごした。このような大山社長以外、中国人だけの時間が続くと、日本人との緊張した時間から解き放たれ、身も心も自由になった。去年の日本人に対する不信感など、何処かへ吹き飛んでしまったのか不思議だった。日本人も私たち中国人に対して、そうであって欲しいと私は願った。しかし、S大学への登校日が迫って来ると、授業に出席することが、何故か憂鬱になった。私はまだ中国人の反日運動の傷を引きずっていた。そんな時、何時も私の頭に閃くのは西村老人でした。私は西村老人と連絡を取り合い、もう、とっくに崩れ去っている処女神話を理解してくれている西村老人に会いに行った。新宿駅から山手線の電車に乗り、鶯谷駅で下車し、駅前の喫茶店『ドトール』の2階席に行き、西村老人に新年の挨拶をした。

「今年も、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく頼むよ」

 西村老人の、その優しい口調に、近くにいた御婦人方が、私たちの方に視線を向けたが、私たちは気にしなかった。喫茶店でコーヒーを飲み、ショートケーキを食べてから、私たちは、何時ものラブホテル『ブルームーン』に移動した。『ブルームーン』の部屋に入って裸になるや、私たちはバスルームに入り、バスタブの中で、今年もよろしくと、互いの身体に触れ合った。シャンプーの香りが、私たちをつつみ、その感触と湯気の温もりが、何とも心地良かった。年齢が離れていても、こんなに楽しい戯れが出来るのだからたまらない。私の艶やかな肉体は、若さと妖しさと美しさを秘めて、老人の欲望を燃え上がらせて止まない。老人が望むなら、どんな格好でもして上げようとする。だが老人は若者と違い、アクロバット的無理な事は要求しない。バスルームから出て、ベットに入ってからも、ゆっくりゆっくり、時間をかけて、私の身体を弄ぶ。若者のような死に物狂いで求めて来る野獣的性交を望まず、時間をたっぷりかけて猥褻を楽しむ。氷河は気温が上がれば、何時か溶けるものだといったように西村老人は、私の割れ目を熱くし、私を蕩けさせようとする。その為、私の割れ目の中は、グチャグチャになってしまう。しかし、西村老人の股間の物は、私が愛撫してあげているのに、中々、硬直しない。私の受け入れ態勢は出来上がっているのに、どうしたことか。私は仕方なしに西村老人の物にコンドームを被せ、舐め女に変身。このテクニックはアルバイト先のマッサージ店『麗夢』の店長、何雪薇に手ほどきを受けていたので、簡単だった。コンドームを被せた西村老人の物を口に含み、棒付のアイスキャンディーを舐めるように、入れたり出したりして、西村老人の物を太くすることが出来た。西村老人は自分のものをしゃぶるられ、びっくりしたながらも、私のテクニックに翻弄され、喜んだ。そして余程、気持ちが良くなったのでしょうか、西村老人は、不意に、自分のものを咥えている私を突き放すと、体位を変え私の上になり、私が膨張させた物を私の蕩けた所に挿入した。そして激しく小刻みに、ストン、ストンと攻撃して来た。西村老人は、新年を迎えたからか、何時も以上に頑張った。ああっ、このままでは西村老人が無理をし過ぎて死んでしまうのではないかと心配する程の激しさだった。私は西村老人が、私との行為の最中、腹上死するのではないかと想像してしまった。でも、無事、今年の事始めは終了した。私たちは、互いに満足し、『ブルームーン』を出た。それから上野に行き、『かに道楽』で蟹料理を食べながらお酒を飲んだ。酔いが回ると、西村老人は、周りの客に聞こえぬように、小さな声で言った。

「今日は、もう立たないんじゃあないかと焦ったよ。でも愛ちゃんのテクニックにより、何とか役目を果たすことが出来たよ。こうなったら、もう人生も終わりだね」

「何を言っているのよ。ジィジィ、まだ大丈夫よ。空腹だったからでしょう」

「そうかなあ。そうだと良いのだが・・・」

「そうよ。そうよ。食べて食べて、スタミナをつければ、大丈夫よ」

 私は西村老人を励ました。新年を迎え、一つ年齢を重ねたことによる精神的影響かもしれない。兎に角、男の自信を喪失させてはならない。私の大学生生活は、西村老人からいただく毎月の奨学金により、持ちこたえているのだ。

「ジィジィ。私はジィジィといると仕合せよ。だからジィジィには何時までも元気でいて欲しいの」

「そうは言っても、時は一定方向にしか進まないんだよ。私にはもう一年先の花を楽しみたいという、心のゆとりが無くなって来ている」

「そんなこと言わないで」

「だってこの年齢じゃあ、楽しいことをしたいという気持ちになった時、自分が死体になることだって、あり得るからね」

 西村老人は、日本酒を口にしながら、寂しそうに話した。人は年齢を重ねると、死を意識するのでしょうか。死体という言葉が私の胸に刺さった。西村老人はこともなげに、死について口にしたが、私は、西村老人が私との行為の最中、腹上死するかもしれないと、また良からぬ事を想像してしまった。


         〇

 正月休みが終わり、再び、朝6時に起床し、7時に琳美と朝食を済ませ、8時前に角筈のマンションを出て、新宿駅で琳美と別れて、小田急線の電車に乗り、S大学に登校する学生生活が始まった。私は間もなくやって来る後期試験に備えて、どうすれば好成績を得られるか、頭を悩ませた。しかし、クラスメイトたちは、自信があるのか、政治や恋愛について、夢中で、後期試験のことなど、真剣に考えていなかった。いざとなったら可憐のような優秀な学友のノートをコピーさせてもらい、一夜漬けで勉強すれば済むと思っているのかも知れなかった。今年度、20歳になる仲間たちにとっては、今年、選挙権が得られるので、政治への関心がより強かった。特に9月に小泉首相が退任することになっているので、ポスト小泉が、誰になるのか、まるで自分たちが政治家にでもなったかのように、あれやこれや論じ合った。道路公団問題、姉歯偽造設計問題、靖国神社問題の他、小沢一郎、田中真紀子、亀井静香による自民党潰しの復讐劇を予想すると共に、鈴木宗男のロシアとの画策、堀江貴文、通称、ホリエモンの悪徳商法の発覚等、いろんなことについて、仲間たちは熱く語り合った。中国共産党員以外、選挙権を与えられない中国の若者と日本の若者の政治に関する意識は全く違っていた。こういった日本の政治に関することは、私には全く関係無く、興味の無いことでだった。しかし、生真面目な工藤正雄たちは違った。昨年9月、小泉首相の郵政民営化に反対して自民党を離党し、国民新党を結党した亀井静香が、広島6区の選挙で自民党がバックアップした堀江貴文と争い勝利したが、亀井の堀江への怒りは治まらなかった。元警察官僚だった亀井静香はかっての部下を誘導し、1月中旬、堀江貴文が経営する『ライブドア』を強引に捜査させた。結果、有価証券報告書の虚偽内容が発覚し、証券法等に違反した堀江貴文らは粉飾決算の罪で起訴されることになり、亀井静香の復讐が現実化した。その為、マザーズ関係の売りが殺到し、株価がぐっと下がった。そのマザーズの株価下落につられ、東証も、ジャスダックもヘラクレスも、その影響をこうむり、大幅安となった。この事件により株投資者たちの株取引への不安が高まった。東証が営業ストップするなど、証券市場が、株の暴落で大混乱となった。ホリエモンを信奉し、ライブドア株を沢山、購入していた平林光男は大損したと、ホリエモンを恨んだ。

「あの野郎のこと、東大出の優秀な経営者だと、マスコミが担ぎ上げるもんだから、母の名前で大金をつぎ込んでしまった。初めは、儲けさせてもらったんだが、今じゃあ、紙っきれだ」

 そんな平林光男に対し、工藤正雄は、こう言った。

「俺の家は貧乏だから、株に手を出さずに済んだけど、日本人は学歴で人を評価し過ぎだよ。どう見ても人を騙しそうな面相のあんな詐欺師を信じるから、損をするんだ。だいたい、選挙に出て政治家になろうなんて、麻原彰晃みたいなホリエモンの考えは間違っている」

 工藤正雄は株を買っていなかったから、母親の名義で株を買ったりしていた平林光男のことを笑った。誠実な正雄は、汗水流さず、他人を騙し、利益を上げる奴が、大嫌いだった。それ故、砂上の楼閣造りに加担したマスメディア、政治家、銀行、証券会社、アメリカの黒幕、それに乗った株主たちは、庶民を巻き込む大罪を犯したと、堀江貴文を罵倒した。ところが平林光男に勧められ、ライブドア株を購入した小沢直哉と長山孝一は、アルバイトで稼いだお金が、パアになってしまうと、泣きっ面をして、証券会社との交渉に奔走するなどして、大学の授業どころでは無かった。このことは芳美姉の夫、大山社長も同様だった。

「これじゃあ、中国で買ったマンションの支払い計画が狂ってしまうわ」

 芳美姉は、その影響が、自分たちに波及して来ていることを嘆いた。私は、その被害が西村老人にも及んでいるのではないかと、心配した。西村老人に電話で確認すると、西村老人はぼやいた。

「日本人は自分を含め、学歴などに騙されやすい。ホリエモンの立上げた会社は、技術ノウハウも無く、物造りもしない詐欺会社で、私たち投資家は、そのだましに遭ってしまった。マスメヂアの無責任、政治家の無責任、税務署の無責任は、私たちにババを掴ませた。株の投資は賭け事であり、徳をする者もいれば損をする者もいる。しかし、今回ばかりは、ほとんどの人にババを掴ませた。私も彼らに大きく投資したので、すっからかんになりそうだ。しかし、金など沢山、持っていたら、相続の時の喧嘩の原因になる。だから私は、無一文になっても構わないと思っている」

 私は慌てた。

「それじゃあ、困るわ。私にはジィジィが頼りなんだから」

「日本には、こういう諺がある。何時までもあると思うな親と金」

 その言葉を聞いて、私は何も言えなくなってしまった。西村老人の何時もに無い、弱気な言葉に、会いたいとも言うことも出来なかった。西村老人とは、これから会えなくなってしまうのでしょうか。そんなことを考えると不安で不安でたまらなかった。このような状況では西村老人が会いたいと言って来るまで待つしか仕方無かった。


         〇

 そうこうしてるうちに、後期試験が始まった。前期試験の時と同様、私たちは優秀で出席率100%の可憐のノートや私のノートを資料にして、予習をした。可憐のノートは文字が綺麗だったので、皆に喜ばれたが、私のノートは文字が下手な上に、中国語が混ざっているので、時々、皆から質問を受けた。

「これ何て書いてあるの。中国の略字なの?」

 そう聞かれたりしたが、私のノートは、大学の授業で、教授たちがホワイトボードに書いたこと以外に、それを理解する為の添え書きをしていたから、授業に出ていなかった仲間たちからは重要視された。前期試験の時、可憐と私のノートのお陰で、不可を取らずに済んだことは、仲間内で感謝されていた。従って今回も可憐と私のノートはコピーされ、翌日の試験問題にどの部分が出されるか、喫茶店で予想し合った。こうして仲間たちと予想し合っていると、どんな問題が出るのか楽しみだった。

「日本人でも無いのに、愛ちゃんは随分、自信ありそうね」

「文章を書いて解答するのは苦手だけれど、○×式は簡単よ」

「羨ましいな。私、自信ないわ」

 細井真理が嘆いた。渡辺純子も同様だった。純子は、一緒に遊び回っていた九条美鈴のことを心配した。

「美鈴ちゃんは、どうなのかしら」

 その九条美鈴は、気が強く、群れを嫌い、自分の美貌を誇示していた為、自分から友人の範囲を狭めてしまっていたので、このような喫茶店での集まりには参加していなかった。そんな美鈴について、細井真理が皆に喋った。

「そう言えば、美鈴ちゃん。一週間程前に会った時、私にぽろりと言ったわ。私、演劇の仕事が入って忙しくて仕方ないの。中退するかもしれないの。演劇の方が大切だからって・・・」

 真理の言葉を聞いて、私たちは、びっくりした。だが可憐は、そういった雑談に耳を傾けなかった。自分のノートと私のノートと教科書を見詰め、重要ポイントを記憶するのに懸命だった。その冷静な学習力は当然の事ながら、後期試験で効力を発し、彼女に好成績をもたらした。私といえば、まだ日本語の理解が微妙に違ったりしていて、万全の結果を残すことが、出来なかった。とはいえ、私の成績は可憐ほどではないが、上位にランクされた。真理や純子は勿論のこと、平林光男や工藤正雄たち、男性たちも、私の成績を知って中国人なのにと感心した。芳美姉も私の大学での成績表を見て感心した。

「愛ちゃん。頑張ったわね。あんたは勉強の要領を心得ているのね。琳美もお陰で、A高校に入学出来そうよ。あと面接だけよ」

「まあ本当。でも、それは琳ちゃんが優秀だからよ」

「葉家の血筋かしら」

「そうかもね」

 私は琳美の成績が優秀なのを聞くと、とても嬉しかった。芳美姉が言うように、自分の手柄のように思えた。とは思いながらも、私は若干、琳美の事を恐れていた。何故かと言えば、少女は、この頃から、大人になって行く。私と同じマンションの部屋で暮らし、大学生の私の一部始終を見ている。やって良い事と悪い事を、見極めている。私の行動を見て、それが、自分が生きる上で、プラスかマイナスか判断している。琳美は母親の芳美姉が思っている以上に、私たち大人を鋭敏な目で、しっかりと見ている。美しい皮を被つているが、、彼女たちの心は、大人に向かって、揺れ動いている。無知なことが多い為に、時には自分を試したいと思ったりする。真面目に生きようとする時もあれば、反面、不良行為に憧れたりもする。従って私の日常には、そんな琳美に知られてはならない事が、いっぱいあった。特に男女関係については、彼女に気づかれてはならない事であった。でも琳美の成長は、芳美姉は勿論のこと、私にとっても嬉しい事であった。試験の成績というものの評価は、納得し難いところもあるが、人間評価の一つであることに間違い無かった。いずれにせよ、学校での成績が勝っているということは、嬉しかった。この成績が人生、何時もついて回るものだと西村老人が言っていたが、果たして私の場合、そうなるのでしょうか。


         〇

 後期試験が終わると原島晴人から電話が入り、映画の脚本を渡すと言って来た。私は以前、原島晴人と待合せした新宿の喫茶店『ルノアール』に出かけた。昨年、会った時と同様に、只乗りされる可能性があったが、もし有吉泰次監督の脚本が手に入り、その作品の脇役として登場することが出来るならと、覚悟して出かけた。私が『ルノアール』に行くと、既に晴人は脚本を手に、コーヒーを飲んでいた。彼の髪型は、女性のように長く、その前髪の間から怪しく輝く目が脚本に向かっている。ブルーのぴっちりしたジーンズの上下姿は、どう見ても普通の若者とは異質で、私のオシャレの感覚とは不釣り合いだった。私は脚本に見入っている晴人に声をかけた。

「遅れてしまって、ごめんなさい」

 すると私に声をかけられた晴人は、前髪を横に払って笑った。

「来ないのかと思ったよ」

「そんなことしないわ。約束したのだから」

「そうか。それで安心した」

 晴人がそう言うと、私は晴人の前の席に座り、コーヒーを註文した。それから彼が読んでいた脚本に視線を送った。その脚本には『愛の泉』というタイトルが印刷されてあった。晴人は、その脚本を私の前に置いて言った。

「この役って、君にとって、とても良い話だと思うよ」

 私は晴人が差し出した脚本の冊子を手にして、ページをめくつて見た。脚本の内容はポルノ映画に相違なかった。この作品は本当に有吉泰次監督のものなのでしょうか。

「これって、ちょっと、いかがわしいんじゃあないの」

「脚本の中味は、この前の時から変わっていないよ。芸術というものは、時々、そう誤解される。俺の顔を良く見てくれ」

 私は長髪の間から私を見詰める鋭い目をした美しく端正な晴人の顔に見とれた。鋭く怪しい目の奥にある優しさに、私は吸い込まれそうになった。その奇怪な晴人の顔を見て、私が何も言えないでいると、晴人が真剣な顔をして言った。

「人間の顔には耳や眉や目や鼻や口がある。これが、それぞれに役目を持っているんだ。耳は四方からの物音を聞く。眉は風を感知する。目は上下左右のものを監視確認する。鼻は臭いを嗅ぎ分ける。口は物を味わうと共に、言声を発する。人間は、これらのものを通じて、物事の良否を判断するという優秀な能力を持っている。特に真直ぐに通った鼻は、その中心に座って、正か否かを決定する。私の顔を良く見詰めてから、目を瞑り、鼻の左か右か考えれば、どちらかに決心がつく。どうだ。目を瞑って考えろ。この役をやるのか、やらないのか」

 私は晴人の言葉に、まるで催眠術を懸けられた者のようにうつろな気分になった。役者というのは、晴人のいうように顔で勝負が決まる。私はどうすれば良いのか。役柄が相応しくないと断るべきか。それとも、高額なアルバイト代を求めるべきか。答えは考えるまでも無かった。私の答えは即答に近かった。

「やらせて下さい」

 私の答えを聞いて、晴人は微笑した。

「じゃあ、有吉監督から預かって来たアルバイト代、5万円、渡すよ。この領収書にサインしてくれ」

 晴人は封筒に入った5万円を私に渡した。私は、封筒の中味を確認し、領収書にサインした。晴人は、その領収書を財布の中に仕舞うと、『愛の泉』の冊子に書かれている登場人物のページをひめくり、私に教えた。

「この小松則子が、君の役柄だよ。4月から撮影に入るから、3月いっぱい、セリフを覚えないとな」

「そうね。頑張るわ」

「じゃあ、早速、稽古にしに行こうか」

 晴人は喫茶店のレシートを手にすると、さっと立ち上がり、私を誘導した。そして私たちは、去年12月に入ったラブホテル『マリン』に移動した。後は、あの時と同じだった。晴人は二代目若社長、山崎修平訳を演じ、私は彼の恋人から修平を奪おうとする悪女、小松則子を演じた。若社長は私の身体に惑溺し、私はその若社長の欲望を、歓喜の声を上げながら受け入れ、大胆に、奔放に回転し、則子の役を演じた。私たちは、その快感の余り、何度も何度も、同じセリフを繰り返した。恥ずかしさなど何処にも無かった。『マリン』の部屋のベットは激しく揺れた。


         〇

 春分の日を過ぎると、桜や桃の蕾が、一気に膨らみ、色づき始めた。琳美は中学校を卒業し、A高校の新入生になるということで、制服の準備や、カバンや靴などを、芳美姉と一緒に買いに出かけた。私も、コンビニのアルバイトの無い時間、そんな2人に付き合ったりした。琳美は身長も高く、早熟だった。肉体の発達だけでなく、心の方も大人に向かって急速に成長していた。それ故、私は今まで以上に、琳美に用心しなければならなかった。特に私の男関係については知られてはならなかった。とは言え、四六時中、琳美に気を遣っている訳にも行かず、少しは知られても、仕方ないかと思ったりもした。そんな或る日、長野から、大山社長の母親、大山美佐が芳美姉のマンションにやって来た。琳美と同じ年齢の麗子も一緒だった。麗子は大山社長の妹、房子の一人娘だった。美佐は麗子が4月に高校生になるということで、東京見物がてら、孫娘に、おしゃれな洋服を買って上げるからと、麗子を連れて来たのだった。私と琳美は、大山社長に2人を紹介され、また新しい親戚の人に出会って喜んだ。美佐は私の祖母、玉梅のように明るい人柄だった。彼女は私たちの前で、息子の妻、芳美姉への感謝の気持ちを口にした。

「秀行が、お世話になりっぱなしで、芳美さんには、何て感謝したら良いか」

 すると、芳美姉は少し照れて、夫の母、美佐に答えた。

「お母さん。感謝しなければならないのは、こちらの方です。秀行さんに私は勿論のこと、娘や親戚の者が、お世話になり、とても感謝しております」

「秀行。良かったねえ。私には信じられないことだよ」

「おふくろ。からかわないでくれよ。相変わらず、口が達者なんだから」

 美佐は息子に、そう言われると、嬉しそうな顔をした。多分、大山社長は、美佐にとって、目に入れても痛くない程のいたずらっ子だったのでしょう。

「あっ、そうそう。これ、琳ちゃんの入学祝。何かの足しにしておくれ」

「悪いなあ、おふくろ。じゃあ俺も明日、麗ちゃんのお祝いをしてやるよ。まずハトバスで東京見物しよう」

 こうして、私たちはハトバスに乗り、東京見物をすることになった。私は大山社長の指示に従い、皆が談笑している間、新宿駅東口に行き、翌日のハトバス乗車券を6枚購入した。そして翌朝、8時半、新宿駅東口のハトバス乗り場から、大山社長たちと一緒に、ハトバスに乗り、東京駅へ向かった。東京駅の中央郵便局向かい側にバスが着いた所で、途中からの乗客を乗せて、満席になったのを確認して、いよいよ東京観光が開始となった。まずは東京駅から皇居前広場に行き、二重橋前で、記念写真を撮ってもらった。松林や砂利道が、まるで浜辺にでもいるような雰囲気だった。それから皇居外苑の騎馬武者像などを観てから銀座に出て、バスは浅草の浅草寺に向かった。昭和通りを走り、小伝馬町で右折し、馬喰横山、浅草橋、蔵前を経て、私には馴染みの浅草に到着した。浅草の仲見世は日本語学校で学んでいた頃、劉長虹や黄月麗、あるいは西村老人と何度か来ていて、余り興味が湧かなかったが、美佐婆さんと孫の麗子は、もの珍しそうに、あちこちの店に立ち寄った。浅草寺の参拝と観光が終わるや、ハトバスは、もと来た道を折り返し、浜松町あたりから、レインボーブリッジを渡り、私たちを、お台場に連れて行った。そこにある『デックス東京ビーチシーサイド』の中華料理店で、東京タワーを眺めながら、昼食のバイキング料理をいただいた。琳美と麗子は、まるで姉妹のようにはしゃぎながら、いろんな物を食べた。昼食後はバスガイドに案内され、フジテレビ内のスタジオなどを見て回った。それが終わると、再びバスに乗り、レインボーブリッジを戻り、昼食時に眺めた東京タワーに案内された。展望台の上から東京の街を見回した。遠く富士山も見えた。所々に早咲きの桜を見下ろすことが出来た。東京は、まさに花の都。大山社長の母親の上京により、私は思わぬ都内観光に参加させてもらい、琳美たちと一緒になって興奮した。


         〇

 あっと言う間に4月になった。私はS大学の新学期が始まる前に、原島晴人に連れられ、成城学園前駅から10分程、歩いた所にある『Mスタジオ』に案内された。そのスタジオは3階建ての建物で、一階が事務室、2階がレッスン場、3階が会長室と会議室になっていた。私は2階のレッスン場を見学させてもらった後、3階の会長室に案内された。私は、そこの会長室で、てっきり、有吉泰次監督に会えるものと思っていた。しかし、そこにいたのは、有吉監督では無く、『Mスタジオ』の三宅幸生会長だった。晴人が会長室に入るなり、テーブル席に座っている三宅会長に深く頭を下げた。

「会長。周愛玲さんを、お連れしました」

 すると、三宅会長は、上目遣いで私を見て言った。

「やあ、いらっしゃい。三宅です。今回のアルバイト、初めてとのことですが、そう難しく考えなくて良いですよ」

「はい」

「私は、この『Mスタジオ』のオーナーですが、映画監督もやっています。今回の君の役柄は、銀座のホステス。つまり男性相手の仕事をする妖艶な女性役です。原島君に、前もって脚本を渡し、セリフを覚えてもらうよう、言っておきましたが、セリフは覚えられましたか?」

「はい」

 私は小松則子役のセリフが少なかったから、ほとんど暗記し終えていた。主人公の、山崎修平役と秘書の青野歓菜役は大変ですが、私の役柄は、ちょっと、危なっかしいホステス役で、かってアルバイトしたことのある『紅薔薇』時代のことを思い出せば、そう難しい事では無かった。私の返事を聞いて、三宅会長は目を細め、嬉しそうに言った。

「セリフを覚えて貰っていれば、もう一安心。役柄に似合った、君のプロポーションと美貌は、ホステスの則子役に、ぴったりだよ」

「でも、日本語が、まだ未熟なので・・・」

 晴人が私の問題点を三宅監督に伝えると、三宅監督は笑って答えた。

「それは私が教え込むから心配無用。それより気になるのは、女優としての覚悟が出来ているかだ」

 この質問に対し、晴人は何も答えなかった。私は一瞬、戸惑ったが、自ら答えた。

「覚悟は出来ています」

「そうですか。では早速、撮影に出かけましょう」

 三宅監督は応接席から立上がり、部屋の片隅のハンガーから、ブレザーを外しながら、晴人に言った。

「じゃあ、行って来るから、留守を頼むよ」

 私は、何がどうなるのか分からないまま、三宅監督の指示に従った。3階の会長室から1階に降りて、三宅監督の運転するスポーツカーに乗った。晴人が玄関先で、出発する私たちに手を振った。晴人の顔が、一緒出来ないので、ちょっと寂しそうな感じに見えた。車は撮影現場に向かった。その道すがら、三宅監督は、私を口説いた。

「君は限りなく純真に見える。しかし、則子役は邪悪な妖艶さが必要なんだ。私の教えに従い、この役を演じれば、君はもっと綺麗な良い女になれる」

「有難う御座います」

 そんな口説かれ方をしながら三宅監督が運転するスポーツカーが、目的地に到着した。そこは多摩川べりのラブホテル『チエリー』だった。三宅監督に引っ張られ、ホテルの部屋に入ったが、そこに撮影隊や相手役の姿は無かった。状況は晴人に誘われた時と、全く同じだった。私は自分が覚悟は出来ていますと答えた時のことを思い出した。私は不意に不安になったが、もう逃げられようが無かった。私はたちまち三宅監督に裸にされ、そのままベットで、犯されそうになった。私は三宅監督にお願いした。

「シャワーを浴びさせて下さい」

「ああ、良いよ。待っているよ」

 私はバスルームに入り、全身を洗いながら考えた。なるようになれ。彼に寄り添って欲しい物を得られるだけ得よう。私は、そう覚悟して、バスルームから出ると、裸のまま、三宅監督の待つベットに入り、三宅監督に抱かれた。三宅監督は優しく囁いた。

「私に抱かれて、良い女になるんだよ」

 その言葉に、私の肉体の奥深くに潜む淫乱な情欲が恥ずかし気も無く、内側から溢れ出し、監督を求めた。くよくよしても仕合せはやって来ない。辛い事でも頭を切り替え、快楽にしてしまえば、辛さは解消される。私は淫乱女優になったような気分になり、三宅監督との快感に酔い痺れた。こうして私は三宅監督との関係を築くことになった。


         〇

 その翌週、4月10日、月曜日、私は大学2年生になり、桜の花に囲まれた小高い丘の上に建つS大学のキャンパスに行き、久しぶりに、川添可憐や細井真理たち級友と再会した。彼女たちのほとんどが、1年生の時と変わらず、恋愛と結婚ばかりを考えていた。就職のことは二の次だった。しかし、私が日本に来て、大学で学ぶ目的は、女一人で、食べて行ける学力と行動力を身に付けることだった。芳美姉のように、一族の為に貢献出来る人物になることが、自分の夢であった。従ってクラスメイトと一緒になって、遊んでいる余裕など無かった。貿易実務、簿記、経営学、商法などを学び、出来得れば公認会計士の資格などを取りたかった。その為には今まで以上に、猛勉強する必要があった。私は授業の合間は仲間と離れ、図書館に行き、貿易や簿記の勉強に励んだ。初めて知る単語は、戸惑うこともあったが、何度も単語の内容を理解し、目にしているうちに、その単語にも馴染めるようになった。しかし時々、勉強に気乗りしない時もあった。生理の時などは、モヤモヤと矛盾だらけになり、三宅監督との関係を深め、女優になるのも悪くないなと思ったりした。あるいは銀座の有名クラブのホステスになり、則子のように、若い経営者を捕まえ、贅沢な生活をするのも、芳美姉のようになれる近道かもしれないと思ったりした。このことは生きた知性と豊かな教養を身に付け、その能力をもって、自分の周囲にいる人たちを幸福にして上げようと思い立って留学を希望した時の美しい精神性からかけ離れた考えだった。それと別の道を歩くことは、来日当初の志を断念することだった。でも、そのような考えは、大学2年生になったばかりの私には、許容出来るものではなかった。私の心は春だというのに、何となく憂鬱だった。そんなことを考えて図書館にいる私を発見して、工藤正雄が声をかけて来た。

「顔色が余り良くないぞ」

「アルバイトで、ちょっと疲れているだけ。大丈夫よ」

「本当に大丈夫か?」

「はい」

 私は、そう答えて無理矢理、微笑した。それと同時に開け放たれた図書館の天窓から、甘い花の香を含んだ春風が、私たちのところに流れ込んで来た。

「春風って心地良いわね」

 私は胸を膨らませて背伸びした。すると正雄が図書館の窓辺に足を運び、外の満開の桜の花を見ながら言った。

「うん、そうだね。春風って良いね。こんな日は、川魚が沢山、釣れるんだ。これから魚釣りに行こうか」

 思いもよらぬ正雄の提案だった。

「本当に魚が釣れるの?」

「本当だとも。気晴らしに魚釣りでもして、元気を出そう」

「はい」

 私は工藤正雄の誘いに同意した。日本の川では、どんな魚が釣れるのでしょう。私はノートと専門書を閉じ、桜舞うキャンパスから駅まで正雄と歩き、電車で登戸まで行った。登戸駅から正雄の運転するバイクの後ろに乗せてもらい、彼の家の近くの川の畔にある橋のたもとで降りた。そして正雄が家に帰り、釣り道具を持っって来るのを待った。その橋のたもとから眺める多摩川の風景は、新緑の中に、桜や杏や辛夷などの花が咲いてとても美しかった。足元近くの川原では、菜の花やタンポポ、スミレなどが微笑みかけるように、いっぱい咲いていた。10分程して、正雄が釣り道具を持って、息を弾ませ現れた。私たちは多摩川の川原に降りて、魚釣りを開始した。初めは釣れなかったが、夕暮れ近くなると、私にも、小魚を釣ることが出来た。

「夕方の今頃が、丁度、釣れるんだ。でも虫が多いな」

「そうね。そろそろ帰りましょうか」

「そうしようか」

 私たちは川原から離れ、正雄の家に釣り道具を戻しに行った。正雄の家は大きな資材置き場の向こうにある瓦屋根の家だった。建設業をしているのだという。私は、アルバイトの時刻に遅刻してしまうと気付き、ちょつと焦った。そのことを知ると正雄は私を成城学園前駅まで、バイクで送ってくれた。


         〇

 三宅監督から連絡があり、私は大学の授業を早退し、『Mスタジオ』に訪問した。そこで、私の芸名をどのようにするかの打合せがあり、私の出身地の質問などを受けた。私が満州人だと話すと、三宅監督から、満州での私の苗字を質問されたので、那拉愛玲だと正直に答えた。すると三宅監督は、私の芸名を奈良愛子に決定した。その会長室での打合せ後、私は三宅監督の車に乗せてもらい、前回、入った多摩川べりのラブホテル『チエリー』に行った。部屋に入り、まずはアルバイト料5万円をいただき、彼に抱かれた。私には前回のようなためらいは無かった。ベットに入ると、三宅監督は私の全身を愛撫しながら囁いた。

「君は、この前よりも女らしくなったよ。女は不思議な生き物だ。男と愛を重ねるたびに、自然と綺麗になって行く。男を求める愛の本能が直ぐに外見に現れるから素晴らしい」

 私は三宅監督に甘い言葉を囁かれ、平常心を失った。今回もまた、淫乱な欲情が、肉体の奥深くから溢れ出し、花弁を開いた。三宅監督は、私を逃げられないように抑え込み、全身、びしょ濡れになって、頑張った。20分程でことは終わった。ところが、この日は、これで終わりでは無かった。次のステージが待っていた。三宅監督と着替えを済ませたところで、部屋のドアを誰かがノックした。ノックの主は廊下から、訊ねた。

「よろしいでしょうか。監督?」

「うん。良いよ。今、開けるから」

 三宅監督は、ズボンのベルトを締め直しながら、部屋のドア開けた。すると『Mスタジオ』の撮影隊と山崎修平役の黒木健介が部屋に入って来た。午後一番の打合せで、あらかじめ設定されていたことでしたが、私は一瞬、焦った。黒木健介のがっちりした体格と陽に焼けた肌色が、クラスメイトの工藤正雄にとても似ていた。黒木健介が三宅監督に確認した。

「この娘が則子役ですか?」

「うん。周さんだ。芸名は奈良愛子だ」

「奈良愛子です。よろしくお願いします」

「ああ、よろしく。黒木です」

 俳優同士の挨拶が終わると、三宅監督が、私たちに指示を出した。

「第2幕から始めてくれ」

 すると黒木はブレザーを脱ぎ、ネクタイを外し、ズボンを脱ぎ、靴下を脱いだ。私はどうしたら良いのか、最初から戸惑った。それを見ていた三宅監督がジェスチャーで、私にも衣服を脱いで、セリフを喋る様に合図した。私はちょっと震えながら喋った。

「今日は、お泊りにするのでしょう」

 これが私の女優としての第一声でした。

「うん。則子が望むなら」

 そう言って、山崎修平役の健介が、私に激しく接吻して来た。それを撮影隊の3人が、あらゆる角度から撮影した。その男たちの視線が私を刺激した。男たちが羨む女の美貌と肉体。その魅力を象徴する私の裸身が、今、男性たちの撮影の対象にされている。そんな私の花柄のパンティを、健介がゆっくりと脱がす。そして彼も自らのパンツを脱ぐ。逞しく陽に焼けた彼の肌は、自然、そのもののように美しい。健介は私の耳元で、甘い言葉を囁き、本番に入ろうとする。ベットの上で全裸にされた私は、それに合わせ、身をくねらせる。健介は、まだ半分しか勃起してない蛇のように長い物を私に押し付けて来る。私は健介の胸の下から、三宅監督に確認する。本番をやるのかやらないのか。私の股間は男たちの視線を浴びて、既に潤っている。三宅監督は卑猥と羨望の目をして、苦笑いして言う。

「そうだ。そうだ。その調子でやるんだ」

 すると健介が、これは演技だと何の抵抗もしないでいる私の股間に、性器を挿入して来た。、

「うん。いい。すごくいい」

 健介が、そう喋ってピストン運動を開始する。ああ何ということか。これは輪姦に等しい。三宅監督が私に向かって合図する。セリフ、セリフ。

「私は、貴男を待っていたの」

「貴男に言われたら、私、どんな格好だってするわ」

「早く貴男が欲しい」

「いいわ、とても、いい」

「ねえ、お願いだから、貴男も一緒に行って」

「もう駄目」

 私は、原島晴人と練習したセリフを喋り、呻き声を漏らし、涙ぐんだ。健介はあっという間に、私から離れ、私の乳房の上に、白い液体をほとばしらせた。その後、カメラマンたちが、交互に私に覆い被さって来た。私は抵抗することも無く、それを受け入れた。不潔で、穢らわしいことかもしれなかったが、私は果てしない涙の中で、男たちを楽しませ享受した。私は何時から、こんなふてぶてしいふしだらな女になってしまったのか。女一人で生きていく為に、私の中にある我欲が、三宅監督を中心とする性暴力集団に身体を許してしまっていた。総てが終わると、三宅監督は一同に言った。

「また来週」

「また来週、よろしくお願いします」

 そう言って部屋から出て行く、黒木健介と撮影隊に、私はベットの中から頭を下げた。2人になると、三宅監督が謝った。

「ごめんよ。荒っぽいことをして」

 私は、何も言い返せなかった。私は自分に言い聞かせた。このことは、三宅監督が選んだことでは無い。自分自身が選んだことだと。私は女優、奈良愛子だ。後悔して何になる。私はバスルームに入り、身体を清めると、服装を整え、三宅監督のスポーツカーで、成城学園前駅まで送ってもらった。激しい女優のアルバイトを終え、一人になると、悲しみが込み上げて来たが、お金を稼ぐ為だと思うと、このアルバイトを断ることが出来なかった。


         〇

 私のしていることは、どう考えても、異常で恥ずべきことであった。大学生として、行ってはならないことであった。だが私が日本で、学業を続けて行く為には、コンビニでのアルバイト料だけでは、足りなかった。家賃、食費、衣類、化粧品は勿論のこと、教科書代や学費を稼がなければならなかった。学友との懇親の為の遊び代も必要だった。その為には、三宅監督からの仕事は有難かった。自分が我慢さえすれば、高額のアルバイト料をいただけた。私は3度目、4度目の仕事をした。密室での限られた人数での仕事なので、恥も外聞も気にしなかった。私は、この作品『愛の泉』で、女優、奈良愛子として認められれば、また次の作品に起用され、更には有吉泰次監督の作品に出演出来るのではないかと思ったりした。初めて会った時、三宅監督は、君はもっと綺麗な良い女になれると言ってくれたが、この仕事を経験し、女としての魅力を身に付ければ、男の愛を受けて、どんどん綺麗になれるに違いなかった。それが好循環をもたらし、有名女優になれるのかも知れなかった。私は懸命にセリフを覚え、演技に夢中になった。ところが、三宅監督は私に自然体を求めた。

「テレビなどを観て、学んだ演技のテクニックは、全部捨てろ。自分の肉体で感じたままに乱れろ。お客を興奮させるには、お客より先に、自分自身が快楽の極みに達し、悶絶することだ」

 私は三宅監督の指示に従い、淫乱な女に変身した。男との性の歓びを満身に曝け出した。だが何人もの男たちに弄ばれる、この仕事は、実に過酷で、逃げ出したかった。でも私は三宅監督のこの作品に賭ける情熱に突き動かされた。主人公、山崎修平と私の演ずる小松則子との出会いから、誘惑、失恋、自殺までのシーンは数回の撮影をしなければならなかった。従って大学2年生になってからの私は、大学に出かけることも出来ず、可憐たちクラスメイトを心配させた。

「愛ちゃん。最近、授業に出て来ないで、何しているの。病気?それとも恋愛?」

「アルバイトで忙しいの」

「何のアルバイトしてるの?」

「親戚の仕事」

「そんなに忙しいの」

「うん。従業員が入院して人手が足りなくて、頼りにされているのよ」

 私は適当に答えた。可憐たちには親戚の芳美姉が不動産の仕事をしていると、説明しているので、その手助けということで、納得してもらえると考えた。しかし工藤正雄からの質問には困った。

「どうして大学に来ないの。どうしている。君の笑顔をここんところ見ていないので、ちょっと寂しい気持ちになってる。会いたいんだ」

 私は、その言葉を受けて、正雄に無性に会いたくなった。でも私はどう返答したら良いのか、返答が見つからず、戸惑った。正雄は、そんな私に気づいてか、私に会いたがった。

「本当に、どうしたの?ゆっくり会いたいんだ」

「ここのところアルバイトの仕事で忙しいの。無理なの。ごめんなさい」

 私は正雄の要望を拒否した。しかし、正雄は引き下がらなかった。

「なら、ちょっとの時間でも、良いんだ。2人きりで会いたい」

「でも仕事から抜け出せないの」

「一体、何の仕事をしているの。流れ作業の仕事?」

「親戚の事務所の仕事」

「じゃあ、そっちへ行くよ」

「駄目。困るわ。駄目よ」

 私が激しく拒否すると、電話は切れた。私は頭をかかえた。自分が現在している仕事に対する罪悪感は、私を苦しめた。正雄は少年のように純粋な学友だった。去年のクリスマス・イヴの時も、この前、多摩川の川原に魚釣りに行った時も、私が望んでいるのに何もしなかった。なのに私に会いたいという。私も会いたい。どうすれば良いのか。人には何故、恋心が生まれるのか。正雄の逞しい肉体と男らしいきりっとした顔を思い出すと、私の身体は熱く燃え、彼にとても会いたくなった。


         〇

 私が忙しさにかまけて、西村老人に連絡しないでいると、西村老人の方から電話して来た。私はお世話になっている西村老人に会う為、鶯谷駅前の喫茶店『ドトール』に行った。喫茶店でコーヒーを飲んでいる人たちが、私をジロジロ見たので、何だか嫌な気持ちになった。喫茶店の2階に何時もいる筈の西村老人の姿が無く、暇人と待合せの男女が、退屈そうに時を過ごしていた。どうしたのかと西村老人にメールすると、店の前にいるので、外に出て来るようにとの指示があった。その指示に従い、コーヒーをひと口飲んで、2階から降りて、店の外に出ると、道の反対側に杖を持った西村老人の姿があった。どうしたことか。今まで杖を持った姿など見たことが無かったのに。私は西村老人に駆け寄って訊いた。

「足、怪我したの?」

「うん。駅の階段でころげてね。ようやく出歩けるようになったが、階段の昇り降りは辛いんだ」

「まあ、大変。ごめんなさい。何も知らなくて。会う日を延期しても良かったのに」

「良いんだよ。君の時間に合わせないと、会えないんだから・・・」

 そう答えた西村老人の足の方向は何時もの『ブルームーン』に向かっていた。足を引きずり杖をつく西村老人の姿は、ちょっと哀れだった。こんな状態で大丈夫でしょうか。以前、上野で酒を飲みながら西村老人が喋った言葉が思い出された。

「したいという気持ちになった時、死体になることだってあり得る」

 私は西村老人の健康を心配した。彼の男性機能が衰えつつあるのは分かるが、何時、完全に駄目になるのか分からない。ホテルの部屋に入り、私がシャワーを浴び、ベットに並ぶと西村老人は弱気なことを言った。

「今年になってから、悪い事しか起こらない。株価が落ちる。階段から落ちる。精力が落ちる。何もかもが落ちっぱなしだ。最後は地獄に落ちるかも」

「ジィジィ。そんなこと言わないで。私が大学を卒業するまで、頑張って。大学を卒業して就職したら、沢山、恩返しするから」

「嬉しい事を言ってくれるね」

 西村老人は、そう答えると私の裸身の隅々まで、優しく撫で回した。その愛撫は特別な仕掛けも無く、緩やかに流れる川のせせらぎのようで、私の体内に潜んでいる欲情を心地よくかき立て、私を乱れさせた。私は西村老人が満足し果てるまで、仕合せを堪能した。欲望の放出を終えてから西村老人は中国の歴史と問題点を口にした。

「中国は中華民国が成立してから、政府が南北に分かれ、更には国民党の他に共産党が結成され、両党の軍隊や軍閥に振り回され、誠実に国家をまとめようとする指導者が現れなかった。強欲な中国人の悪いところだ。彼らは租界との関係や利権を持つ帝国主義列強と手を組んだり、対抗したりして、自分の利益を手に入れようと、夢中だった。そんなであるから、折角、中華民国を成立させてもらったのに、国の形が出来上がらなかった。そんな時、世界恐慌が起こり、関東大震災から立ち直っていなかった日本人が、大陸に移動し、その移住民を守る日本の関東軍が、五族協和のパラダイス、満州国の独立に加担してしまった。そして清朝最後の皇帝、溥儀が天津から新京に移り、満州国の皇帝となった。満州国は日本の関東軍や満州国軍に守られ、発展した。その華やかさに惹かれ、多くの中国人が満州国に流入した。その調子に乗った日本軍が悪かった。中国を満州国のようにしてあげようと考えた。放っておけば良かったものを・・・」

 西村老人が言いたかった中国の問題点は、中国人の忠誠心の欠徐だった。自分に都合良ければ、恩義など無視して変転移動する倫理無き中国人の人間性のことだった。

「満州人と日本人らによって独立した東北地方の満州国と万里の長城によって分離された中華民国は、国民党の南京政府と共産党の武漢政府によって争われることになった。まずかったのは、そこに日本が日華親善を提唱し、参入したのがいけなかった。何も両党を融和させようとせず、両党の争いを傍観し、中華民国を2分割させれば良かったのだ。それなのに日本は中華民国政府を、一つにまとめてあげようとして、その戦火に巻き込まれた」

 私にはちょっと疑問だった。

「日本が一つにまとめようとしたなんて、本当の事なの」

「本当さ。その為に日本軍は戦地に赴き、仲裁に入ろうとして、多くの戦死者を出した。だが一つにはまとまらず、現在の中華人民共和国と台湾の中華民国に分かれたままだ。台湾人には大変、迷惑な話だ。台湾人にとっては台湾共和国に中国の避難軍が入って来て、居座ったままでいるのだから・・・」

 西村老人の話すことは、何処までが本当で、何処までが偽りなのか、私には今だに分かっていない。


         〇

 5月の連休、また山中湖に行かないかと、細井真理たちクラスメイトから誘われた。しかし私は去年の夏休みのことがあったので、行く気にはなれなかった。私は断ろうと真理に言った。

「私じゃあなくて、美鈴ちゃんは、どうなの?」

「彼女、映画の撮影で忙しいのですって。だからどうしても、貴女に参加してもらいたいの」

「ごめんなさい。相変わらず、不動産の仕事、忙しいの」

「工藤君が参加するのよ。彼のこと放ったらかしておいて良いの?」

「関係ないわ」

 私は心にもない返事をした。心の中では美しい富士山を眺めながら、山中湖の湖畔を工藤正雄と歩き、いろんなことを語り合いたかった。彼と一緒にいると、爽快な気分になれた。でも私にも撮影の仕事が入っていた。その仕事は男たち相手の辛い仕事であったが、慣れて来ると甘酸っぱい妖しい匂いのする満開の花道にいるような時間帯の務めだった。その時間帯の苦痛や悲しみを、どう受け止めるかは、自分で決めることでしかなかった。人間、清く正しいことだけで、生きることは出来ない。私が日本で生きて行く為には仕方ないことでした。割り切るしか方法がありませんでした。私は撮影の時は男たちを喜ばせる為に、妖艶な化粧をして見せた。肌を整え、目元を引き立て、口紅を濃くし、華やいだ女に変身した。三宅監督は撮影を重ねるたびに魅惑的になる私に夢中になった。途中から、カメラマンたちとの交渉を禁じた。しかし、長い性愛シーンを撮影するカメラマンたちは、我慢出来なかった。三宅監督に約束が違うと言い出した。自分さえ良ければ良いという考えは、男の世界では許されなかった。私は、その為、何人もの男と交接し、何度も撮り直しをさせられた。過酷であったが、それに耐えた。それ故、私と男との濡れ場は、迫真の勢いをもって映し出された。私が自失し、忘我に至ったところで、やっとOKが出る始末だった。いわゆるエロチックな場面とは、全く異なった作品になるに相違なかった。撮影が終わる頃になると、私は、この作品が何時、上映されるのか気になった。そこで三宅監督に何時頃に公開されるのか確認した。すると三宅監督は、こう答えた。

「一応、年末の予定だが、映倫に通るかどうか、分からない。通らなかった時はビデオ作品になる」

「ビデオ作品?」

「そう。露出部分を増やし、若干、ストーリィを変えることになる」

「それは困ります」

「そう言われても、こちらこそ困る。スポンサーが許してくれないよ」

 三宅監督は、今にも怒り出しそうな厳しい形相を見せた。それは今まで見せた事の無い恐ろしい形相だった。私は怪しいなかにも優しい瞳をした原島晴人の甘言により、このアルバイトに足を踏み入れたことに後悔すると共に、これ以上、深入りしたら身が持たない上に、大学から退学を言い渡されるかも知れないと思った。悔恨と罪の意識は、私を悲しい気持ちにさせた。そんな悲し気な私を見て、三宅監督が言った。

「折角、女優、奈良愛子としてスタートしたのだから、君にはこの仕事を続けて欲しいと、私は願う。君の色やかさと魔性を秘めた天性は、何とも表現し難い魅力があり、男を夢中にさせる」

 私は三宅監督に囁かれ、どうしたら良いか、分からなくなった。ホテルに連れて行かれ、説得された。

「今回の出演完了は、ゴールでは無く、次のステージへのスタートなんだ。君はどんどん綺麗になっているよ。女優を辞めるなんて言わないでくれ」

 私は三宅監督に愛撫され、囁かれ、その快感に湧き出る躍動を抑えられなくなり、愛器を濡らした。三宅監督は囁き続ける。

「愛の泉は、ここより湧き出で流れ出す。周りにあるものを潤す為に・・・」

 三宅監督の愛技の言葉は、私を蕩けさせた。三宅監督は私の弱点を知っていて、その声は、私を燃え上がらせた。


         〇

 私は5月いっぱいで、『愛の泉』の撮影を終え、アルバイト代を沢山いただいた。このアルバイト代と西村老人から受取った奨学金で、私は授業料を捻出することが出来た。これからは前期試験の為の勉強をしなければならなかった。私は久しぶりに大学に出かけ、川添可憐から4月、5月の授業のノートを借り、それをコピーさせてもらい、教科書と見比べながら、要点を頭に入れた。そして6月からは人が変わったように授業に出席し、教授たちの講義内容をノートにまとめた。大学での勉学は楽しかった。しかし、まだまだ知らない日本語が沢山あった。発音も難しかった。廊下と老化、結婚と血痕、家庭と過程、洗濯と選択、お産とオッサン、自動と児童、紅葉と公用など、私には戸惑うことがいっぱいあった。でも私は階段を一歩一歩、昇って行くように、分からない事を一つ一つ調べ、それを頭に入れた。女優の仕事が終わつたお陰で、可憐たちクラスメイトと過ごす時間も増えた。時々、工藤正雄たち男子のクラスメイトと会話することも出来た。そんな或る日、私が図書館で勉強している所に、原島晴人が現れ、私に声をかけた。

「久しぶり。仕事、お疲れさんだったね」

「はい。やっと終わりました」

「君の色気は評判だったよ」

「止めて下さい。こんな所で」

「あっ、ごめんごめん。そうだったな。ところで、アルバイトの紹介者にお礼して欲しいな。『ルノアール』で4時に待ってるよ」

 晴人は、そう私に伝えると、図書館から出て行った。私は、その後姿が、図書館の部屋の中から消え去るのを、じっと見送った。私は断ることが出来なかった自分に怒りを覚えると共に心が重く、どうしたら良いか迷った。しかし、晴人の紹介で、アルバイト料を沢山いただいたことは事実だ。お礼をしなければ失礼になるのかも。私は気が進まなかったが、午後4時、晴人に指定された新宿の喫茶店『ルノアール』に行き、晴人に礼を言った。

「アルバイトの紹介、有難う御座いました。感謝してます」

「そりゃあ良かった。恨まれているんじゃあないかと、気にしていたんだ」

「確かに初めのうちは、貴男のことを、とても恨みました。でもアルバイト代をいただき、演技に熱中するうちに、そんなこと忘れてしまったわ」

「そんなものかな」

 晴人は私の言葉が、信じられない風だった。まさか私から、そんな言葉が出るとは思っていなかったらしい。私は晴人に言ってやった。

「女だっていろいろ咲き乱れるのよ」

 私のあっけらかんとした発言に、晴人は驚いた。誰にこんなに、太太しくされてしまったのか。

「やれやれ。島倉千代子の人生いろいろか。どうなっちまっているんだ。女は分からん」

「そんなこと言わないで。奈良愛子という芸名を貰えて、結構、楽しかったわ」

「まいったな」

「こんな私のこと、誰にも黙っていて下さいね」

「分かったよ」

「これ、御礼」

 私は、ここへ来る途中、『小田急デパート』で買った半袖シャツを晴人に渡した。晴人は、その場で包装を解き、半袖シャツを胸に当てて見せた。ちょっと派手な模様だが、暗い感じの晴人には明るさが加わり、似合いだった。

「ありがとう。映画の編集は7月に完成するみたいだよ。ヒロインの青野歓菜役の美鈴の演技が下手でさあ、時間がかかっているらしいけど」

「美鈴さんて、九条美鈴さんのこと?」

「そうだ。話してなかったかな」

「聞いてないわ。ひどいわ。私を騙したのね。馬鹿!」

 私は思わず晴人の横っ面を叩いていた。喫茶店の客たちが、私の声を耳にして、私たちに視線を向けた。晴人は慌てて、咳払いして、誤魔化した。晴人は私の怒りを宥めるのに、一苦労した。

「ともかく心配ない。ここで無く別の所へ行って話そう」

 結局、私たちは『マリン』に移動し、久しぶりに会った恋人同士のように、時を過ごした。


         〇

 大学での講義は面白かった。知らなかったことを、沢山、学ぶことが出来た。私は琳美と一緒に暮らしながら、互いに励まし合い、知識を深めた。私の大学生生活は順調に推移した。そんな平穏が破られたのは6月の雨の日のことだった。懐かしい『紅薔薇』の仲紅蘭ママから突然、電話が入った。

「愛ちゃん。元気にしてる。実は西村さんが入院したのよ。この間、荒木社長が、見舞いに伺ったら、随分、やせ細ってしまったらしいの」

「それって、本当ですか」

「そうよ。だから私、美香と見舞いに行こうと思うの」

 私は、その知らせに、声が出なかった。紅蘭ママの言葉が信じられなかった。何故か、恐ろしい事が起こるような気がした。紅蘭ママは私に訊いた。

「どうしたの。聞こえている?」

「はい。聞こえています。済みません。予想してなかった事なので、びっくりして」

「それで、西村さんに可愛がられていた貴女のことを思い出して電話したの。一緒に見舞いに行く?」

「はい。行きます」

「そうよね。大変、お世話になったんだから」

 紅蘭ママは私と西村老人の関係を気づいていて、声をかけて来たのに違いなかった。私は日曜日、紅蘭ママや美香、優美たちと西日暮里で待合せして、地下鉄千代田線の電車に乗って、駒込千駄木町にある大学病院へ、花束をかかえて見舞いに出かけた。病院の受付で面会届を提出し、恐る恐る病室に訪問し西村老人の顔を見て、私たちの誰もがびっくりした。あの丸顔だった西村老人の頬はこけて、まるで別人のようだった。胃の手術をしたということで、栄養剤の入った点滴バックを吊るし、ベットに寝ていた。家族の者は誰もおらず、付添婦が近くにいた。西村老人は、私たちの見舞いを受けると、ベットから起き上がり、苦笑いして言った。

「ママ。有難う。こんなことになるとは思っていなかったよ。食べ物の味が無くなり、孫のおもりも辛いので、病院で診察してもらったら、胃に腫瘍があるというんだ。それで胃の半分以上を削り取った。今は点滴で栄養を摂っているが、そのうち食べられるようになるって。そしたら退院さ」

「そう。早く気付いて良かったわね」

「でも今までのような無理は出来んな。暴飲暴食がいけなかったようだ」

 西村老人は私たち4人を見回して、力無く笑った。西村老人は『紅薔薇』の客の中でも、一番、恰幅が良く、健康そうで、絶えず笑っていて、カラオケも得意だった。普段はストレッチ運動、散歩などをして絶えず健康に留意していた。ところが今年になり、骨折したりして、ちょっと元気が無かったが、胃の手術をしていたとは。その西村老人がしおらしく落ち込んでいる姿を見て、私は可哀想でならなかった。西村老人は私たちの見舞いに心から感謝の気持ちを示した。

「ママには店で酔いつぶれたり、荒木社長と口論して、グラスを割ったり、いろんな迷惑をかけたが、ごめんよ」

 それは涙声に近かった。私は花瓶に花を飾りながら哀しくなった。

「皆で来てくれてありがとう」

 余り長居する訳にも行かず、見舞いから帰ろうとする私たちに向かって、西村老人は深く頭を下げた。そして一番後に立ち去る私の手を握り、こう言った。

「苦しいけど、自分の選んだ道。自分を見失わず。正面を向いて、希望を持って進めば、何とかなる。頑張りなさい」

 西村老人のその眼差しは、まるで最後の別れのような目つきで、辛かった。私は西村老人の手を、そっと離し、病室を後にした。西村老人が病室のドアが閉まるまで、私の背中を見詰めているのが分かった。私たちは病院を出てから喫茶店で話した。

「死神に狙われたみたいね」

 紅蘭ママの言葉に、美香と優美が頷いた。私は泣き出しそうになったが、涙をこらえた。


         〇

 私は西村老人の言葉に後押しされ、猛勉強した。そのお陰で、大学2年の前期試験は何時もより簡単に済ませることが出来た。一生懸命に取り組むことで知識も広がり、勉学の楽しみや自分の成長を感じた。日本の大学で学ぶことは私にとって理想通りに進んだ。しかし日本人の私たち異邦人への見方は、北朝鮮のミサイル発射により、急変した。中国の反日運動から始まり、外国人は日本から出て行けといった雰囲気になりそうだった。そんな時、昨年10月結婚式を挙げる予定だった姉、春麗と恋人、高安偉の結婚式が催されることになった。8月、丁度、大学が夏休みとなり、私にとって帰国するのに好都合だった。私は芳美姉と琳美と3人で中国に帰った。何時ものように、赫有林と葉樹林が私たち3人を、大連国際空港まで、車で迎えに来てくれた。そこから私たちは新築した営口市の外れにある私の実家に向かった。高速道路を走り、今までよりも30分程、早く実家に到着した。初めて見る実家は洋風の2階建ての家だった。この家を建てる資金は、姉の夫となる高安偉の父、高栄福が都合してくれたという。私の姉は実に働き者で、その上、美人だったから、優秀な銀行員、高安偉が夢中になったらしい。ところが営口市の外れの住宅に結納にやって来た安偉の父、栄福は、私の実家が、政府により抽選で割り当てられた家で、余りにもみすぼらしいかったので、新築の家に移るよう勧め、その資金まで出してくれた。両家は新しい家が出来るまでということで、二人の結婚式を翌年に延期した。そして今年の春、新しい家が出来上がり、私の両親は、この家から姉を嫁に出すことになった。好きな酒も飲まず、タバコも吸わず、貧乏のどん底にいた父、志良は、有難い事だと、安偉の父、栄福に感謝した。姉たちの結婚式は、妹である私にも出席してもらいたいという新郎新婦の願いで8月となった。私たちが実家に帰ると、牛庄村や営口の親戚の人たちが喜びの笑顔を見せてくれた。周家、関家、葉家、趙家、赫家などの家々が昔と変わらぬ愛しさで私たちを優しく迎えてくれた。営口市の街は芙蓉や合歓の花が咲いて、とても綺麗だったが、私には何故か牛庄村の方が、美しく思われた。あの広々とした農地は、どうなっているのだろう。そんなことを考えたりしている私を、父、志良は、遼河の河原に、自転車で案内してくれた。

「ここが我が家の新しい農地だ。向こうの柳の林から、こっちの堤防までが、我が家のものさ。あの低い木が植わっている所が、お前から贈って貰ったお金で苗木を植えたリンゴ畑さ」

「まあ、あんなに広く」

「そうさ。でも今年は花が咲かなかった。来年あたり咲いてくれると良いのだが」

「そうね。リンゴ畑の隣りはブドウ畑にしても良いわね」

「そうだな」

 普段、無口な父が、この時ばかりは、いろんなことを話してくれた。私が芳美姉たちと中国に帰った事で、食事時などは、祖母の関玉梅や楊優婷が加わったりして賑やかだった。父、志良だけが片隅で酒を飲みながら、テレビドラマを見ていた。テレビドラマの内容は、相変わらず、抗日ドラマだった。何時も日本軍兵士や日本人が悪役だった。私の脳裏に西村老人が言っていた物語が浮かび上がって来た。それは日本が日華親善を提唱し、国民党の南京政府と共産党の武漢政府を仲良くさせようとして、泥沼に足を突っ込んでしまったという歴史観だった。そこで私は、中国共産党は国民党との内戦で何百万人もの死者を出した事実を希薄する為に、抗日ドラマを沢山、流し続けているのだと、父に説明した。父は、私の言葉に反論しなかった。祖父母たちから聞いて分かっているようであったが、それを口にすることは無かった。中国共産党やメディアに異論を唱えたりしたら、中国で生活して行けないことを、父は充分に知っていた。


         〇

 中国工商銀行の副主任、高安偉と姉、春麗の結婚式は8月6日の日曜日、営口の『金海大飯店』で盛大に行われた。式当日の午前、新築したばかりの私の実家に、新郎、安偉主任が姉を迎えに来て、まず2人で、母、紅梅が作った麺を食べ、夫婦が長く愛し合うようにとの儀式を済ませた。それから新郎、安偉が花嫁衣裳の姉、春麗を抱きかかえ、車に乗せ、結婚式場に向かった。私たちは、それを見送つてから、赫有林の運転するマイクロバスに乗り、その後を追った。結婚式の行われる『金海大飯店』に到着すると、ホテルの入口は結婚式の開催を示す赤と黄色で飾ったアーチを設け、歓迎ムードを盛り立てて、私たちを迎えた。会場に入り、集まっている人たちを見ると、皆、着飾って談笑して式が始まるのを待っていた。女性はネックレスを目立たたせ、ワンピースやブラウスにスカート姿、男性は白のワイシャツや半袖シャツ姿で、明るい服装だった。結婚式は午後2時に開催された。司会は姉の友人、金紫蘭と李桃香が務めた。まず、その司会者の紹介で、姉、春麗と高安偉が会場に入場した。百人以上の客が一斉に新郎新婦に拍手を送った。金紫蘭が2人の紹介をし、李桃香が新郎新婦の結婚証明書を読み上げた。それから新郎新婦が指輪を交換して、その後、互いの腕を絡めて誓いの酒を交わして見せた。続いて、新郎の両親と新婦の両親の紹介が行われた。それらの紹介が終わった後、新郎の父、高栄福が、来賓に御礼の挨拶を行った。高栄福の挨拶は流石、営口市経済委員会の会長をしていた人だけのことはあって、堂々として立派だった。次に私の父、志良が弱々しい声で挨拶したが、娘を嫁がせる父親の感情がこもっていて、涙が出そうになった。挨拶を終えた新郎新婦の両親は、それから奥の席に座った。新郎新婦は、その両親に向かい、三度、頭を下げる礼をした。その後、来賓に向かって、同じように三度、礼をした。一同に礼を終えた新郎新婦は、今度は互いに向かって三度、礼をした。その新郎新婦が一連の儀式を終え、席に着くと、司会の金紫蘭が、2人の馴れ初めを語った。2人が海水浴で知り合ったとの、ユーモアなスピーチだった。後はウエディングケーキのカット。春麗姉は安偉とナイフを握り、そても嬉しそうだった。そのケーキカットが終わると、宴会がスタート。皆で乾杯した後、食事をしたり、新郎新婦と写真を撮ったり、それからが大変。新郎新婦は食事もせず、出席者のテーブルを回って、挨拶をしなければならなかった。まずは近い親戚から始まり、勤務先の人たちに挨拶し、友人たちの所には最後に回るという順序で、各テーブルを回った。その時、花嫁の長いウエディングドレスの裾がからまると困るので、琳美がドレスの裾を持つことになった。私は姉が交わす、オレンジジュースのボトルを持って、琳美と一緒に行動した。新郎新婦は出席者1人1人に酒を勧め、タバコを渡し、マッチに火を点けてから、御祝儀袋をいただいた。私が、その後、御祝儀袋を預かった。途中、2人は衣装替えということで退席し、私と琳美はほっとした。私は御祝儀袋を両親に渡し、琳美と2人、新郎新婦がお色直しの間、慌てて食事をした。お色直しが終わると春麗姉は、純白のウエディングドレスから真紅のドレスに着替え、新郎は何と満州族の衣装で再度、登場した。お色直しの間、踊りや手品などをしていた人たちは、2人を見て盛大な拍手を送った。そして再び新郎新婦は残りのテーブルに回り、酒とタバコを勧めた。私と琳美は再び春麗姉の付き人としてテーブルを回った。新郎新婦が席を回る時は、御祝儀をもらうのにいろんな遊びをしなければならず、新郎新婦は大変だった。2人はビールを一気飲みさせられたり、一つの食べ物を2人で落とさずに食べさせられたり、キッスをさせられたり、悪戯遊びが多かった。御祝儀を渡し終えた出席者たちは両家の両親たちに挨拶し、少しずつ帰り始めたが、新郎新婦の友人たちは、中々、帰らなかった。式は夕方に終わったが新郎新婦同様、私も琳美も、どっと疲れが出て、身動きするのが嫌になるほどだった。でも春麗姉の立派な結婚式が済んで、幸福感に溢れた姉の笑顔を見ると、その疲れも吹き飛び、喜びに変わった。


         〇

 中国の夏は日本の夏に比べて乾燥し、ほこりっぽかったが、カラッとして、過ごしやすかった。私は営口市外にある新築の実家で祖母や両親たちと休暇を過ごすと共に、時々、営口市内の芳美姉のマンションに行き、琳美と遊んだ。しかし、自分が育った牛庄村に行く機会が無かった。私は、あの向日葵や芥子の花の咲く、牛庄村に行ってみたくなった。あの村はどうなつているのかしら。国民農場中学校は、まだあるのだろうか。ポプラ並木はどうなっているのかしら。赫有林に抱かれたコーリャン畑は、背丈の高いコーリャンが甘い香りを放ち、風に揺れているのでしょうか。そんなことを思っている日の午後、赫有林が営口に野菜を届けにやって来た。私はそこで有林に牛庄村に連れて行って欲しいと頼んだ。有林が断る筈が無かった。私は有林の運転する小型トラックに乗せてもらい牛庄村に行ってみた。私の実家のあった場所に行ってみると、そこは既に工業団地の道路になっていて、実家の姿形は全く見当たらなかった。村の農地の半分くらいの面積で工場建設が開始されていた。あとの半分は雑草が生い茂っていた。幸い赫有林の家の場所は工業団地計画から外れていて、昔のままだった。私は有林から牛床村の開発計画の説明を受けながら、牛床村を回った。国民農場中学校もポプラ並木も残っていた。あの日と同じコーリャン畑もあった。そこでトラックを降り、コーリャン畑の香を嗅ぎながら、有林に抱きしめられることを想像した。その有林はポケットからライターを取り出し、タバコに火を点け、夕暮れの空に沈んで行く真紅の夕陽に向かって煙を吐いた。

「あの日と同じね」

 私は、そう言って有林に身体を寄せた。すると有林は突然、タバコを吸い、私の唇に彼の唇を押し当てて来た。苦い味のする接吻だったが、私は素直に応じた。長い接吻が終わると、有林は笑った。

「蚊に刺されるから車の中に入ろう」

 私は有林の指示に従い、急いでトラックの助手席に乗り込んだ。それからが忙しかった。有林は狭いう転席から助手席の私の上に覆いかぶさって来た。彼は私の胸のホックを外し、ブラジャーを払い除けて、私の乳房を吸いながら私の身体を愛撫した。その愛撫を受けて、私の官能の炎が燃え上がった。私は愛撫されながら有林のズボンとパンツを逃がせた。そして自分のパンティも自分で外した。すると、彼は待ってましたとばかりに、ピストン運動を開始した。その上下運動の激しさに、座席が軋み、小型トラックまでもが同調して揺れた。その揺れが一段と高く激しくなった時、有林は絶頂に達して、叫んだ。

「ああっ、発射するぞ!」

 何と言う気持ち良さ。私も、一緒に達して、ヒィヒィ声を上げてしまった。有林が発射したものが、私の中で炸裂したのを感じ、私は気が遠くなり卒倒しそうになった。真夏の夕陽は、今日は、もうこの辺で終わりにしようかと地平の向こうに沈もうとしていた。


         〇

 私は中国で夏休みを過ごす間、琳美をあちこちに案内して上げた。彼女は牛庄村のことは幼い時、祖父母に当たる葉伯父さんと羅叔母さんに育てられたので、記憶に残っているらしかったが、営口や瀋陽のことは余り知らなかった。そこで私は琳美を瀋陽の故宮、昭陵、南湖、棋盤山公園などに連れて行ってやった。また瀋陽の百貨店にも連れて行き買い物をした。その時、驚いたのは百貨店の現金支払い場所に、偽札チエックの係員がいることだった。何ということでしょう。中国では今、偽札が増加し、その横行に困っているという。偽札の製造元は北朝鮮らしい。アメリカに銀行取引をストップされた北朝鮮は、ついに友好国、中国の人民元をも製造し始めたらしい。北朝鮮は、その人民元で、中国北方の芥子の実を購入して、麻薬を製造し、外貨を獲得しているという。それを中国軍の幹部は北朝鮮からリベートを受け取り、黙認しているという。この為、中国には偽札を沢山、持った大金持ちが急増し、独資の企業が伸長しているという。私は、この中国の現実を見て落胆した。中国で暮らしていた時には感じていなかったことですが、中国は環境も人の心も汚れてしまっていた。それぞれの家族は温かく綺麗にしているのに、公衆の事になると、全く昔のままで、汚れ切っていた。このことは日本で生活しているからこそ、強烈に感じられた。琳美も私と同じようなことを感じたのでしょう。観光や買い物が楽しい筈なのに、ぽつりと私に言った。

「早く日本に帰りたい」

 祖父母たちに可愛がられているのに、楽しかったのは初めの一週間程度でした。ところが芳美姉は中国での用事が沢山あり、父親の葉基明とあちこちを駆け回っていた。芳美姉は何時の間にか父親を独資の不動産会社の社長に据え、マンションの賃貸と労働者派遣を商売にしていた。日本で稼いだお金でマンションを買って、それを高く売りつけるのだ。中国は、これから2年後に北京オリンピックが開催されるということもあって、バブル景気で、何処も活気に溢れていた。時間をもてあましている私と琳美を有林や樹林が、海水浴に誘ったが、私たちは白い肌が日焼けするからと言って断った。それより、春麗姉のマンションに行って、新婚夫婦をからかっている方が面白かった。そんなこんなしているうちに、8月も終わり近くになり、芳美姉と私たちは日本に帰ることになった。午前8時、沢山の荷物をマイクロバスに積んで、私たちは有林と樹林に運転してもらい、大連国際空港に向かった。車内での会話は、有林と芳美姉の話ばかり。11時半に大連国際空港に到着。泣きそうな有林たちと握手して別れ、3人で出国手続きを済ませると、私も琳美も、ほっとした気持ちになり、免税店で御土産を買ったり、その脇のコーヒーショップで、コーヒーを飲んだりした。12時40分、成田行き中華航空機に搭乗。これから再び、日本に行くのだと思うと、仕合せな気持ちになれた。飛行すること3時間ちょっと。搭乗機は韓国上空を通過し、日本海を渡った。すると、深緑の山肌が眼下に広がり、やがて中華航空機は太平洋上を回って、房総の田園の上を飛び、午後5時半過ぎ、成田国際空港に着陸した。成田国際空港には大山社長が出迎えに来ていた。私たちは大山社長の車に荷物を積み、大山社長に留守中での日本の出来事を、いろいろ聞きながら、車に乗り込んだ。大山社長はうるさい女たち3人を相手に、適当に質問に答えながら空港駐車場から高速道路に出ると、一路、新宿に向かった。日本の夜景は中国のようにギラギラでは無く、落ち着いた光に照らされていた。その中でも、ツンと夜空に伸びて輝く東京タワーは美しかった。日本は中国に較べ、何もかもが落ち着いていて美しかった。これからまた日本での楽しい生活が始まるのだと思うと、私の胸はワクワクした。


         〇

 中国から日本に戻って、2日後、琳美と2人、学校へ通う準備などをしていると、『紅薔薇』の仲紅蘭ママから電話が入った。

「愛ちゃん。辛い話だけど報告するわ」

「何でしょう?」

「一週間前、西村さんが亡くなったの」

「えっ」

 私は吃驚仰天した。この前、紅蘭ママたちと、千駄木町の大学病院に見舞いに行ってから、西村老人のことが気になっていたが、あの西村老人が亡くなったなんて信じられなかった。私が『紅薔薇』でアルバイトをしていた時などは酒を沢山、飲んでカラオケを唄ったり、人を笑わせたり、元気だったというのに、今年になって、足を骨折してから、様子が一変してしまった。それにしても信じられない辛い哀しい知らせだった。

「それは本当ですか?」

「胃癌が手に負えない程、進んでいたらしいの。葬儀には私が代表して、荒木社長と行って来たわ。だから辛いけど、西村さんのこと忘れて」

「そう言われても、余り突然で・・・」

 私の紅蘭ママとの応答は泣き声になっていた。6月、大学病院に見舞いに行った時、幽霊のように目がくぼみ、元気の無い西村老人に手を握られたのを思い出した。あの時、西村老人が私に言ったのが、私への最後の別れの言葉だったのでしょうか。

「自分の選んだ道。自分を見失わず、正面を向いて、希望を持って進めば、何とかなる。頑張りなさい」

 あの時の西村老人の私への言葉が最期の言葉になってしまった。大学を卒業し、日本の企業に就職し、沢山、恩返ししようと思っていたのに、亡くなってしまうなんて、どうして。紅蘭ママには愕然とする私の様子が目に見えているみたいだった。

「時間が経てば忘れられるわ。西村さんのことを思い出して、泣きたくなったら私の店に来なさい。西村さんのボトルの残りを一緒に飲みましょう」

「はい」

 私は紅蘭ママの言葉に、もう涙を抑えることが出来なかった。紅蘭ママは私の目から大粒の涙がボロボロと溢れ出しているのを案じて、電話を切った。

「それじゃあ、またね」

 私は紅蘭ママからの電話が切れると、部屋のテーブルにもたれて泣き崩れた。そんな取り乱している私に勉強中の琳美が気づき、駆け寄って来た。

「どうしたの。何があったの。大丈夫?」

「大丈夫よ。大丈夫」

 私は琳美を心配させてはならないと、涙を拭いて、琳美に答えた。

「お世話になった人が亡くなったの。ガンですって」

「悲しい電話だったわね」

「御免ね。琳ちゃんにまで心配させちゃって」

「亡くなった人、恋人?」

「違うわ。日本語学校時代に、お世話になった人。良い人だったわ」

 琳美は私の答えに首を傾げた。恋人でもないのに何故、こんなに泣いたりするのか。私は紅蘭ママから西村老人の訃報を聞き、喪失感に襲われた。私が病院に見舞いに行った時、胃癌が手遅れになっている事に気づいていた西村老人は、死を恐れ、泣きたいほどの孤独感を抱いていたに違いない。だから恩師のように私と付き合って来た西村老人は、別れ際、名残惜しさを感じ、私の手を握り、一言喋って、病室からゆっくり遠ざかって行く、私を見送ったのだと思う。その西村老人の気持ちを思うと、再び涙が溢れ出そうになった。琳美は、それを見逃さなかった。

「よっぽど大切な人だったみたいね」

「うん」

 私は素直に答えられた。妻子ある西村老人と私との関係は、どう理屈を並べたところで、罪深い素行に違い無かったが、私にとっては年齢を超越した純心な恋愛だった。西村老人にとっても、私と関係したことは、不純な気持ちでは無かったと思います。肉体関係があったことは、不純だと言われるかも知れませんが、私たちにとっては、純粋無垢な交際でした。紅蘭ママからの報せは私にとって大ショックでしたが、西村老人がこの世にいなくなった今、これからの私には、この世の無常を知り、西村老人との過去を美しい形で思い出してやるしか方法がないと思った。


         〇

 9月になり、大学の授業が始まると、私は今までのように川添可憐や細井真理たちクラスメイトと集まって、大学の講義を受け、いろんなことを語り合った。日本の首相が小泉純一郎から安倍晋三になったというが、私には日本の政治の事は良く分からなかったので、いろいろと教えてもらった。またタイの軍事クーデターの話なども話題になった。仲間と政治や青春を語ることは楽しかったが、私の脳裏から病死した西村老人のことが消え去ることは無かった。祖父のようでもあり、恩師のようでもあり、パトロンのようでもあった西村老人を失った慟哭と悲嘆は、それから1ヶ月近く過ぎても私の心に巣作りして消えようとしなかった。誠実な人だった。そんな西村老人にとって私は、どんな女だったのでしょうか。私は彼の優しさに付け込み、成熟途上の女の色気を使って、学費を貢がせた悪女だったのでしょうか。もし、そうであったとしたなら、私のして来たことは、悪辣であり、歪んだ行為、罪になる。私は良心の呵責に苛まれた。私は西村老人を失い、再び惨めで貧しい女子大生に戻ることを覚悟した。またいかがわしい女優業をして、授業料、家賃、生活費を稼がなければならないかと思うと、気が気で無かった。留学生の私にとって、直ぐにでも考えなければならない、切実な喫緊の問題はお金を稼ぐことだった。私は現在、水曜、金曜、土曜の3日間、芳美姉の経営するマッサージ店『快風』でアルバイトをしているが、化粧品を買ったり、洋服を買ったり、アクセサリーを買ったりする余裕は無かった。矢張り、日本語学校時代のように、スナックのホステスのアルバイトをするのが適切なのかも知れなかった。私はふと、紅蘭ママの言葉を思い出した。

「泣きたくなったら、私の店に来なさい。西村さんのボトルの残りを一緒に飲みましょう」

 私は火曜日の夕方、湯島のスナック『紅薔薇』へ行ってみた。エレベーターに乗り、『紅薔薇』に行くと、チィママの呂美香が蘇遊美と室内の掃除をしていた。私は、かって務めていた時と同じように掃除を手伝った。その後、西村老人のことや昔話をした。そこへ大手商社『三星物産』の坂本隆二部長が1人、店に転がり込んで来た。私を発見するなり、坂本部長は奇声を上げた。

「おおっ、懐かしい。愛ちゃんじゃあないか。元気か?」

「はい。何とか」

 商社の部長にしては、状況が読めぬ人だった。私の現況を訊かず、一方的に自分サイドのことばかり喋った。

「事務所の電話番号が変わった。新しい名刺だ」

 彼は偉そうに名刺を差し出した。私は、その名刺を両手で受け取り、深く頭を下げた。すると坂本部長は、突然、部下であった星野英司のことを思い出して言った。

「そうだった。君に夢中だった星野君、今、大阪勤務だ。大阪に行くまで愛ちゃんのこと、気にしていたぞ」

 私は唖然とした。そんな私の顔を見て、美香が笑った。

「そうだったわね。星野さん、愛ちゃんのことが好きだったみたいね」

 美香が坂本部長に同調して喋った。話題が盛り上がり始めた時、紅蘭ママが出勤して来た。長身で小顔の上海美人の口紅は、相変わらず眩しい程に,濃い紅色をしていた。彼女は私に気づくと、カウンターの上にバックを置きながら微笑した。

「矢張り、来たのね」

「はい」

「飲みましょう。私と2人で・・」

 紅蘭ママは私を片隅のテーブル席に座らせ、西村老人の名札のついたボトルから水割りを作り、私に差し出した。

「留学試験に落っこちた時のように悪酔いしないでね」

 そうでした。あの日の事でした。私が西村老人の優しさに惹かれホテルに行ったのは。

「あの時の西村さん、優しかったわね」

「はい」

 私の脳裏に西村老人と過ごした月日が走馬灯のように駆け巡った。紅蘭ママと私は人生の儚さを嘆いた。紅蘭ママは悪酔いして、客の相手など、そっちのけで、私の相手をしてくれた。私が紅蘭ママと飲んだくれているのを、横目で睨んでいたチィママの美香が突然、私たちに命令した。

「お客さんが来たから、そこの席、空けて」

 流石の紅蘭ママも美香の激しい口調に緊張して、慌てて私と席を空けた。戸惑っている私に美香が命じた。

「愛ちゃん。お願いよ」

「は、はい」

 結局、私が、入って来た客の相手をすることになった。客は、これまた商社の人だった。私の知らない客だった。美香は商魂たくましかった。ボトルとグラスと氷を持って来ると、私に説明した。

「こちら、『スマイル・ワークス』の倉田常務さん。私のお馴染みさんよ」

「愛子です。よろしくお願いします」

 そう言えば、かって、ここを辞める頃、一二度、見たような気がする。しかし、彼が一緒に連れて来た他の2人については記憶に無かった。当然、だった。美香も知らない客だった。美香が倉田常務と一緒に来店した2人のことを尋ねると、倉田常務が2人を私たちに紹介した。

「こちらは『日輪商事』の森岡さんと中道さんだ。2人とも将来を期待されているヤリ手だ」

「あの大手商社の日輪さんの方なの。私、チィママの美香です」

 接客上手の美香は胸の割れ目の内ポケットから自分の名刺を取り出し、『日輪商事』の2人に名刺を渡し、2人から名刺を受け取った。そのついでに3人が私にも名刺を渡した。私は、そこで、3人に『紅薔薇』の地図カードを使い、『愛子』と書いて渡した。3人は、それを受取ったが、何の興味も示さず、それをポケットに入れた。美香が倉田常務に質問した。

「今日は、お仕事、済んだのですか?」

 すると倉田常務は笑って答えた。

「うん。御徒町の喫茶店で打合せをした後、『池田屋』で酒を飲みながら、食事をしたら、こちらさん2人が、中国に出張して、不愉快な目に遭った話題になった。そこで中国人は悪い人ばかりじゃあ無いよと、2人をここに連れて来た」

「そうだったの。ありがとう。ここの女の子は皆、日本人が大好きな女の子たちよ。美娜ちゃん、こっちへいらっしゃい」

 美香は徐美娜を、自分の席に呼んで、『日輪商事』の2人に紹介した。美香のもてなしに『日輪商事』の2人は緊張をゆるめ、私たちを見て笑った。それから、3人が中国に出張時、不愉快な経験をした件を私たちに話した。森岡課長は、この3人で、反日運動の最中、商談で北京に訪問し、暴力バーで1人7万円、合計21万円を支払ったという失敗談を話した。倉田常務が2次会に誘い、そこで事件に巻き込まれたという。中国の公安に訴えても、反って拘束されたりする可能性があり、商談の仕事が出来なくなる為、泣き寝入りすることになったという。そんな3人との話題は、中国の問題点や血液型などの話題で盛り上がった。紅蘭ママと悲しい酒を飲む為に『紅薔薇』にやって来たのに、結局は接客に追われて、あっという間に、夜中の10時を過ぎてしまった。カラオケが始ったところで、私はそっと美香に帰ると伝えた。美香は私をまだ引き留めておきたいようであったが、アルバイト契約をしている訳でもないので、了解した。

「じゃあ、私、用事がありますので、お先に失礼します」

 私は3人の客に席を離れる挨拶をした。すると倉田常務も腕時計を見て立上がり、『日輪商事』の2人と美香や美娜に向かって言った。

「私も遠いから先に帰るよ。2人はまだ残って飲んで行ってよ。支払いは私が済ませておくから」

「ありがとう御座います」

 『日輪商事』の森岡課長と中道係長は嬉しそうな顔をして居残る事に決めた。『日輪商事』の2人は60歳過ぎの倉田常務から解放されて気兼ね無しに飲めるとあってか、ラッキーといった顔をした。倉田常務は、美香に付き添われカウンターにいる酔いつぶれそうな紅蘭ママに、飲み代を支払うと、紅蘭ママと美香に見送られて先に店から出て行った。私は、美香が席に戻ってから、紅蘭ママに帰りの挨拶をした。紅蘭ママは酔っているのに店から外に出て、エレベーターの所まで私を見送ってくれた。

「また来てね」

 エレベーターに乗ろうとする私に、紅蘭ママが2万円くれた。私は涙顔で紅蘭ママに礼を言い、エレベーターで地上1階に降りた。私は湯島から広小路までの懐かしいネオンを眺めながら都営地下鉄大江戸線の広小路駅まで歩いた。『紅薔薇』でアルバイトをしていた頃のことが思い出された。西村老人との日々は、もうやって来ない。でも私たちは思い出の中で繋がっている。私は、そう自分に呟き自分を励ました。大江戸線のホームに降りると、先程迄、一緒に飲んでいた倉田常務が、都庁前行きの電車がやって来るのを待っていた。知らんふりしようと思ったが、先に気づかれた。

「やあ、何処まで行くの?」

「新宿までです」

「そうですか。私も一緒です」

 私たちはやって来た電車に乗り、空席があったので並んで座った。このことが私の人生を左右させることになろうとは、この時には分からなかった。電車の中での会話で、私は翻訳の仕事が出来るかと倉田常務に訊ねられた。

「私は、今、『日輪商事』の技術コンサルタントをしていて、今日、一緒だった連中から、仕事を頼まれているんだ。今度、中国から輸入する機械の取扱説明書を作成しなければ、ならないんだ。日本語に翻訳してもらえないかな」

「私には無理です」

「分からない専門用語は、私が日本語風に修正するから、挑戦してみてくれないか。翻訳料を支払うから・・・」

「でも」

「翻訳会社に頼むと高額になってしまうので、コストを安くしたいんだ。お願いだ」

「分かったわ。間違っているところがあっても許していただけるなら良いわ」

 私が、そう返事すると、倉田常務は大喜びした。私の顔をじっと見詰めて言った。

「有難う。じゃあ、月曜日に原稿を渡そうと思うが、都合はどうかな」

「午後3時半過ぎ、小田急線の駅なら大丈夫です」

「では、成城学園前でどうかな?」

「登戸にしていただけませんか。成城学園前は人が多いですから

「なら登戸で」

 私は、何故、登戸駅にしたのか、自分でも分からなかった。成城学園前には『Mスタジオ』があり、まずいと直ぐに判断し、別の駅にしたのに、登戸は、工藤正雄の乗り換え駅でもあり、三宅監督の利用するラブホテルもあるではないか。でも訂正しようが無かった。私は、初めて会った倉田常務から翻訳の仕事を頼まれ、再会を約束して、新宿駅で別れた。


         〇

 翌週、月曜日の午後、私は午後の授業を受けずに、『紅薔薇』で出会った倉田常務に会う為、登戸駅で下車した。倉田常務の勤務する『スマイル・ワークス』は押上に事務所があり、自宅が川崎の麻生区で、新百合ヶ丘駅から押上駅まで通っているとのことだった。従って、登戸駅が途中駅なので、彼にとっては好都合だったらしい。S大学の私の仲間たちは早くも文化祭の準備で忙しかったが、私はアルバイトをしないことには生活が苦しいので、文化祭には参加しないことにした。工藤正雄から、去年と同じ、展示パネルの紹介役を頼まれたが、原島晴人に会うのが嫌で、きっぱりと断った。私の頭には、お世話になった西村老人のことが、まだ消え去らずに存在していた。自分を見失わず、正面を向いて、希望を持って進めば、何とかなるという西村老人の言葉が、心細い私の気持ちを励ましてくれた。私は待合せ時間までに1時間程あったので、電車から見える多摩川のほとりまで歩いて、時間をつぶした。秋らしさを感じさせる川風を受けながら、多摩川の土手に腰を下ろした。秋の空が真っ青に澄み渡って絵に描いたように美しかった。私は自分を可愛がってくれた人を失った悲しみをぬぐい切れず、今も苦しみ続けていた。西村老人は、突然、一人で逝ってしまった。私は空に向かって、独り言をつぶやいた。

「ジィジィ。私を残して、1人で何処へ行ったの。トボトボと黙って1人で歩く旅。とても寂しいことでしょう。今は何処のあたり。あの白い雲の向こうあたりを歩いているのかしら」

 私は多摩川の土手で一泣きしてから、登戸駅に引き返した。小田急線駅の改札口に行くと、倉田常務が既に私を待っていた。私は倉田常務と合流すると、駅近くの喫茶店『ガジュマル』に入った。喫茶店の中は、適度に混んでいた。私たちは、片隅のテーブル席を見付け、コーヒーを註文した。コーヒーを飲みながら倉田常務は自分の語学力が乏しい事を情無いとぼやいた。機械メーカーに長年勤務し、営業の仕事をして来たのだが、外国語の理解力は1割程度とのことだった。英語は一人息子の和弘に翻訳して貰っているという。その息子、和弘はアメリカの大学を卒業して、日本に帰国し、日本企業に就職しているという。しかし、中国語は学んでおらず、中国語の翻訳を頼む相手がいないという。倉田常務は定年退職後、会社設立したての時は、もと勤務していた会社の中国人社員に翻訳を依頼していたが、仕事内容が出身会社に露見するのを恐れ、今は妻、広子の知り合いの中国人に頼んでいるという。それから、倉田常務の自慢話が始った。彼は64歳。M大学を卒業後、大手機械メーカー『帝国機械』に入社し、取締役で定年になるまで勤務したという。その後、M大学時代の友人と立ち上げた商社『スマイル・ワークス』に入社し、現在、営業のリーダーとして手腕を発揮していて、西村老人より、8歳程度、若い。倉田常務は『帝国機械』の営業として40年近い経験があり、そのビジネスに賭ける気力は、現役時代と何ら変わらない。その為、かっての取引先や商社から沢山の相談を受けているという。両親は既に亡くなり、彼の群馬の実家は、彼の兄が継いでおり、自分たち夫婦は新百合ヶ丘駅の近くのマイホームで暮らしているという。一人息子の和弘は父、吉弘と同じで、独立心が強く、今は都内で1人暮らししているという。倉田常務が務める『スマイル・ワークス』は、『帝国機械』の後輩たちが呆れる程の小さな会社であるが、何故か仕事が舞い込んで来た。その仕事は技術的な相談などが多く、お金にならないので、時間とお金の浪費に近かいと思われた。『スマイル・ワークス』の社長、金久保四郎は、これまた大手材料メーカーの経理部長を務めた人物で、金銭については細かかった。倉田吉弘常務が入社するまでは、M大学の仲間と駐車場管理、ビルメンテナンス、火災保険などの会社事業をしていて、何とか会社経営を、トントンで続けていた。そんなところへ、営業経験の豊富な倉田吉弘が、常務という肩書で、入社して来たものであるから、あっちこっちの会社から、電話、FAX,Eメール、書信などが沢山、届き、当然、事務所の経費もアップした。ところが幸いな事に、倉田常務の仕事は、直ぐにお金になり、金久保社長や社員たちを、びっくりさせた。倉田常務にはいっぱい夢があった。『スマイル・ワークス』を大きくすること。若者を採用すること。世界の人と友好を深めることなど、私に夢中になって夢を語った。そんな倉田常務の経歴と意欲に魅かれ、大手商社の『日輪商事』は、『スマイル・ワークス』にコンサルタント料を支払い、機械の輸入商売を開始したのだという。以上の説明を終えてから、倉田常務は中国語の議事録を私に手渡した。その場で翻訳しても良いような議事録の枚数でしたが、私は持ち帰って翻訳しますと説明した。何故なら、私の日本語はまだ未熟で、文章として問題点が多々あった上に、私の文字の書き方が下手くそそのものだったからだ。大学に行って可憐に文章をチエックしてもらい、大学のパソコンを使わせてもらえば、綺麗にプリントされた日本語の議事録を提出することが出来ると思った。

「では水曜日に翻訳して渡します」

「ありがとう。でも、ちょっと待ってくれ。水曜日には飲み会がある。木曜日にしてくれないか」

「いいわよ」

 こうして翻訳の話は終わった。それから倉田常務は、私の個人的なことを質問して来た。私は中国の高校を卒業してから瀋陽で働きながら日本語を勉強し、日本への留学を考え、来日し、上野の日本語学校を卒業し、現在、S大学で学んでいると説明し、学生証を見せ、愛子では無く、周愛玲であるという真実を明した。すると倉田常務はどうしたことか涙顔になった。

「私にも田舎から上京し、アルバイトをしながら、学問に熱中した時代があった。未来への目標を持って学問に励み、自立した女性になろうとする君のような人が、私は好きだ」

「有難う御座います」

 私はこの時、西村老人に再会したような気持ちになった。倉田常務は、向学心に燃える私に、若き日の自分を見たような気がしたのかも知れない。私たちは、いろんな話をして、2杯目のコーヒーを飲み終えると、『ガジュマル』から出て、登戸駅で別れた。


         〇

 私は夕方からのコンビニでのアルバイトを終えてから、倉田常務から受け取った中国語の議事録を翻訳した。議事録は天津の機械メーカーとの業務契約に関する内容だった。私は、その議事録を日本語に訳すと、翌日、大学に行き、川添可憐に日本文のチエック及び修正をしてもらった。そして、それを大学のパソコン室に行って打ち込もうとすると、可憐に注意された。

「愛ちゃん。ちょっと待って。大学のパソコンを使ってアルバイトするのは、まずいんじゃあない。記録が残ってしまうし」

「そうね。どうしようかしら」

「私が家で打って来て上げるわ。なら、問題無いでしょう」

「有難う。感謝するわ。よろしくね」

「私のバイト代、高いわよ」

 可憐は笑って私の仕事を引き受けてくれた。そうして日本語の議事録は立派に出来上がった。私は木曜日の午後3時半、預かった中国文原稿と翻訳議事録を持って、登戸駅に行き、倉田常務と合流した。ちょっと太った背広姿の倉田常務は、貫禄があり、紳士的だった。早速、この前入った駅近くの喫茶店『ガジュマル』に行き、中国文原稿と日本文に翻訳した議事録の訳文をチエックしてもらった。どう評価されるか、私は心配で心配で、コヒーを飲む余裕など無かった。その翻訳文と内容を倉田常務は細かく確認して、喜んだ。

「すごい。立派だ。分かりやすく、とても素晴らしい」

「本当ですか」

「本当だとも。これからも翻訳を頼むよ。A4ページ3枚だから、3千円掛ける3枚の9千円だね。はい。おまけして1万円」

 倉田常務は満面に笑みを浮かべ、私に翻訳料1万円を支払ってくれた。私は私に翻訳料を支払う時の倉田常務の財布の中身が分厚いのを見てびっくりした。私はその瞬間、良からぬ事を考えてしまった。この人なら、西村老人に代わって、私を応援してくれるかも知れない。物静かな人柄。人間的な温もり。信頼出来る人。私がそんな事を考えているなどとも知らず、倉田常務は、私から受け取った書類を黒いビジネスバッグの中に大切に仕舞い込んだ。翻訳書類の受け渡しは30分ちょっとで終了した。それから少し雑談して、私たちは喫茶店から外に出た。快晴だった。倉田常務が秋空を見上げ私に言った。

「こんなに天気が良いのに、このまま別れるのもつまらない。多摩川べりを散歩しないか。時間、大丈夫かな」

「はい」

 私は月曜日に見た多摩川の風景を思い出していた。西村老人に向かって呼びかけた多摩川のほとり。登戸駅から府中街道を渡り、川べりまで歩いて行くと、秋風がとても心地良かった。桜の枝葉が枯れ葉色に染まり始め、彼岸花が咲き、ススキの穂が風に揺れ、赤トンボがあたりを舞っていた。書類を渡し、身軽になったジーパン姿の私は、その心地良さに長い髪をなびかせ、土手の上を駈った。私が、突然、走り出したのを見て、倉田常務はびっくりした。倉田常務は突然、走り出した私をネクタイを緩め、息をハアハアさせながら追いかけて来た。それを見て、河原にいる子供たちや土手のアベックたちが、何事かと、驚きの目で私たちを見た。私も黒いバックをかかえ、ペンギンのような走り方をして追って来る倉田常務を見て、お腹をかかえて笑った。それから追いついた倉田常務と子供のように手をつないで歩いた。10分程、歩くとラブホテルが見えて来た。倉田常務の足はホテル『アモーレ』に向かっていた。休憩したいみたいだった。

「入るの?」

「良いよ」

 倉田常務より先に、私の方がホテルに入ることを確認していた。このことは初めから計画していたことでは無かったが、お互い心の何処かに描いていたことかも知れなかった。ホテルの受付で倉田常務が休憩料を支払い、部屋の鍵を受け取り部屋に入ると、倉田常務は背広を脱ぎ、ベットの上に寝ころんだ。

「ああ、疲れた」

「大丈夫?」

「うん、少し休めば大丈夫だ」

 倉田常務は部屋の天井を見詰めたまま動かなかった。私は次に何を話せば良いのか戸惑った。窓から多摩川の風景が眺められるかと思っていたのに部屋には窓が無く、ビデオやカラオク設備のそろった高級ラブホテルの部屋だった。

「この部屋、窓が無いのね」

「うん、そうだな。汗をかいたろう。先にシャワーを浴びて良いよ」

 私は喫茶店を出てから多摩川べりまで歩き、その上、土手の上を駈けたので、汗びっしょりだったので、遠慮なく先にシャワーを先に浴びることにした。バスルームの手前のハンガーにTシャツとジーパンとブラジャーとパンティを引っ掛け、バスルームに入り、汗を流し、全身を清めた。気持ち良かった。私がバスタオルで身体を拭き、胸をバスタオルで隠して、バスルームから出ると、倉田常務がベットから起き上がりバスルームに入つた。私は倉田常務がシャワーを浴びて出て来るまでの間、約束でもしていたかのように、ベットに寝そべり、相手を待った。倉田常務は猛スピードでシャワーを済ませ、バスルームから出て来ると、寝そべっている私に覆いかぶさりキッスした。濃厚なキッスの後、私は興奮している倉田常務に妖しく笑って言った。

「まだ身体が濡れているわよ」

「構うものか」

 マシュマロのようなスベスベした綺麗な肌の倉田常務は、そんなところでは無かった。私を優しく愛撫し、私の股間を広げた。彼の愛撫により、大きく開かれて行く様は、新しい風が吹き込んで来るようで心地よかった。夢では無かった。私は倉田常務のテクニックにより、自分を抑えられない程、跳ね上がった。ああっ、私は羞恥しながらも、喜びの声を上げた。交戦が終わってから私は、彼の妻のことを訊いた。

「倉田さんの奥さんて、どんな方?素敵な方なんでしょうね」

 すると倉田常務はこう言った。

「妻とは没交渉だ。お払い箱になりかねない」

「まあっ、どうして?」

「妻は定年退職してからの私に不満を持っている。時々、こうぼやくんだ。会社勤め時と全く変わらないじゃあないの。ゴルフ、麻雀、出張、飲み会、温泉旅行など、昔の人たちと付き合ってばかりいて。私とヨーロッパ旅行に出かける時間は、何時になったらとれるのよって」

「その奥さんの気持ち分かるわ。長い間、連れ添って来た奥さんを大事にしなければ駄目よ」

「分かっている。でも、一度、離れてしまった情愛は、中々、くっつき難いんだ。それに較べ、愛ちゃんとは何度でもくっつくことが出来る」

 倉田常務は、そう言うと、再び私の上になり、二度目の挑戦をした。勿論、私もそれに応えた。彼はひたすら励んだ。私はその波動に合わせながら、何度も女の快感を味わった。


         〇

 私は、思わぬことから、倉田常務と知合いになり、翻訳の仕事を頼まれ、アルバイト料の他に、お小使をいただくような関係になった。倉田常務は私が翻訳した中国の機械メーカーと『日輪商事』との代理店契約の議事録を提出したことにより、『日輪商事』と日本国内に於ける『天津先進塑料机械』商品の販売についての業務委託契約を締結することが出来た。私は、その結果を倉田常務から電話で報告してもらい、翻訳の仕事の楽しさを知った。この特技を生かせば、大学を卒業してからも、この仕事で自立出来るのではないかと思った。今回の翻訳は確かに私が行ったものですが、日本文らしく仕上げたり、パソコンを使い、プリントまでしてくれたのは、友人の可憐だった。私はお金を貯めてパソコンを購入することを考えた。しかし、直ぐにパソコンを買うお金は無い。私はお金を得る為に倉田常務に次の仕事の提供を電話で依頼した。

「先週は有難う御座いました。次のお仕事をいただきたいのですが・・・」

 すると倉田常務は明るく答えた。

「そうだったね。でも今週は駄目なんだ。会社の連中と3日程、長野の山荘に出かけるから」

「山荘って誰の?」

「私たち、会社の仲間の山荘さ。冬に備えて、雨戸を固定し、ガラス窓を板でカバーし、雪防止をするんだ。豪雪地帯だからね」

 私は、どんな山荘なのか興味が湧いた。『スマイル・ワークス』の仲間って、どんな人たちの集まりなのでしょうか。メンバーに女性も加わっているのでしょうか。私は優雅に老年を過ごしている倉田常務たちのことを、羨ましく思った。私は倉田常務に確認した。

「女の人と一緒じゃあないでしょうね」

「いや。爺さんばかりで、山荘に行って、酒を飲み、適当に温泉に浸かり、山の空気を吸って、身を清めるのさ」

「怪しいな。私も連れて行って」

「汚い山荘だから、駄目だよ」

「本当に駄目なの」

「駄目ったら駄目。愛ちゃんには勉強が、あるじゃあないか。来週、こちらから電話するよ」

「はい、分かりました」

 私は電話を切り、安心した。続いてまた翻訳の仕事を貰えそうだった。先週、翻訳した議事録は、天津の機械メーカー『天津先進塑料机械』と『日輪商事』と『スマイル・ワークス』の3社の覚書で、相互の力をもって、中国製の機械の販売促進に努力するという約束文になっていた。この仕事が本格的になれば、『スマイル・ワークス』は『日輪商事』から沢山、仕事が舞い込み、私の協力が無いと、やって行けないかも知れない。私は『日輪商事』と倉田常務に期待することにした。倉田常務は、この前、西村老人に似たことを私に言ってくれた。

「未来への目標を持って学問に励み、自立した女性になろうとする君のような人が好きだ」

 私は、この言葉に勇気づけられていた。西村老人を失い、落胆していた私にとって、倉田常務は、縋り付きたい救いの神のような存在だった。私は倉田常務と言葉を交わしながら、相手の下心を案じたが、下心への心配より、仕事への情熱の方が勝っていた。下心は、むしろ私の方にあって、彼は私に誘導されるまま、老体に汗をびっしょり流して行動した。それは、あのいかがわしい『Mスタジオ』の映画関係者たちに較べ、とても純粋な行動のように思えた。私は品の良い倉田常務に、何故か魅かれていた。西村老人の時も、そうであったが、女の男に対する感情は年齢差など、関係無いみたいだった。それにしても、40歳という年齢差は、親子というよりも、祖父と孫娘に近いといえた。こういった私の老人に対する愛慕の心と欲情は異常であるに相違なかった。その原因は何か。それは今まで、多くの男たちに翻弄され、正常な女としての時計の針が狂わされてしまったからかも知れない。だがこの事は、私にとって苦悩することでは無かった。ただ世間から気づかれぬよう自分の心の奥底に沈み込ませておけば良い事だと思った。いや、もしかしたら、人間男女の愛には、年齢差など無いのかも知れないとも思った。


         〇

 私は大学のキャンパスに行っても、受講以外に用事が無く、可憐や真理や純子たちのように文化祭の準備も無く、授業が終わるや新宿に戻り、芳美姉の事務所に行き、パソコンの練習に励んだ。そんな私を見て、芳美姉が、首を傾げた。

「どうしたの、急に」

「大学でパソコンを使う授業が増えたの。大学にあるパソコンを使っても皆に追いつけないから、ここのパソコン使わせて。仲間は自宅にパソコンがあるから、私より覚えるのが早いのよ」

「そうよね。私もパパに任せっきりだから、パソコン、上達しないの。そうだわ。この書類、パパがいないから、パソコンに打ち込んで」

 芳美姉は、私がパソコンを利用することを大いに歓迎した。私は芳美姉の指示に従い、家賃の契約書やマッサージ嬢募集のチラシなどを作成した。デザインの練習もしてみた。こういった練習を重ねることにより、私のパソコン操作技術は上達した。そんな自分に満足しているところへ、三宅監督から携帯電話に電話が入った。

「やあ、三宅です。お久しぶり。元気ですか?」

「はい。何とか」

「君に出演してもらった『愛の泉』の封切だけど、12月に決まったよ」

「本当ですか」

「本当だよ。今週、会えないかな」

「ちょっと」

「お礼と次の仕事の話をしたいんだ」

 私は、あの危うく汚らわしい犯罪的映画撮影を思い出し、ゾッとした。如何にアルバイト料が高額であっても、三宅監督たちとは、これ以上、付き合えない。身体をボロノロにされてしまう。それに、もしポルノ映画のアルバイトが露見したら、私の大学からの奨学金はストップされ、下手をしたら大学を退学させられるかもしれない。私が体験したあの演技は、人情の入り込む余地など全く無く、淫猥で、自己嫌悪に陥る泣き出したい仕事だった。変態者だと軽蔑罵倒されても仕方ない行為の連続だった。だから九条美鈴は大学を辞めたのだ。二度と、あのような世界に近づいてはならない。三宅監督の誘いは断るべきだ。私は、そう決断した。

「私、別の仕事が入っていて、それどころではありません。お会い出来ません」

「そこを何とかならないかなあ」

「無理です。もう電話しないで下さい」

「原島君に断るよう言われているのか」

「彼とは関係、ありません」

 私はそう答えて、一方的に電話を切った。それから恐怖に襲われた。あの映画が上映されるかと思うと恐ろしかった。大学の仲間や芳美姉や私を知る多くの人たちに知れたら、どんなことになるか。大学を退学させられ、下手をしたら強制送還させられるかもしれない。しかし上映されるということが事実なら、映倫から上映許可されたということになり、何ら問題ないかもしれない。誰かに気づかれ、私が恥ずかしい思いをするだけかも。私はあれやこれや考え、苦悩した。数日間、悩み、アルバイトを終え、憂鬱な気分でマンションに戻ると、夕食の席で琳美が私に言った。

「ずっと考えていたんだけれど、今度の日曜日、早川君に会おうかしら」

「誘われたの?」

「うん。映画を観ようって」

 映画という言葉に私は、ドキッとしたが、彼女たち未成年が、成人映画『愛の泉』を観る筈が無いと、何度も自分に言い聞かせた。そして年上の相談相手らしく、琳美に優しく訊ねた。

「早川君のこと、好きなんでしょ」

「うん。何で分かったの?」

「だって、琳ちゃん、綺麗になったから」

 すると琳美は調子に乗って、とんでもないことをまで訊いて来た。

「キッス、許しても良いかしら」

「まだ早過ぎますよ」

 私は天真爛漫な琳美に軽ずみな行動をしてはいけないと注意した。この忠告の仕方が自分のしている実態とは正反対のことであっただけに、私は自分の事を不潔な女だと、自分で自分を軽蔑し憎悪した。


         〇

 9月後半になると、タイでクーデターが起きたり、日本の首相が、小泉純一郎から安倍晋三首相に替わったりした。だが留学生の私には余り重要視することでは無かった。希望するなら、中国の江沢民から代替わりした胡錦涛主席と小泉純一郎から替わった安倍晋三首相に仲良くなって欲しいと願った。そんな金曜日の午後、私は長野の山荘から帰った倉田常務と登戸駅改札口で合流し、駅前ビルの5階のイタリアンレストラン『サイゼリア』で食事をしながら、仕事の話をした。その店の窓から見える景色は左手前前方に、白雪を被った富士山、右手前方に、新宿の高層ビルが林立しているのが望まれ、素晴らしい眺めだった。窓辺のテーブル席に座り、私と倉田常務が、メニューを見ながら、中々、注文しないでいると、ウエイトレスの若い女が、イライラし出した。

「何にしますか?」

「ええっと、何にしようかな。悩むな」

 はっきりしない倉田常務が答えないでいると、彼女は私を睨みつけた。私は彼女に代わって訊いた。

「倉田先生は何にしますか」

「そうだな。森のキノコのパスタ」

「私は海の幸パスタ」

「森のキノコと海の幸ですね」

 ウエイトレスは注文を受けるや、直ぐに立ち去ろうとした。それに私が待ったをかけた。

「待って。ピザも食べたいわ」

「そうだね」

「倉田先生はどれが好き?」

「君が好きな物なら何でも」

「では、これにするわ」

「パジルとトマトのピザですね。繰り返します。森のキノコパスタ、海の幸パスタ、マルガリータピザ。以上ですね」

「はい」

 私が、そう答えた途端、ウエイトレスの若い女は、私たちの手にしていたメニューファイルを取り上げ、膨れっ面をして立ち去った。何かに苛立ち興奮しているのが分かった。倉田常務はその態度を見て、微笑した。

「注文を直ぐにしないからと言って、何も、そうカッカすることは無いのに」

「私たちが甘いところを見せつけたから、怒っているのよ。焼餅ね」

「そうらしいな」

 私たちはクスクス笑った。でも相手の立場からすれば、不倫を匂わせる私たちのゆったりとした態度は、忙しいウエイトレスにとって、不愉快であったに違いない。それも親子以上に年齢差のあるカップル。納得がいかないのは当然かもしれない。倉田常務が小声で私に質問した。

「日本語では焼餅と言うけど、中国語では何て言うの。嫉妬?」

「日本語と同じ嫉妬という言葉もあるけど、吃酢というピッタリの言葉があるわ。酢を食べると書くの」

「酢を食べる。成程。酢を呑み込むと変な気分になるからな」

 私と倉田常務は、嫉妬の感情を表す言葉を弄んで笑った。それから翻訳の話や北アルプスの話などをした。私は翻訳の仕事を沢山、欲しいと依頼した。翻訳が上手になれば、将来の就職に役立つであろうし、文章表現も言語表現も綺麗になると思われた。それに倉田常務から翻訳のアルバイト料が入れば、ちょっとした洋服などを買うことが出来る。私は倉田常務に、大学での優の数が多く、奨学金給付基準に合格し、授業料の一部免除をしてもらっているが、それだけでは生活費が足りないので、アルバイトでの稼ぎが必要だと話した。すると倉田常務は、こう言った。

「自分の学生時代を思い出すよ。食事をする金も無く、友達におごってもらい、アルバイトしながら食いつなぎ、私もやっと大学を卒業したんだ。同じ苦労をしている君の姿を見ていると、胸が痛む。協力してやりたいと思っている」

「パトロンになってくれるの?」

「パトロンにはなれないよ」

 倉田常務は私のパトロンになることを、はっきりと拒否した。私がちょっとムクレ顔をしたところで、野菜サラダが出て来た。2人とも空腹であったから、あっという間に平らげた。続いてパスタが出て来た。私の海の幸パスタは結構、辛かったが美味しかった。その後、パジルとトマトのピザが出て来た。件のウエイトレスの若い女が、こんなに食べるのといった顔で私たちを睨んだ。私はピザを8等分にして、2つの皿に分け、2枚ずついただき、4枚を残した。最後はデザートとコーヒー。2人とも満腹になった。私は、ずうずうしく、残りのピザをウエイトレスに持ち帰るので、包装して欲しいと頼んだ。すると彼女は四角い紙箱に、ピザを入れ、ポリ袋に入れてくれた。

「ありがとう」

 私たちは彼女に礼を言って、店を出た。駅前ビルの5階から、エレベーターで1階に降り、私たちは前回と同じように多摩川の川べりを散歩した。

「運動しないと太ってしまうわ」

 私は倉田常務を誘った。結局、私たちは前回と同じホテル『アモーレ』に入った。シャワーを浴び、ベットに入り、私は倉田常務に抱かれた。倉田常務のしなやかな愛技は、私を燃え上がらせた。倉田常務は私の状態を見定めて、彼の体内にほとばしる欲望を、私の濡れる愛器に真直ぐに突入させて来た。私たちは身震いする程、肌触りも、繋がり部分も相性が良かったから、その快楽に溺れた。たまたま出会った2人なのに、今や、もう貪欲に遠慮なく愛し合う深い関係になろうとしていた。


         〇

 S大学の文化祭が終わると、可憐や真理たちをはじめ、男子学生たちも解放された。ハイキングやボーリングやドライブなどに行こうと誘われたので、時間をやりくりして、可能な限り学友たちと遊んだ。大学の講義をさぼり、遊びの為に、有意義な時間を浪費した。これが青春の大学生活と思えば、何事も許容された。私が気にしている工藤正雄も、私の全く理解出来ない絵画展やラグビーに連れて行ってくれた。しかし彼は都会人にしては珍しく純粋で、会って一緒にいるだけで、手を握ることもしなかった。他の男性に較べ、何故か用心深かった。それだけに青春に逡巡する彼が、青い林檎の実のように、私には魅力的だった。一方、西村老人と入れ替わるように現れた倉田常務も魅力的だった。しかし彼の周囲には女性たちも多かった。彼は妻のことなど全く気にしない人だった。定年退職後の第2の人生。楽しみたいだけ楽しめば良いと考えていた。当然のことながら、そんな明るく楽しい彼の所に、沢山の人たちが近寄って来た。彼はそうしてやって来る人たちに語った。

「ゲーテは言った。人は夢があれば生きられる。絶望は愚か者の考えである。人生は夢に向かって突き進むことである。還暦を過ぎれば、一つの幕が下りて、人生の第2幕が始まる。私は人生の第1幕が終わり、第2幕の舞台に入っているのだから、第2幕は派手に演じたい。一回きりの人生だから」

 こういった彼の人柄、考え方は、流石、有名企業の常務経験者らしい発想だった。彼が語ってくれる夢は西村老人や私の父、志良とは異なり、温和でありながら奇抜で楽しかった。

「折角、生まれて来たのだから、自分の人生を、どんな風に仕上げるか、毎日が楽しみでならない」

 年齢からすれば老人なのに倉田常務の考えることは、青年のように眩しく輝いていた。豊富な経験と過去を持つ彼は一見、品が良く、とても優しく、実に落ち着いて見えた。私に翻訳の仕事を依頼しても、督促をすることが無かった。彼には妻の他に、銀座や新宿、上野のホステス、会社勤めのOL、女流詩人、女流画家、女教師、、中国人や韓国人の女性など、お付き合いしている女性が多かった。その為、大学の仲間たちと遊んでいても、倉田常務のことが気になった。私のことなど直ぐに忘れてしまうのではないかと思ったりした。そこで彼の携帯電話にメールを送ったりした。

 *倉田老師、ニイハオ。

 元気ですか。私は元気ですよ。

 翻訳の仕事はまだ終わってないです。

 もう少しで終わるから待っていて下さい。

 仕事は忙しいですか。会いたいな。

 最近、風邪をひいている人が多いです。

 先生も風邪をひかぬよう身体に気を付けてね*

 だが、倉田常務から返送されて来たメールには、私をときめかせる文言は何も無かった。

 *翻訳の仕事は急が無くても結構です。

 勉学を優先して下さい。

 翻訳が終わったら連絡下さい*

 私には何故か冷たい返信に思えた。私が翻訳途中であるというのに会いたいとメールしたのに、私の気持ちが彼には分からいないのでしょうか。普通、男なら女から会いたいなと誘われれば、期待して跳びついて来るのに、彼は冷淡で事務的だった。彼は私に女の魅力を感じていないのかしら。私はイライラした。生理の所為かも知れなかった。カッカしてアルバイトにも身が入らなかった。アルバイトを終え、マンションに帰って琳美の笑顔を見ると、少し落着いたが、琳美から見ると、普段の私と何処か様子が違って見えたらしい。

「愛ちゃん。大丈夫?」

「何が?」

「顔が赤いわ。熱があるんじゃあないの」

「平気よ。これくらい」

 そう答えたものの、言われてみれば、熱があるような気がした。夕食を済ませ、教材に向かおうとすると、頭がボーッとして来た。私はそこで初めて体温計を使用し、体温を測った。何と38度。喉の調子もおかしい。私は慌てて風邪薬を飲み、睡眠をとった。琳美がコンビニで氷を買って来て、頭を冷やし、看病してくれた。しかし高熱は治まらなかった。このまま死んでしまうのではないかと心細くなった。一夜、明けても高熱は続いた。琳美がとても心配した。

「これじゃあ、学校へ行くのは無理ね。病院に行って診察してもらった方が良いわ」

「そうね」

「私も学校を休んで一緒に行ってあげる」

「駄目よ。琳ちゃんは学校へ行きなさい」

 私は朝食を済ませると琳美と一緒にマンションを出て、新宿駅近くの『J病院』に1人で行った。待つこと1時間半。ようやく診断してもらうことになった。私を診察してくれたのは中年の斉田博美医師だった。初め目を観て、口の中を覗いてから、上半身を裸にして私を診察した。胸を触られたりして、ちょっといやらしかった。その後、血液検査のデーターから炎症を患っている事が判明。高熱であることから、肺炎ではないかと、レントゲン写真を撮った。結果、肺炎までに至らず、気管支炎ということで、それに対応する薬を出してもらうことになった。診断を終え、斉田医師に礼を言い、診察室から退去する時、斉田医師は私に色目を使っ言った。

「ストレスが溜まって、高熱が出たのじゃあないかな。お大事に」

 私はそれどころではなかった。角筈のマンションに戻り、薬を飲んで布団に入り、安静にして、その日を過ごした。


         〇

 私は1週間程、大学に行かず、風邪薬を飲み、体調を整えた。その間、私は倉田常務から依頼された翻訳の仕事をした。中国の『天津先進塑料机械』のカタログの中国文を日本語に訳したり、機械の仕様書を日本語に翻訳するなど、専門的な名称が多く一苦労したが、何とか形になり、それを芳美姉のいる『大山不動産』の事務所に持って行き、パソコンに打ち込んだ。そして、それをプリンターで印刷し、頼まれている翻訳の仕事を完成させた。カタログの文章は可憐にチェックしてもらわなかったので、問題点もあるかと思うが、私は倉田常務に、携帯電話で、翻訳が完了したと伝えた。結果、日曜日、新宿駅東口で、倉田常務と会うことになった。その日、倉田常務はバングラディシュの人と上野で打合せし、午前中に打合せを済ませ、上野から新宿に移動して来た。私たちは新宿駅東口交番前で合流すると、駅の喧騒から離れた靖国通りの『トマト』という喫茶店に入った。席に座ると倉田常務が私に訊いた。

「昼ご飯、食べましたか」

「まだです。でも要らないわ。朝食、遅かったから」

「私は客と済ませて来たが、君、何か頼んだら」

「いいんです」

 私はそこで高熱を出し、1週間程、学校を休んだことを話した。物も食べず、じっとしていたと話したので倉田常務は、私のことをとても心配した。

「食べなければ駄目だよ。何か食べなよ」

「ありがとう。でも油物は食べられないの。野菜サラダだけいただくわ」

 結局、頼んだのは野菜サラダと紅茶だけ。そんな私だったから、倉田常務は尚更、心配して、質問して来た。

「何が原因だったの?」

「ストレスが溜まって、高熱が出たらしいの」

 私は『J病院』の斉田医師が、私をからかうように言ったのを思い出し、倉田常務に伝えた。すると倉田常務は私の鼻を突っついて言った。

「そういえば、ニキビがちよっと増えたね」

 私が気にしている事であったが、ストレートに言われると、何だか、明るい気持ちになれた。私たちは紅茶を飲みながら、翻訳の内容確認を行った。倉田常務は、私が適当に名前をつけた専門用語を修正し、万全とはいえないが、ほぼ満足した様子だった。私が、後から運ばれて来た野菜サラダを食べ終わると、倉田常務はテーブルの上の私の手を握って、私を見詰めて言った。

「悩み事は君一人で抱かえ込まない方が良いよ。聞いてあげるから、言ってごらん」

「いいの。倉田さんに迷惑をかけられないわ。それより楽しい時間を過ごしましょう」

 私は瞳を輝かせ微笑して見せた。すると倉田常務は目を輝かせた。陽光に煌めく雪のようなまぶしさに、彼が吸い込まれ、期待を膨らませるのが分かった。

「病気になって私が本当に瘦せ細ったのか確認したいんでしょう」

 私は、そう言って立ち上がった。喫茶店を出ると晩秋を迎えた風が冷たかった。歌舞伎町の歩道には、何処から舞い込んで来たのか、桜の枯葉が何枚かコロコロと転がっていた。私たちは歌舞伎町をさまよい、『ドリーム』というホテルに入った。オール自動の近代的なラブホテルだった。部屋に入るなり、私は倉田常務の首に跳びつき、告白した。

「私、倉田さんにとても会いたかった。高熱の中で、倉田さんに会いたいって、そればかり考えていたの」

「本当かな?」

「本当よ。だから、こんなに痩せちゃったのよ」

 私は倉田常務にキッスして離れると、Tシャツとジーパンを脱ぎ、ブラジャーとパンティだけつけた姿になり、ベットの上で大の字になって、私の少し痩せた全身を曝け出して見せた。すると倉田常務は私のバランスのとれた美しい裸体を見て興奮した。

「痩せたりしちゃあいないじゃあないか。以前より、ちょっと細くなって丁度良いよ。素敵だ。とても綺麗だ。ヌード写真にして飾りたいくらいだ」

「本当。嬉しい。なら、来て」

 私はシャワーを浴びることも忘れて、興奮する倉田常務を誘い、彼の背広、Yシャッ、ズボン、パンツを脱がせ、行動を開始した。倉田常務は私に煽られ、燃え上がった。彼の男根は早くも膨張し、これ以上ない程、熱く太く硬化し、そそり立っていた。

「まあ、お見事」

 私は目を見張り、自分の若いエネルギーを彼の欲望と衝突させた。攻撃と防戦。戦いは激化し、私は戦闘の喜びを老体に感電させた。たまらない。何でこのような間柄になってしまったのかしら。起こり得ない老人と女子大生の再びの軌跡。倉田常務は私に挑みながら何を考えているのでしょう。女の自分への愛の奥底には、外見と違う、小狡い打算が淀んでいるに違いないと思っているのかも。もし、そうであるとするなら、私はそれでも構わない。何であれ、私に愛情を注いでくれれば、それで良い。ああ、何て私は身勝手なのでしょう。私は倉田常務と共に満足し、お小使いと翻訳料をいただき楽しい日曜日を過ごした。


         〇

 11月後半になって、急激に寒さがやって来た。都内で行き交う人たちは、コートを着たり、帽子を被ったりブーツを履いたり、防寒着姿が目立つようになった。当然の事ながら、私も冬支度を始めなければならなかった。あんなコートが欲しい。あんなセーターが欲しい。あんなブーツが欲しい。あんな帽子も被ってみたい。私は可憐や真理や純子たち級友や新宿の繁華街を通り過ぎる女性たちを見て、綺麗な装いをしてみたいと願った。世の中には美しい服が沢山ある。それらを着て、変身したいと思う。別の衣服を装うことによって人は変われる。今まで以上に綺麗に見せることが出来る。私は、そんな気持ちを胸に琳美と、時々、新宿の地下街のアパレル店を覗いてみた。百貨店で扱う、柄物を部分的に使うバーバリーのコートやフェンディのケープ付きコートなど素敵だったが、高価すぎて、手が出なかった。それに較べ、地下街のアパレル店の商品は手ごろだったが、私には何着も買う余裕が無かった。琳美もいろいろの服を見て回った。高校生になった彼女は今や少女では無く、周囲からチヤホヤされたい年齢になっていた。可愛い服を着て、自分を試したいと考えているのが見え見えだった。自分にも、そんな時があった。女は自分の存在感をはっきりさせる為に、美しい装いをする。しかし、それらの衣装を手にするにはお金が必要だった。そんな時、芳美姉の経営するマッサージ店『快風』の店長、謝月亮から、人手が少なくなっているので、月曜日もアルバイトが出来ないかと言われた。私は直ぐにOKした。私の夕方からの仕事は忙しくなった。コンビニのアルバイトの後、月、水、金、土と週4日、マッサージ店に出かけ、働いた。その為、琳美の勉強を見てやる時間が減少した。でも、このことについて、芳美姉も琳美も文句を言わなかった。大山社長はじめ、誰もが、互いの利益の為だと納得済みの事だった。店長の月亮だけが、気兼ねしていた。

「ごめんね。無理ばかり言って」

「気にしなくていいの。お金になるのだから」

 私は割り切って明るく答えた。お世話になっている芳美姉たちの仕事の手助けになるのならと、妥協することが出来た。月亮は私のことを経営者である芳美姉の従妹だからといろいろと気を使ってくれた。仕事の内容が男相手の仕事である。彼女は、店に来る男たちの欲望を熟知していたから、心配でならないみたいだった。彼女には私にどれだけの防衛本能があるか自信が無かったらしい。成り行きで、私を泣かせるようなことになってはいけないと、四六時中、神経を使っていた。カーテンで仕切られた私の仕事場が静かになると、私と一緒に働く陳桃園や白梨里に中国語で声をかけさせた。

「何をしているの」

「悪戯を許しちゃあ駄目よ」

「男は入れたがるけど、入れさせちゃあ駄目よ」

「そんなことしたら、貴女が牢に入れられるのよ」

 それは分かっているけど、男の盛り上がった欲望を目にすると、可哀想でならなかった。私は彼らの欲望を手で処理してやる以上のことは許されなかった。彼らに協力出来るのは、胸を触らせたり、スカートの中に手を入れさせるのが限度だった。風俗法違反で、芳美姉が逮捕されることになったら、それこそ大変だった。警察に摘発されるようなことになったら、中国に強制送還される可能性があった。しかし、性感エステ、回春エステなどという看板を出しているのであるから、ある程度、客にサービスをしなければならなかった。私は、そんな危険を感じながら、新しい冬の衣服を買う為のアルバイトに励んだ。感情を殺し、男たちの背中や腰や肩や足の裏などをもみほぐした。結構、疲れる仕事だったが、お金を得る為に仕方なかった。


         〇

 倉田常務からの翻訳の仕事は継続していて、私たちは新宿で会うことが多くなった。何故なら登戸より、新宿の方が、喫茶店にしろ、レストランにしろ、遊び場が沢山あったからだ。11月末の日には倉田常務の行きつけのレストラン『木曽路』に連れて行ってもらい、そこでシャブシャブの料理をご馳走になった。和服姿の女性が細かく面倒を見てくれるコース料理で有難かった。私はちょっと甘え、赤ワインを飲んだ。倉田常務はビールを飲み、直ぐに赤くなって、ポツリと言った。

「生まれ変わったなら、愛ちゃんと一緒になりたいな」

 そう言い放って私の反応を窺がう彼に、私はストレートに返答した。

「生まれ変わらなくても良いじゃあない。今のまま一緒になりたいわ。奥さんと別れてもらって」

 すると倉田常務はギョッとした顔をして恐る恐る私に確認した。

「でも、こんなに年齢差があっては」

「年齢差なんて関係ないわ。奥さんが怖いんでしょう。奥さんを愛しているのね」

 私は無責任にも甘い言葉をぶっけて来た倉田常務を睨み返した。すると倉田常務は私から視線をそらせた。私は倉田常務が誰よりも妻を愛していることを感知して微笑した。

「返事が無いところを見ると、矢張り、奥さんを愛しているのね」

「もう婆さんだよ」

 彼は笑って誤魔化した。私たちは美味しいシャブシャブ料理をいただき、満足したところで、レストランを出た。私たちは、そこから歌舞伎町方面へ向かった。私はその途中、倉田常務と同年輩のカップルが私たちの前を仲良く歩いている姿を見て、倉田常務に訊ねた。

「倉田さんは、奥さんと、きっと、ああして仲良く手を組んで歩いたりしているのね」

「いや。私は手を組まないよ」

「何故、手を組まないの。どうしてなの。そういえば、私とも手を組んでくれないわね」

「それは」

 私に追求され、倉田常務は困った顔をした。しかし私には分かっていた。倉田常務は、私の父と同様、欧米人とは違うのだ。人前で手を組んだり、接吻することは品が悪いことであり、不道徳なことだと禁じて来たのだ。私はそれが分かっているのに意地悪を続けた。

「どうしてなの?」

「私は東洋人だ。東洋人は、ああいうことは余りしない」

「でも最近は違うのよ。日本でも中国でも、人前で堂々と愛情表現するのを見かけるわ。私も倉田さんと手をつないで歩きたいの」

 私は、そう言って倉田常務の手にぶら下がろうとした。しかし、彼は拒否した。

「知ってる人に見られたらまずいから、やめてくれ」

 それでも私がぶら下がろうと、彼をからかうと、彼は拒否し続けた。それが面白かった。そんなじゃれっこをして歌舞伎町の四季の通を通り抜けて進んで行くと、ホテル街に出た。私は倉田常務が白いお城のようなホテルの前を通過しようとしたので、肩から彼にぶつかった。すると、ほろ酔い気味の倉田常務は、そのホテルの入口に転がり込み、手に持っていたカバンを落としそうになった。私は慌てて、そのカバンを受け取り、彼をホテルに連れ込んだ。ホテルの自動ドアが開き、フロアに入ると、若い大学生のカップルが、チエックイン方法が分からず、タッチパネルと受付窓口の間でウロウロしていた。その間、私たちはフロアの片隅に飾ってあるショーウインドウの中の大人のオモチャの売り物を覗いた。

「こんなの大き過ぎるわ」

 私は飾ってある男のシンボルを見て笑った。そして倉田常務の手を強く握った。すると倉田常務も手を握り返して来た。先程まで、あんなに手を握るのを拒否していたのに何よ。そうこうしているうちに大学生のカップルが、やっとチエックインを済ませた。私は直ぐにタッチパネルの前に行き、安い部屋のナンバーをインプットし、チエックインカードを受け取り、倉田常務を誘導した。部屋に入るなり、私は倉田常務にキッスした。時々、会っているのに愛しかった。彼も同様なのか、私と濃厚なキッスをしながら、私の服を脱がせる。私も彼の服を脱がせる。全裸になると、待ちきれない。私たちはシャワーも浴びず、ベットの上でもつれ合った。私は自分の魅力的肉体の総てを露出し、男の欲望を翻弄した。交わりながら倉田常務は私に囁いた。

「女の魅力は、色やかさと温もりにある。君はその男の願望を受け入れる体質を持っている」

 私の身体は、彼の甘い言葉と強く燃える物体によって、トロトロにされた。彼の繰り返す執拗さに意識が朦朧として来て、遂には恍惚に達した。そして沢山、攻められた挙句、彼から解放された。互いに満足し、バスルームに入つて、身体を綺麗にしてから、私たちは何事も無かったかのようにホテルを出て、新宿の地下街『サブナード』を歩いた。私は以前から目に付けていた白いセーターを倉田常務に甘えて、買ってもらった。倉田常務は父親のように私に優しかった。


         〇

 12月になると、私たち大学生は小使い稼ぎの為、アルバイトに奔走した。アルバイト先は、忘年会シーズンを狙った居酒屋やスナックなどのアルバイトが多かった。お歳暮品の配達をする男子学生たちもいた。私のアルバイトは相変わらずコンビニの後、芳美姉の経営するマッサージ店の仕事だった。仕事疲れの会社員や酔っぱらった男たちを相手に、私は彼らの血行の良くない身体をもみほぐした。老人や中年は当然のことであるが、若者も、相当に身体中が凝っていた。私は、その凝り固まったものを、私のしなやかな指を使って、ゆっくりと優しくもみほぐした。私の程よい刺激により、男たちの身体の中で淀んでいたドロドロの黒い血が、もみほぐされ、細分され、柔らかく溶け出し、綺麗なサラサラの血になって流れ始めるのが、何故か自分にも伝わって来た。男たちは私の刺激により、今まで体中に潜伏凝縮させ眠らせていたものを、沸き立たせ、まるで新緑の樹々の芽のように、その欲望を内側から芽生えさせた。それは彼らにとっても、その相手をする私にとっても、恥ずかしいような、むず痒いような、くすぐったいようなものだった。それは最初のうちは小さなさざ波のようなものですが、次第に狂おしい波になり、激しく相互の身体と心に押し寄せた。このことは危険だった。ある男が私に言った。

「やらせてくれるかい」

「駄目」

「あんたはこの間、上野で観た映画の女に、そっくりなんだ。あの女は男を弄ぶ魔性の女だ」

「その女に、私が似ているというの」

「ああ、そっくりだ。妖艶な顔といい、身体つきといい、瓜二つだ」

 私は、それを聞いて、一瞬、手を休めたが、慌てて彼をうつ伏せにさせ、その背中に乗り、鉄棒に掴まって、上から足踏みをした。気づかれてはならなかった。この客は三宅幸生監督のポルノ映画『愛の泉』を観たに相違なかった。

「その映画館て、上野の何処にあるの?」

「不忍の池の畔りの小便臭いところさ」

「そう。ストーリィはどうだった?」

「単純なストーリィさ。若社長が、あっちこっちの女とやりまくるポルノ映画さ。謳い文句のロマンなど、何処にもない。何が『愛の泉』だ」

 彼は私に背中を踏まれ、苦痛の声を上げながら話した。そんな会話をしていると、時計の針が過ぎるのが早い。私は、雪薇や月亮に教えて貰った方法で、男を満足させることに移行した。それは実に簡単なだった。男のパンツを降ろし、彼の興奮している丸棒を温かいオシボリで手こきしてやると、彼の欲望はたちまちにしてオシボリの中に噴出した。男は私にその始末を綺麗にしてもらうと。満足して下着を身に付け、ズボンをはき、Yシャツを着て、背広を羽織りながら、また言った。

「それにしても似ているなあ」

「それは良かったわね」

「ああ、良かったよ。ありがとう」

「また来てね」

 私は御愛想を言って、彼を見送った。立ち去る彼にウインクしながら、私たちの会話が月亮や桃園たちに盗聴されたのではないかと、気が気でなかった。私がポルノ映画の仕事をしていたことが、露見したら、それこそ、大変なことになる。私は『愛の泉』が人気にならないことを願った。


         〇

 私は品の良くない男たちを相手のアルバイトの仕事にストレスが蓄積し、ふと工藤正雄や倉田常務に会いたくなったりした。しかし工藤正雄は居酒屋のアルバイトで、深夜近くまで働き詰めで、私に会ってくれる余裕など無かった。また倉田常務も『日輪商事』の森岡課長や中道係長と一緒に、中国の機械メーカー『天津先進塑料机械』の社長たちを日本の顧客に案内していて、都内にいることが少なかった。だからといって、昔の男たちに声をかける気は起こらなかった。私は先日、マッサージをして上げた客の言葉を思い出し、『愛の泉』が上映されている上野の映画館に行ってみることにした。その映画館は上野公園正面入口に近い、不忍の池寄りの細い路地にあった。映画館は『浪漫劇場』という名の映画館で、上映中の立て看板には何と九条美鈴と私のヌード写真が張り出されていた。チラシに書かれた配役の名は、九条美鈴が堀川美保、若林静子が宮本ひとみ、私が奈良愛子。黒木健介の名はそのまま黒木健介だった。ピンク映画専門の映画館らしく、映画の宣伝文は滅茶苦茶だった。快楽に溺れる若社長、美しい淫乱な女たち、挟み込んだら離さない。、錯綜する性、上下の口を貴男が満たしてなどなど。私は、その宣伝文を読んで恥ずかしくなり、その場から逃げ出した。その後、私は不忍の池の畔りを歩き、『紅薔薇』に行こうとしたが、思い留まった。もし誰かが『浪漫劇場』の看板を目にして、私が出演していることに気づいたなら、何と言われるか分からない。私は相当に見下されるに違い無い。ふしだらな女、売女、不潔な女などといった言葉が、私の脳中を駆け巡った。どうすれば良いのか。私は心を取り乱し、慌ててマンションに帰った。すると食卓に教科書を広げて勉強していた琳美が、待ってましたとばかり、私に話しかけて来た。

「今度の日曜日、早川君に会うの。クリスマスプレゼントを交換する約束したの。何が良いと思う?今、考えているのはマフラー、靴下。他に何かある?」

「高校生だから、簡単な物で良いと思うわ。ボールペンとか小銭入れとか」

「そんな物で喜んでくれるかなあ」

 そんな純真な琳美が私には羨ましかった。かっての私にも、そんな少女時代があった。しかし今の私は、もうどうしようもない阿婆擦れ女だった。高潔な夢を描いて、日本にやって来たのに、多くの人たちと付き合っているうちに、とんでもない人間に変色してしまっていた。この変色の原因を他人の所為だと、なすりつけることは出来ない。いろんな人と接触して変色してしまったのは私自身の所為だ。私は映画出演したことと、今しているマッサージのアルバイトなどによって、これから益々、自分が暗いどうしようもない不道徳な人間になって行くような気がしてならなかった。しかし、今の生活を嫌悪しつつも、逃げ出す訳には行かなかった。今は絶望せず、恥を隠し、未来に期待し、生き延びるしか方法がないと思った。人生はテレビドラマに似ている。私の人生には、いろんな人が登場して来たり、消えて行ったりするが、誰が何と言おうと、主人公は、この私なのだ。未来を見詰め、しっかりしなければならない。


         〇

 大学の冬休み前の最終日、私は可憐や真理や純子たち級友と、大学近くの喫茶店でコーヒーを飲んだ。私と違って、ほとんどの女子大生たちは、裕福な家庭で暮らしているので、アルバイトなどせず、これから年末年始にかけて、遊び放題みたいだった。純子は両親に内緒で、平林光男と、ハワイ旅行に出かけるとの話だった。可憐は長山孝一が年末までアルバイトなので、正月になってから、彼と旅行しようか考えていると語った。真理は小沢直哉と年末からスキーに出かけると得意顔だった。直哉を射止めた真理が私に訊いて来た。

「で、愛ちゃんは、どうなの?」

「どうなのって?」

「工藤君とよ」

 3人が私と工藤正雄の関係を追及して来た。しかし、私と工藤正雄の間には、色っぽいものは何も無かった。私は月初めに携帯電話で彼から聞いた話を、そのまま答えた。

「彼、長山君と一緒に居酒屋でアルバイトしていて、年末まで遊んでいる暇が無いのですって。だから来年までデートはお預けなの」

「そんなで平気なの?」

「愛ちゃんには、中国人の恋人が東京にいるんじゃあないの?」

「そんな人、いないわよ」

 私は、そう答えたものの、恋人とはどういうものか分からなくなっていた。でも工藤正雄のことは、とても気にかけていた。気になって仕方なかった。だから琳美がボーイフレンドに渡すクリスマスプレゼントを買いに行く時、私も一緒に行ってクリスマスプレゼントを、幾つか買った。そのプレゼントのシャープペンシルは何時でも渡せるように、カバンの奥にしまってある。仲間たちとの会話は尽きることが無かった。私はコンビニのアルバイトがあるので、仲間より一足先に喫茶店から退散することにした。

「私、アルバイトがあるので、お先に失礼するわ。では皆さん、良いお年を」

「もう帰るの。残念ね。じゃあ、良いお年を」

「頑張ってね」

 彼女たちは私がアルバイトで急いで帰るのを、喫茶店の中で手を振つて見送つてくれた。私は喫茶店を出て駅のホームに駆け込み、新宿行きの小田急線電車に跳び乗った。電車が経堂駅を通過してからだった。隣りの車輌から長身の男が私のいる車輛に移って来た。何と、その男は工藤正雄だった。

「どうしたの。同じ電車だったのね」

「何だよ。その言い方。待っていてくれたのねと思わないんだ」

 私は実直な正雄の言葉に苦笑して、正雄が言ったセリフを、そのまま返した。

「待っていてくれたのね」

「うん。駅のホームで待っていて、同じ電車に跳び乗ったんだ。クリスマスプレゼントを渡したかったから」

「それは有難う」

「下北沢の『ピッコロ』にでも行こうか」

「時間が無いから、新宿の喫茶店にしない」

「いいよ。俺のバイト先も新宿だから」

 私たちは、そのまま新宿に行き、駅地下街にある『モア』に入り、コーヒーを飲んだ。工藤正雄は私を見詰めて言った。

「こうやって、2人で話をするって、久しぶりだな」

「そうね。そう言えば、去年、渋谷でフランス料理、ご馳走になったわね」

「あの時、君から貰ったマフラー、まだしているんだ」

「私も、このハート形のネックレス、大切にしているわ」

 私は、あの時から私たちの間隔が全く近づいていないことに気づいた。大学2年生になったのに、何の展開もないまま、1年が過ぎ去ったのだ。そんなことを考えた為か、何故か飲んでいるコーヒーが、ほろ苦かった。正雄がそんな私に小箱を差し出した。

「今度の日曜日、会えないから、これクリスマスプレゼント。何時も遅刻するから、時計にしたよ」

「有難う」

 私もそれに合わせ、カバンの奥にしまっておいたクリスマスプレゼントを正雄に渡した。

「私もこれ、クリスマスプレゼント。シャープペンシル。安物でごめんね」

「何を言っているんだ。君の心がこもっていれば、俺は満足だよ」

「有難う。クウ君」

 私は彼の言葉に涙が出そうになった。嬉しかった。このまま彼とホテルでも行きたかった。しかし、私たちには、その時間が無かった。別々のアルバイト先が、私たちを待っていた。


         〇

 月曜日、倉田常務から預かっていた輸入機械の取扱説明書の翻訳が出来上がったので会いたいと、メールを入れると、彼から中国文の混ざった返信が送られて来た。

 *聖誕節快楽。

 希望能与你尽快見面。

 一直想正被見敵你。

 ずっと会っていたい君。

 今日の午後3時、OKです。

 私は若者気分でメールして来る老人のときめきを、どう受け止めるべきか悩んだ。彼は私の若さと肉体に惑わされ、夢中になっているのではあるまいか。それが為に、私に翻訳の仕事を依頼して来ているのではないでしょうか。大手商社『日輪商事』には、中国語の分かる社員が何人もいる筈である。なのに何故、私が。私は、そんなことを考えながら、待合せ場所に向かった。街にはクリスマスソングが流れていた。新宿駅東口交番前まで行くと、倉田常務が、オーバーコートの襟を立て、私を待っていた。私たちは交番前で合流すると、そこから歌舞伎町へ向かった。その途中、私が、今回の書類は専門用語が多く、翻訳に苦労したなどと話した。歩きながら何となく人につけられているような気がした。振り向くと後方からサラリーマン風の中年男が、私たちの後をつけて来ていた。誰かに頼まれ、私、あるいは倉田常務の素行調査でもしているのでしょうか。私は、その男が、三宅監督の事務所『Mスタジオ』にいた男のような気がして不気味でならなかった。だから倉田常務に、そっと告げ口をした。

「後をつけられているみたい。気持ち悪いから、そこの病院に入りましょう」

「分かった」

 私と倉田常務は、病院に見舞いに行く振りをして『大久保病院』に入った。すると男は何処かへ行ってしまった。私たちは病院で少し時間をつぶしてから、ホテル『スイート』に入った。私は部屋に入り、コートをクローゼットに仕舞ってから、まず翻訳した書類を渡した。ここでも専門用語が多く、翻訳に手間取った苦労話をした。すると倉田常務は快く納得してくれた。

「分かった。5千円プラスするよ」

「有難う」

「それに、これ、クリスマスプレゼント」

「まあ、有難う。私からもプレゼント」

 私は倉田常務からのピアスのプレゼントと、私からのネクタイのプレゼントを交換した。それから私は彼に跳びつき喜びのキッスをして、彼の背広を脱がせた。クローゼットに彼の背広とズボンを掛け、自分も衣類を脱ぎ、全裸になった。そして2人でバスルームに入り、ちょっといちゃついた。倉田常務が、先にバスルームから出た後、私は自分の身体の隅々まで丹念に洗った。シャワーを終え、バスタオルで濡れている身体の水分を拭き取り、倉田常務が嬉しそうに目を細めて待つ、ベットの上の柔らかな布団に潜り込んだ。彼は急がなかった。ゆっくりと私の乳房を撫で回してから、その手を小さなお臍の穴から下へと運び、私の割れ目の濡れた部分を弄った。私は目を瞑り、彼にされるがまま、自分の割れた隙間から甘い果汁が湧き出すのを待った。彼の細い指が、不思議なレバーのように果汁を求めて動く。その繰り返しの愛技に私の割れ目から果汁が漏れ始めたのを確認すると、倉田常務は、ゆっくりと私の両脚を割って入って来た。彼は年齢と相違して、精力的だった。彼は火傷することも恐れず、私を愛し、正面から激しく、鋭く、深く愛を注いだ。その豊かな愛液は、彼が私と連結させている口金から流れ出し、私の中に流れ込もうとしたが、私の性器を潤すことは無かった。その総ては彼が連結パイプに被せた袋の先端に滞留させられてしまった。私は、その流れの経緯を体感しながら想像し、ゆらめきながら恍惚に達した。私たちは長い間、連結の歓びにじっとしていたが、彼の連結パイプが柔らかくなり、連結がゆるくなるや、合体を解いた。私は彼の注いだ愛を確認した。それは艶やかな輝きを帯び、まさに白い生クリームのようだった。私は、その生クリームの溜まったコンドームを取り上げ、倉田常務をからかった。

「随分、多いわね。家ではしてないの?」

「ああ、女房とは休戦状態が続いている。平和だ」

 私には、彼の言うことが理解出来なかった。私はそれから大人たちの性生活について、いろいろ質問した。

「それで、欲求不満にならないの?」

 すると倉田常務は夫婦の性生活について、こう語った。

「夫婦などというものは長年、付き合っていると、厭きるものさ。隣りの芝生が青く見えるという言葉があるように、他人が持っているものが良く見えたりするんだ。それで、不倫したり、結婚時の約束を破って離婚したりする夫婦もいる」

「倉田さんは、どうなの」

「今は家で食べるのを止めて外食さ。家の食事より、外食の方が美味しいから」

「まあっ。外食って私のこと」

「まあね」

 私は、そんな身勝手な夫婦生活の様子を聞いてから、バスルームに入り、結婚とは、そんなものなのかと思った。私たちはバスルームから出て、さっぱりして、身を整えると、『スイート』から外に出た。それから近くのイタリアン料理店『マイアミ』に入り、食べ放題、飲み放題。ピザやパスタを沢山、食べた。飲み物はマンゴージュースやコーヒー。倉田常務は外に出ると静かな人柄で、余り喋らなかったが、私の方は良く食べ、良く喋った。私が、来年の1月は試験があって大変だと倉田常務に話すと、彼は自分の若かった時代のことを回想して、こう言った。

「私も学生時代、1月の期末試験で、徹夜勉強などの無理をして、急性肝炎になり、3ヶ月程、入院したことがある。健康に留意し、無理をせず、毎日、コツコツと勉強するのが一番だよ」

 私は最もな事だと思った。そういったアドバイスを倉田常務からいただけるのは、未熟な私にとって、実に有難く嬉しい事だった。


         〇

 年末は大晦日、直前まで『快風』のアルバイトで忙しかった。昼間は琳美と遊んでいたが、夕方から大変だった。5時からのコンビニのアルバイトを途中で抜け、8時過ぎに『快風』に行き、店長、謝月亮の指示に従い、陳桃園や白梨里らと交替で、客の疲れを癒してやった。日本人の男たちは、1年間の疲労に、身体中が石のように硬くなっていた。働かない若者も増えているらしいが、日本人の多くは仕事に熱心だった。ストレスに耐え、懸命に働き、会社や家庭に尽くした。この国民性は、私たち中国人も学ばなければならぬことであった。多分、新宿店同様、何雪薇や謝風梅、劉長虹たちのいる池袋店も先客万来に相違ない。私たちは腱鞘炎になる程、頑張った。そのお陰で、大山社長と芳美姉の会社は、この仕事で荒稼ぎし、ウハウハだった。年末の31日、『快風』は休業となったが、私たち従業員は謝月亮のマンションに行き、ギョウザを作った。池袋店の何雪薇たちは、デザートを作った。芳美姉の所は、日本の年越しそばとお節料理の準備をした。そして夕方前には、各店の料理が、芳美姉のマンションに集められ、6時半過ぎには『快風』の忘年会兼年越しのパーティが始った。広いマンションであるが、琳美も加わり10人以上の人数が1ヶ所に集まると、汗が出る程の熱気に包まれた。大山社長の挨拶から始まり、皆で乾杯し、御馳走をたらふく食べ、好きな物を飲んだ。後は芳美姉をはじめとする中国人女性たちのお喋りで盛り上がった。大山社長は、私たちが何を喋っているのか分からず、例年の如く、日本酒を飲み、琳美と2人で、紅白歌合戦に見入っていた。私たちは勝手なことを話した。

「この間、来たお客、大学教授だって言ってたけど、そうには見えなかったわ」

「どうして?」

「だって、会話にしても、行動にしても下品で、教養がある人には見えなかったわ」

「大学教授だって、ハメを外したい時もあるのよ」

「でも、あの格好はちょっとね」

「嘘をついているのかしら。何もマッサージに来てまで、嘘をつかなくても」

「男って見栄を張るから、そんな嘘をつくのよ」

 謝風梅と劉長虹の話は面白かった。更に会話は進み、若い男性の話になった。彼は30代のサラリーマン。結婚しているのに、池袋店に頻繁に来て、風梅を指名するという。

「あの会社員も変わっているわね。梅ちゃんが店を取り仕切っているのを分かっていて、何時も梅ちゃんを指名するのだから。夫婦生活が上手く行ってないのかしら」

 長虹が、そう話すと、風梅が、その男のことを説明した。

「何を言っているのよ。井上さんは良い人よ。でも奥さんが問題らしいの。職場の男と付き合っていて、すれ違いが多いのですって。それで、お店に来てストレスを解消して帰るのですって」

「梅ちゃん。随分、彼のことを知っているのね。その人に夢中にならないでね」

 風梅の姉、月亮が妹のことを心配して言った。そして長虹に指示した。

「虹ちゃん。梅ちゃんが、その男に傾くようなことがあったら、私に教えてね。もしかしたら、その相手の男、梅ちゃんのことを騙そうとしているかもしれないから」

「そうね。梅ちゃん、最近、彼に若く見られたくて、美容やダイエットに励み、彼が来る時は、オシャレするものね」

「何を言ってるの。長虹のバカ!」

 風梅は恥ずかしいような嬉しいような笑い顔をして、長虹の肩を叩いた。

「ごめん、ごめん」

 長虹は私たちに舌を出して見せ、風梅に詫びた。それを見て、芳美姉をはじめ、皆がドッと笑った。笑い疲れたところで、私たちは年越しそばをいただいた。それから私は劉長虹と黄月麗を連れて、私と琳美の住む角筈のマンションに帰った。他の人たちは芳美姉の所で年越しするらしいが、若い私たちは私たちで、年越しをすることにした。あと1時間で、平成18年が終わり、新しい年を迎えようとしている。来年はどんな年になるのかしら。


   《 夢幻の月日⑤に続く 》





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