愛の架け橋
草原を行く馬車を上空から見下ろし、箒に乗った魔女はニヤリと笑った。
彼女は杖をスッと馬車が走る道へ向ける。
「泥沼になーれ!!」
ここまでもう十分泥沼だったが、魔女がそう呪文を唱えると、馬車の行く先に大きな泥沼が現れた。
馬車の車輪がハマってしまうくらいの、良い具合の深さの沼だ。
ちょっと避けて行くとか出来ない幅もある。
これ以上無いくらい、通せんぼにピッタリの沼だった。
魔女は更に、辺り一面に木を密集させた。
木々の生える間隔は、馬車の通行を許さない事だろう。
「ホホホ、これで先に進めないでしょ!」
魔女の思惑通り、馬車は沼や林に立ち往生する事だろう。
おまけに、よく見ればアーサーの浮気相手の雌馬が馬車をひいているではないか。
これは愉快の二乗、愉快×愉快=大満足である。
これから、横槍雌馬が白く美しい脚を泥で汚し、鞭打たれるのだろうと想像すると、魔女はもう、「ホホホ」とかじゃなくて、「オホ、オホ、ウホホ、ウホッ」とゴリラであった。
一方その頃、馬車ではルゥルゥとセルジュがしりとりをして遊んでいた。
「ウェディング」
「愚兄」
「家」
「エンパイア」
「ア、ア……えーと、難しいわ」
「アワビ!」
ケンタも馬車の外から参戦して、楽しそうだ。
答えを横取りされたルゥルゥは、ちょっと頬を膨らませてムキになった。
「えー、先に言わないでよぉ!」
乗り合わせた乗客達も、可愛らしい少年少女の戯れを「うふふ」と見守っている。
その中に妊婦さんがいて、大事そうに大きなお腹を撫でていたので、ルゥルゥはパァッと顔を輝かせて言った。
「ア――赤ちゃん!」
妊婦さんはニッコリ笑って、ルゥルゥに頷いた。
ルゥルゥもニッコリ笑った。
「いつ生まれるんですか?」
「もうすぐよ。隣の国にある実家で産むの」
「へええ~。じゃあ、早く隣の国へ行かなくちゃ!」
「そうだね、馬車ならすぐだよ。元気な子だといいですね」
「うふふ、ありがとう」
うふふ、あはは……馬車の中は、お花畑みたいな空気でいっぱいだった。
しかし、馬車の速度は次第に落ちて、とうとう止まってしまった。
皆が顔を見合わせていると、御者が出入り口を開けて如何にも残念なお知らせそうに言った。
「すみません、いつも通る道に、急に沼が出来ていまして……先へ進めない様子なんです……」
「ええ!」
馬車の乗客は顔を見合わせて、窓から外を覗き込んだり、馬車を降りて沼を確認した。
御者の言う通り、大きな沼が道を塞いでいる。
「今までこんな沼はなかったのですが……」
「迂回路は無いのかい?」
乗客のオッサンが御者に尋ねた。
「この沼の広さと狭い林を見ると、藪の中をかなり大回りしなければいけません……足下が見えない中、馬を歩かせてぬかるみがあっても困りますし……」
「困るなぁ、今日中に隣の国へ行きたかったのだが……」
このオッサンに限らず、隣の国へ用事がある乗客皆が困り顏だ。
ルゥルゥもセルジュも、皆と同じ様に困った顔を見合わせた。
「隣の国へは、もう目と鼻の先ほどなのになぁ」
「引き返すしかないのか……」
「きっと日が暮れてしまうねぇ」
引き返すには進みすぎてしまっていて、皆がうんざりした気持ちでいると、馬車に残った妊婦さんの呻き声が聞こえて来た。
皆が「ハッ」とした顔をして、馬車の中の妊婦さんの元へ行くと、ほらみろ、産気づいているではないか。さもありなんだ。大変だ。
皆オロオロして、未練がましく沼を見た。
この沼を超えたすぐ先に、彼女の実家があるというのに。
こういう時しゃしゃり出てくる産婆とかも、一向に現れないではないか。
「うー、しかたない! 皆さんには申し訳ないが、どうしようもないし緊急事態だ。馬車を引き返させていただきますよ!」
「うむ、仕方が無い。まぁ、生まれるまで時間が掛かるだろうし、なんとかなるでしょう!」
「すみません、私これで七人目なので、もしかしたら十分くらいで出てしまうかもです」
十分て。
ほんだら「ツルンッ」だがや!
やばい、急げ。
皆が追い詰められたその時、奇跡は起った―――。
*
少し時を遡って……。
アーサーは魔女が大きな沼を出現させるのを木陰から盗み見て、「アハン……」と髪をかき上げていた。特に意味は無い。
それから無駄に煌めく瞳を、パカパカとやって来た馬車の方へと向けた。
「ハニーめ、馬車を足止めしてしまうなんて……なんてファンタスティックなレディなんだ。けれど、そうはいかないよ。あのマーメイドガールには、下半身(俺の)為に頑張ってもらわないと」
彼はそう独りごちると、沼の周囲に群生する木々の一本にそっと手を添えた。
サワリと枝葉をそよがせる木に、アーサーは囁いた。
「こんにちは。俺……実は今迷子なんだ……君のハートまでの道を教えてくれないか?」
アーサーはスルリと木の幹を片腕に抱いた。
すると、木は枝葉をザワザワさせた後、満更でもなさそうに花を咲かせたではないか。
アーサーは「フフフ……」と意味深に笑い、別の木にも近寄って同じ様に囁く。
「ハァイ、突然だけど、君を逮捕するよ。俺の心を盗んだからね」
木を逮捕出来るのか謎だが、アーサーは自信満々だ。
彼が幹に頬を寄せると、木はふるりと一つ震え、控えめに花を咲かせた。
その様は、『植物に話しかけると、花を咲かせて応えてくれる』という説を全力で肯定していた。
―――アーサーは下半身が切り株になってしまったが、世界で一番植物にモテる切り株となっていた。
話しかけられた事も、口説き文句を言われた事もない林を、アーサーは瞬く間にメロメロにしてしまった。
花どころか実まで成った木から、艶々した赤い実をもいで囓りつつ、アーサーは両腕を広げる。
「ああ、大変だ! 沼の向こうに真実の愛を落としてきてしまったみたいだ!! これでは運命のアモーレに真実の愛を捧げる事が出来ない!! 誰かこの沼に橋を架けてくれないだろうか!!」
林はざわめいた。
時期では無い時に、花や実を咲かせたり実らせたりさせる奇跡の愛しい切り株が、真実の愛を落としていると言う。なんという悲劇。彼の真実の愛が欲しい。
けれど、真実の愛を枝に入れる為には、自身の真実の愛も必要なのだろう……。
最初に地面から抜けたのは、実を成らした木だった。
一番に自身を捧げたいのもあったし、なんかこう……一番印象に残るかなっていう打算もあったのだろう。
彼女(取りあえず彼女)はスポンッと地面から抜けると、その勢いのまま沼へ飛んで行き、真っ直ぐに突き刺さった。
―――抜け駆けは許さないわよ!!
他の木も慌ててスポンスポンと地面から抜けて、彼女に続いた。
沼に何十本もの柱が建ち、更に良い具合に自ら分解して木材となった木達が、柱の上に基礎を築いていく。
木材は全て、匠も驚く緻密なはめ込み式用にされており、釘とかいらなかった。
スコーンスコーン!
軽快な音を立てて、あっという間に沼に立派な橋が架かってしまった。
「素晴らしい。これで真実の愛を拾いに行けるよ」
アーサーは詐欺師も真っ青な悪びれない笑顔で、立派な橋へ投げキッスを贈ってやった。
*
「キィィィィィィッ!!!」
ガタゴトと橋を渡って行く馬車を、歯ぎしりをしながら見送って、魔女は箒でビュンビュン空中をかっ飛ばした。
「一体何処のドイツが邪魔を!? あんな事が出来るのは、ただ者では無いはず……」
ギリギリと呟きながら、魔女はしかし、少し「ホッ」としていた。
彼女は人差し指と親指を丸くくっつけて、その輪を覗き込む。
輪の中は望遠鏡の様な視界になっていて、遠くの馬車がすぐ近くにある様に見えた。
魔女は位置を調節して馬車の中を覗くと、息を吐いた。
「まさか、妊婦が乗っているなんてね……なんだか生まれちゃったみたいだけど、母子ともに元気そうだし、沼を渡れば直ぐ隣の国だし大丈夫よね……はぁ……」
魔女は馬車へ向けてチョイと杖を軽く振った後、キッと表情を引き締めた。
「よし! 次こそは邪魔してやるんだから!!」
彼女はそう一声上げて、勢いよく隣の国へと飛んで行った。
馬車の中では、小さな赤ん坊の鼻が、生まれた時よりちょっと高めに変わったけれど、誰も気づく者はいなかった。