爺さんからチュッってされた
大広間のご馳走の前でルゥルゥとセルジュを迎えたのは、緑色のもやしみたいな爺さんだった。
緑色の顔はソース顔だ。
アーチが二つ繋がった太い眉毛の下で、くっきり二重の丸いドングリまなこが粘り気のある視線をルゥルゥとセルジュへ這わせている。獅子鼻で、東の南国にいるという獅子の神様みたいだ。
もやしみたいにひょろい緑色の身体は、洗濯板みたいに骨の浮いたあばらの下で、腹が唐突に盛り上がっている。腰に巻かれた薄布の下に伸びているのは、しなびた緑色の足だった。
緑色の爺さんは立派な肘掛け椅子にふんぞり返って座り、網タイツを穿いた足形のパイプ煙草を咥えている。
肌が緑色だという事以外には人間の姿をした爺さんで、タートルネックを着ていなかった。
「あなたがタートルネック仙人ですか?」
爺さんがニヨニヨ笑っているだけだったので、セルジュが遠慮がちに尋ねた。
「如何にも。ワシがタートルネック仙人じゃ。ほれほれ、そんなところに突っ立っておらんと、こっちへ来て飯を食うが良いぞ」
タートルネック仙人はそう答えて、大きな丸いテーブルへと二人を手招きした。
「わ、ありがとうございます」
「わーい! ありがとうございます。とってもお腹が空いていたの」
ルゥルゥとセルジュはまるで警戒心ゼロで、招かれるままにテーブル席に着いた。
「僕はセルジュと言います。こっちはルゥルゥです」
席に着きながら、セルジュが礼儀正しく自己紹介をした。
「母からあなたの事を聞いて、やって来ました」
「ほほう、ワシを知っている者はこの世にそう何人もいないのじゃがのぉ。お前の母親は何者だかめ?」
タートルネック仙人は網タイツパイプ煙草の煙をムワンと吐いて、身を乗り出した。
「ロザリーと言います。ただの未亡人のセレブです」
「未亡人のセレブ、めちゃくちゃそそられるのう……。しかし、ロザリーとな? なんか覚えがあるかめ……ううむ、お前のその顏……なんか思い出しそうだかめ。ちょちょ、と、ちょい、もっと近くで顔を見せてくれんか?」
タートルネック仙人はロザリーと面識があるのか、セルジュの顔から面影見いだそうとしている様子で、手招きをした。
セルジュは「はい」と答えて、素直にタートルネック仙人の側へ行く。
「もっとじゃ。もっと近くに顔を」
「は、はい」
セルジュが無防備にタートルネック仙人の顔のすぐ側まで、顔を近づけた時だった。
タートルネック仙人は風のように素早く動き、セルジュの顔に唇をブチュッとつけた。
仙人の唇は厚く大きかったので、小顔のセルジュは顔の半分以上にブチュッとされてしまった。
「おぶっ!? !?? ????」
セルジュは仰け反った後に、何が起ったのか理解出来ずに固まって、仙人を見る。
仙人は何事もなかったかのように骨付き肉にむしゃぶりついた後、目玉をくりくりさせてセルジュを見上げた。
「え、なんぞ?」
「い、あの……いえ……?」
「ほれほれ、席について飯を喰うかめ」
「あ、はい……。? ????」
半径一メートル以内をクエスチョンマークで満たして、セルジュは自分の席に戻った。
これこそが痴漢・セクハラにおける「え、俺なんかした?」戦法だ。
「まさかこの人がそんな事するはずがない。アレは偶然か、何か別の潔白を伴った行為であり、自分の思い違いだ」という被害者の混乱と良心を逆手に取った非常に悪辣な手法である。
幸か不幸か、ルゥルゥは牛肉に夢中で一部始終を見ていなかった。目撃者もいない。
セルジュは胸のドキドキを押さえ、心を落ち着ける。
―――そうだよ、僕は男の子だし、偉い仙人がキ、キス? なんてするわけがないよね?????
「そ、それで、僕の顔を見て何か思い出しましたか?」
「おお、そういえば……もう随分昔の事になるが、ロザリーという名の美しいオナゴの噂を聞いて、攫いに行った事があるかめ。あの頃ワシは自由だったのじゃった……」
「か、母さんを、攫いに……!?」
「うむ。小生意気な魂を抜いて、美しい顔と身体だけをワシのモンにしようと思ったんじゃがの、ロザリーのパトロンが領土中の男達を集めてワシを追い払ったカメ! 酷い話だカメ……」
確かに酷い話だった。
ロザリーも、よく自分を誘拐しようとした奴の所へ息子を行かせようとしたものだ。
セルジュは「この仙人誘拐とか目論むんだ……」と、大いに仙人の仙人性を疑い始めた。
対してルゥルゥは、純真な瞳をしてタートルネック仙人へニコニコしている。
望みを叶えて貰える気満々だ。
セルジュは、もう自分のああいう風なアレをああいう風にアレして貰わなくてもいいから、この怪しい仙人の元から離れたいと思っているのだが、ルゥルゥは違うらしい。そこに愛を感じるものの、セルジュはだからこそ、彼女を守らなくてはならないと思った。
もしルゥルゥに何かされたら、と、セルジュは腰にぶら下げた剣を意識した。
セルジュだけ緊張する中、ルゥルゥとタートルネック仙人はお喋りをしている。
「そうかそうか、お前元々人魚だったのかめ」
「そうなんです。それで親切な魔女さんに人間の下半身を貰ったんですけど……」
「ほうほう、しかしその下半身は……」
「わーーーー!!」
タートルネック仙人の台詞を、ルゥルゥは大声で遮った。
ルゥルゥの下半身事情については、もうほとんど関係者全員に丸見え状態だというのに、彼女の中では未だシークレット情報だったのだ。
「えっと、その事についてなのですが、仙人さん、二人でお話が出来ないでしょうか?」
――――え! どうして??
セルジュは驚いてからハッとした。
ルゥルゥは、自分に気を遣ってくれているのだと。
ここは願いが叶えられた時、サプライズを受けた人みたいに「わー! なんでだろう?」的な反応をしなければいけないな、と、彼は神妙に思った。
「いいかめよ~……ウィヒヒヒ……では、別室に行くかめ」
「はい。お願いします」
「ひゃっほ~!! こっちかめ! 早く来るかめ!!」
仙人は椅子からビョーンと飛び上がって、ペタンと床に着地すると、大広間の扉の方へ老人とは思えない程の勢いで駆けた。そして、身体を扉に半分潜らせて手招きをする。
「はよ! はよこっちゃ来いかめぇん!!」
「はーい」
ルゥルゥは元気よく返事をして、セルジュにニッコリ笑った。
「ちょっと大事なお願いをしてくるね」
「一人で大丈夫? あの仙人、少し怪しいよ」
「そう? こんなに牛肉を食べさせてくれて善い仙人だと思うわ」
「……君がそう言うなら……でも、気をつけてね。顔とか近づけたら駄目だよ」
「うふふ。セルジュったら、あんなお爺さんにヤキモチ焼いてるの? 大丈夫よ」
ルゥルゥはクスクス笑った。
彼女は、もうすぐ男性の脚じゃなくて女の子の脚になれると信じていたので、ワクワクしていた。
「セルジュ、ここまで連れてきてくれてありがとう」
彼女は感謝を込めてそう言って、ニヨニヨ笑うタートルネック仙人に促されるまま、大広間を出て行ってしまった。




