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7,ルーク:束縛と約束

 若い男、名をイアンという彼以外俺の元に出入りする者はなかった。朝と夕方に食事を持ってやってきて、体調を確認する。数週間後には胸が痛む回数は減っていき、体も楽になった。

「適応したね、おめでとう」

 イアンはそう言ったが、なんの手術を施されたかわからない俺には言葉の意味はわからなかった。 

 イアンの訪問と食事の提供以外、身辺は静かだった。俺の動向を気にする気配もない。

 もっと露骨に牢に閉じ込めるなどされるかと思っていた分、拍子抜けしている。軟禁状態ではあるものの、この環境を受け入れれば、まるで客人のような扱いだ。

 この屋敷内でなにかが起こっているのか、いないのかさえ、見当もつかない。それほど日常の波風がまるでなかった。

 図書室で本を読むことと、クレアと会うことだけが楽しみになっていた。

 慣れれば、どんなところでも娯楽を見つけられるのだから、人間とはおかしなものだ。

 孤児として路地裏でギラギラと生きていたのが、まるで遠い出来事のようである。


 クレアは相変わらず、俺と会う以外はお姫様なのだろう。来る日もあれば、来ない日もあった。

 会えずにがっかりしているのは彼女が現れることを心待ちにしている俺の方だ。

 

 今日も待ちわびていると図書室の扉が開いた。

「ルーク」俺を見つけるなり駆け寄ってくる。「おはようございます。数日ぶりですね」

「おはようございます」

 座ったまま、俺は朝の挨拶をする。彼女はいつも通り、俺の隣の席についた。

「早速なんですけど、本を探すのを手伝ってほしいの」

 俺を見つめるクレアの目がいつもと違う。そわそわとし、物陰へと視線がちらちら動く。誘われるように答えた。「よろこんで、お手伝いします」


 誰にも見られない場所に行くと、彼女はお姫様から、クレアへと落ちていく。

「何か、あったんですか」

 耳元にそっと話しかける。

 クレアがささやかれた耳に手を添えた。少し頬が赤くなる。

「あの……」と彼女が上目遣いに俺を見る。

 そういう他愛無い細かな仕草を楽しんでいるんだから、暇というのは恐ろしい。繁華街や路地裏で男女の逢瀬や駆け引きを見てきたくせに、何も知らない女の子をからかって楽しんでいるなんて、数か月前の日常を思えば考えられなかった。


「明日から、私はしばらくお部屋から出れないみたいなんです」

 クレアの目に寂しげな陰りが落ちる。

「いつもなら数日の我慢なんですが、今回は期日がわからないというのです。しかも、ここしばらくお兄様とも会えてませんし」

 いよいよ来たのか。こんな戯れの時間が、長く続かないことは承知していた。

「ご病気なんですよね、お兄様は」

 クレアがお姫様というなら、彼女の兄が王子様ということになる。例の女主人は俺が王子様のために手術を受けると言った。つまりは、俺のタイムリミットも否応なく近づいているということだろう。

 クレアと出会ったのも偶然か、用意されたことなのか。背後で何が動いているとしても、知るすべはない。遠くなく変化が訪れることぐらいは察していたとしても。


 クレアと会えるのも今日が最後になるのだろうか。


 彼女はいつも淡い色のドレスを身に着ける。

 今日は薄紫。髪飾りは紫と白の花模様。

 金色の髪はいつも長くなめらかで、瞳は翡翠。

 お姫様の時は無邪気で愛らしく。

 クレアの時は不安げではかなげに、少し恥じらう。


 名前が無く生きていた処世術からか。彼女は自覚なくお姫様を演じるように生きてきたようだった。名前がないから、周囲に合わせることで自分の価値を確認していたのかもしれない。

 俺が名づけたことで、彼女は彼女なりに、クレアという女の子を模索しているように見えた。 

 時折ふるまい方がわからなくなるのか、すがるような目を向けてくる。それがたまらなくて。もう一度、夜中にベッドにもぐりこんできてはくれないかと夢想してしまうことさえあった。


 だがそれも、今日までの夢か。結局は水泡に帰すのだ。

 

 手を伸ばす。白い柔らかい頬に触れてみる。

「クレア」

 キスしたい。

 でもそれ以上に、彼女に何かを残したい。

 名前だけじゃ足りない。


「ルーク。どうしたの」

 恥じらうより、少し怯えたように俺を見る。

 お姫様には見られない表情。こんな顔もするようになった。


「クレア。あなたは、狂っている」

 狂っていると言われれば、普通の子なら傷つくだろうに。

 彼女の双眸はきらめき、その瞳に一層くっきりと俺を映しだす。

「あなたの狂気は、芯からずれていることだ。

 名前がないとはどういうことか、あなたの言動からわかるよ。

 それは、存在しないだ」

 指で頬をなぞり、手を返し、甲で顎から目じりまでゆっくりを撫で上げる。

「常人なら常識からほんの少し外れた演技をして、さも自分が狂っているだろってアピールをする。ちょっと人と違うと軽く奇異な目で見られて満足するような安いものだ」


 言葉で傷をつけたくない。どうせなら、もっと深く深くクレアの底を削りたい。


「でも、あなたは違う。

 与えられたものを演じているだけで、存在しない。

 起点が狂っているから、自覚すらない。

 得体が知れない、気味が悪い。怖いともいえるし、気持ち悪いともいえる」


 目じりを親指で触れた。

 空っぽのくせに、俺しか見ていないその無垢な

 このまま、瞬きさえせずにいてほしい。

「あどけない表情、金の髪、翡翠の瞳、人形のようでいて、ちゃんと血が通っている。

 こうやって触れたらあたたかい。

 俺がいなくなっても、あなたの中にクレアという名は残ってくれるだろうか。

 もし名前が残っていて、俺がもう一度クレアの前に現れたら……」

 約束をもって縛りたい。二度とあなたの前に現れることがないとしても。

「あなたをさらっていくよ」

 俺がいない世界でも、俺に縛られていてほしい。

 そんなことを考えていると知ったら、どう思う。クレア。


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