2,クレア:名無しのお姫様
誰もが私のことを、『お姫様』と言う。
だから、私は『お姫様』なの。
朝の目覚めは、小鳥の声と共にある。
日によっては雨の音。
今日は、あたたかい日差しと小鳥の声。
とてもすばらしい、いつも通りの一日の始まりだわ。
「なんて、よい朝なんでしょう」
大きな伸びをして、小さなあくびをかみ殺す。
そしたら、枕元のベルを鳴らす。
ほどなくメイドが「おはようごさいます。お姫さま」と現れる。
ベッドからおり立つと、今日のドレスを選ぶためクローゼットへ。
桃色と水色と白、薄紫、若草色。
好きな色のドレスを一着選んで着せてもらえば、化粧台へと移動する。
並べられた髪飾りから、今日のドレスに合う一つを選ぶ。
お決まりの髪留めを手渡すと、メイドは髪をくしでときはじめる。
「ねえ、今日はお兄さまのお部屋に行ってもいいお日にちかしら」
髪をとかすメイドに声をかける。
「今日から数日、王子さまは大事なお約束がございます。お姫様はお寂しかと存じますが、しばらくはお会いすることはかないません」
メイドがくしをおき、髪をまとめ始める。
「残念だわ。
そのお約束事が終わったら、会いにいけるかしら」
「もちろんですとも」
メイドが髪留めをつけ終わると、タイミングよく執事が朝食を運んできた。
窓際にある二人掛けのテーブル席へ並べられる。
いつもの朝食。
スープにパン、果物。ミルク。ゆで卵。
メニューはだいたいいつも変わらない。
メイドが横についていて、執事が紅茶を入れてくれる。
朝食を取りならが私は執事に今日のことを尋ねるの。
「今日は図書室には行けまして」
「ええ、今日は大丈夫です。
しかし、明日とあさってはいけません」
「そうなの、それは残念だわ。
では、明日とあさってに読む本も借りておかないとね。
もうしわけないのだけど、本を運ぶのを手伝ってくださらない」
「もちろんです。お姫様」
「朝食を食べ終えたら、すぐに出かけられるかしら」
「身支度をなさっていらっしゃる間に片づけてまいります」
物心つけば誰かがお世話をしてくれていた。
お父様にはあったことがないのだけど、きっと王様だからお忙しいのよ。
お母様は時折お会いするけど、あまり話したことはないの。
執事とメイド。
私のお世話は彼と彼女のお仕事。
目覚めて呼べばメイドが必ず飛んできて、着替えを手伝ってくれる。
髪飾りを選ぶのも、お洋服を選ぶのも、メイドと一緒。
朝ご飯はいつもお部屋まで執事が持ってきてくれる。
それで朝はおしまい。
お部屋に部屋は三つある。
一つは寝る部屋。
一つは応接室。
もう一つはバスルーム。
トイレも洗面所もあって、不便はないわ。
私はほとんどこの部屋から出なくてもいいの。
お姫様はきれいにして、ただ寝て起きてるだけでいいみたい。
本当にそれだけ?
お姫様はなんのためにいるのかしら。
本当は、よくわからないわ。
だから本を読むのが好き。
いつも、そこにはお姫様がいるもの。
お姫様が出てくると、それが私のような気がする。
芯の強いお姫様も、おしとやかなお姫様も、小鳥とお話しできるお姫様も、楽器が上手なお姫様も、歌が上手なお姫様もいるわ。たまに剣をふるうお姫様もいて、それはそれでとても恰好良いわね。お話の中では魔法も使えるのよ。
でも私は、なにも習っていないから楽器も歌も、もちろん剣だってできない。
かろうじて、お兄さまに教えてもらう文字だけを覚えて、本は読めるようになった。
本の中のお姫様には、王子様がいる。
お兄さまも王子様だけど、王子様である前に私の双子のお兄さま。
だから、きっと私の王子様じゃない。
お姫様が悪い魔女に呪いをかけられても。
お姫様が悪い魔物にさらわれても。
お姫様が強欲な魔王に命を狙われても。
王子様が助けてくれる。
朝食をもぐもぐ食べながら、窓の外を眺める。
真っ青な空を流れる白い雲。
いつも同じ風景を眺めながら、私はいつも同じ日々を繰り返すの。
雨の日は外に出ないように、お部屋からお出かけできないときは、本を図書室から持ち込んで過ごす。
明日とあさって、二日分だから、十冊くらいは必要かしら。
何度読んでも飽きない一冊を加えて、初めて読む本は九冊にしよう。
朝食を片づけ、執事は一時部屋を退出する。
お部屋から出る支度を整え終える頃に、執事は部屋へと戻ってきた。
以前に借りた三冊の本を持っていく。
両腕を伸ばして、本を手に載せれば、何とか三冊くらい持てるのだ。
「お姫様、私めがお持ちしますよ」
「いいのよ。今日は十冊は借りて行きたいの」
メイドが部屋から見送ってくれた。
廊下を出て、よろめきながらも歩き続ける。
「二日は部屋で過ごすことになるのでしょう、もし面白い本に出会ってしまったら、すぐ読み終わってしまいますわ。
あなたに七冊。私が三冊。
だから、これぐらい持てないと困ってしまいますわ」
執事は私の後ろからついてくる。
「ご無理をなさらないでくださいませ。
私めが、往復し運んで差し上げます」
「あら確かに」
私はぴたっと立ち止まる。
「そういう方法もあるのね。
私は一度で運ぶことしか考えていませんでしたわ」
執事は微笑む。
「お姫様は本をお選びになればよいのです。
運ぶのは私めにおまかせください。
お困りの時は、一人ですべてをなさろうとせずとも、誰かに助けを求めればよいのです」
そう言うと、執事は私が持っていた三冊の本をひょいと持ち上げた。
私の部屋はお屋敷の二階のはじっこにある。
図書室も二階にあるのだけど、ちょうど私の部屋の反対側のはじにある。
今、本を取り上げられた場所は、ちょうど二階へと続く正面の大階段の真ん中。
その真下にある正面玄関が開き、人が入ってきた。
正面玄関が開くのを見るのを見るのも久しぶりだったのだけど、それ以上に驚いたのは、そこに子どもがいたことだった。
お兄さまと私以外の子どもを、今まで一度も見たことがなかったのですもの。