幸せ一杯の待ち会
「早く、早く、間に合わないよ」武生が、慌てている。
昨晩、新婚旅行から戻ったばかりで、時差ボケして、今朝は寝坊してしまった。
今日はお義父さんのなんとか大賞の発表日で、十一時に石神井公園の神谷邸に集合と裕ちゃんから言われている。十時出発予定なのに、既に十時を回ってしまっている。
昨晩、裕ちゃんに、無事帰宅したと電話を入れ、新婚旅行の報告もした。
けど、今日、改めて、写真やビデオも持参して、きちんと報告する。
夕実さんの旦那さんも、丁度、非番との事で、家族ぐるみで参加するそうで、どんな人なのか、会うのが楽しみ。
主人の武生からは、強面の刑事と聞いているので、多少怖いけど、面白い人らしい。
裕ちゃんから、最初の第一印象が大事と教わったのに、初っ端から遅刻では面目ない。
「フォトフレ持った?」
コートを着たまま、ネクタイを締め直す夫が、私の運搬担当のデジタル写真立てを、指摘した。バックの中を確認すると、入っていない。
「あれ、どこだっけ」
三階の寝室に駆け上がって、あちこち探してみたが、見つからない。
新婚旅行に持って行って、昨晩、何処かに出したのに、どこに置いたのか思い出せない。
「もういいよ。居間のテレビに繋ぐから……」
二階から、彼の声がして、時間もないので、その言葉に甘える。
谷中の神野宅から石神井公園の神谷邸までは、ドア・ツー・ドアで四十五分。今なら、なんとか間に合う。
神谷邸前に着くと、丁度、門が開き、一台の黒い大きな車が中に入るところだった。
その車の運転席の窓が空き、中から短髪強面の男が顔を出す。
「未季ちゃんか? 可愛いいねぇ」
この人が、夕実さんの旦那の磯川さんみたい。
「初めまして、神野未季です」
「未季さん、こんにちは」
後部座席の窓から、可愛い男の子と、夕実さんが顔を出した。
そして、門の向こうから、お義父さんが歩いてくる。
「磯川、車庫のドアを開けといた。入って左だ。直ぐ分る」
「親父、その髪、どうした?」
義父を見ると、髪の毛を真っ黒に染めて、若づくりしている。
「話は後。中に入って。武生も」
義父と、玄関に向って歩いていくと、赤ん坊を抱えた磯川さんが歩いてくる。その少し後ろに、小さな子供と手を繋いで歩く夕実さんがいる。
「すげぇ豪邸だねぇ。岩田とこよりデカいや」
「岩田さんって?」
「往凶会の二角の総長だ」
磯川さんは、組対の刑事さんだったのを思い出した。
目を丸くしている私を見て、義父と主人とが笑っている。
誰だって、ヤクザが知り合いと聞けば、ビビるだろう。それを笑うなんて、デリカシーの欠片もない人たちだ。
玄関が空き、中から裕ちゃんが顔を出した。
「驚いたね。聞いてはいたが、ほんとにすげえ美人だ。磯川です。夕実が、いつも、お世話になっています」
「はじめまして。ご挨拶に行かなくちゃと思っていたのに行けなくて。ささ、中へどうぞ」
そう言う事で、私達も磯川さん一家と共に、お邪魔した。
裕ちゃんは、磯川さん達を階段横の客間へと案内したけど、私には、二階に行けと、視線で指図した。この間まで、居候していた時の部屋を使えと言う合図。
直接、居間でいいとも、思ったけれど、二階の古巣を荷物置場に使わせてもらうことにした。
階段を下り、居間に戻ると、磯川さんと、小さな子供とで、追いかけっこをしていた。
「今日は、賑やかでいいわ」裕ちゃんが楽しそうにしている。
裕ちゃんとお義父さんが、お茶、ビール、コーヒー、ジュースと準備しているのを見て手伝う。
「お義父さん、髪染めたの?」
「何を言っていんの、あんたは。浮かれていて、式の日も、ろくに見てなかったでしょう」
そう言われれば、結婚式時から頭が黒くなっていたような気もする。
「お茶の準備ができました。あっ、磯川さん、ヱビスでよかったかしら」
「姉さんのなら、何でもかまいません」
夕実さんに「お義母さんでしょう」と注意され、今度は夫の武生が「えっ、いつの間にそんな事になったの」と驚いていた。
結婚式の日に聞いたので、つい、武生に伝え忘れていた。でも、私は「あれっ言ってなかったっけ」と、あっさり突き放してやった。
そんな騒ぎの中で、裕ちゃんは、静まれと言う合図をして、話を始めた。
「本日は、この人のためにご足労頂き、有難うございました。発表は赤坂にて、十一時半頃に行われる予定ですが、担当の方から電話にて、お知らせ頂ける段取りとなっています。まぁ、大賞受賞は無理とは思いますが、大賞、奨励賞、無しのいずれであっても、良くやったと褒めてやって下さい。ちなみに昨年度は大賞なし、奨励賞は一件でした。本に関しては、既に神威誠『彷徨の果』の出版が決定しました。出版日は未定ですが、是非、買ってやってください」
流石は裕ちゃん、見事な挨拶だ。
「なお、この場を借りまして、報告させて頂きたい事があります。私、神谷裕子と、この人、神野昴は、再来週の三月二十二日の大安に、婚姻届を提出することになりました。皆様の母親と言う大任を、きちんと全うできるよう、勤めさせて頂きます。よろしくお願いします」
皆が拍手し、「宜しくお願いします」と夕実さんが返した。
そして私は、なんて声を掛けようと考え込んだ。もともと、二人のキューピットは私だし、二人の赤い糸の話も聞かされ、実際に手から青い光が出るのも見ている。まあ、裕子叔母様であり、裕子義母様の姑になるので、複雑ではあるけど、実感が湧かない。裕ちゃんは裕ちゃんのままだ。
まあ、何も声を掛けなくていいかと、思っていると、磯川さんが、突然、質問を始めた。
「お義母さん、ちなみに何歳ですか?」
女性に年齢を訊くなんて、本当に困った義兄だ。
「閏年生まれの十四歳、先日、五十八歳になりました」
「うひょう。信じられない。家のばばぁより上かよ。夕実、ちょっと並んでみな」
夕実さんは、笑って拒否。
裕ちゃんは、その後も、ずっと、磯川さん一家とお話をしている。
磯川さんの耳は、柔道選手の耳みたいにつぶれていて、左眉毛には、刃物で切られて、縫い合わせた様な傷痕がある。いったいどんな人なのだろうと、見つめていたら、義父と武生が、いろいろと教えてくれた。
明慶大学のラグビー部で主将を務めていたスポーツマンで、あの体格からは想像できない程機敏で、頭も切れる人とのこと。耳や左眉毛の切り傷も、そのラグビーでの勲章だという。言葉づかいはきついものの、誰とでも同じように接し、やることはきっちりと、何としてでもやり遂げる努力家で、それでいて意外と紳士的な面があると言う。
主人によると、お義父さんのお気に入りなのだそう。
その時、お義父さんのスマホがなり、一斉に静まり返った。
「はい。はい、私です。………… はい、そうですか、ご連絡ありがとうございました。………… 明日、三時ですね。はい、分りました。有難う御座いました」
お義父さんが電話を切ると、どうだったと一斉に声がかかる。
「大賞はダメだった。別の人に決まった。最後まで、揉めたそうだが、柴田俊平さんの『さらば銀ブチ』が大賞を受賞した。でも、奨励賞は頂けた。明日三時から、新宿で表彰式がある」
「よくやった」「さすがはお義父さん」「かぁ、脱帽だ。俺が勝てるのは腕相撲だけかよ」
皆が、一斉に声を上げた。裕ちゃんは、座り込んで泣いて喜んでいる。
でも、『腕相撲ってなんだ?』と思っていたから、主人から説明があった。
お姉さんを下さいと磯川さんが挨拶に来た時に、「いつ死ぬか分からん刑事なんかに、娘はやれん」と反対し、最後は「腕相撲で勝ったら娘をくれてやる」と言ったのだそう。そんなの無理に決まっていると思っていたら、結構、粘って磯川さんも、びっくりしていたんだとか。
因みに、磯川さんは、背の高さはお義父さんや武生さんより少し高い程度だが、横幅や骨格があり、体重九十キロはありそうながっちり体型。
義父は普通の体型なのに、腕相撲が強かったとは驚きだった。
祝賀会は、出前の寿司でのパーティーで、磯川さんが宴会芸を披露して、盛り上げてくれた。
その後の私達の新婚旅行報告会も、磯川さんが仕切って、下ネタ話を振られ、こっちは赤くなる程恥ずかしい思いをした。
けど、常に笑いの絶えない、本当に楽しいパーティーだった。
裕ちゃんも、本当に幸せそうで、お義父さんを紹介した者として、嬉しい限り。
磯川さんは強面なんだけれど、彼が居ると、皆が明るく盛り上がる。
主人や義父が言うように、この人はいい人と良く分かる。
裕ちゃんが「夕実が笑っている。本当に磯川さんで良かった」と囁いた。
そういえば、裕ちゃんが、夕実さんが育児ノイローゼにならないかと、かなり心配していたのを思い出した。
磯川さんの長男の大輔ちゃんが、昼寝の時間と言う事で、皆で記念写真を撮って、解散となった。
裕ちゃんが、義父の元奥さんである智子さんの写真立てを持ってきて、お義父さんに渡し、その記念写真に仲間入りさせたのが、印象的だった。
「皆さん、本日は本当にお集まり頂き有難うございました。最後となりましたが、小説家、神威誠の今後の活動を、簡単に紹介させて頂きます。三月末締め切りの『文藝賞』に、今回の作品以上と、私が太鼓判を押す秀作を投稿する予定です。恥ずかしいですが、私とこの人との不思議な関係を小説化したものです。もちろん、フィクション小説です。大賞受賞は難しいと思いますが、現在、校閲修正中で頑張っておりますので、今後も、応援、よろしくお願いします」
フィクションを強調したのが気になるけれど、裕ちゃんが幸せなら、まあいいか。
幸せは連鎖し、周りに人が集まってくる。私は武生さんと出会うことができ、本当に良かった。