履き違え、歪み、捻れ、壊れる
桜目線のお話です。
人生というのは、何が起こるかわからない。
だからこそ楽しい。
私は何の臆面もなくそう言える。
私はベッドの上で、引っ越す前に湊からもらったペンギンのぬいぐるみを抱きながら、その幸せを噛み締めていた。
「ああ、湊好き。ホンットに好き。もうムリ、好き。好き過ぎて気絶しそう」
──本当に気絶したわ。
時計を見ると、もうすぐ日付を跨ごうとしているところ。
どうやら2時間も気絶していたらしい。
最近になって「尊死」という言葉を知ったけれど、なるほど、確かに人は絶頂まで上り詰めると天に召される可能性のある生き物らしい。
今は憑き物が落ちたみたいに落ち着いたようで、いくらか冷静だ。
幼馴染の隅田湊は私の初恋の相手。
そして今も尚、私はその恋に落ち続けている。
自分が彼以外の男に興味を持つことなんて、まるで想像できない。離れ離れになっていた2年間、湊との交流は途絶えてしまったけれど、それでもこの想いは消えなかった。
しかも、再会した湊は昔よりもずっと背も伸びていて、かっこよくなってた。
もちろん昔もかっこよかったけれど、いっぱい、いっぱいかっこよくなってた。
すごい好き。たくさん好き。いっぱいしゅき。
彼が好きで好きで堪らない。
これ以上気持ちを抑えるのが難しいくらいに、今の私からは気持ちが溢れている。
しかも、そんな大大大好きな人と、私は隣の席になってしまったのだ。
「……あー」
厳密に言うと、クラスメイトの中嶋から奪っ……善意で、そう、善意で。中嶋が善意で私とクジを交換してくれたのだけれど、まあそれは別にどうでもいい。
湊の席は窓際の1番後ろの席だった。
つまり、湊にとっての隣人は私だけ。
私は公然と、湊を独り占めできるわけだ。
これを幸せと言わずなんと言えばいいのだろう。
私達の学年は全部で6クラス。その中で文系選択の私と湊は5クラスに振り分けられる。
そこから更に隣の席で、しかも、湊を独り占めできる確率なんて1/34225の確率。
オスの三毛猫が生まれる確率とほぼ同等だ。
こんなの、運命に決まってる。
確率を多少作為的に操作したのは否めないけれど。
「ただ、ちょっと緊張し過ぎたのは確かね……。反省しなきゃだわ」
好きな子に意地悪を言ってしまうその気持ちよく分かる。素直になるのは意外と難しいのだ。
気持ちを秘めなければならないとすれば尚更。
昔、同じようにして私に意地悪してきたクラスメイトがいた。席替えでそいつが隣の席になった時に、あまりにも嫌過ぎて蕁麻疹が出てしまった挙句、泣いてしまったけれど、もしかしたら彼も、私の事が好きだったのかもしれない。
──いや、違うか。昔の私に好意的な目を向ける人なんて、ひとりもいなかったし。
でも、あの時、湊が凄く悲しそうな顔をしてこっちを見ていたのを覚えている。
きっと幼馴染の私が泣かされた事に対して怒っていたのだろう。
……うん。大好き。
あの後、そのクラスメイトを慰めていたっけ。
湊はとても優しいのだ。私にも、他の人にも。
……うん。大好き。
「それにしても、久しぶりのお喋り楽しかったなぁ」
天邪鬼な私の言葉は、少なからず湊を傷付けてしまっただろう。
湊のあの困ったような笑顔を見れば私にでもわかる。
胸がチクリと痛んだ。
──でも、湊だって悪いわよね? あんなかっこいい顔で正面から見つめられたら誰だって緊張するに決まってるわ。
私はペンギンのぬいぐるみ──ぺんさんにつらつらと言い訳を重ねる。
「ねぇ湊。気付いてくれたかな。私、強くなったんだよ?」
昔と比べて、確かに私は口が悪くなった自覚はある。
でも、私はそれで構わないのだ。
だって──それは私が強くなった証なのだもの。
私は湊と離れていた2年間で強くなった。
それが、湊に相応しい人間であることに何よりも必要なことだから。
私のことはもう誰も傷付けられない。
ただ泣きじゃくって、湊の重荷になるだけの私じゃない。
今の私はもう泣き虫でも弱虫でもない。
彼の隣に立てるくらい、強い女になった。
「私は湊に釣り合うだけの女の子になれた……よね?」
誰にでも優しい湊が、弱くなくなった私だけを構うことはない。
関わりが希薄になったのもわかってる。
それでもいい。
私の成長に気付いた湊は、きっと私を褒めてくれるはずだから。
「ふふっ。明日が待ち遠しいわ。今日は何回かラリーが続いたし、明日はもっとお話できるはずだわ」
それに、湊は私の視力が悪い事もちゃんと覚えてくれていた。
「そう言えば湊、私の事を桜って呼んでたわね」
前はさーちゃんって呼んでたのに。
少し寂しい気もするけれど、あれはあれでありかも。
「桜……桜かぁ……」
あー、ダメだ。顔が熱い。
私はペンさんに顔を埋めて深呼吸をする。
ぬいぐるみからはとっくに湊の匂いが消えているけれど、あの頃の思い出はここに詰まっている。
「早く明日にならないかしら〜」
私は悶えるようにコロコロとベッドの上を転がると、扉をノックする音が聞こえた。
「お姉ちゃん、うるさい」
少し機嫌の悪そうな柊が低い声でそう唸る。
「……なによ」
「お姉ちゃん浮かれてる。湊にぃと隣の席になってはしゃいでる。1時間前にも言ったばかり」
「悪い? 柊だって、毎晩のようにあんあんうるさいのよ」
「それは生理現象。お姉ちゃんとの約束がなければ、今頃私は湊にぃとあんあん言ってた」
「待って、柊! それは……」
約束。それは私たちの間にある協定を表す。
高校生になっても、湊にぃから"妹"としてしか見てもらえない、と悩んでいた柊に、私はアドバイスをした。
「彼氏がいるって嘘を吐けばいいのよ」
半分は湊と柊の仲が進展しない為の予防線だったけれど、結果として、柊の望みは叶う。
独占欲の強い湊が柊の存在を見つめ直すのに時間はかからなかったからだ。
「分かってる。約束通り、抜け駆けはしない。お姉ちゃんのお陰で湊にぃが意識してくれるようになったから。……だけど、今は静かにして。あんあん出来ない」
「何言ってるのよ。さっさと寝なさい! またお母さんに見つかるわよ?」
「生理現象」
「くっ……」
本当に掴みどころのない妹。
けれど、そんな柊を湊は昔から猫可愛がりしていた。
それこそ、本当の妹みたいに。
彼氏持ちという枷が外れた時、湊がどんな反応を見せるのかが怖い。
「おやすみ。お姉ちゃん。私は明日の朝も湊にぃと登校しなきゃいけない」
柊はそれだけ言い残して部屋を去っていった。
「絶対に負けない……何がなんでも、湊は私のモノにしてみせるんだから」
──そう意気込んだ翌日、柊の匂いをぷんぷんと漂わせた湊が呑気な顔して登校してきた。
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