決める
「ねえ湊、真面目な話なんだけどさ──」
椛が帰宅し、寝る前に少しだけ宿題を進めていたところで、僕のベッドをトランポリンにしながら、アクロバットにフラフープをしていた姉が話を振ってきた。
「進路、決めた?」
「……いや、正直まだ、考えてない」
将来的には、僕も父の会社に勤めようと思っている。父さんは会合のために世界各地を周っていて、姉はマネージャーのようなものだ。
父さんは僕が就職するタイミングで会社を辞職。
娘である隅田真央に会社を譲り渡すつもりらしい。
となると、今度は僕が今の姉のポジションへ。
父さんは僕に変わって母さんと家でのんびり姉のアドバイザー生活をするらしい。
なんだろう、娘に給料を貰う父親って面白いな。
「大学は?」
「行きたい」
「ふーん、なんで?」
なんで?
なんでって──なんでだろう。
みんなが行ってるから? 知識が欲しいから?
「そっか。湊は……今の生活が気に入ってるんだね」
「……っ!」
すとん、と腑に落ちた気がした。
今の生活は確かに気に入っている。
友達がいて、桜がいて、柊がいて、椛がいて、さくらがいて、家族がいて。
「だから、この家を離れたくない、んだと思う」
海外生活。
姉は簡単に言うけれど、しかし一度国境を超えてしまえば、簡単には戻って来られない。
姉だってきっと同じだ。
毎日のように遊び歩いては、旧友たちに会い、別れる寂しさを紛らわすために酒を飲んで家に帰ってくる。
「はあ……。桜と別れるのがそんなにイヤ?」
「うん。多分そう」
もちろん柊や中嶋たちと離れるのも嫌だ。
けれど、最近になってようやく僕は桜と打ち解けてきたのだ。
かつての僕たちの関係には戻れていないけれど、それでも、あと少しだけそばに居る時間が欲しい。
「姉貴が、僕と桜が一緒にいることをよく思ってないことは、なんとなく、わかってる」
姉は僕が桜のそばにいることを嫌がるのだ。
姉が桜のことを好きなのは、多分そうなんだと思うけれど、僕が桜に近づくこと、ではなく桜が僕に近づくことを嫌がっているように見える。
さくらはそれを女の確執だ、なんて言っていたけれど今ではその言葉も全否定できない。
「本当は高校だって、カナダの学校に通って欲しかったんだけどね」
ああ、その件に関しては本当に申し訳なく思っている。
高校入学のタイミングで桃原家が地元に帰ってくることを聞いて、僕は海外への高校受験をドタキャンした。
姉の無茶ぶりはすごいけれど、何事も絶対に強制したりはしないのだ。
自分が願えば、願った通りの人生は送れる。
でも、だからこそ、少しは姉の期待に応えたいと思う自分もいる。
もちろん、姉の期待値を上回るのは至難の業だ。
『テストで全科目100点取れって言ったよね? 手抜いたの? なに? 抜いてないならなんで点落としてるの? わからなかった?じゃあ、カンニングすればいいじゃない。私が求めてるのは学力じゃなくて、難題に応えるだけの対応力だって言ってるよね』
なんて、お説教をくらったこともある。
ほんとすごい姉だよ。めちゃくちゃだ。
まさかテストで学年1位をキープし続けて尚怒られるとは思わなかった。
もちろん、僕は姉からの無理難題よりも、社会のルールを守るつもりなのでカンニングしたりはしないけれど、結果にこだわる姉の姿勢には毎度度肝を抜かれている。
「8月にさ、少しお父さんの会社を見てみない?」
それは、僕にとってかなり興味のある問いだった。
そして、同時に答えに窮するものでもある。
8月は旅行の予定もあり、重なってしまえばどちらかを選ぶ必要もある。
「具体的には、何日頃?」
「うーん、中旬かな」
中旬……また、微妙に被りそうな時期だ。
「なんか予定でもあるの?」
「実は桜たちと旅行に行こうと思ってて」
「ふーん。じゃあ、そっち行きなよ」
ビックリ。
僕の姉がまさか、遊びを優先させるなんて。
「私をなんだと思ってるんだ? いい思い出をたくさん持ってる奴は幸せの証だろ?」
「違いないね」
僕はこの夏休み中に全てを清算することを密かに決意した。