振休
『おーきてー。もうお昼だよー』
「どいてよ、さーちゃん。暑苦しいってば」
今日は体育祭の振り替え休日だ。
体育祭自体は平日に行われたので振り返って言うとちょっとニュアンスが変わってくるのだけれど、昨日は頑張りましたね、という事で今日は学校がお休み。
僕はまだまだ寝足りないのだけれど、さくらは暇しているようで僕の上に跨ってドスンドスン暴れてる。
重い……。
『湊くん早く起きないと耳齧っちゃうよー』
「好きにして。僕はまだ寝るから……」
どうせ昼間は体が透けちゃって僕には触れないのだ。
無理なことを言っても仕方ないだろうに。
僕はさくらが開けたカーテンのせいで窓からカンカンと照りつける太陽光から逃げるようにしてタオルケットを頭に被る。
「……いてててて! なに!? どうなってるの?」
『噛むって言ったもん!』
さくらめ。さては布ごと噛んできやがったな。
お陰で目が覚めてしまった。
「……まだ午前中じゃん」
時刻は午前10時30分。
僕の中でお昼は11時から。今はまだ朝だ。
僕はムクリと起き上がってベッドの隣を見る。
「あれ、姉貴は?」
昨日の夜も僕のベッドで寝てたはずなんだけど。
『出掛けたよ。地元の友達に会いに行くってさ』
「へぇー」
姉貴、ちゃんと友達いたんだ。
あんな性格だから、僕はちょっと心配してたくらいなんだけど。
──ぴーんぽーん。
インターフォンが鳴る。誰だろ。配達の人かな。
僕は寝癖を直しながらモニターを確認する。
「あれ、らぎちゃんだ」
僕は歩きながら軽く身なりを整え、玄関へと向かった。
「いらっしゃい、おはようらぎちゃん」
「ん。でも、湊にぃ。今はもうこんにちはの時間」
「そうかな」
桃原家はみんな朝が早いらしい。
そこで、ふと柊に違和感を感じる。
何となく不機嫌そうな、悲しそうな。
「とりあえず上がって。話なら、中で聞くから」
それから1時間後。
僕と柊はカラオケボックスに場所を移していた。
「どうしてさくらお姉ちゃんも来てるの?」
「あー、やっぱりらぎちゃんには見えるのか」
僕は家の中にいる時にしかさくらを視認できないのだけれど柊の方は家の外でもさくらが見えるらしい。
「昔から他の幽霊も見える。湊にぃの守護霊はポメラニアン」
嘘か本当か分からないけど、せめて人間に守って欲しかったなぁ。柊に霊感があるってなると、不思議ちゃんキャラもいよいよって感じだな。極まり過ぎだよ。
『湊くん在るところにさくら在りってことかな』
「ふーん」
それで納得するんだ。
「よし、じゃあ、とりあえず1曲歌ってみよう」
今日、柊とカラオケに来たのは彼女の歌の特訓の為だ。
どうやら昨日の打ち上げで歌った時のクラスメイトの反応がイマイチだったらしい。
「らぶーらぶーずきゅんーあなたがー、恋しいのー」
びっくりするくらい抑揚のない声だった。
歌詞が虚しく響く。
『すごい……これほどまでにバーが一直線な事ってあるの?』
今人気のアイドルソングがまるでお経のよう。
確かに普段から柊の声には抑揚がないとは思っていたけれど、ここまでとは……。
『表情筋から鍛えないと無理そう』
うん。分かる。腹話術をしてる訳じゃないのにほとんど口が動いてないもん。
時々音が拾えてないのか、バーが途切れてるし。
「……ふぅ。湊にぃ、どうだった?」
「うん。綺麗な声だったよ。ただ音程は脈が完全にゼロだったね」
「そう。湊にぃが綺麗な声だと思うなら、このままでいい。帰ろう?」
「いや、せっかくだから少しは練習していこう。らぎちゃんが歌上手になったらきっとみんなびっくりするよ」
「びっくりしてどうなる?」
「えっと、みんなが褒めてくれる」
「……それって、努力に見合う対価かな」
えっと……。
それはちょっと答えづらいなぁ。
柊の感じ方次第としか言いようがない。
僕なんかは結構承認欲求が強いので、人に褒められる為に頑張れるのだけれど、柊にはあんまりそういうのがないのかもしれない。
「湊にぃも1回歌ってみて」
「うん」
僕は柊も知ってそうな曲を選択して歌う。
最近はカラオケに来るが減ってしまったけれど、去年とかはクラスメイトとよく来てたのでそこそこ歌える。
僕はマイクを握って息を吸い込んだ。
『うん。まぁ、うん。……なんか、もう少し上手いのを想像してた』
「中の上?」
『そんな感じだね』
この人達厳しいんだけど……。
というか、柊に歌のうまい下手がわかるのか?
『ここは私に任せてよ』
次にさくらがマイクを握る。僕にはマイクが浮いているように見えるけれど、多分柊にはちゃんと見えているはずだ。
『よーし、行くぞ……』
「うめぇ……」
いや、マジで上手かった。
元々声が透き通るような声ってのもあるんだけど、音の強弱の扱いが上手い。ちょっとゾクッときちゃったよ。
何故かさくらの声は機械が拾ってくれてなかったけれど、柊も思わずぱちぱちと拍手しているくらいだ。
『湊くんが昔「さーちゃんの声は人魚みたい」って言ってくれたからね。中学の時はよく歌の練習してたの』
さくらは僕の耳元で小さくそう言った。
……僕、そんな恥ずかしい事言ってたっけ。なんか、照れるな。
「湊にぃ、デレデレし過ぎ」
「してません」
『してないの?』
「ちょっと照れた……」
『素直でよろしい』
やかましいわ。というか、僕の事なんて、どうでもいいのだ。大事なのは柊の歌唱力の方だ。
「らぎちゃん、まずは声に感情を乗せるところから始めよう
」
「感情?」
「そう。感情があって初めて声には波がつくんだよ」
「そっか」
「だからまず、その練習からだね。はい、マイク持って」
「ん」
「リピートアフターミー。『お兄ちゃん抱っこして』」
「お兄ちゃん抱っこして」
「うーん。だめかなぁ。もっと、大好きなお兄ちゃんを想像して甘えるように!」
「お兄ちゃん、抱っこ!」
「お! いい感じ! もっと弱々しく!」
「お兄ちゃん、抱っこ……」
「上目遣いで! 甘えるように!」
「湊にぃ、抱っこして?」
「かわいいいいいいいいい!!!!!!!」