体育祭の幕開け
「体育祭が始まりました、いえーい」
「……いえー」
盛り上がる僕のテンションに、どうやら中嶋はついて来れないらしい。
「高校の体育祭なんて、女子の撮影記念会みたいなもんだろ?」
「あ、あながち否定はできないな……」
「だから、俺達は如何に他の女の子から『写真撮ろうよ!』って言われるかを待つべきで、競技なんかは二の次だ」
「悲しいこと言うなよ。青春しようぜ」
僕もまあ、写真撮ろうよ、くらいは言われる。
女の子にとってのその言葉は、消しゴム貸してよりも難易度が低いらしく、普段話したことない人からもバンバン言われる。
一瞬、僕に気があるのかな、なんて愉快な妄想をしてしまうが一ミリもそんな事ない。
何故かみんなコソコソっと写真を撮って直ぐに去っていくし、彼女達が思い出として綴るSNSの中に、僕が写り込んでいる事はない。
一度だけ、誰だったかが載せてくれたのだけれど、すぐに投稿が消されていた。
ほんと、なにこれ。辛い。
「俺は目指せ100人ってとこかな!」
中嶋は容姿も整っているし、そこそこ顔も広いので、100人の女子と写真を撮るのも、まあ不可能ではないだろう。
こういう奴って、意外と後輩からモテたりするのだ。
「お前、ほんとムカつくよなぁ。こんなんでも、彼女持ちなのだから」
「節度は保つ。されど、ベッタリし過ぎねぇってのも長続きの秘訣だぜ? おーっと、お前はまず付き合うとこからだったな」
ぶん殴ってもいいだろうか。
『第1種目、100m走が始まります』
放送が流れる。
午前中は基本的に学年別対抗競技が行われる。
よって、今、ここ第一グランドにいるのは基本的に僕達二年生だけ。
「湊、見に行こうぜ。早速桃原さんの出番だぞ」
へぇ、桜は100m走にエントリーしたのか、意外だ。
「まぁ、桃原さん足速いしな。半ば強制みたいなもんだろ」
そういう事なら納得だ。
桜の奴、自分から走る種目に出たいとか絶対に言わないもんな。
「玉入れで、ポールを支えてる人に向かって玉投げてそう」
「湊……お前の幼馴染に対する評価もなかなか酷だぞ?」
そうかな? 桜ならやりかねないと思ったけど。
僕達は若干陰口っぽくなってしまいながら桜の話をして100m走のゴール地点へと向かう。
「次、桃原さんみたいだぞ」
「ほえー、視力いいんだな」
こっからじゃ、全然顔の判別が効かないや。
「……右から3番目が桜かな」
「そうそう。見えてんじゃん」
まぁ、シルエット的に。普段からあんな姿勢よく立ってる子、桜くらいしかいないからな。
やがて、桜を含めた8人が位置につき、号砲が鳴る。
「「あ」」
桜の隣の隣の子が、スタートと同時に思いっ切りズッコケた。
あれは痛い。べチャリと地面に付いてからのスタートで大きく出遅れる。
一方の桜は──言うまでもなく、断トツだ。
周囲を置き去りにするようなスタートを切った彼女は長い黒髪を靡かせて衆目を独占する。
──だから、気づかなかった。
「美海心恋じゃん!」
どうやら、スタートで転んだのは美海心恋だったらしい。
潰れたカエルみたいになっていた彼女は、ぐんぐんと周囲の走者を抜かし、やがてゴール手前で桜に追いつく。
「まじか……」
速いのは知っていたけれど、ここまでだったとは知らなかった。
結果は、どうやら桜が一位で美海心恋が二位。
もし美海心恋が転んでさえいなければ、結果は逆だったかもしれない。
俺は走り終えた2人の元へと向かう。
「桜、一位おめでとう! 走り方すげぇ綺麗で思わず見入っちゃったよ」
「そ、そう。まあ、その。ありがとう」
そんで、美海心恋だ。
「大丈夫か? だいぶ派手に転んだけど」
「いやぁ、あはははー。足が絡まっちゃったよ。スターティングブロックが利き足と逆だったんだけど、直してる暇がなくてさー」
なるほど。それで転んじゃったのか。
「保健室行くか? 乗りなよ。おんぶしてあげるから」
俺は美海心恋に背を向けて屈む。
『ちょっと! 湊くん、やばい。桜が不機嫌だよ!』
えええええ?
『頬をぷくーっと膨らませた桜がワナワナと震えてます』
俺はチラッとそちらを見ると……ほんとだ、機嫌悪そう。
『せっかく一位取れたんだから、もっと甘やかしてあげなくちゃ!』
いや、でも、美海心恋は怪我をしてるし。
「あの、ほら、別にボクは大丈夫だからさ。ただのカスリ傷だし、一人でいけるよ」
どうやら気を遣ってくれたようで、美海心恋はその場を離れようとする。色々と察してくれたらしい。
けど──
「良いから、乗れ。足捻ってるかもしれないし、他の種目に支障が出たら周りも迷惑するだろ?」
まぁ、僕からすれば、他のクラスの強敵がいなくなることはありがたいのだけれど……中嶋が撮影記念会というように、うちの高校の体育祭は思い出作りのようなもので、そこまで勝ちに拘って取り組んでいるわけではない。
「じゃあ、その、失礼しちゃおうかな」
おずおずといった態度で背中に乗る美海心恋。
思ったより軽いな。もしかしたら、最近はさくらがベッタリ張り付いているせいで、知らない間に筋力が上がっていたのかもしれない。
僕はそのまま立ち上がると、保健室を目指す。
「……ねぇ、桃原さんの事良かったの?」
耳元で小さく囁いた美海心恋。
シャンプーと汗の混じった匂いがほのかに香る。
「桜は別にいいんだよ。まぁ、ちょっと機嫌は悪そうだけど、別にあいつの顔色を伺って行動しようとも思わないし。
それに、今頃は中嶋がどうにかしてくれてるはずだよ」
「ふーん。でも女の子はやっぱり、好きな人にはどんな時でも優先してもらいたいもんなんだよ」
その気持ちは僕にもわかる。
一番でいるということは、確かに心地良いことなのだ。
「けど、今は美海心恋ご優先だよ。機嫌より怪我の方が心配だしな。それに、桜はそんな僕の判断もちゃんと尊重してくれるよ」
多分、美海心恋が思ってるよりも、桜は良い奴なんだぜ。
「信頼してるんだね。……なーんか、見せつけられちゃった気分。惚気ってやつ?」
「別にそんなんじゃないってば」
今頃、桜の機嫌が悪いのは確かだし。
中嶋が大変な思いをしている事に、違いはないのだから。
☆☆☆☆☆☆☆
中嶋竜也はあたふたしていた。
これ以上ないくらい、あたふたしていた。
「とりあえず、桃原さん。一位おめでとう。いやー速かったな! びゅーんって! 新幹線みたいにビューンって」
「美海心恋って子が転んでなければあの子が一位だった」
素っ気ない態度に、中嶋は早くも頭を抱える。
──湊の奴、帰ってきたら絶対許さねぇ。
重苦しい空気の中、中嶋はどうしたものかと頭を捻る。
「まぁ、湊も美海さんを治療してもらったら、すぐに帰ってくるはずだしね」
「……湊は優しいわ。誰にでも、どんな人にでも優しいわ」
「ま、まあそうだよな。良い奴だよな、あははー」
「今回だって、正しいことをしただけ。いちいち嫉妬してる私の方が間違ってるの。だから気を遣わなくていいわ。放っておいてくれれば、それでいいから」
桜は踵を返し、その場を去っていく。
中嶋は後を追うかどうかを迷ったが、共に歩みを進めることはなかった。
だから、代わりに一言。
「桃原さんはもっと、わがままを言うべきだ。態度で訴えるんじゃなくて、言葉を交わさなきゃダメだ。」
桜の独占欲の強さは相当なものだろう。
隠しきることはできないほどに。
だったらもう、伝えるしかないのだ。
素直に、ワガママに、吐き出すしかない。
「アドバイスしてくれるの? ありがとう」
「いやいや! こう見えて、俺は桃原さんと湊の仲を応援してるからな!」
「そうなの? 知らなかったわ。貴方は湊とできている、なんて噂をよく聞くものだから、敵だと思ってたわ」
──なわけあるか!
と内心突っ込む中嶋だったが、怖いので口には出さない。
「ありがとう。湊の親友にそう言って貰えると心強いわ」
桜は笑う。おそらく、中嶋は初めて、彼女の笑顔を見た。
──なるほど。湊が桃原さんを好きな理由が少しわかったぜ
こんな風に笑う人ならば、きっと悪い人ではないのだろう。ただ誰よりも不器用で、素直じゃなくて、ツンドラなだけで。
それに、最近桜は他人に対して、ありがとうをよく言うようになった。これは付き合いがそれなりにある人からすれば、大きな変化だ。
もちろん、その変化は席替え以来。
「桃原さん。──実はこの体育祭において、湊との仲を深めるいい作戦があるんだけど、聞かない?」
ちょっとしたイタズラ心で、中嶋は語った。