はじめの一歩
桜視点のお話です。
今回のお話を載せるにあたり17話の後半を修正しました。
「湊にぃ、お姉ちゃん。私用事があるから。──また一緒に食べようね」
お弁当を食べ終えた柊はそれだけ言ってベンチを立つと、直ぐに教室へと向かった。
多分、私に気を遣ってくれたのだろう。
湊と二人きりで話したいこと、私にもあったから。
「さっき教室でした話の続き、してもいいかしら」
「そうだな。何を為して強くなったか、だよな?」
そう。それだ。
私は湊の背に守られる存在であり続けることが嫌で、強くなることを望んだ。
だけど、湊は私に強さを求めていない節さえある。
「僕もね、ずっと強くなりたいって思ってたよ」
「嘘。アンタは軟弱になったわ」
湊は昔、もっと性格も野性的でこんな風に落ち着いた雰囲気なんてなかった。
一人称だって俺だったし、殴られっぱなしで済ますような奴でもなかった。
強い奴だった。だから私は湊みたいになりたかった。
「人を傷付ける奴が強いっていうのは、勘違いだよ、桜。僕は桜と別れてそれを学んだんだ。あの頃の僕は紛れもなく弱者だったんだよ」
「違うわ。湊は強かったもの。毎日イジメに遭っていた私を助けてくれてたじゃない」
いつも湊だけが私を庇ってくれた。
私をイジメる奴らを追い払ってくれた。
泣いてる私を慰めてくれた。
「でも、守り切れなかった。桜のお父さんに言われた言葉、覚えてるだろ? あれが全てだよ」
──お前が桜の人生を壊したんだ。
私が引越した日、お父さんは湊にそう言った。
引越しの話は、小学生の頃からずっと出ていた。
でも、私は湊と離れるのがどうしても嫌で、お父さんとお母さんを説得して中学も湊と同じ場所を選んだ。
けれど、中学に入って間もなく、私は転校する事になる。
「原因は僕だった」
中学生にもなると、私達は幼馴染の枠を抜けて、男女になる。湊はどう思っていたかは知らないけれど、少なくとも私、そして周囲はそう見る。
当時湊の事が好きだった子が、階段から私を突き飛ばした事件。これが引越しの決め手だった。
「僕は無力だった。だから強くなんてない。僕の背を追いかけてばかりいても、ダメなんだよ。さーちゃん」
さーちゃん。
多分、湊が私をそう呼んだのは無意識だっただろう。
でも、覚えてる。この顔を。
いつも困った顔をしながら背中を摩ってくれたときのあの顔だ。
「それに僕は桜ほど口も悪くなかったぞ?」
「それは、私がこれまで言われてきた言葉を参考にしてるのだから、仕方ないわ」
私は弱者で、アイツらは強者だった。
「はぁ。なぁ、桜、お前が言われてきた事を他の奴に言ったら、それはイジメと一緒だろ? 僕以外にそういう態度取ってなかっただろうな?」
湊は呆れたように溜息を吐いた。
「え?」
私は思わず目を見開く。
盲点だった。
確かに、アイツらと同じ武器を執ってしまったら、それは間違いなくイジメになる。
そして気付く。
「じゃあ、私、湊の事……」
心臓がギュッと萎縮する。
私が湊に与えていた影響をあまりにも軽んじ過ぎていた。
「僕には桜と過ごした時間がある。もし僕達が幼馴染じゃなかったら、きっと泣いてたぜ?」
そっか……そうだ。そうだったんだ。
全部、全部間違ってた。
馬鹿だ、私。
強くなりたいって覚悟して、それで湊を深く傷付けていたんじゃ、なんの意味もない。
「僕はずっと、桜に嫌われてると思ってた。あの時の負い目もあったから。桜に近付かない方がいいんじゃないかって、ずっと思ってた」
全然、違う。
私はずっと湊が好きだった。
好きじゃなかったことなんて、私には一度もない。
でも、私がした事は──
「ごめん、なさい」
涙が一筋零れ落ちる。そしてまた一雫。
──ボタボタボタボタ
やがて大粒の涙が止めどなく溢れ出す。
嗚咽。
嗚咽。
嗚咽。
吐き気が止まらない。
いっその事、死んでしまいたい程だ。
恥ずかしい。情けない。烏滸がましい。
あまりにも自分の事しか見えていない。
強くなった? ふざけるな。私がこれまでして来た事は全部彼を傷付ける行為だ。
「うっぐ。……ごめ、ん、なさい。泣きたいのは湊の方だよね。いっぱい痛かったよね……」
私のした事が、アイツらと同じなのだとしたら、湊の気持ちは私がよく分かっている。
苦しかったはずだ。
痛くて、辛くて、張り裂けそうだったはずだ。
湊は何も言わないままブレザーを私の頭に掛けると、私の右肩を抱き寄せた。
「許すよ。桜だから、許す。僕の代わりに泣いてくれてありがとう」
湊はぽんぽんと、あやす様に肩を叩く。
だけど、その言葉はつまり、私達が幼馴染でなければ、湊でも許さない行いだったということを示す。
湊だって、口ではこう言いつつも、内心では私を嫌悪していてもおかしくない。
なのに、許されてしまった。
私が幼馴染だという理由だけで。
「……湊は、優しいなぁ。すっ、ごく、強い」
でも、湊が許してしまったら誰が私を罰せればいいのだろう。私はこの先どのように償っていけばいいのだろう。
「桜が最後にしてくれた約束、覚えてる?」
「……うん」
『強くなるから。湊くんに釣り合うくらい強くなって、可愛くなって、すごく、すごい人になるから。だから次会うときは笑顔で学校に行って、笑って帰ろう』
学校が嫌いで嫌いで仕方なかった私と湊との約束。
「昔はいっつも桜が泣いてたから、いつか一緒に寄り道したりしながら帰れないかなって、ずっと考えてた。だから、時間が合うときは一緒に帰らないか? これまで空いちゃった隙間を埋められれば、僕は満足だから」
湊は落ち着くような声で優しく語りかけてくる。
思わずみっともなく縋りたくなってしまうような優しさ。
でも──
「無理だよ……そんなの、私にとってあまりにも都合が良過ぎる」
私が私を許せない。
罪と罰があまりにも釣り合っていない。
湊は知らないかもしれないけれど、私は湊の事が好きなのだ。
好きな人を傷付けたのだ。
その罪の意識は彼が考えている以上に重い。
「もう誰も桜を虐めたりしない。虚勢を張る必要もない。過去より未来だよ、大事なのは」
でも、だけど……。
じゃあ、この想いはどうやって裁けばいいのだろう。
私は湊にどうやって償えばいいのだろう。
「僕には分からないな。でも、時間が解決してくれる事もあるんじゃないか? 美味しいもの食べて、寝たら、案外どうでも良くなってるもんだよ」
「なる訳ない! なる訳、ないよ……」
湊にとって私はただの幼馴染でも、私にとっては違うのだ。
「桜は、僕に嫌いになって欲しいわけじゃないんだろ?」
「えっ……? それはそうだけど、でも──」
「僕だって、無理だよ。桜のことを知っちゃったら、嫌いになんてなれない。僕が桜にしてやれる事は、もうないよ」
ブレザーを被った私は湊の顔を見ることはできなかったけれど、少しだけ声が暗くなったような気がした。
「ああ、予鈴だ。落ち着いたら戻ってこいよ。先生には僕が言っておくから」
湊はそれだけ言うとブレザーの上から頭を軽く叩いて教室へと戻っていった。
人気のない中庭でひとり。
私は思考を巡らせる。
二度目のチャイム。授業がはじまった。
私の本質は、どこまでいっても弱い子供のままなのだろう。
強さの意味を履き違え、大好きな人までをも傷付けた。
「本当に……好きなんだ。好きなんだよ……」
「湊にぃの事?」
ドキリと胸が跳ねた。
私がブレザーを頭からを下ろすと、目の前には柊が立っていた。どうやら全部聞いてたらしい。
「も、もう授業始まったわよ?」
涙を拭って毅然と振る舞う。
「それはお姉ちゃんも一緒。なのに湊にぃの匂いをくんかくんかして悦に入っていた」
「違うわよ。私は……」
ああ、でも、落ち着くなぁ、この匂い。
ずっと変わらない匂い。湊の匂い。
私は少し湿った湊のブレザーで顔を覆う。
「湊にぃは言ってた。17年の人生でお姉ちゃんが傍にいなかったのは3年だけだって。それだけ一緒にいれば喧嘩もすれ違いもあるって」
柊はブレザーを抱きしめる私の頭を撫でながらそう言った。私よりも、余程大人で姉らしい。
「湊はそう言うけど、私はその程度で済ませていい話には思えないわ」
柊が来たところで多少冷静になった私は涙を止めて柊と話す。
「だったら、尚更湊にぃの言う通りにするべき。泣いたって何も変わらないのはお姉ちゃんが1番わかってる」
「今日は随分とハッキリ言うわね」
「お姉ちゃんが泣いてたら誰だって言う。湊にぃに心配掛け過ぎは良くない」
多分、後半が本音だろう。
「お姉ちゃんばっかり心配されてズルい」
やっぱりそうだ。
頬を膨らませた柊はぷいっと顔を逸らす。
我が妹ながら本当に可愛らしい子だ。
湊が可愛がるのもよく分かる。
「ねえ柊。私ね、湊が好きなの」
「100万回聞いた」
好きだから、湊には幸せになって欲しいって、心の底から思う。
「じゃあ、そこに私は必要なのかしら。私は湊の邪魔にならないかしら」
これからも私が湊にとって重荷で有り続けるのなら、私はもう湊と──
「湊にぃは、お姉ちゃんの事、嫌いじゃないって言ってた。お姉ちゃんは自己中で自分の事しか見えてないけど、動機は全部、湊にぃの為だった。だから、もしかしたら、自分の為に動けば、いつかはそれが湊にぃの助けになる日も来るかもしれない」
優しい解釈だった。
柊の顔を見れば、結構無理をして私を慰めてくれているのがよく分かる。本心は多分、違うということも。
「まだ吹っ切れられたら困る。お姉ちゃん、家でいつも湊にぃの事しゅきしゅき言ってたから関係も良好だと思ってた。私の湊にぃを傷付けた事、私もちょっと怒ってる」
「だ、誰がアンタのなのよ!」
「反省して」
「うっ……」
それを言われたら私も言い返せない。
自分の好きな人を傷付けられたら、怒るのは当然だ。
私だって、湊が殴られた話を聞いたときは冷静じゃいられなかったのだから。
「土曜日、3人で勉強しよう。ちょっとずつ、歩んでいこう」
そう言って私を抱きしめる柊。
結局、私はまた泣いた。
5限は保健室で休ませてもらい、6限に授業へと戻った。
一応メガネを掛けてカモフラージュはしてみたけれど、もしかしたら、目の腫れに気付いた人もいたかもしれない。
「おかえり、桜」
「ええ……ただいま」
下校の時まで、ブレザーは返さなかった。
湊と桜の和解です。
仕方ねぇ、桜のこと許してやるか、って思ってもらえると良いのですが、このヒロイン気に入られねぇなって方はすみません。
今回ので完全和解ですのでこれ以上は桜を持ち上げられません。
2章の初めに語りますが、初桜を置いて教室に戻ったのは柊に気づいていたから、ということは伝えて起きたいです。
ここまで19話、お読みいただきありがとうございます。
2章からはシリアスな話はほとんど出てこないかと思いますが、是非これからも読んでいただけると嬉しいです。