野球しようぜ!
僕が教室に入ると、本日2回目の拉致。
右腕を掴んでずんずんとトイレへと連れ込んだのは、中嶋だった。
「見たぞ! 俺は見たぞ! 鼻の下伸ばしてニヤニヤしながら登校する日本一羨まし……妬ましい男を!」
「お前は朝から元気だな」
だらしなく制服を着崩した茶髪のアホ。
それが中嶋竜也だ。
「で? 詳しく聞かせろよ」
詳しく、と言われても。特に何もない。
確かに高校生になって、手を繋ぐという行為には気恥しさを感じたけれど、僕の隣に柊がいることも、登校時桜と手を繋いで登校する事も、よく考えたらそんなに珍しいことではない。
むしろ懐かしいと感じたくらいだ。
僕は流しに唾を吐いてから口を濯ぐ。
あー、結構深く切れてるわ。
鏡に映った顔は少しだけ腫れているけれど、まぁ、そんな痛くもないし直に治るだろう。
「おいおい、人と話をする時は相手の目を見て話そうぜ?」
「逆にお前は、僕の怪我に一切触れないんだな?」
「どうせあれだろ? 桃原さんになんか言ったんだろ? 俺なんて事ある毎に泣かされてるぜ? 席替えの時だってクジを無理やり……おっと。俺の話はいいんだよ」
「お前がどうしてそんなにも誇らしげに泣かされた事を語れるのか不思議だよ」
実際は桜ではなく柊の彼氏なのだけれど、いちいち訂正するのも面倒なので放置することにした。
コイツはあれかな? マゾなのかな?
不良みたいな格好してるくせに。
「桃原さんは学年三大美女のひとりだからな。関われるだけで儲けもんだろ? そんな学園のアイドルと手繋いで登校なんてしたら、俺はもう3日は手洗えないぜ?」
「へぇー、汚いな」
僕はそんな話を聞き流しながら、爪に挟まった砂利を取るために石鹸を泡立てる。
どうやらさっき倒れた時に、結構な量の土が入り込んでしまったみたいだ。
「持たざる者にしかわかんねぇか、この気持ちは」
中嶋はしくしくと泣き真似をしながら隣で髪を整える。
「そんなに言うなら、仲良くなればいいじゃん」
「それは無理。可愛いとは思うけど、近付きたくはねぇ」
随分とスタンスがハッキリしてるなぁ。
「で? お前はもう桃原さんと付き合ったのか?」
「付き合ってねぇよ」
「おいおい、これだから玉無しぬぺぬぺマンボウ野郎は困っちゃうね」
「なんだよそれ。もやしっ子パロパロザウルスの仲間か?」
「おっ! お前も『愛をドルに変えろ!苦学生ガール』見てんのか? いい趣味してんじゃん」
思わぬ場所から情報が入った。
どうやらもやしっ子パロパロザウルスはアニメだかドラマだかの登場人物らしい。
後でチェックしてみよ。
「いやぁ、最後親友の山本ペンタブ・キャミそるるが裏切るとは思わなかったよなぁ」
前言撤回、見るのはやめよう。
一番大切なシーンをネタバレされた気がする。
「で? ぶっちゃけ、お前は姉と妹どっち狙いなんだよ?」
「別に。どっちも狙ってねえよ。柊は彼氏持ちだし、桜も……まだ、好意に応えられるまでには至ってないって感じかな」
「へぇ、妹さんは彼氏がいたんだ……っておい! は? お前、桃原さんに好かれてるって気付いてたのか?」
「当然だろ? 僕を鈍感系主人公と一緒にしないでくれよ」
本音を言えば、全部さくらのお陰なのだけれど。
「だったら分かってんだろ? 俺がお前の親友をやってるせいでどれだけ桃原さんから睨まれてるのか」
あー、やっぱり桜が中嶋に対して辛く当たる理由って、そのせいだったのか。
申し訳ないな。カミナリおじさんの件に関しては10分の1だけ借りを返してやろう。
「はーん。でも、気付いた上で放置ねぇ。やれやれ贅沢な坊ちゃんだ。つっても、無理はねぇか。あんだけ口が悪きゃな」
「でも、可愛いところだってちゃんとあるんだぞ? 優しいところも、ちゃんと」
話し方も、価値観も変わってしまった彼女だけれど、いい所もちゃんとある。僕はそれを知っている。
「ナチュラルに惚気けるのやめてくんね?」
別にそんなつもりはないけどな。
──キュッキュッキュッ
だいぶ古くなった蛇口を捻り水を止める。
僕は中嶋のシャツで手を拭くとそのまま教室へと戻った。
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