後編
七海は石畳の街へ戻ってきました。
魔法の本屋さんは、変わりなくそこにありました。
七海は、いつもと同じように扉の奥へ入り、おじいさんの姿を見つけてから、本と向きあいました。
ていねいに願いをこめて、七海は本をめくり続けます。
西日が差してきました。そろそろ今日の本探しも終了でしょうか。
七海は大きなため息をつきました。
疲れを感じていました。
何度ここへ来て、一体どのくらいのページをめくったでしょうか。
そろそろやめる潮時かもしれません。ここで答えを得られなくても、自分で考えればいいだけなのかもしれません。
それでも、七海は簡単にあきらめたくありませんでした。
あとほんの一冊か二冊。いえ、あの棚の一番上の段だけは終わらせようと七海は考えました。
脚立を持ってきて、上がろうとします。
すると、何かが光ったような気がしました。
七海は目をぱちぱちさせてから、光のあった方向を見つめます。何も変わりはありません。
気のせいかな。
そう思って、もう一度脚立に上がろうとします。すると、また小さな光が感じられました。
それはすぐに消えてしまいましたが、七海は歩き出しました。
大きな本棚の、ある一冊の本から淡い光が放たれたように思ったからです。
七海がその本棚の前に立つと、一冊の本がほのかに光り、またもとに戻りました。
そっと手を伸ばし、七海はその本を静かに本棚から胸に引きよせました。
本は七海の両手のなかで、あいさつをするかのようにほんのりと温かくなり、一度だけ夏の日差しのように強く光りかがやきました。
「見つけたね。やっと見つけたね」
カウンターから、店主のおじいさんのやさしい声がしました。
七海は胸がいっぱいになって、本を手にしたまま、こくんとうなずくのが精一杯でした。
七海がその本の表紙をめくると、本はぱらりぱらりとひとりでにめくれて、あるページで止まりました。
七海は、そこに書かれていることをしっかりと読みます。
まさしく、七海が求めていたことでした。
この本屋に何日も通い、たくさんの本と出会って、自分の知りたいことと向きあったから、本が応じてくれたのでしょう。
けれども、七海は見つけ出した答えのとおりにできる自信は、まだありませんでした。少しばかり勇気が必要なことだったのです。
だから、その本を買って帰り、何度も読み返したいと思いました。
七海は本を持って、カウンターへと進んでいきます。
店主のおじいさんがにこにこしながら待っていました。
「この本、ください」
「お買い上げありがとう、七海ちゃん」
おじいさんは七海から本を受けとりました。
七海の名前をおじいさんが知っていたのは、七海がこれまでに何度もここへ本を探しに来たことがあるからでした。
まだ文字もよく読めない小さなころから、知りたいことがあると、七海はこの本屋に遊びに来ることができたのです。
ただ、こうして本を買うことにしたのは初めてです。
ふと、七海は疑問に思いました。
「あの、お金は?」
これまでどういうわけか、本の代金のことは考えていなかったのです。
「お代は必要ないよ」
「でも、ここは本を売っているんでしょう?」
「そう、本屋だよ」
おじいさんは語りました。
「この魔法の本屋は、ありとあらゆる知識を本として棚に収めている。どの本も、みんなのためのものだ。そのまま持っていくわけではないよ」
おじいさんは本を手にとり、こんこんこんと三回軽くたたきました。
すると、本から何か小さな珠が出てきました。
「七海ちゃんのものだよ。さあどうぞ」
おじいさんは、七海の手にその水晶のようなきらきら光る珠を乗せてくれました。
「七海ちゃんが願いをかなえるのに必要な魔法は、その珠にこめられている。これは、この本屋で真剣に本を探して買おうとしてくれた人に、与えてあげるものなんだ。本のなかの必要な知識を覚えていられるし、きっと心も元気になるはずだよ」
「うん。ありがとう」
七海はおじいさんにお礼を言いました。
プレゼントしてもらった光の珠を、七海は大切に持ちます。
本屋の入口で一度立ち止まり、七海はおじいさんに手をふりました。おじいさんはにこりと笑ってから、本棚の奥へと消えていきました。
あの店主のおじいさんは、本当に七海が見たような年をとった男の人なのか、それとも若い女の人なのか、小さな子どもなのか、あるいは犬や猫なのかもわかりません。もしかしたら未来のロボットということもありえるでしょう。
その姿は、お店に来たそれぞれの人が想像することです。
この本屋には、訪れる人の数だけ入口があるとのことです。
それはどんな形なのか決まっていません。七海のように石畳の街から入る子は他にもいるかもしれませんが、想像でつくられた入口は、全く同じということはないでしょう。
訪れることのできた人は、やって来て初めて本屋のことを思い出すようです。七海もそんな一人でした。
そこで求めていた本を買うことにすると、知識を生かせる力も加えた珠をさずけてもらえるのです。
七海は夕日にきらめく珠を持って、石畳の道を駆けていきました。
お母さんは、朝食を用意しています。
もう少ししたら、七海を起こしにいこうと思っています。
七海はぐっすりとよく眠る子で、時々遅くまで寝ているので、そのときは声をかけることにしていました。
「お母さん、おはよう」
それなのに、七海の声が後ろから聞こえて、お母さんはびっくりしました。
「おはよう、七海ちゃん。今朝は早いのね」
「うん」
返事をした七海の表情は、ここ最近見られなかった明るさでいっぱいでした。口元にやわらかな笑みを浮かべていて、瞳はかがやきを取り戻していました。
一体何があったのでしょう。
「おはよう。今朝は何だか元気そうだね」
先に食卓についていたお父さんが言いました。七海はお父さんにも大きな声であいさつすると、両親に向かって口を開きました。
「りおちゃんとゆうかちゃんと仲直りする方法、思いついたの」
七海の言葉は力強く、確信に満ちていました。
「そうなの。それはよかったね」
お母さんがほほえむと、七海は深くうなずいてにっこりしました。
七海はいつもより、朝ごはんをたくさん食べました。
学校へ行く時間になると、ランドセルを背負い、お気に入りの帽子をかぶります。そうして、はりきった声で「行ってきます」と言って、家から出発しました。
七海は、朝起きたとたん、急に思いついたのです。
ここ二週間ほど、友だちとうまくいかなくて、とても悩んでいました。けれど、上手に解決できる方法が突然わかったのです。
それできっと、この夏休みは友だちと楽しく過ごせると七海は信じていました。
どうして急にいいことを思いついたのかな。
足どり軽く学校へ向かいながら、七海はふと不思議に思いました。
朝早くから、夏の日差しがまぶしく感じられます。
「今日も暑いぞ」と太陽が言い張っているかのようです。
本屋さん。
七海は急に思い出しました。
確かに本屋さんで探しものをして、何かを持って帰った気がします。
けれども、このところ本屋に寄った記憶はありません。今朝、何か夢でも見たのかしらと、七海はようやく気づきました。
どんな夢だったのか、おぼろげにしか覚えていません。でも、そこにはまぎれもなく、なつかしくて温かく、それでいておごそかな気分になれる場所がありました。
今の七海は、仲なおりする方法を知っているのと同時に、勇気もわいていました。
どこかで。
どこかの本屋さんで、答えも勇気ももらったんだ。
七海はそうに違いないと感じました。
もしかすると、朝、突然すばらしいアイデアを思いついたら、それは夢のなかの本屋さんで、ちょうど探し求めていた本に出会ったからかもしれません。
本屋のことも本を読んだことも、すっかり忘れているだけです。
だれもがみんな夢のなかで、すてきな魔法の本屋さんにたどり着くことができるのかもしれません。
そこで買い物をして、きらきら光る不思議な珠を手にすることもあるのかもしれませんね。





