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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
アノイ編
8/65

クマ送り

(前回までのあらすじ)

 ピリカたちの父ペケルが山から子グマを生け捕りにしてきた。アノイの地では、生きている子グマは山に住む神から里子として預けられたものとされ、「クマ送り」の日まで大事に育てられる。「クマ送り」とは、クマの霊をその親元の国である神の国に送り届ける祭儀のことだ。ヒラクは子グマを預かる長の家に出入りするようになり、子グマに「ヌマウシ」と名づけてかわいがった。このことでイルシカの心にも変化が現れ、確執のあった長の申し出を受け入れて、クマを送り出す役目を引き受けることになった。

 季節は冬を迎えていた。


 一年の()めくくりに、アノイの村ではその年最大の儀式が()り行われようとしていた。

 神から預かった子グマを神の国へと送り出す「クマ送り」だ。


 アノイの村ではクマを送るための準備で村人は忙しく働いていた。


 クマ送り当日の四日前には、ひえかあわを醗酵させて酒を作る。そして前日には神々への捧げものを作る。樹皮の削り掛けをふさふさと上部につけた木の棒だ。

 神々の中でも最高位にある火の神に始まり、水の神、木の神など、アノイには多くの神々がいる。儀式の成功のためにそれらの神々に祈るための捧げものが必要となってくる。

 そして儀式の後、祭壇(さいだん)のクマに捧げるものも作らなければならない。

 この役目は男が引き受ける。女は直接神を祀る儀式に関わることはできない。そのかわり女たちはクマの神々へのみやげものとして、でんぷんを材料としたもち団子などを作る。

 さらに儀式に必要とされるのは花矢(はなや)と呼ばれる矢だ。これは赤い絹布(けんぷ)をつけたり矢じりに彫刻を施したりした飾り矢で、あくまでも儀式用の矢であり、クマに刺さってもひどい傷にならないようになっている。

 花矢の数は決まっていて、送るクマがメスのときは六十本、オスの場合は五十本だった。


 クマ送りの前日、イルシカが長の家を訪ねたとき、ちょうど(おさ)は花矢が五十本あるか確認するために床に並べているところだった。


「何本あろうが意味のない矢だ。送り出すには俺の矢一本で十分だ」


 背後からなつかしい息子の声がして、長は驚いて振り返った。


 お互いに言葉もなかった。


 イルシカは、振り返った顔を見るまで、それが父であることが信じられなかった。

 その背中はあまりにも小さく感じられた。


(老いたな……)


 イルシカは、くやしく、やるせない気持ちになった。

 敵視していた父親は、怒りのはけ口とするにはもう、あまりにも弱々しい老人なのだ。


「……ヒラクは、どうした?」


 長はそれだけ言うと目をそらした。


 二人の間の壁は、打ち壊すまでもなく、時の侵食で朽ちていた。もはや闘いにもならず、戸惑うばかりの互いの姿をむなしくさらすだけだった。



 その時ヒラクはクマの檻の前にいた。


「ヌマウシ……」


 かつての子グマは成長し、大きな体で窮屈(きゅうくつ)そうに(おり)(おさ)まっていた。


 誰もが明日このクマが送り出されることを喜んでいる。

 それが何を意味するのかを知ってから、ヒラクはこの日が来ないことを願っていた。


 ヒラクは数日前の出来事を思い出していた。

 イルシカが狩りにヒラクを連れ出したときのことだ。


 普段は(わな)を張り獲物(えもの)を捕らえるが、この時は弓の練習がてら獲物を矢で射ることにした。


 (ねら)ったのは野ウサギだった。


標的(ひょうてき)が小さいほど腕が試される」


 そう言いながら矢を放ち、イルシカはウサギを見事にしとめた。


「すごいや、父さん」


 ヒラクはウサギに駆け寄ってつかみあげた。


「俺の腕をしてみれば、これぐらい大したことじゃねえ。クマ送りの当日は一発でクマの心臓を打ち抜いてやる」


 イルシカは得意げに言った。


 ヒラクはぎょっとした顔で父を見た。


「そんなことしたら死んじゃうよ」


「死なないでどうする。クマ送りってのは、クマを殺してあの世に送ってやることを言うんだ」


「うそだ! だってみんな言っていたよ。ヌマウシは神の国に帰って親グマに会えるんだって。神さまたちに見守られて、みんなに見送られて幸せだって。おみやげもたくさんもたせてもらえるって」


「くだらねえ。死んだあとのことを好き勝手に言っているだけさ。魂がどうなるかなんて、そんなの知ったこっちゃねえんだよ」


 イルシカは吐き捨てるように言った。


「いいか、ヒラク。死んだあとのことなんて、本当のところは誰もわかっちゃいねえんだ。確かに言えるのは、死んだらそこで終わりってことよ。肉は()ち果て骨になる。クマも、俺たちも、そのウサギも同じだ」


 ヒラクはつかみあげたウサギを見た。

 それはもはや生き物ではなく、ただの物体でしかなかった。

 その肉の(かたまり)はヒラクたちの食料となる。

 そのまま放置すればやがて腐敗(ふはい)していく。

 命を失うとはそういうことだ。


 それから毎晩ヒラクは、心臓に矢が突き刺さり苦しみもだえるヌマウシの姿を夢に見た。

 ヒラクには耐えられなかった。

 ヒラクにとってヌマウシは、名もない野ウサギとはちがう。

 自分にとって特別で、他の動物たちとも区別されるものだ。

 それが「名づける」ということだった。


 そんな特別な思いが、ヒラクにあることを決意させた。

 

 それが大きな混乱を引き起こすことになろうとは知らずに。



 その夜、村は早々に寝静まっていた。


 翌日の儀式は早朝から行われる。唯一(ゆいいつ)灯りがついているのは(おさ)の家だった。


 長の家では、イルシカが、明日の儀式で使う酒を手酌(てじゃく)で呑んでいた。

 それをとがめるでもなく、片口(かたくち)の器がからになると、長は黙って注ぎ足した。

 イルシカも黙ってうなずいた。

 それをうれしそうに見守るのはイルシカの老いた母だった。  


 しめやかな雰囲気の中、突然ルイカがやってきた。


「アスルとピリカが来ていないかしら?」


 ルイカの後ろにはイメルもいた。


「来ていないぞ。何かあったのか?」


 長は立ち上がり、ルイカを中へ迎え入れた。


「ヒラクは? ヒラクは知らないかしら?」


 アスルとピリカが長の家にもいないと知り、ルイカは動揺した。


「ヒラクなら小便に行くと言って出て行ったぞ」


 イルシカはルイカに酔った眼を向けた。


「一緒にいるんじゃないかしら? どこかでまだ遊んでいるのかしら?」


 ルイカはあわてて外に飛び出そうとした。


 長はそんなルイカを引き止める。


「まあ待て。大事な儀式の前だ。騒ぎにするわけにはいかん」


「でも何かあってからじゃ遅いのよ」


 言い合う二人の間で、長の妻はおろおろとするばかりだった。


 そんな中、先ほどから物言いたげだったイメルがイルシカにそっと近づいた。


「おじさん、実は……」


 イメルの言葉でイルシカはさっと表情を変えた。


 イルシカはすぐさま厳しい顔つきで立ち上がると、弓を背負い、(やり)を手にして外に飛び出していった。




 その時ヒラクは、クマの(おり)によじのぼり、天井部分の丸太の上の重石(おもし)を下に落とそうとしていた。


「ヒラク、やめようよ」


 アスルはおろおろとした様子でヒラクを見上げた。


「ふん、怖気(おじけ)づいたか。弱虫は家に帰れ」


「何だと? 俺は弱虫じゃないぞ!」


 アスルは、組み立てられた丸太の上部にひっかけた縄をつかんで上までよじのぼった。


「お兄ちゃん、やめなよ。お母さんにしかられるよ」


 ピリカは今にも泣きそうだ。


「うるさい、どいてろ! 危ないぞ」


 アスルはピリカを怒鳴りつけ、ヒラクと一緒に重石を下に落とした。


 ヌマウシは檻の中でうなり声をあげながら外の様子をうかがっている。


 すべての重石を落とすと、ヒラクは下に飛び降りた。


「アスル、次はこっちだ」


 アスルは再び縄を使って、おっかなびっくり下に降りた。


 ヒラクは、なたをアスルに手渡した。


「おれはこっちの支えを折る。おまえはそっちをやれ」


 二人は、四本の支柱のうち手前の二本を折ろうと、右と左に分かれてなたを振るった。


「よし、離れろ」


 ヒラクの声でアスルはその場から飛びのいた。


 傾き始めていた丸太の檻が、地に深く沈みこむような鈍い音を立てて前方に倒れた。


 やがて、重石を取り払われた天井部分をつきやぶり、中から大きなクマがはい出てきた。


「ヌマウシ」


 ヒラクが駆け寄ろうとしたときだった。


「ヒラク! 離れろ!」


 イルシカが弓をかまえながら走ってきた。


「父さん、やめて! ヌマウシを自由にしてやって!」


 ヒラクは自分を(たて)にして、両手を広げてヌマウシをかばった。


「ヒラク、危ない!」


 アスルの叫ぶ声に振り返ったヒラクが見たのは、自分に向かって鋭い爪を振り下ろそうとするヌマウシの姿だった。


「ヌマウシ、おれがわからないの!」


 ヒラクが叫ぶのと、イルシカの放った矢がヌマウシののどを射抜くのは同時だった。


「イメル! ヒラクをクマから離せ!」


 イルシカは、後についてきていたイメルに向かって叫ぶと、弓を投げ捨て、槍をかまえて、暴れ狂うクマに向かって突進(とっしん)していった。


 クマはイルシカに向かって立ち上がり、おおいかぶさろうとするように上体をかたむけた。


 イルシカはクマの真正面で腰を沈めると、長い槍の()を地面で支えて、穂先(ほさき)をクマの胸に向けて斜めに立てた。


 倒れこんだクマは自分の重さで穂先を胸に沈めた。


 イルシカはすばやく横に転がり、槍から手を放した。


 穂先には毒が充填(じゅうてん)してあり、体に入ると横木で止まる仕組みになっている。


 クマは地面を揺るがすようにのたうちまわり身悶(みもだ)えた。


 やがて苦しげな息は絶え、クマはその場に倒れたまま動かなくなった。


 ヒラクはイメルに押さえつけられたまま、その様子を呆然(ぼうぜん)と見ていた。

 ピリカとアスルは恐怖で硬直(こうちょく)している。


「イメル、みんなを連れてこの場から離れろ」


 イルシカは(ひたい)の汗をぬぐって叫んだ。


 イメルはすぐには動けなかった。


「聞こえねえのか! 早くしろ!」


 イメルはくちびるを引き結んでうなずくと、ヒラクの腕をしっかりつかみ、あいた手でピリカとアスルを抱き込むようにして、その場を離れた。


 すぐに村人たちが集まってきた。


 明日には盛大な儀式のもと神の国へ送られるはずだったクマが槍で胸を一突きにされて死んでいる。


 そこに一人いたイルシカは、ぎらつく目で周囲を見回すと、狂ったように笑いだした。

 その狂気のさまを見て、人々はぞっとした。


「イルシカ、これは一体……」


 その場に駆けつけた長は震え声で尋ねた。


「俺には悪神が()いているんだ。神々をあざ笑っているのさ。何がクマ送りだ。ばかばかしい。そんなもん俺がぶち壊してやる」


 そう言って、イルシカは高らかに笑った。


「おまえというやつは……」


 長はその場にひざを落として手をつくと、うなだれ、声をつまらせた。地面をえぐりとるようにして握りしめたこぶしは、わなわなと震えていた。





             



(登場人物)


ヒラク・・・アノイ族の父と山の向こうの「神の国」から来た異民族の女との間に生まれた緑の髪のこども。誰の目にも見えない川の神の姿を見ることができる。


ユピ・・・山の向こうに広がる砂漠にいた異民族の少年。ヒラクの母が使っていた言語を「禁じられた言葉」と呼んでいる。


イルシカ・・・ヒラクの父。アノイ族の長の息子。アノイでは禁忌の地とされる山の向こうの神の国に足を踏み入れ、異民族の女を妻としたため、村から追放された。


サマイクル・・・ヒラクの祖父。アノイの長。イルシカのことを思いながらも村の調和と安定を重んじる立場から、息子と長く確執する。


ルイカ・・・イルシカの姉。イルシカとヒラクをいつも案じている。


ペケル・・・ルイカの夫。昔からイルシカを尊敬し慕っている。


イメル・・・ルイカとペケルの息子。長男。まじめで常識的。


アスル・・・ルイカとペケルの息子。次男。おしゃべりでうわさ好き。ヒラクにライバル心を持つが何をやってもかなわない。


ピリカ・・・ルイカとペケルの娘。末っ子。ヒラクに想いを寄せる。

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