あの方……
(前回までのあらすじ)
ジークに連れられて神帝国の領土にある船着場まで来たヒラク。そこでヒラクはハンスと
出会う。ハンスもジークと同じく勾玉主を探すために15年前に神帝国に潜入した希求兵の一人だった。そしてジークとハンスは、アノイの地が神帝国に滅ぼされたことを知ってぼろぼろになったヒラクを船に乗せる。そこに神帝国の皇子としてユピが現れた。アノイを滅ぼした神帝国を許さないというヒラクの前でユピは神帝国を捨てると宣言。ジークは包囲する神帝国の兵士たちから逃れるためにユピを人質とし、ヒラクと共に船に乗せ、大陸メーザを目指して船出した。
目覚めの儀式は失敗に終わった。
狼神は現れることはなく、儀式の混乱で神帝国の統率が乱れることもなく、セーカの民のほとんどが捕らえられ、城砦で捕虜となっていた。
城砦では狼神の旧信徒たちへの尋問が執り行われていた。
信徒たちは狼神の封印の地にいた異民族たちとのつながりを問われた。だがアノイ族の存在を知る者はいない。
カイルとテラリオは、目覚めの儀式はテラリオたちに仕組まれたものだと一部の若者たちが漏らしたことにより、神帝国まで連れて来られ、城の特別牢に入れられて、よりきつい詰問を受けることとなった。
テラリオは軍帥に会わせるよう兵士たちに訴えるが相手にされない。
「ちきしょう。兵士たちを遠ざけさえすれば、神帝国に迎え入れてもらえるはずだったのに……」
テラリオは鎖で壁につながれた手かせにぶらさがるようにしてうなだれる。
「だまされたんじゃないのか?」
テラリオと同じ状態で拘束されているカイルが隣で言った。
テラリオは顔を上げて、深刻な表情でカイルを見た。
「……ちがう、きっと何かあったんだ。狼神の目覚めの儀式への詰問は神帝の指示だろう。あの方が神帝の座についていればそんなことをわざわざするわけがない」
「何にしても、あの方というのが神帝に成り代わることはできなかったというわけか」
「……ユピが邪魔をしたのかもしれない」
「ユピ? どういうことだ?」
カイルはテラリオに尋ねた。
テラリオはためらいながらも半ばあきらめたように語り始めた。
「……鍵を握っていたのはユピだった。ユピは神帝国の皇子だ」
その言葉にカイルは驚き、目を見開いた。
「でも、あいつはヒラクと一緒に山を越えてきた。どういうことだ?」
「ユピはずっと行方不明だったんだ。ユピを支持する者たちがセーカにまで探しにきたこともある」
それを聞いてカイルはセルシオの話を思い出した。
七年前、神帝国の者が二人、神帝が極秘裏に追放した者の後を追ってセーカ内に足を踏み入れたことがあるという。そこで神帝国の者と狼神の使徒の接触があったことは内密のこととされている。
「そうか……。その時の二人は神帝国の皇子を保護し、いずれは神帝として擁立する目的でセーカに入り込んだというわけか」
カイルは納得したようにうなずくが、すぐにあることがひっかかった。
「いや、待てよ。その者たちは追放者の存在を怖れていたと聞いている。神帝を怖れる以上にその追放者を怖れ、服従の意志を示していたと。当時ユピはまだ小さな子どもだ。そんな子どもの何を怖れるっていうんだ……」
「その神帝国の者たちが怖れていたのはユピじゃなく、あの方の存在だ」
テラリオは強ばった顔で言った。
「真の神ってやつか? いい加減そいつの正体を教えろよ」
カイルは苛立った。
「正体なんて俺も知らない。ただ、あの方の存在は本能的に恐怖を呼び起こす。直に接してみればおまえもわかる。この世のものじゃない存在……。俺にはそれしかわからない。だが、あの方はユピなしには存在することができない」
「どういうことだ?」
「あの方は肉体を持たない。ユピの中に顕れるんだ」
「……どういう意味だ?」
カイルは怪訝な顔をする。
「ユピの体を借りているんだ」
テラリオは真剣な面持ちで言った。
「体を借りる?」
カイルは困惑顔で聞き返す。
「よくわからないが、結局はユピってことだろう? テラリオ、おまえはユピが神帝になることを協力することで神帝国で自由を得ようとしたんだろう」
「……ユピは、何も知らないんだ」
テラリオの言葉にカイルはますますわからないといった顔をする。かまわずテラリオは話を続ける。
「あの方は完全にユピを支配することができない。城砦に向かい神帝国に入り込む計画を立てたのはあの方だ。だが、ユピはセーカに留まりたがった。ヒラクを待っていたからだ。だから俺はユピを、正確にいえばユピの体を城砦まで運ぶよう命じられた。
その時知ったんだ。ユピはあの方が存在するための体の持ち主にすぎない、中身はまったく別な存在だということを。
あの方はユピを完全に支配して、肉体的にも存在することを望んでいる。だが、今はまだユピと共存していくことでしか自分の存在を保てない。だからこそつけ入る隙もあった。ユピをうまく動かすことに手を貸しながら、俺は俺の望みを果そうとした。あの方は俺の考えをわかった上でそれを黙って見過ごした。互いの協力が不可欠だと思ったからだ」
テラリオはユピを神帝の座につけることができれば、神帝国で新しい神帝に仕える立場の者として厚遇されることを約束されていた。
テラリオには神帝国でカイルと自由を手に入れたいという夢があった。
カイルを救い出すために狼神の目覚めの儀式を思いついたときも、テラリオはその計画を実行することを許された。
テラリオは、ユピの中のもう一つの存在を怖れながらも互いに有益になる手段を模索した。
「同じことがユピにもいえる。あの方はユピの願いを叶えてやりながら、うまく動かそうとしているのさ」
「ユピの願いって何だよ」
「ヒラクだよ」
その言葉に、カイルはヒラクの鮮やかな緑の髪を思い出した。
そしてセーカの地上の砂漠がヒラクにより再び緑がもたらされたということを。
「ヒラクをそばに置くという条件で、ユピは神帝国に戻ることを受け入れたんだ」
「ヒラクは……ユピにとって一体なんなんだ? ユピは何かしようとしているのか?」
カイルは、いまやヒラクはただの子どもなどではないと思っているが、それでも自分が接してきたヒラクの幼さを思い出しながら、まだ心配する気持ちもある。
そんなカイルとちがって、テラリオはヒラクには何の関心もない。
「さあな、それより問題はユピだ。ユピは自分が神帝の後継者となる皇子で、そのために軍帥に駒として利用されているにすぎないと思っている。黒幕がまさか自分の中にいるなんて夢にも思っていない」
テラリオは青ざめた顔で言った。あの身の毛もよだつような存在が、常に自分の中にいると思うと耐え難いように思えた。
「……ユピは逃れられないんだ。自分を支配しようとする存在から、どこまでも逃げることはできない」
テラリオは暗い声でつぶやいた。
あとは重い沈黙が続いた。
カイルとテラリオは光と影のように対を成す、二人の子どもたちのことをそれぞれに考えていた。
その二人は今、すでにこの地を離れて、広い海原の向こうの世界の中心の大陸を目指していた。
神帝国こそが広い世界の象徴であったカイルとテラリオにとって、さらに広い世界があることなど想像すらできないことだった。




