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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
アノイ編
6/65

アノイの子どもたち

(前回までのあらすじ)

 アノイ族の父と山の向こうの「神の国」から来た女との間に生まれたヒラクは五歳。アノイの地から去った母を追いかけて山を越えると、そこには砂漠が広がっていた。その砂漠でヒラクは異民族の少年と出会う。アノイの地に共に戻った少年は「ユピ」と名づけられ、ヒラクにとって特別な存在になっていく。


 ヒラクは山を駆け回り、元気に成長していたが、ユピは外に出ることはほとんどなく、小部屋で一人、物思いにふけることが多かった。

 ヒラクと二人きりならば、ユピは外に出ることもあるが、朝方か夜に限られていた。


 日中は、いとこたちとの山での遊びにヒラクは夢中になっている。


 ヒラクは、ルイカの息子のイメルとアスルと一緒に弓遊びやかくれんぼ、石投げやこん棒打ちなどをしてよく遊んだ。アノイの子どもたちの遊びは、すべて狩りの訓練や儀式の練習につながる。

 どの遊びをしてもヒラクは優れていた。イルシカの気質をそのまま受け継いだかのように、自分よりも年上であるイメルとアスルの兄弟を引き連れて山を駆け回った。

 そしてその後をいつも遅れながらついてまわったのが、ヒラクが生まれた翌年に生まれたルイカの娘ピリカだ。


「待ってよ、ヒラク! お兄ちゃん!」


 山を駆け下りてきたヒラクたちを待ち構えていたピリカはあわてて後を追って走った。


「ついてくるなよ。俺が母さんに叱られるんだぞ」


 兄のイメルは、嫌な顔をして立ち止まった。


「ここまでおいで! ……ヒラク、逃げようぜ!」


 弟のアスルはヒラクの腕をつかむと、そのまま走って逃げようとした。


「ちゃんと家に帰れよ」


 イメルも二人に続こうとピリカに背を向けた。


 ピリカは泣きべそをかきながら必死に三人の後を追うが、木の根に足をひっかけて転んでしまった。

 完全に置いていかれたと思ったピリカは、その場に転んだまま泣きだしてしまった。


 そのとき、戻ってきたヒラクがピリカを抱き起こした。


「だいじょうぶ?」


「あーあ、ヒラクはいつもピリカに甘いんだから。だからつきまとわれるんだぞ」


 アスルがヒラクの隣に来て言った。


 ピリカはヒラクの腕をつかんだまま、泣き顔でアスルをにらみつけた。


「それにしても今日は暑いな」


 イメルが(ひたい)の汗をぬぐって言った。


 太陽がまぶしい。

 それでも北の地の夏らしく、木立を吹き抜ける風はさわやかだった。


「こんな日は川で泳ぐに限るな」


「よし、行こうぜ」


「おれはいい」


 ヒラクはイメルとアスルに言った。


「おれは、ピリカを家まで送るから、二人で泳いできなよ」 


「いいのか?」


「いいよ。早く行きなよ。日が暮れたらすぐ寒くなる」


 ヒラクはイメルにそう言うと、ピリカの手をひき、兄弟と別れた。


「いいの? ヒラク」


 ピリカはどこかうれしそうだった。


「いいんだ。川で泳ぐなと父さんに言われているから」


「ふうん、そうなの」


 二人はピリカの家を目指して、村の方に向かって歩きだした。


 ヒラクの母親がこの地を去ってから五年の月日が流れていた。


 それでもあいかわらずイルシカは村から離れて暮らしていたし、ヒラクもイメルとアスル以外の子どもたちと一緒に遊ぶことはなかった。


 アノイの特徴を持ついとこたちとは、ヒラクはもちろん異なる容姿をしていた。


 外を駆け回るヒラクの肌の色は、ユピよりは日に焼けていたが、褐色の肌のアノイの子どもたちよりもずっと色が白かった。

 鼻のつけ根が出ていて眉が太く、目がくぼんでみえるほど陰影の濃いアノイの顔の特徴もヒラクには見られず、ほかの子どもたちよりは少し薄い赤茶色の目が印象的だった。

 いとこたちは、ヒラクが自分たちとは明らかに見た目がちがうことを不思議がったりもしていたが、それでもヒラクのことを気味が悪いと思うことはなかった。

 いとこたちはヒラクのことが好きだったし、ピリカは特にヒラクを慕っていた。そっけない兄たちよりも、自分に優しいヒラクの方がずっと好きだった。


「あのね、ヒラク。最近お母さんが、男の子とばかり遊んでいないで刺しゅうや織物も覚えなさいって言うの。そんなんじゃお嫁にいけないわよって。そんなことないよね?」


 木立の中を手をつないで歩きながらピリカはヒラクに言った。


「ピリカはお嫁にいきたいの?」


 ヒラクが聞くと、ピリカは照れくさそうにうつむいてうなずいた。


「だって、お嫁にいったら、ずっと一緒にいられるもん」


「誰と?」


「好きな人と」


「そっか、じゃあおれ、ユピをお嫁さんにする」


「えっ!」


 ピリカはびっくりした様子でヒラクを見た。


「だっておれ、ユピが好きだし。お嫁さんになったらずっと一緒なんだよね?」


 ヒラクはピリカに屈託(くったく)のない笑顔を向けた。


「そんなの無理に決まってるじゃない! ユピは男でしょ!」


「でもユピはきれいだし、やさしいし、大好きだし……」


 ヒラクがそこまで言うと、ピリカは大声で泣きだした。


「ユピがお嫁さんなんて絶対無理だからね! だめだからね! いやだからね!」


 ヒラクは泣きやまないピリカをもてあましながら、手を引いてまた歩き出した。


 泣きやんでも、ピリカは不機嫌そうに黙りこんだままだったが、それでもヒラクの手を強く握っていた。


「もう着くよ」


 ピリカたちの住むアノイの集落の近くまで来ると、ヒラクは足をぴたりと止めた。


「じゃあね」


「えーっ、うちまで来てよ」


 そう言って、ピリカはヒラクの手を強引に引っぱろうとした。


「ごめん、また今度!」


 ヒラクはピリカの手を振り払うと、もと来た道を引き返し、走り去っていった。


 ヒラクは村人たちと顔を合わせるのがいやだった。

 皆がイルシカや自分のことを何と言っているのかは、おしゃべりでうわさ好きのアスルからいつも聞かされている。

 イルシカは憑き神にあやつられ、神の国から災いの種を持ち帰ったと。それがヒラクの母であり、アノイの神々に追い払われてしまったが、災いの種は形を変えて残されたままになっていると。それがヒラクであると言う者もいれば、ユピであると言う者もいた。


 口さがないアスルをいさめるのは兄のイメルだ。

 イメルは無口な子どもだったが、稲妻のような激しさも持ち合わせていた。

 それを示すかのように、以前、こんなことがあった。


 いつものように山で遊んでいたときのことだ。


「ヒラクとちがってユピは外に出てこないよな。いつも家の中で何やってるんだ? 気味が悪いよ」


 アスルはヒラクに向かって言った。


「俺たちとは遊ばないしさ。お高くとまってて、いやな感じ! よそもののくせにさ。災いの種っていうならヒラクより絶対ユピの方……」


 言葉の途中で、ヒラクは激昂(げきこう)してアスルに飛びかかった。

 

 ヒラクに組み敷かれたアスルは泣きだして何度も謝った。

 だが一度感情的になるとヒラクは自分を(おさ)えることができない。


 ヒラクは力任せにアスルを殴ろうとした。

 それを見たイメルがヒラクにつかみかかって投げ飛ばした。

 

 しかしイメルが怒鳴りつけたのは、ヒラクではなくアスルだった。


「ヒラクに謝れ! 俺たちにとってヒラクは兄弟も同じだ。そしてそのヒラクが兄というなら、ユピもまた俺たちの兄弟だ。二度と悪く言うな。わかったな!」


 アスルは兄に言い返したかった。同じ兄弟なんかではないと。ヒラクは自分たちよりもユピを大事にしているではないかと。


 しかし兄の目がそれを言わせない。だがイメルも同じ思いだった。


 ヒラクにとって誰よりも特別なのはユピなのだ。



            

 ピリカを送って帰ったヒラクは、川で体を洗うとユピの部屋に入った。母がいた頃の習慣がまだ残っている。それと同時に、清潔さを好むユピの部屋を汚してはいけないという意識があった。


「おかえり、ヒラク」


 ユピは柔らかな笑顔でヒラクを迎えた。


「これ、ユピにとってきた」


 ヒラクはユピに木いちごを手渡した。


「ありがとう。一緒に食べようか」


「うん」


 ヒラクはユピの隣に腰を下ろした。


 二人の共通言語はヒラクの母親が話していた言語だった。

 母親はもういないのにヒラクの言葉が発達し続けたのはなぜか、イルシカには不思議だった。

 二人が話していると、イルシカでさえ意味が理解できないことがある。今ではユピも流暢(りゅうちょう)に話せるようになっている「禁じられた言葉」も二人の間では活きた言語となっていた。


 その夜は月が明るかった。


 ユピは体を洗うために川に入った。水に入って体を洗うのは、ユピの国の習慣らしい。


 ユピにつづいてヒラクも川に飛び込んだ。


「あまり遠くに行ってはいけないよ」


 川をのびのびと泳ぐヒラクにユピは注意した。


「だいじょうぶだよ。泳ぐのは得意なんだから」


 ヒラクは思うぞんぶん川を泳ぐと、ユピのもとに戻ってきた。


「泳ぎだってこんなにうまいのに、イメルとアスルはきっとおれが泳げないって思っているんだ」


 ヒラクはくやしそうに顔をしかめた。


「僕がよく知っているよ。君が泳ぐのも上手だってこと。それじゃだめかい?」


 そう言うユピの髪が月の光で銀色に輝いてみえた。青い瞳は冴え冴えとして、ユピには夜がよく似合う。


「……ユピ、きれいだな」


 ヒラクはユピにみとれていた。ユピの美しさは異民族であるヒラクの目にも明らかだ。


「ユピ、おれのお嫁さんになってよ。そうしたらずっと一緒にいられるよ」


「お嫁さん?」


 ユピが目を丸くして言うと、ヒラクは無邪気に笑ってうなずいた。


「それならヒラクが僕のお嫁さんになればいい」


 ユピはくすりと笑って言った。


「嫌だよ、おれ、刺しゅうも織物も嫌いだもん」


「それは僕もやりたくないな」


 二人は顔を見合わせて笑った。


「さあ、そろそろ戻ろう。体が冷えるよ」


 岸に上がると、ユピは周囲を気にしながら、乾いた布でヒラクの全身をおおうようにして()いた。


「川のおばさんでもここまでしてくれないよ」


 ヒラクはくすぐったそうに笑った。川の神が見えることは、ユピだけが知っている。


「今も見ている?」


「うん。見てるよ」


 いつも体を洗ってくれる川の女は、ヒラクが目をやると、川の真ん中で手を振った。ユピには見えない。

「イメルやアスルと泳ぐなっていうのは、おれが変なものを見るからかな。父さんはまだおれを許してくれていないのかな」


 ヒラクはしょんぼりして言った。


 イルシカがなぜ川で泳ぐことを禁じるのか、ユピにはわかっていたが、それを口にすることはできなかった。


「そんなことはないと思うよ。ただヒラクが心配なだけだよ」


 ユピはなぐさめるように布の上からヒラクを抱きしめた。そしてその指先に力がこもる。


「ユピ?」


「いつかここを一緒に出よう。そうしたら君は自由になれる。本来の君に戻れるんだ」


 その言葉は、ヒラクの遠い記憶と重なった。


『ヒラク、あなたはプレーナの子。いつか必ず私の元に戻ってくる。プレーナと一つになるために。今のあなたは仮の姿。いつか本当の姿に戻る時、あなたは自分が何者であるかを知るわ』


 母の言葉だった。


「ヒラク? 震えているの?」


 ヒラクはユピにしがみついた。


「ユピ、どこにも行かないでね。置いて行かないで。ずっと一緒だからね」


 何か大きなものに呑まれるような感覚と、言葉だけを残して去った母の記憶が混ざり合い、ヒラクは足場のない底なしの不安を感じていた。そんなヒラクをユピは優しく包み込むように抱きしめる。


「何をおびえているの? 君が本来の君に戻ったら、ぼくたちはいつまでもずっと一緒にいられるんだよ」


「おい、何やってる! 早く家に入れ!」


 二人がなかなか戻ってこないので、心配して外に出たイルシカが家の前で叫んだ。


「お父さんには内緒だよ」


 ユピは家に入る前に、ヒラクの耳元でささやいた。


 二人の親密な様子はイルシカを不快にさせた。

 自分がよくわからない言葉で話すこともおもしろくなかった。

 泳ぐことより何より、二人が小部屋で一緒に眠ることを禁じたいと思っていた。

 それでもヒラクから母親を奪ったという負い目があるため、イルシカはそれを口に出すことはできなかった。


 ヒラクはユピを必要としているのだ。


 母がいなくなった空白をヒラクはユピで埋めようとしていた。

 ヒラクは、無自覚ながらも貪欲(どんよく)に、自分だけに注がれる愛を求めた。

 ヒラクにとってユピは母であり、兄であり、それ以上の存在でもあった。


 ユピもまたヒラクのすべてになりたいと願っていた。


 ヒラクとユピは、お互いがお互いにとって必要とされることを望み、必要とする相手を求めた。


 ユピはアノイの言葉で話すことはほとんどなく、イルシカに何か言われても、必ずヒラクを間に入れて、聞き返すようなところがあった。アノイの言葉を使うよう言われても、ユピは、その言葉自体わかったようなわからないような曖昧(あいまい)な態度をとる。

 そしてユピはヒラクとの間でしか通じない言葉を使い、誰も(おか)すことのできない二人だけの世界を築き上げていった。


 それはヒラクにとっては母の愛情に代わるものを得るための心の()(どころ)となり、ユピにとっては世界のすべてとなった。


 この時、ヒラクは十歳、ユピは十三歳。


 運命の残酷(ざんこく)さをまだ知らない。

 



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