月影の人物
(前回までのあらすじ)
ヒラクは神帝国の兵士たちに捕らわれ、カイルとヴェルダの御使いと共に城砦まで連れて来られた。そこでカイルはテラリオと再会し、狼神を呼び戻す儀式をすることを提案する。一方、ヴェルダの御使いと共にいたヒラクもユピと再会を果たす。ユピはヴェルダの御使いとヒラクを引き離し、ヒラクに共に神帝国に行くよう説得する。
カイルは兵舎の一室にいた。
ただ床に寝るためだけに用意された何もない簡素な部屋だ。
そこで休むようテラリオに言われたが、カイルはまんじりともせず外の気配をうかがっていた。
やがて夜も更けた頃、テラリオが忍び込んできた。
「兵士たちが出立に向けてしばしの休息に入った。見張り交代の今ならだいじょうぶだ」
「そうか、それならまず状況を説明しろ。包み隠さず言え。おまえは一体ここで何をやっている?」
カイルはテラリオに厳しく詰問する。
テラリオは部屋の外の様子を再度確認してからカイルに向き直った。その顔は緊張と恐怖で硬直している。
「俺の生死はある方の掌中にある。安全な状況とは言えないが、それでも今の俺はそこに何とか生きる活路を見つけつつある」
「ある方って誰のことだよ。神帝か?」
「……いやちがう。だが今はその方のことは聞かないでくれ。それ以外のことはすべて話す」
テラリオは表情を暗くした。恐怖に錯乱したテラリオの様子をカイルはその目で見てよく知っている。テラリオをそこまでの恐怖に陥れた存在が誰であるのかはカイルにはわからないが、今テラリオが何とか正気を保っていられるのは、生きる活路を見つけたことで死の恐怖から免れたということなのだろうとカイルは思った。
「……それで、おまえは何をしようとしているんだ?」
「正確に言うと俺ではない。あの方が神帝に成り代わろうとしているんだ。それを望む者たちが神帝国の中にいる。おまえがさっき会った軍帥の一派だ。おまえたちをここに連れてきたのは軍帥直属の隊だ。それ以外の兵士は何も知らず、すべて反神帝派の駒にすぎない」
「どういうことだよ」
「神帝国からセーカに向けて続々と兵士たちが出ている。この城にいる兵士たちは最後の後続隊だ。彼らは神帝の命により北の山の狼神を滅ぼそうとしている」
「狼神を滅ぼす? そんなことは不可能だ。大体狼神そのものが存在しない。狼神復活の儀式自体そもそもでっちあげだ」
カイルはセルシオの話を思い出して言った。
「狼神復活の儀式で狼神が復活しないことぐらい、俺だってもうとっくにわかっているさ……」
テラリオは血肉を捧げた使徒の末路を思い出し、吐き気を堪えるかのように顔をしかめた。
「とにかく、狼神がいるかどうかはどうでもいい。神帝国の兵士の大多数をおびき寄せる餌になってくれればいいんだ」
「どういう意味だよ」
「真の目的は、神帝に成り代わる存在を神帝国に入り込ませることだ。プレーナと狼神に気を取られている神帝をだしぬこうとしているんだ」
「セーカの民は神帝国の内紛に巻き込まれているだけだというのか」
カイルの顔に怒りがにじむ。
「北の山の狼神をおびきよせるためにセーカの民を捧げる儀式が必要だと言ったのは俺だ」
「どういうことだ、テラリオ」
「理由はいくつかある。一つは兵士たちを神帝国から遠ざける時間稼ぎだ。でっちあげの儀式を行ったところで当然狼神をおびきよせることなどできない。そうなれば彼らは北の山へ向かう。その間も偽の儀式は続行される。その間セーカの民は無事だ。兵士たちが北の山に向かった隙に俺はおまえを迎えにいくはずだった。今度こそ一緒に新しい世界で生きるために」
テラリオは、カイルと一緒に地上で生きる夢を実現することをあきらめてはいなかった。そのわずかな希望が彼に恐怖に打ち勝つ力を与えた。
「じゃあ、おまえは俺のために、その計画に加担したというのか……」
「ああ、だが俺はこの計画を利用することを許されたにすぎない。そもそもこの計画はセーカの中に緑の髪の者がいないかを確かめるためのものだった」
「どういうことだ」
「無傷で緑の髪の者を捕らえてここに連れてくることが目的だったということさ」
「何のために?」
「今は詳しくは言えない。だがあの方が命じたことだ」
「なぜセーカに緑の髪の者がいると思ったんだ? ヒラクとヴェルダの御使いがやってきたのはたまたまだ。プレーナが滅びて大地が戻った直後のことだぞ」
「プレーナが滅びれば、セーカにヒラクが戻ってくるとユピは言った」
「ユピ?」
突然出た名前にカイルは戸惑う。
「あいつが何か関係しているのか? 大体おまえがユピを連れてセーカを出たのはなぜだ?」
カイルはテラリオが神帝国と共謀するためにユピが必要だったのだと思っている。だが神帝国人だというだけでユピにどのような利用価値があるかはカイルにはわからない。
「あの方が神帝と成り代わるためにはユピの存在が必要なんだ。今はそれしか言えない」
テラリオは脅えたように目を伏せる。何か隠しているのはカイルの目にも明らかだ。
「いいかげんにしろよ。あの方ってのは一体何なんだ。おまえをそこまで追いつめるのは誰なんだ?」
カイルの問いにテラリオは、答えたくても答えられないといった様子で、口を開きかけては結びなおし、声を発することすらためらっている。
それでもカイルはテラリオの口から出る言葉を待ち続ける。どんな小さな反応も決して見過ごすまいとするカイルの容赦ないまなざしに、テラリオはなかば観念したように答える。
「……真の神だ」
テラリオは暗い目を向けて、震える言葉を吐き出した。
*
カイルの部屋を出たテラリオは天守に向かい、見張り塔の中に入った。
入り口に立つ衛兵は汗を額ににじませながら恐怖に顔を歪めて立ちすくみ、テラリオをそのまま通した。
テラリオは塔のらせん階段を上りきると、そこにいた月影の人物の前でひざをつき、恭しく頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません」
月影の人物は無関心に言う。
「兵士たちの動きはどうだ?」
「兵士たちは神帝の命と疑わず、セーカに向けて移動の準備を整えています」
テラリオは顔を伏せたまま答えた。
「当日は予定通り事を運べ」
「はい」
テラリオは息をつめ、緊張した様子で話を切り出す。
「……一つ確認したいことがあります」
「何だ?」
「私は兵士たちと共にセーカに出発し、狼神の目覚めの儀式を執り行った後、神帝国で受け入れてもらえるのですよね」
「ああ、いいだろう」
「その際、私と一緒にカイルという者も受けいれてはもらえないでしょうか?」
「カイル?」
「緑の髪の者たちとともにここに連れてこられたセーカの者です。彼もまた狼神の目覚めの儀式のために一役買うことでしょう。あなたのお役に立つことができる人間です。ですから彼も……」
「その者に私への忠誠が期待できるのか?」
月影の人物は試すような目でテラリオを見る。
「もちろんです。彼は私同様……」
「おまえの忠誠心がどれほどのものというのか」
その言葉にテラリオは冷や汗をかいた。
「私は……あなたの命ずるままに……どんなことも……」
「目的のために必死だな」
月影の人物は嘲るように笑う。
「まあいい。目覚めの儀式を見事に演出してくれたら、おまえの望みは叶えよう」
「そ、それはもちろん……兵士たちに疑われぬよう、もっともらしく儀式を執り行ってみせます」
「そのための演出材料を提供してやる」
「え?」
突然の申し出にテラリオは戸惑った。
「緑の髪の者を一人連れて行け」
月影の人物は笑みを浮かべて言った。
「プレーナの滅びの象徴として儀式の場で殺すのだ」
その冷淡で無慈悲な微笑にテラリオはぞっとした。
「封印された狼神の目覚めに素晴らしい演出だろう。それとも同胞の魂を捧げた方がいいか。そのカイルという者を使うか?」
「……いえ、緑の髪の者を! あなたの命じるままに仮の儀式の場で処刑します」
テラリオはあわてて言う。
「それで、緑の髪の者のどちらをセーカに?」
「決まっているだろう。ユピが必要としない方だ。緑の髪の者は一人いればいい」
「……ユピが望んだのですか?」
「彼の願いを誰よりも知っているのはこの私だ」
月影の人物は、銀色に輝く髪をかきあげて微笑した。
*
ヒラクが目を覚ましたのは、翌日の午後だった。
きちんと整えられた寝床でぐっすりと眠り、たまっていた疲れもずいぶんとれたように感じた。
目を覚ましてみれば、かたわらにユピの姿はない。
部屋の外は静まり返り、城砦に到着したときとは打って変わって人の気配がまるでない。
窓の外から中庭を見ても大勢いた兵士たちの姿はどこにも見ることはできず、城内は閑散としていた。
「目が覚めたようだね」
ユピは部屋に入ってくると、柔らかな笑みを浮かべてヒラクを見た。
「おなかがすいただろう? 用意はできているからおいで」
そう言って、ユピはヒラクを大広間へと案内しようとする。
「うん。でも、おれ、その前にヴェルダの御使い……いや、おばさんのところに行かなきゃ」
そう言って部屋を飛び出そうとするヒラクをユピは呼び止める。
「待って、ヒラク。僕も一緒に行くよ」
引き止められるのかと思ったヒラクはほっとしたようにユピを見た。
ヒラクとユピはヴェルダの御使いを残してきた部屋に戻った。
そこには誰もいなかった。
「どこに行っちゃったんだろう?」
「探そう」
ユピは優しくヒラクに言った。
ヒラクはユピの後について天守の中を歩いた。どこもかしこも人の気配がまるでない。
「ねえ、なんかおかしいよ、ユピ。どうして誰もいないの?」
ヒラクはユピに尋ねるが、ユピは何も言わず、黙々と歩き続ける。
「ねえ、ユピ。どうして誰もいないの?」
ユピは足を止めて振り返り、困ったように笑った。
「みんなもう先に神帝国に行っちゃったんだよ。ヒラクがなかなか起きなかったから」
「じゃあヴェルダの御使いも? カイルも? みんな神帝国に行っちゃったの?」
「……それは、神帝国に行ってみればわかるよ。とにかく今は食事をしよう。さあ、おいで」
ユピはヒラクの手を引いて歩きだした。
ヒラクの中でかすかに不安がよぎった。
その不安は現実のものとなる。
ヒラク……アノイ族の父と聖地プレーナで生きる母との間に生まれた。水に記録されたものや他人の過去の記憶をみる力をもつ緑の髪の少女。プレーナと一体化し、セーカのプレーナ教徒たちと接触したことで死をもたらし、さらにはプレーナが神ではないことを見抜き、聖地を崩壊させた。
ヴェルダの御使い……ヒラクの叔母。ヒラクと同じ能力をもつ。ヒラクの母親と共に聖地プレーナで育ったが、ヒラクのそぼとともに聖地を去り、黒装束の民として砂漠の遊牧民たちの中で生きてきた。セーカのプレーナ教徒たちには「ヴェルダの御使い」と呼ばれ、プレーナの使者として崇拝されていた。
カイル……セーカの青年。プレーナ教徒でありながら、狼神の信徒たちにも近い存在だった。セーカ崩壊後も正気を保ち、セーカの民たちのために働く。
テラリオ……カイルの親友。セーカを崩壊させてでも、カイルと共に神帝国で自由に生きることを夢見ていた。ユピと共に失踪し、行方がわからなくなっていた。
ユピ……神帝国の謎の少年。ヒラクとともにアノイの地で育つ。狼神の使徒たちから狼神の器になるものとされ、セーカで捕らわれていたが、狼神復活の儀式を血の惨劇の場に変え、そのままテラリオとともに姿を消す。




