襲来
〔前回までのあらすじ)
ヒラクはヴェルダの御使いの記憶の中に入りこみ、中庭の少女「フミカ」が少女時代の母であったことを知る。ウヌーアとしか呼ばれず名前もなかった母の孤独に触れたヒラクは、少女時代の母に「ホルカ」という名を与える。母の記憶の中の聖堂の扉から出たことで、ヴェルダの御使いとともに無事プレーナから脱出したヒラクは、セーカの奇岩群の中にいた。
ヒラクとヴェルダの御使いは、奇岩群を背景に青々とした大地をみつめて立っていた。
今いるのは分配交換の儀式をした場所だ。
そこはもうかつての砂漠ではなかった
やがて、黒装束の一団が到着した。
彼らはすっかり疲れきった様子だったが、ヴェルダの御使いの姿をみつけると、一斉に沸き立った。
「フミカ!」
先頭の男がヴェルダの御使いをみつけて叫ぶ。
遊牧民たちが迫り、不安と混乱の波が打ち寄せてくる。
波頭を受け止める防波堤のように、ヴェルダの御使いは表情を引き締めて微動だにせず立っている。
「見失ったと思ったら、やはり先に来ていたのか」
「どういうことだ? 雨はすでに止んでいる。それにこの大地は……」
「フミカ、なぜ砂漠が消えたの? この大地はオアシスと同じものなの?」
「こいつは誰だ?おまえと同じ緑の髪じゃねぇか」
遊牧民たちは次から次とヴェルダの御使いを取り巻き、質問を浴びせかける。
だが混乱しているのは彼らだけではなかった。
ヴェルダの御使いとヒラクが二人きりでいるときからずっと奇岩群の中から様子をうかがっていた者たちがいる。
そのうちの一人が姿を見せた。
「どういうことなんだ!」
その声にヒラクは振り返った。
そこにはカイルが立っていた。
「カイル!」
ヒラクはカイルに近づいた。
「誰だ? おまえ」
「おれだよ、ヒラクだよ」
「え? おまえ……ヒラク?」
カイルは驚いてヒラクを見た。
目の前のヒラクはカイルが知るヒラクの姿ではない。ぼさぼさの散切り頭だった緑色の髪は艶やかで、肩の上で切りそろえられ、前髪も短くなっている。黄みがかった肌は抜けるように白く、目の色も薄い琥珀色に変わっていた。
だがカイルはその目に強い意志の光を見た。それは紛れもなくヒラクの目だ。
「おまえ、プレーナに行ったんじゃ……それにその姿……」
「カイル」
岩陰から二人の様子を見ていたシルキルがたまらず姿を現した。
カイルの仲間であるセミル、サミル、ジライオに加えて狼神の旧信徒であるハリルとクライロも一緒にいた。
「本当に女の子だったんですね……」
一つなぎの白い衣服を着たヒラクの姿を見て、シルキルは気が抜けたように言った。
「それよりユピは?」
ヒラクははやる気持ちを抑えきれずに尋ねた。
「ここにはいません」
シルキルは困ったように答える。
「いないってどういうこと!」
ヒラクにつかみかかられて、シルキルはたじろいだ。
「その話は後だ。それより先にこの状況を説明してもらおう」
カイルは黒装束の一団をにらみつけて言った。
「こいつらは何だ? 黒装束の民がなぜこんなにたくさんいる? セーカに一体何しに来た?」
カイルは神経を尖らせる。
「私が説明する」
ヴェルダの御使いが黒装束の集団の中から前に出た。
「おまえは……」
「私はヴェルダの御使いだ」
ヴェルダの御使いはカイルに言った。
「もっとも、それも今日で終わる」
そう言って、ヴェルダの御使いは黒装束を脱ぎ捨てた。
「黒装束の民の正体は、この地に昔から暮らす遊牧民だ。プレーナの守護者でも聖者でもない」
ヴェルダの御使いは立てえりの長衣に腰布を巻いた姿をカイルたちの前にさらした。カイルもシルキルも、すぐにはそれがどういうことなのか理解できなかった。
「プレーナは滅びた。大地は甦った。もう、おまえたちをここに縛りつけるものは何もない。だから……」
ヴェルダの御使いは言葉を強めて言う。
「だから早くここを去れ。神帝国の兵士たちが迫っている」
その言葉でヒラクは自分が見た光景を思い出した。
「じゃあ、おれが見たあの光景は……」
ヒラクの言葉にヴェルダの御使いはうなずく。
「まちがいない。神帝国の者たちがすぐそこまで来ている」
「ちょっと待てよ、俺には何のことかさっぱり理解できない」
カイルは混乱しながらも、神帝国が迫ってきているという言葉に激しく動揺した。
「あなたたちが手引きしたのですか?」
「そんなことあるわけないだろ」
ヒラクに一喝されて、シルキルは身を縮めて黙り込む。
「私はここにいるプレーナ教徒たちにプレーナが滅びたことを告げにやってきた。そして黒装束の民たちの正体を明かすために……」
ヴェルダの御使いの視線はカイルたちの背後を捉えていた。
「どういうことですか」
そう尋ねてきたのは、こちらに近づいてきていたアクリラだ。
何者かに殴られて意識を失っていたアクリラは、シルキルの室で横になっていた。
目を覚ましたアクリラは、外で異変が起きていると告げにきたカイルとセルシオの会話をぼんやりと聞いていた。
そしてシルキルがカイルとともに見張り場に向かった後を追って地上に出てきていたのだ。
「どういうことか教えてください。あなたはヴェルダの御使いなのでしょう?」
アクリラは肩を震わせながら、ヴェルダの御使いに近づいていく。
「アクリラ、何やってるんだ」
カイルはアクリラのそばに駆け寄った。
だがアクリラはカイルを振り切るようにして、ふらふらとヴェルダの御使いに近づいた。
「プレーナが滅びたってどういうことですか? 黒装束の民の正体って何? 答えて!」
アクリラはヴェルダの御使いの両腕をつかみ、体を揺さぶるようにして、すがるような目で言った。
ヴェルダの御使いはその目を避けるようにうつむく。
「……言葉のとおりだ。プレーナはもういない。私ももうヴェルダの御使いではない。そして黒装束の民は最初から遊牧民という以外の何者でもなかった」
「私たちをだましていたの?」
アクリラの声が震える。
「私たちは一体何を信じてきたの? 多くの命は何のために捧げられたの? 祈りはどこに届いたというの? 意味などないの? 私たちは……私は、一体何のために……」
アクリラはその場に崩れ落ちるように膝を落としてうなだれた。
多くのプレーナ教徒の死を目の当たりにしたアクリラは、祈りの果てにあるものが何であるのかわからなくなっていた。
祈りそのものに意味があるのか……。
心の平安をひたすら願ってきたアクリラは、結局祈りは届かないのだと思い知らされただけだった。だがその絶望すら、自分が求めた神の消失を知った衝撃に比べれば大したものではなかった。
「大地は甦った。私たちの罪は消えた。それがプレーナ教徒の願いだった」
アクリラは地面に向かって言葉を吐くと、溢れる涙を拭いもせず、脅えたような、恨みのこもったような目で、ヴェルダの御使いを仰ぎ見た。
「でもプレーナが滅びることを願っていたわけじゃない。これじゃ私たちは救われない。救いなんてどこにもない!」
アクリラは悲痛な声で訴えると、その場にはいつくばったまま、全身を震わせて涙で大地を濡らした。
「すまない……」
ヴェルダの御使いはアクリラから顔を背け、声を押し殺して言った。
ヴェルダの御使いは、黒装束の民の正体を明かしてプレーナが滅びたことを告げれば、それでプレーナ教徒たちは罪の意識の呪縛から解放されると考えていた。大地が再び甦れば、すべてのセーカの民が地下から外に出て自由を手に入れるだろうと思っていた。
だがプレーナ教徒たちを縛りつけていたのは、プレーナというよりも、むしろ彼らの信仰そのものであり、祈りは彼らの自縄自縛の鎖といえた。鎖でつなぎ止めていたはずのプレーナが消えてしまった今、後に残された彼らの行き場のない思いはどこにも昇華することなく、虚無の闇をさまよい続けるだけだった。
こうなるとむしろプレーナに祈りを捧げたまま死んでいった者たちの方が幸せだった。自分の人生の核であったものを失ったアクリラは、未来とともに、これまでの人生のすべてが音を立てて崩れていくのを感じた。今の彼女は生きることも死ぬことも同じぐらい怖かった。
「私に、何かできることは……」
ヴェルダの御使いはアクリラに手をのばそうとした。
その時だった。
黒装束の民たちをめがけて矢が一斉に飛んできた。
遊牧民たちは悲鳴を上げながらその場で逃げ惑う。
続いて大津波が押し寄せるように砂埃を巻き上げて、板金鎧の兵士を乗せた装甲馬が迫ってきた。騎兵たちは白いマントをなびかせながらいっせいに剣を振りかざすと、遊牧民たちを一気に取り囲み、逃げ惑う者たちを背後から、頭部から、容赦なく斬りつけた。
騎兵たちが引き上げたときには、子どもの泣き声さえしなかった。
甦った緑の大地が鮮血に染まる。
黒装束の民は全員大地にたおれて動かない。
一瞬の出来事に、カイルもシルキルもセミルたちも呆然とした。
ヴェルダの御使いとヒラクも同様で、声も出ずその場に立ち尽くしたまま、足並みをそろえて近づいてくる兵士たちを見た。
「いやぁぁっっ!」
アクリラは黒装束の民たちの無残な姿を見て絶叫した。
「落ちつけ、アクリラ!」
カイルはアクリラを抱きしめて必死になだめようとするが、アクリラは錯乱状態だった。
その時、ヒラクは弓兵隊の構える弓がアクリラを狙ったのを見た。
「やめろ!」
だがその言葉に弾かれて、アクリラをかばうように神帝国の兵士たちの前に立ちはだかったのはヴェルダの御使いだった。
「殺すなら私を殺せ。すべて私のせいだ……。プレーナ教徒を苦しめたのも、遊牧民たちを死なせたのも……。私がここに来なければこんなことにはならなかった……!」
ヴェルダの御使いは悲痛な声で叫んだ。
彼らを指揮する兵隊長が兵士たちの中から進み出て、ヴェルダの御使いに歩み寄ってきた。
「緑の髪……おまえがそうか。いや、もう一人いるな。どっちだ?」
兵隊長はヒラクに目をやった。ヒラクは隊長をにらみつける。
「なぜ殺した? 彼らをなぜ殺したんだ」
ヒラクは黒装束の民の死体を指差して神帝国の言語で叫んだ。
「ほう、言葉がわかるか。好都合だ」
兵隊長は珍しそうにヒラクを見た。
「なぜ殺したか聞いているんだ、答えろ!」
「プレーナは滅びた。それに従属するものもすべて消え失せるべきだ」兵隊長は冷たく言い放つ。
ヒラクはユピ以外の神帝国人を初めて間近に見た。赤みを帯びた白い肌、筋の通った鼻、彫りの深い顔立ち……。中でも瞳の青さはユピと共通しているが、その目は鋭く、獲物を狙う猛禽類のようだとヒラクは思った。
「おれたちも消すつもりか?」
ヒラクは怯えを悟られまいとするように、兵隊長の鋭いまなざしをじっと見据えて言った。だが言葉にすると声が震えた。
兵隊長はそんなヒラクを嘲るように笑った。
「命乞いでもしてみるか?」
その言葉にヒラクはカッとなり、隊長に飛びかかろうとした。
隊長の後方の兵士たちが一斉に弓を構える。
だがヒラクにつかみかかられた兵隊長が片手を上げて制止した。
「よせ、緑の髪の者は殺してはならない」
兵士たちは弓を下ろした。
兵隊長はヒラクに向き直って言う。
「安心しろ。命を奪ったりはしない。そのかわり、我らと共に来てもらう」
「どういうことだ?」
ヒラクは兵隊長に聞き返した。
「我々はセーカ制圧のための先発隊だ。だが、セーカの民の中に緑の髪の者をみつけた場合は、後続の隊を待ち、神帝国へ引き返すことになっている」
「神帝の前に突き出す気か?」
ヒラクはごくりとつばを飲んだ。
兵隊長は何も言わず、代わりにカイルたちに呼びかけた。
「おい、おまえら、言葉はわかるか?」
セミルたちは一声も出せない状態で、怯えながら何度もうなずいた。
「地下の民を全員ここに出せ」
突然、兵隊長の口から出た言葉に、セミルたちはどう反応していいのかわからない。
「俺たちをどうする気だ」
カイルは気丈な態度で兵隊長に言った。
カイルの腕の中のアクリラは、涙に濡れてうつろだった。
そのそばでシルキルは体を震わせながらも、状況をしっかり把握しようと会話に耳をそばだて、その場全体に視線を配っていた。
「おとなしく従えば悪いようにはしない。だが、従わねば殺す。すでに食糧の供給路は断ってある。地下に閉じこもっても、渇きと飢えに苦しみながら死んでいくだけだ」
兵隊長は禽獣が獲物をなぶるような獰猛な顔つきで言った。
「……わかりました。皆を呼んできます」
少し間を置いて、そう答えたのはシルキルだった。それからカイルにそっと耳打ちする。
「カイル、一度中に戻って考えよう。父さんにも知らせなければ」
そしてカイルたちは奇岩群の中にある通気孔の見張り場から全員で中に戻ろうとした。だが隊長はそれを引き止めた。
「おい、一人はここに残れ。そうだな、おまえがいいだろう」
隊長はカイルを指名する。
「変な考えを起こさないようにするんだな。南の出入り口はすでにこちらの監視下にある。あとはここだけだ。どのみち地下の者たちが出てこなければ、後続の隊が到着次第、こちらから潜入するというだけだ。その時は、おまえが道案内をしろ」
反発心を抱いても、抵抗できるような状況ではなかった。
カイルは仕方なく隊長の言うことに従い、アクリラをシルキルにあずけた。
シルキルが機転を利かせ、女たちは女性が誘導しなければ動かないというような適当な理由をつけたことで、アクリラは地下に戻ることができた。
隊長は鎧の上に白い外套を着た兵士を二人呼ぶと、ヒラクたちを見張らせて、自分はその場を離れ、他の兵士たちに遊牧民たちの死体を調べるよう指示した。
遊牧民たちがまとっていた黒装束ははぎ取られ、神帝国の兵士たちに乱暴に扱われながら一人一人の死体があらためられた。自らを盾にして斃れた母親の体の下から引きずり出された子どもの死体が物のように投げ捨てられる。
放心した様子でその光景を見ているヴェルダの御使いにカイルが言う。
「何があったのか説明しろ。プレーナが滅んだってどういうことだ? 空から降る雨と甦る大地はセーカの民がプレーナの怒りから解放されたことを意味するのか?」
「プレーナの怒りなど初めからなかった……。罪の意識も、そのための救済も、聖地も、何もかもプレーナ教徒が作り出したものよ」
ヴェルダの御使いは静かに答えた。カイルは怪訝な顔をする。
「意味がわからないな。そもそもプレーナなんていなかったってことか?」
「いえ……プレーナはいる。プレーナはあらゆる場所にいる。そうじゃなければ、私もまた救われない……」
ヴェルダの御使いもアクリラと同じだった。プレーナの存在を否定することは、ヴェルダの御使いにもできないことだった。
「プレーナがいなくなったから大地が甦ったんじゃないのか?」
カイルはなおも質問する。それにはヒラクが代わりに答えた。
「もとの状態に戻ったってだけだ。女神プレーナのもとの姿に。今ここにある大地は過去にもあったもので、砂漠になる前の大地そっくりそのままってことなんだ」
「さっぱりわからないが……。まあ何にしても、いきなり変化が起きたのはどういうわけだ? 何がきっかけでこんなことが起きた?」
カイルは質問を変えた。そして今度はヴェルダの御使いが答えた。
「ヒラクよ。これはヒラクにしかできなかったことだわ。この子には、神の真の姿を見抜く力があるのかもしれない」
「神の……真の姿?」
ヒラクがきょとんとしていると、神帝国の二人の見張り兵のうちの一人がヒラクに視線を向けた。面頬つきの兜の下の顔は隠れて見えないが、何も言わずヒラクをじっと見ているように見える。
神帝国ではヒラクたちの話している言語は「禁じられた言葉」とされていて、話せる者はほとんどいないという。だがその見張り兵はまるで聞き耳を立てているようにも見える。
「おい、静かにしろ」
もう一人の兵士がヒラクに言うと、ヒラクをみつめていた兵士は前に向き直った。
ヒラクたちはむっつりと黙り込んだ。
だが少しするとヒラクは我慢できなくなって小声でカイルに尋ねた。
「ユピはどこにいるの?」
カイルは見張りの男たちの様子を気にしながら答える。
「テラリオが神帝国に連れて行った」
「どうして!」
ヒラクは大声をあげた。それと同時に神帝国の見張り兵の一人がヒラクに手をあげようとした。
だが、もう一人の見張り兵が制止する。
「よせ」
有無を言わさぬ口調だった。
そしてその見張り兵はヒラクを再びじっと見た。
*
セーカの見張り場周辺は神帝国の野営地となった。
ヒラクたちはすぐ近くの奇岩の一つに押し込められ、入り口には見張り兵が立った。
やがて神帝国の後続の兵士たちが続々と到着する中、セーカの民が地下から地上に姿を現し始めた。
岩屋の窓の隙間から外の様子を見ていたヒラクが言う。
「カイル、あれは狼神の旧信徒たちだよね? プレーナ教徒たちの姿がない……」
ヒラクはすぐに気がついた。
セーカのプレーナ教徒はたっぷりとした白い衣服の上から腕と足の部分を緑の紐で巻きつけた姿をしている。だが歩いてくる者たちの中に緑の紐を体に巻きつけている者はいない。
「プレーナ教徒たちは自分たちの代わりに狼神の旧信徒たちを地上に追いやったの?」
ヒラクは地下ではいまだにプレーナ教徒の支配が続いていると思っていた。
「今のプレーナ教徒たちにそんな力はない。数の上でも狼神の旧信徒が勝る。わずかに残ったプレーナ教徒たちは自分たちの居住区でひっそり暮らしている。しかしこんな状況だ。狼神の旧信徒たちに続いてそのうち地下から出てくるさ」
カイルは苛立ちとあきらめの入り混じる思いでため息をついた。
「プレーナ教徒たちがわずかしかいないってどういうこと?」
地下の現状を把握できていないヒラクは、まるでわからないといった顔でカイルに聞き返した。
「あの砂嵐の夜、多くのプレーナ教徒たちが謎の死を遂げた。原因はわからない」
カイルはその目で見たことを淡々と口にした。何度も人に説明するうちに、事件の衝撃も薄れ、頭の中で冷静に処理されるようになっていた。
「砂嵐の夜……、分配交換の日ね」
ヴェルダの御使いは表情を硬くした。
「原因がわからないってどういうこと?」
ヒラクはカイルに詰め寄る。
「どこにも外傷はないんだ。死んだのはほとんど祈りを捧げていた者たち、それから病人もだ。みんな、幸福そうな顔で死んでいた……。もしかしたら、彼らはプレーナを見たのかもしれない」
「祈りを捧げる者……病人……幸福そうな顔で……」
ヒラクは確かに自分の目でそれを見たと思った。
「彼らはプレーナに会った……それは……おれのこと……?」
ヒラクは動揺し、声を震わせた。
「ヒラク、どうしたの?」
ヴェルダの御使いはヒラクの肩に手をかけた。
「おれ、プレーナだった。あのとき、おれは、キルリナと一緒にプレーナとしてセーカに入り込んだ……。おれが、プレーナ教徒たちを殺した……?」
「おい、一体何を言っている? どういうことだ」
カイルは問いただすが、ヴェルダの御使いはヒラクをかばうように抱きしめて、それ以上はしゃべらせなかった。
「だいじょうぶよ、ヒラク。落ち着いて。あなたじゃないわ。あなたは何もしていない。あなたはプレーナじゃない」
「じゃあ、おれは一体何? 言ったよね? おれは、おれたちは、プレーナと同じものだと。プレーナはあらゆるところにいると。じゃあまたおれがおれじゃなくなって、おれの意志を離れた何かになることもあるってこと? おれは一体何者なんだ!」
ヒラクはヴェルダの御使いの胸の中で声を張り上げた。言い知れぬ不安と恐怖がそこにはあった。ヴェルダの御使いはヒラクを強く抱きしめた。
「おい、静かに……」
見張りの兵士が岩屋の中を覗きこみ、ヒラクをどなりつけようとしたが、急に顔を引っ込めて、入り口の前で直立不動になった。
やがて入り口の外で話し声がしたかと思うと、見張り兵たちが中に入ってきて、ヒラクたちを外に引っ張り出した。
岩屋の外には先発隊の隊長が立っていた。
「何かあったのか?」
隊長はヒラクを見て言った。ヒラクは青ざめた顔を背ける。
「まあいい。出立だ」
「待てよ、セーカの民をどうするつもりだ」
尋ねるカイルを隊長は虫けらでも見るような目で見た。
「おまえにはもう用はない。殺せ」
隊長は見張りの兵たちに命じた。
「やめろ!」
ヒラクは叫んだ。
「そいつをやるならおれをやれ。もう誰も目の前で死なせたくない」
ヒラクはぼろぼろと涙をこぼす。
「おまえを死なせるわけにはいかない。緑の髪の者を連れて来いとの上からの命令でね」
隊長は困ったように左右に広げた手のひらを上向けて首を傾けてみせた。
聞き分けのない子どもを相手にするようなその身振りにカッとなってヒラクは言う。
「じゃあカイルも一緒に連れて行け。そうじゃなきゃおれもここから動かない」
隊長はうんざりした目でヒラクを見ると、めんどくさそうに片手を振って見張りの兵士に指示を出した。
「……三人とも連れて行け。引き返すぞ」
見張りの兵たちは両側から三人を挟み込み、ヒラクたちを歩かせた。
ヒラクは、神帝の前にさらされるときが自分の最期の時だろうと覚悟していた。
ヒラクはまだ気づかない。すでに新しい運命の輪が回り始めていたことを。




