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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
プレーナ編
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緑の雨

(前回までのあらすじ)

降り続く雨の中、ヴェルダの御使いはセーカに向かうという。プレーナ教徒に聖地プレーナの崩壊を告げ、プレーナ教徒の祈りから再び聖地が出現するのを阻むことが目的だった。そしてヒラクは遊牧民たちが呼んだヴェルダの御使いの名前を聞いて驚く。フミカ……。それは水晶の館の中庭で出会ったヒラクとよく似た姿の少女と同じ名前だった。


 降り続く雨の中、ヴェルダの御使いを先頭にした遊牧民の一団は、北の山に沿ってラクダでセーカに向かっていた。

 荷物を捨てたとはいえ、濡れた砂地に足が沈んで、ラクダは遅々として進まない。

 セーカはそれほど遠くはないが、なかなかたどり着けないでいた。


 雨で体が冷え切っていく。ラクダの動きで揺さぶられてヒラクの疲労は著しい。

 体力の消耗が、ヒラクの意気地をくじく。


 それでなくともヒラクには、出発前から嫌な予感があった。

 それは、五十数名からなる黒装束の民がセーカに潜入するということが、どういう結果を引き起こすのかという不安だった。

 そしてその不安とは別に、先ほどからヒラクは何かよくないことが起こるような不穏な空気を感じている。


(何かがおかしい……)


 ヒラクのすぐ前を行くヴェルダの御使いも同じように感じていた。

 なかなか先へ進まないとはいえ、そろそろセーカの奇岩群が遠くに見えてきてもいい頃だ。

 それなのに、一向にセーカが近づいてくる感じがしない。

 ヴェルダの御使いは、方向を間違っているのではないかとすら思った。


 雨が細かくなってきた。

 辺りの景色が煙ったように霞んでいく。


(この感じ……)


 ヒラクはハッとした。

 それはヒラクが水に取り込まれたものを見るときに起こる感覚で、辺りに気配が色濃く漂ったかと思うと、すでに何かが顕現していた。


「オアシスだ! オアシスが現れたぞ!」


 突然声がして、黒装束の一団がヒラクの横を追い抜いていった。


「ちょっと待って! みんな、どこに行くの」


 ヒラクはあわてて後を追おうとした。


「待って、ヒラク」


 ヴェルダの御使いはヒラクを止めた。


「よく見て、砂漠全体を」


 そう言われてヒラクが見たのは、あちこちに蜃気楼のように現れたオアシスと、それに向かってラクダを進める数々の黒装束の民の群れだ。


「一体何が起きているの?」


 ヒラクは驚きながらヴェルダの御使いに尋ねた。


「過去の記録が同時発生している」


 ヴェルダの御使いは表情を固くする。


「どういうこと? なんでこんなに黒装束の民がたくさんいるの?」


 ところが、ヒラクがそう言っている間に、黒装束の民たちの姿は消え、かわりに古くこの地にいた騎馬民族の一群が前後左右を駆け抜けた。


「黒装束の民はどこに行ったの?」


 ヒラクの言葉に目の前の光景は追いつかない。


 今度はセーカの民が羊を放牧している姿があちらこちらに見られた。


「ヒラク、ここにいてはいけない。早くセーカへ!」


 そう言って、ヴェルダの御使いはラクダの脚を速めた。


「ちょっと待ってよ。一緒にいた遊牧民たちは? みんなどこに消えたの?」


 ヒラクは先を行くヴェルダの御使いの背中に向かって叫ぶ。


「誰も消えていない。おそらく彼らの前から消えたのは私たちの方よ」


「どういうこと?」

 

 ヒラクはラクダを近づけて、ヴェルダの御使いの横に並んだ。


「この雨が意味するものを私はわかっていなかった」


 ヴェルダの御使いはきつくくちびるをかみ締める。


「プレーナは、この地に宿る記憶をすべて吐き出そうとしている。砂漠全体に渡る範囲で過去の記録が甦ろうとしている」


「どういう意味?」


「プレーナがプレーナ以前になるということは、一夜で大地を奪ったプレーナが存在する以前に戻るということでもある。つまりここにプレーナ以前の大地が再び現れるということよ」


「じゃあ今おれたちが見ているのは過去? プレーナの過去をさかのぼっているということ?」


「いえ……」


 ヴェルダの御使いは難しい顔をする。


「私たちが過去と思っているものはプレーナには過去ではない。プレーナという媒体を通してすべては同時に存在し得る。私たちは今、過去と現在が混在する場に紛れ込んでしまっている」


「どういう意味?」


「とにかくセーカに急ぐのよ。方向はこちらで間違いないはず。私たちは長く雨にあたりすぎた。プレーナにふれすぎたのよ」


「意味がわからないってば」


「私たちもまたプレーナと同じ媒体であることを忘れたの?」


 ヴェルダの御使いは暗い目でヒラクを見た。

 ヒラクはあっと息を呑む。

 そしてヴェルダの御使いは怖れを含んだ声で言う。


「今見えているこの光景に私たちが存在していること自体、すでにプレーナと同化しようとしていることを意味しているのかもしれない」


「そんな!」


「いいから急いで!」


 ヴェルダの御使いはそれ以上何も言わず、ヒラクも黙ってセーカにたどり着くことだけを考えた。


            * 


 空から緑の雨が降る。


 地面に落ちた雫から草木が芽吹き、砂漠に緑が広がっていく。

 太陽の光が雨粒をきらめかせ、そこに宿る過去の情報が蜃気楼のように揺らめきながら甦る。

 一気に草木が増殖する。

 近くの羊の群れが遠くかすんだように見える。

 まるで統一性のない服装の人々が、それぞれちがう方角を目指して、馬に乗り、ラクダに乗り、あるいは自分のその足で歩いて通り過ぎていく。


 その中でもヒラクは不思議な光景を見た。


 人々が北山の方に向かってひざまずき、こぶしを胸の前で合わせて平伏低頭していた。赤い髪はセーカの民を思わせるが、肌の色は黄みがかっておらず、褐色に近い。

 彼らの前に姿なき者がいる。

 ヒラクはそれを気配で感じ取った。穏やかで優しい気配だ。

 そこに意識を集中すると、姿なき者の感情のようなものが自分の中にも伝わって同調するようだとヒラクは感じた。

 のどの奥からこみあげてくるようないとおしさ、そして悲しさ、すべてを許すような温かさ、穏やかさ、それ以上の広がるような思いがヒラクの中に湧きだす。


(何者だ?)


 ヒラクはそこにあるものを目で捉えようとする。

 だが何も見えない。

 そしてその前にひざまずく人々すら一斉に姿を消し、代わりに祭壇の上に羊の死骸を乗せて祈りを捧げるセーカの民の集団が現れた。  

 ヒラクの目には、それは同じ場所にそっくりそのまま人が入れ替わっただけの光景に見えた。

 そして先ほどからヒラクが目を凝らしていた姿なき者の気配が感じられる場所に、ぼんやりと輪郭が浮かび上がってきた。


 それは獣だった。


 じっとこちらをみつめる瞳にヒラクは見覚えがあった。


「おまえは……!」


 銀色の毛におおわれた大きな狼がそこにいた。

 母を追うヒラクを背に乗せて山を越えたのも、二度目の山越えでセーカにヒラクを導いたのもこの狼だった。


 羊を乗せた祭壇も祈りの人々も姿を消した。

 その場には銀色の狼だけが残った。

 狼はヒラクをじっと見ている。


 ヒラクはラクダに乗って進みながら狼をずっと見ていた。

 ヒラクにはそれが過去の記録には思えなかった。

 その目は確かにヒラクのことをすでに知っているようだった。

 何より、歪む光景の中で、狼の姿はこれまで二度見たときとまったく同じように鮮明に存在しているのだ。

 触れればその背に乗ったときの銀の毛並みの感触まで甦りそうなぐらいだとヒラクは思った。


「あれは狼神よ」


 ヴェルダの御使いがヒラクの横で言う。


「その原型ともいえるものね、きっと。狼神に祈りを捧げる人々が思い描いた狼神の姿が水に焼きついたのかもしれない。皮肉なものね。狼神の情報がプレーナに宿るなんて」


 ヒラクにはそうは思えなかった。その狼の姿はプレーナとは別なところに存在しているように感じられてならないのだ。

 何よりヒラクはその狼が血肉を好むといわれる狼神とはずいぶんちがったものであると感じている。むしろ、一瞬感じた姿なき者の穏やかさや悲しみのような感情が、その狼の中にある気がした。


「ヒラク!」


 狼の方に向かおうとしたヒラクをヴェルダの御使いが呼び止める。


「プレーナの記憶に惑わされちゃいけない。今はここを抜け出すことだけ考えて」


 ヴェルダの御使いの言葉に従い、ヒラクは遠ざかる狼を振り返りながら先を急いだ。


            *


 やがてセーカの町らしきものが見えてきた。


 岩場が近づいてきたところで、ヴェルダの御使いは絶望した。


「遅かった……。私たちはもう完全にプレーナの記憶に閉じ込められてしまった」


 そこには奇岩群はなく、砂漠の風に浸食される以前の岩屋が立ち並んでいる。

 そこはかつてのセーカの町だった。

 つまりプレーナの中に宿る地上のセーカの姿だ。


 ヴェルダの御使いは、セーカの町の前でラクダを降り、そのまま力が抜けたようにその場に座り込んだ。


「もう他に方法はないの?」


 ヒラクもラクダを降り、ヴェルダの御使いに尋ねた。


 ヴェルダの御使いは背後の砂漠を振り返る。

 そこには緑の大地がいまや完全に甦ろうとしていた。

 目の前の光景も次第に薄れていく。

 地上のセーカも当時の人々の姿も雨に煙って霞んでいった。

 そしてそれと同時に、ヒラクとヴェルダの御使いは、お互いの姿が緑に発光しだしたことに気がついた。


「ヒラク……。私に一つだけ考えがある」


 ヴェルダの御使いは、光に溶け出す自分の手のひらを見ながらつぶやいた。


「私の記憶に入りなさい」


 ヴェルダの御使いは決意を秘めた瞳でヒラクを見た。


「どういうこと?」


 ヒラクはわけがわからない。


「私が私であるうちに、私の記憶に入りなさい。プレーナの形態となってあなたは他人の記憶に入り込んだことがあったわね? 同じ形態の者の記憶に入り込むことがどういうことになるかはわからないけれど、だからこそ可能性がある」


「ちょっと待ってよ、おれにどうしろっていうの?」


「私はこれからあなたに水の結晶の館の記憶を伝えるわ。プレーナの一部である私の記憶の中の聖堂から外に出なさい。聖堂の扉の外にあなたの存在したい世界がある」


「そんな、無茶だよ、そんなこと」


 ヒラクは動揺した。


「いい? あなたはこの雨とともに自分の力でプレーナから出てきたのよ。あなたにならできるわ。あなたには、世界を開く力がある」


 ヴェルダの御使いは力を込めて言う。

 その姿はすでに光と水の形状となりつつある。

 それはヒラクも同様だ。


 ヴェルダの御使いは立ち上がり、ヒラクと向き合う。


「いいわね? ヒラク」


「待って!」


 ヒラクは目の前のヴェルダの御使いを不安げに見上げる。


「あなたは? あなたはどうなるの? おれがあなたの記憶に入って、そしてあなたはどうなるの? 一緒にここから出られるの?」


 ヴェルダの御使いは力なく笑う。


「だいじょうぶ。私は消えたりしない」


 その言葉にヒラクは少しほっとした。

 そしてヴェルダの御使いは、腰をかがめてヒラクの額に自分の額を近づけた。


「さよなら、ヒラク。これからは、私はあなたの記憶の中に存在するわ」


 その言葉を聞き取ったかどうかのうちに、ヒラクは吸い込まれるように緑の光のプレーナに呑まれていった。



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