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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
プレーナ編
54/65

もうひとりのフミカ

(前回までのあらすじ)

母の双子の妹であるヴェルダの御使いと父イルシカがかつて恋人同士だったことを知ったヒラク。かつて母を追いかけて山越えをしたとき、追いついたと思った母もヴェルダの御使いだった。両親が愛し合っていなかったことを知ったヒラクはショックを受ける。

 ヴェルダの御使いは厳しい顔つきで立ち上がり、戸口に近づいた。


「誰?」


 ヴェルダの御使いはヒラクにはわからない言語を使った。


「私です」


 同じ言語で答える男の声にヴェルダの御使いは戸を開けた。

 そこには、ヴェルダの御使いと同じく、立てえりの長衣の腰の辺りで長い帯を結び、白いズボンを皮のブーツの中に入れた格好の若い男が立っていた。

後ろにもさらに数人いるようだ。

 中を覗き込もうとする視線を防ぐように、ヴェルダの御使いは戸の前に立った。


「どうしたの?」


 ヴェルダの御使いが尋ねると、後ろにいた男たちは、たまりかねた様子で一斉に言葉を発した。


「どうしたじゃない。一体いつまで待たせる気だ!」


「なぜここに雨が降るんだ?」


「一体何が起きているんだ」


 聞いたこともない言語で話しているため、ヒラクには彼らが何をわめいているのかがわからない。

外は騒然としているが、ヒラクに背を向けるヴェルダの御使いは毅然としていた。


「何にしてももう限界です。屋根が持ちません」


 目の前にいる若者にそう言われ、ヴェルダの御使いは覚悟を決めたようにうなずいた。


「出発の用意を。ここを離れる」


「家は……」


「捨てていく」


 ヴェルダの御使いの言葉に、男たちはさらに騒ぎ立てた。


「一体どこに行こうというんだ?」


「俺たちはどうなるんだ」


「またここへ戻るのか?」


 ヴェルダの御使いは有無を言わさぬ口調で答える。


「もう戻らない。行き先はセーカ。全員黒装束をまとうように」


 そう言って、ヴェルダの御使いは戸を閉めた。

 戸の向こうで男たちはなおもわめいていたが、やがて声は遠ざかっていった。


 ヴェルダの御使いは、戸口に背を向け、ヒラクを見た。


「ヒラク、行きましょう」


「行くってどこへ?」


 ヒラクは突然のことに戸惑った。


「雨は止みそうにない。もうここはもたない。屋根は羊の毛でできた布なの。水を吸い込んで重くなっている。もう運ぶこともできないわ」


 そう言いながら、ヴェルダの御使いはヒラクの前に来て、黒装束をまとわせる。


「質問に答えてない。どこに行くかって聞いているんだ」


 抵抗するヒラクに強引に布をあてながらヴェルダの御使いは言う。


「セーカよ」


「セーカ?」


 ヴェルダの御使いは、抵抗をゆるめたヒラクの体を素早く黒衣で包んだ。


「遊牧民たちは雨を知らない。南の地に降るものだということしかね。彼らは混乱している。おそらくセーカの民も……」


 一瞬、ヴェルダの御使いの表情が曇った。


「プレーナが本来の姿を取り戻し、渇きの地に再び緑豊かな大地が甦ろうとしているのだとしたら、ヴェルダの御使いである私の存在価値はすでにない。プレーナ教徒にとっても、遊牧民たちにとってもね」


「それなら、どうして今さらセーカに行くの?」


 ヒラクには、ヴェルダの御使いがセーカに行きたがっているようにはとても見えなかった。ヴェルダの御使いの表情は暗い。それでもヴェルダの御使いはきっぱりと言う。


「私にはヴェルダの御使いとしての最後の務めがある。プレーナ教徒たちにプレーナの崩壊を告げること。もう二度と、聖地プレーナが現れないように」


「別にそんなことしなくても、もうとっくに聖地なんてないんでしょう? 何もかも消えうせたんだ、何もかも……」


 ヒラクはプレーナを抜け出したとき、最後に見た光景を思い出した。多くの意識が流れてきたが、誰の姿もそこにはなかった。母もフミカもいなかった。そしてすべては扉の向こうで闇に包まれて消えたのだ。


「信じる者がいる限り、聖地は再び甦る。いえ、また新たに創られるといった方がいいわね。水に刻まれた記憶は消えない。むしろこうして分散する雨は、あらゆる場所に聖地プレーナを生み出す可能性を秘めている」


「じゃあ、母さんは今もどこかに?」


 そしてヒラクはフミカにもまた会えるかもしれないと思った。


「残念だけど、もうあなたのお母さんとしての姿は持っていないと思うわ」


「どういうこと?」


 ヒラクは理解できなかった。


「あなたが会ったときには、もうすでにお母さんの肉体は消滅していたのではないかということよ」


「そんなわけない! だって、確かに母さんはあそこにいた。つないだ手の感触だってある。あれはまちがいなく母さんだ!」


「だけどこの雨とともに砂漠に落ちてきたのはヒラクだけだった。おそらくあなたのお母さんは、すでにもうプレーナに取り込まれてしまっていたのだと思う。あの水の結晶の館自体、彼女の意識が生んだもの。そこに存在する自分の姿を記憶させていたのでしょう。そして、そこに流れ込んだあなたの意識もまたお母さんの姿を作り上げたのかもしれない」


「そんなんじゃないよ!」


 ヒラクは声を張り上げた。


「そんなんじゃないよ、だって、あそこには母さんだけがいたんじゃない。おれは出会ったんだ、中庭で、あれは、あの子は……」


 その時また、外から荒々しく戸が叩かれた。


「とにかく今は急ぎましょう。もうずっと彼らを待たせているの」


「セーカに一緒に行くの? どうして?」


 なぜ遊牧民たちを連れて行かねばならないのかヒラクにはさっぱりわからなかった。さっきヴェルダの御使いは、自分はもう遊牧民たちにとっても存在価値がないと言ったばかりである。


「黒装束の民の正体をプレーナ教徒たちの前で明かすためよ。言ったでしょう? もう二度と聖地プレーナを生み出させたくないの。これ以上プレーナの娘たちを生み出したくはないのよ」


「そんなことしたら……」


 どうなるのかはヒラクにもわからない。荒々しく戸を叩く音に急かされて不安感が増す。


「よけいなことは考えなくていい。あなたを待っている人がセーカにいるということを思い出して」


「待っている人……?」


 戸の向こうの騒がしさが気になって、ヒラクはヴェルダの御使いの言葉が耳に入らない。


「あなたが私に会おうとしていたことを教えてくれた少年がいたわ。銀の髪の美しい少年だった。砂漠に一人佇んで、あなたが去っていった方角をずっと眺めていた」


 ヒラクの胸がしめつけられるように痛んだ。

 泣きそうなヒラクの顔を見て、ヴェルダの御使いは優しく言う。


「早く戻って安心させてあげなきゃね」

 

 ヒラクは黙ってうなずくと、黒装束に身を包み、ヴェルダの御使いの後に続いて外に出た。


 外には同じように黒装束に身を包んだ遊牧民たちがずらりと並んでいた。


「一体何やってるんだ」


「ラクダは?」


 ヴェルダの御使いは怒りをあらわにする男を無視して言った。


「待機させてます」


 一人の若者が答えた。


「出して。すぐに出発する」


「ちょっと待てよ。何の説明もなしか?」


「そうよ、説明して。こどもたちも怖がっているわ」


 中には女たちもいるようで、子どもの泣き声も入り混じる。


「……わかった。みんな聞いて」


 ヴェルダの御使いは大きく息を吐いて言った。

 遊牧民たちは一斉に黙った。そして続くヴェルダの御使いの言葉に耳を傾けた。


「この雨をしのげるような場所を私たちは持たない。だからセーカに入り込む。私についてくるのが嫌なら、雨の重みでつぶれる家とともに残るがいい」 


 遊牧民たちの言葉がわからないヒラクだったが、彼らが混乱していることはその表情からもみてとれる。


「乗って、ヒラク」


 ヴェルダの御使いは困惑するヒラクの手を引き、半球型の小屋の一つからラクダを二頭出し、そのうちの一頭を伏せさせた。


 ヒラクは言われるがままにラクダの背をまたいだ。

 ラクダは後ろ足から立ち、ヒラクは体を前に傾けた。

 ヴェルダの御使いが横で支える。


「しっかりつかまって。私の後についてきて」


「あの人たちは?」


 ヒラクは黒装束の遊牧民たちを見て言った。

 遊牧民たちは他の者たちの出方をうかがいながら、落ち着きのない様子でヒラクたちを見ている。


「ついてくるわ。全員じゃなくてもかまわない」


 そしてヴェルダの御使いもラクダにまたがった。

 すると遊牧民たちも一人二人とあわてて後に続こうとラクダを小屋に取りに行った。


「待って、私も行くわ」


「俺も」


「俺も行く」


 だがヴェルダの御使いは、彼らには目もくれず、ヒラクに向かって声をかけた。


「行きましょう」


 ヴェルダの御使いはラクダを歩かせる。

 ヒラクもその後を追いかけた。

 遊牧民たちもあわてて後に続こうとする。


「待って、フミカ」


「フミカ」


「フミカ」


 呼びかける遊牧民たちの声に、ヒラクは敏感に反応した。

 遊牧民たちの言葉はわからないが、その響きははっきりと聞き取れる。


「フミカ……?」


 確かに彼らはそう言った


 先頭を行くヴェルダの御使いは、ラクダの足を止めず、追いかけてくる遊牧民たちを振り返った。


 ヒラクにはわけがわからなかった。


 「フミカ」とはヴェルダの御使いを呼ぶ名前なのだろうか?


 今はそれを確かめることもできない。

 ヒラクは雨に打たれながら、ぬかるみに足をとられるラクダにしがみつくので精一杯だった。

 



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