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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
アノイ編
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ユピ

(前回までのあらすじ)

 アノイ族が「神の国」と呼ぶ山の向こうには広大な砂漠が広がっていた。その砂漠でヒラクは異民族の少年と出会う。少年のそばには母親らしい女の遺体があった。少年はなぜかヒラクの母親が使う言語を「禁じられた言葉」と呼んでいた。謎の多い少年だったが、イルシカは母親を失った少年を連れてアノイの地に戻ることにした。



 砂漠で見つけた少年を背負いながら山道を歩くイルシカは、六年前、妻とした女を連れて「神の国」から戻ってきた日のことを思い出していた。


 そもそも神とは何なのか?


 アノイ族にとっては、生活に関わるあらゆるものが神だった。

 火の神、水の神、家の神、村の神、森の木々の神に狩猟(しゅりょう)の神……。

 数え上げればきりがない。

 動物も神の化身とされていた。

 たとえばクマは山に住む神と呼ばれている。


 そのため、長の息子イルシカが狩りに行ったまま戻ってこなかったときには、血気盛(けっきさか)んな若者は勇猛(ゆうもう)な神のしもべとなって神の国へ行ったのだろう、と信じられた。

 

 生身の人間であるイルシカが、まもなく訪れた厳しい冬を山の奥で乗り切れるはずがない。

 雪深い山中にあっては、山の神であるクマでさえ、冬の眠りに入るのだ。


 だからこそ、再び春が訪れてイルシカが戻ってきたときの村人たちの驚きは、恐怖に近いものだった。

 神の国から戻ってきた者など誰一人としていないのだ。


 しかもイルシカは一人ではなかった。


 アノイの世界にはいない、見たこともない容貌(ようぼう)の女を背負っていた。


 女は、ひんやりとなめらかな雪のように白い肌だった。

 アノイは女や子どもでさえも、寒さに耐える強靭(きょうじん)皮膚(ひふ)をもち、肌の色は褐色(かっしょく)に近かった。体毛も多く(まゆ)も濃い。鼻のつけ根が出ているために、目の位置が沈んで見える。眉と目の間も(せま)いので、目の辺りは影のようになっている。


 女が着ているすその長い白い衣服も彼らには奇妙に見えた。

 アノイの女たちも似たような一つなぎの服を着ていたが、木の皮の繊維(せんい)で織られているため、その女が着ているもののようなしなやかさはない。


 それより何より彼らの目を引いたのは、女の髪の色だった。沢の岩場に生えるコケのように、みずみずしく鮮やかな緑色だ。


「おまえは誰だ! 何者だ!」


 その時、遠巻きに見る人々をかきわけて前に進み出たのは、イルシカの父であり、村の長でもあるサマイクルだった。


 サマイクルはイルシカの前に立ちはだかると、威嚇(いかく)するようにこん棒を振り上げた。


 イルシカは足を止め、(するど)くサマイクルをにらみつけた。


「ずいぶんな出迎えじゃねえか。何者だと? 自分の息子も忘れたか? 少しの間にずいぶんもうろくしたもんだな」


 サマイクルはこん棒をおろしたが、それでも仁王立(におうだ)ちのまま、イルシカの歩みを(さまた)げた。


「その女は何だ? 神の国から連れてきたのか?」


 父の言葉をイルシカは鼻で笑った。


「神の国だと? そんなもんありゃしねえ。この女は山の向こうから連れてきたのさ」


 サマイクルは怪訝(けげん)な顔で息子を見た。


「山の向こうだと?」


「山の向こうは神の国だと思うか?」


「当然だ」


「そうじゃねえ」


 イルシカの言葉に周囲の者たちは驚き、ざわめいた。


「山の向こうには、こことはまったくちがう土地が広がっている。草木も何もねえ、砂の大地が果てしなく広がっているんだ」


 イルシカは得意げにそう言って、村人たちの顔をぐるりと見た。

 誰もが困惑(こんわく)の表情だった。

 だが、サマイクルはまるで相手にしない。


「草木も何もない土地で人が生きられるものか。その女は人間か? おまえは一体どこにいた? 神の国を追われたか」


「けっ! おやじはいつもそうだ。俺の話などまともに取り合おうとしねえ。あんたはいつでも自分が一番で正しいんだよな」


 イルシカはサマイクルをぎろりとにらみつけると、たたみかけるように言葉を続けた。


「とにかく、俺は嫁をもらったんだ。今日から独立だ。家には戻らねえからな」


「……嫁? 嫁だと? そんな得体の知れない女と? そんなことが許されると思うか」


 サマイクルはイルシカをにらみ返すと、まるでけがらわしいものでも見るかのような目で、イルシカが背負う女を見た。


「もし、どうしてもその女と一緒になるというのなら、家はおろかこの村からも出ていくがいい。同じ川筋(かわすじ)に住むことも、この山の狩場(かりば)(りょう)をすることも許さん」


 サマイクルが言うと、イルシカは挑戦的(ちょうせんてき)に笑った。


「上等だ。俺を追い出すいい口実ができてよかったじゃねえか」


 こうしてイルシカは、アノイの集落のある川筋とは別の川のそばで暮らすことになった。


 もともと集団の生活にはなじまず、勝手気ままに過ごしてきたイルシカだ。共同の場から追放されることなど、どうということもなく、むしろ解放感すら覚えていた。


 痛手を感じたのは村人たちの方だった。


 イルシカは狩猟の名人で、仕掛けた罠には必ず獲物(えもの)がかかる。

 そのため、いつもイルシカを中心に猟集団ができた。


 イルシカは、人に従うことはできなくても、人を従わせることはできる。獣性(じゅうせい)()びた瞳は強い光を宿し、人のみならず、野生の動物さえ、一にらみで威圧(いあつ)した。

 その荒ぶる魂を怖れながらも、村の誰もがイルシカが偉大な長になることを期待していた。


 しかし、それは、イルシカが行方知れずになる前のこと。

 

 イルシカは、妻とした女と同じく得体の知れない存在で、悪神(あくしん)()かれているのだとうわさする者さえいた。


 そしてまたイルシカはまた神の国から得体(えたい)の知れない存在を連れてきた。


 緑の神の女とはまた異なる容姿をした異民族の少年だ。



 アノイの地にやってきた少年は、イルシカとヒラクが住む家に入ると、異臭(いしゅう)に思わず顔をしかめた。

 獣の油の臭いと魚の生臭さが合わさったような臭いがする。

 川魚の皮や二枚に裂いた身、それにゆでたシカの肉が(はり)から下げられている。


 少年は、慣れない臭いに気分を悪くしてその場で()いてしまった。それまでの疲労もある。イルシカに背負われていたとはいえ、山越えは少年にとって過酷であったにちがいない。その証拠に少年は、外に出たことなどないかのように色白で、狩りはもちろん労働となるようなことなど一切したことがないかのように華奢で頼りなげだった。


(本当に似てやがる……)


 その様子はヒラクの母親そのものだった。厳しい自然の中ではとても生きていけそうもない脆弱さ……。


 イルシカは舌打ちをして、青白い顔の少年を小部屋に寝かせた。

 

 その夜、ヒラクは生まれて初めて小部屋ではなく、隣の部屋で父に寄り添って眠った。母の隣で眠るのとはまるでちがう……。

 寝つけない夜だった。


 夜中、ヒラクは家のすぐ前の川に出た。

 

 しばらくぼんやり川面(かわも)(なが)めていると、いつも体を洗ってくれる女がそこに現れた。

 川の女は手招きでヒラクを呼ぶ。


「もういいんだ。母さんはもういない。もう洗ってくれなくていい」


 ヒラクがそう言うと、女は首をかしげた。そしてまた手招きでヒラクを呼んだ。


 ヒラクはあきらめたようにため息をつき、ざぶざぶと川の中に入っていった。

 女はいつもと同じように優しくヒラクの体をぬらした。


 ヒラクは泣いていた。泣きながら、女の胸を両こぶしで叩いた。


「なんでだよ! なんで……」


 水面を打ちつけるこぶしで、バシャバシャと水がはねる。

 それでも川の流れは優しくヒラクの体を包んだ。


 ヒラクが家に戻るとイルシカは大いびきで寝ていた。疲れた様子だった。


 ヒラクは母がまだ小部屋にいるような気がして、入り口をふさぐござをもちあげて中に入った。


 ヒラクは寝ている少年に近づくと、じっと顔を見下ろした。

 暗闇の中で見ていると、少年の白い顔が母の顔に見えてくる。

 そしてすべてが悪い夢のように思えた。

 ヒラクは、いつものように母の腕の中にすべりこんで、そのまま眠ってしまいたかった。


 ヒラクはその場に立ち尽くしたままだった。


 やがてヒラクのぬれた前髪をつたって、しずくがぽとりと少年の顔に落ちた。


 驚いて飛び起きた少年は、おびえた声をもらしたが、ずぶぬれで泣いているのがヒラクだとわかると、困ったような顔をして、「禁じられた言葉」を使い、おずおずと尋ねた。


「なぜ、泣く?」


「……泣いてない」


 ヒラクは少年をにらみつけ、手の(こう)で涙をぬぐった。


 少年は目をそらして、使い慣れない言語でさらに尋ねた。


「なぜ、ここ、いる?」


「ここは、母さんの部屋だったんだ。母さんと一緒にここで毎日寝ていたんだ」


 そう言いながら、感極(かんきわ)まって、ヒラクはわっと泣きだした。


 少年はおろおろとしながらさらにヒラクに言う。


「お母さん、どこ?」


「いない。もういなくなった。砂の地でいなくなった。おれを置いていった」


「……同じ」


「え?」


「ぼくも、いない、お母さん。砂の地、いなくなった、置いていった」


 その言葉で、ヒラクは砂の地にかすんで消えた赤いドレスを思い出した。

 イルシカに連れられた少年の横顔に、砂をぬぐう涙の線を見たことも。


「泣かないの?」


「……泣く、できない」


 少年は悲しそうに微笑んだ。

 それは、泣くよりもさらにつらそうで、ヒラクの胸をしめつけた。


「……じゃ、おれがかわりに泣いてやる。おまえの分まで一緒に泣いてやる」


 そう言って、ヒラクは肩を震わせ嗚咽(おえつ)した。


 少年は心に甘い痛みのようなものを感じた。

 悲しみの(から)を打ち破ってうれしさがこみあげてくる。


 少年はヒラクを抱きしめて、びしょぬれの頭をなでた。

 まるで自分自身が癒されていくようだった。


 そして少年は自分に言い聞かせるように、ヒラクの耳元でささやいた。


「これから、ぼくが一緒。ずっと一緒。さびしくない」


 ヒラクは少年の胸をぬらしながらうなずいた。



 朝になり、ヒラクの姿がないことにあわてたイルシカは、小部屋をのぞいて安堵(あんど)した。そこには寄り添って眠る二人の子どもの姿があった。


 イルシカは、目を覚ました二人を()の前に座らせると、少年に向かって言った。言葉は妻の言語なら少しわかることはヒラクからすでに聞いている。イルシカも片言であれば妻の言語で話すことはできた。


「今日からおまえは俺の息子だ。ヒラクと兄弟。わかったな」


 少年は黙ってうなずいた。横でヒラクはにこにこと笑っている。


「おまえ、名前は何だ?」


 イルシカに名を問われ、少年は困ったようにうつむいた。


「わからないのか?」


「……」


 少年は目を伏せたまま、あいまいにうなずいた。


「名前がないと不便(ふべん)だな」


 イルシカはぼりぼりと頭をかいた。


「ユピ」


 ヒラクはそう呼んで少年の腕にしがみついた。


 少年はヒラクに微笑みかけると、顔を上げてイルシカに言った。


「……ぼくの名前、『ユピ』、だめ?」


「ユピ? ふん、まあ、いいだろう。おまえは今日からユピだ」


 「ユピ」とはアノイの言葉で「兄」という意味だった。

 それをそのまま名前にするのはおかしなことだが、イルシカはそんなことにはこだわらない。


 こうしてヒラクとユピとイルシカの三人の生活が始まった。



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