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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
プレーナ編
49/65

ヴェルダの御使いの正体

〔前回までのあらすじ)

ヒラクの母はウヌーアは水晶の館の聖堂で、第二の地位のドゥーアと代替わりし、プレーナとなる儀式を遂行しようとしていた。そこに現れたヒラクは、ドゥーアが五歳のままのヒラクであることを暴き、プレーナを否定し、自分自身を闇の中から救い出す。そして母に別れを告げて崩壊した水晶の館から抜け出した。

 砂漠に雨が降り出したのは夜明け前のことだ。

 空全体を覆う厚い雨雲が朝の訪れを妨げ、辺りはどんよりと薄暗い。


 ヴェルダの御使いは、ラクダに乗って砂漠を一人進んでいる。雨で湿った砂が固まり、普段より歩きやすくなっている。 


 昨晩、ヴェルダの御使いは、砂漠の闇に緑色の閃光を見た。無数の稲妻が空のあちらこちらで光っていた。それは、ヴェルダの御使いだけが目で捉えることのできた光景である。

 暴れ狂うように光を走らせる無数の稲妻は、やがて空の中心で緑の光を集約させた。空全体が震えるような轟音がした。まるで水が低いところから噴出してくるような音だ。

 次の瞬間、巨大な緑の稲妻が空を引き裂き、どーんという凄まじい音とともに、砂漠に雷が落ちた。

 それから雨が降り出したのだ。


 ヴェルダの御使いは、砂漠の中に光るものをみつけた。チカチカとまぶしい光が明滅した。

 今、ヴェルダの御使いはその光に向かって進んでいる。

 降り出した雨と緑の閃光は何なのか。

 ヴェルダの御使いは戸惑いながらも、今はただ砂漠に明滅する光の源までたどりつこうと考えた。そこにすべての答えがあるような気がした。プレーナに異変が起きたのはまちがいない。

 

 光はずっと見えているがなかなか近づいてはこない。ラクダがぬかるみに足を取られないよう気にしながら、ヴェルダの御使いは光の方角を見定めながら慎重に進んだ。


 ようやく光源にたどりついたとき、ヴェルダの御使いは驚いた。

 ぬかるんだ砂の上に、白い服を着た緑の髪の少女が横向きに倒れている。少女は、太ももを胸に近づけるようにして、胎児のように体を丸めていた。

 少女の体全体が光に守られるように包まれていた。光は消えかけた電球のように明滅している。

 ヴェルダの御使いは少女に駆け寄った。そして顔を確かめようとするように、少女を抱きかかえ、体を上向きにさせた。

 ヴェルダの御使いが触れると、光は少女の体に吸収されていくようにして消えた。

 少女は軽いうめき声を上げ、まぶたをぴくりと震わせた。


「しっかりして、私の声が聞こえる?」


 ヴェルダの御使いは少女の頬を軽く手で打った。

 少女の目がゆっくり開こうとしていた。

 ヴェルダの御使いは息を呑んだ。

 少女の琥珀色の瞳がヴェルダの御使いの姿をとらえた。


「……私がわかる?」


 ヴェルダの御使いの声が震える。

 少女はぼんやりとその顔をみつめている。


「なぜ、その姿で、こんなところに……」


「……母さん?」


 ヴェルダの御使いの言葉を遮って少女が言った。

 その言葉でヴェルダの御使いはハッとした。


「そういうこと……」


 ヴェルダの御使いは、再び瞳を閉じた少女の顔をじっと見た。


 そのとき、ヴェルダの御使いは、少女の右のこぶしの指の隙間から光が漏れていることに気がついた。


 ヴェルダの御使いは、少女が握りしめているものが気になり、こぶしをそっと開かせた。

 少女の手のひらには、透明な水晶の勾玉があった。光はこの勾玉から発している。

 ヴェルダの御使いはそれを自分の手に取ろうとした。

 だがヴェルダの御使いが触れた瞬間、光は失せ、勾玉も消滅した。


「今のは一体……」


「母さん……」


 少女はうめくようにつぶやく。

 ヴェルダの御使いは黒装束を脱ぎすて、少女の冷え切った体を包み込むと、そのまま抱きかかえるようにして、ラクダの背に少女を乗せた。


「ヒラク」


 ヴェルダの御使いは少女に声を掛けた。


「しっかりつかまって」


 ヴェルダの御使いは、ヒラクの体を押さえつけながらラクダに乗ると、砂漠を引き返していった。


            


 ヒラクは羊の皮袋に羊毛をつめたものに上半身を乗せ、重みのある布を体に掛けて眠っていた。


 目覚めたヒラクの目に飛び込んできたのは、木の骨組みに白い布が掛けられた天井だ。骨組みは放射状に広がるようにたわめられ、天井から壁まで布で覆われている。布全体が水を含んでいるようで、木の骨組みが重みできしんでいた。布のところどころから水が染み出して、骨組みをつたって雫となって落ちてくる。ヒラクが寝ていた場所にも水滴が落ちてきたところだった。


 ヒラクは起き上がって部屋全体を眺めた。

 木の扉がある場所以外は格子の骨組みがぐるりと壁を作り、床は円形になっている。床といっても、織物が何枚か折り重なるように敷いてあるだけで、隙間から小石混じりの土が見える。素焼きの瓶の他にはランプが置かれているだけだ。


 やがて木の扉が開き、ヴェルダの御使いが部屋に入ってきた。


 ヴェルダの御使いは黒装束を身にまとっていない。左前に前身ごろを重ね合わせた立てえりの青い長衣を着て、腰の辺りに黄色の長い帯を結び、皮のブーツの中に白いズボンを入れている。ヒラクと同じ鮮やかな緑の長い髪は、無造作に一本に束ねられていた。


 ヒラクはヴェルダの御使いの顔を見て驚いた。


「母さん!」


 ヴェルダの御使いの肌の色は、抜けるように白いというわけではなく、日に焼けて頬骨のあたりはうっすらと赤い。眉も太く、りりしい印象を与える。だが、その顔つき、琥珀色の瞳はまちがいなくヒラクの母ウヌーアのもので、瓜二つと言っても過言ではない。


「母さん……どうして……」


 自分をみつめるヒラクの目に、ヴェルダの御使いは困ったようにぎこちなく微笑む。ヴェルダの御使いの目のあたりと口元には、うっすらとしわが刻まれている。ヒラクが会ったウヌーアはもっと若かった。一体どういうことなのか……。ヒラクは混乱した。


 ヴェルダの御使いはヒラクの前に腰を下ろした。


「まずは私が何者かということを伝えなければならないわね」


「……母さんでしょう?」


「……そうまちがえるのも無理はない」


 ヒラクは、その言葉の意味がわからなかった。ヴェルダの御使いの声は母ウヌーアそのものだ。

 だが雰囲気がどことなくちがう。それは着ているもののせいかもしれないとヒラクは思った。それほど目の前のヴェルダの御使いは母によく似ている。

 だがヴェルダの御使いははっきりと言う。


「私はあなたの母親ではない」


「だって、その顔……、声だって……」


「あなたのお母さんは、私の双子の姉よ。私は妹なの」


「母さんの妹……?」


 ヒラクは改めて目の前のヴェルダの御使いをじっと見た。母とは別人であると言われても、すぐには信じられない思いだった。


「プレーナで、お母さんに会えたんでしょう?」


 ヴェルダの御使いはヒラクに優しく尋ねた。

 ヒラクは黙ってうなずいた。


「彼女は水の結晶の館にいたの?」


「あの場所のこと知ってるの?」


 ヒラクは驚いた。


「私も姉もあそこで生まれたの」


「どういうこと? プレーナで生まれた? 大体ここはどこなの?」


 ヒラクは立ち上がり、確かめるように外に出ようとした。


 外は雨だった。

 雨雲と砂漠が平行してどこまでも延びている。

 だがここは砂漠の真ん中というわけではなかった。後方に連なる山が見える。山に草木はまるでなく、むき出しの岩と土が雨に濡れている。


 ヒラクは外に出た。

 砂礫の地面に白い布に覆われた半球型の小屋がいくつか点在している。ヒラクが今出てきたところもそれらと同じ外観だった。内部には人がいるのだろう。変わった家だとヒラクは思った。

 アノイでは、草木のツルで縛った木を骨組みにして、萱か葦で壁と屋根をふきあげて家を作った。ここではその代わりに白い布で骨組みを覆い、壁と屋根を作っている。


「ヒラク、中へ入りなさい」


 ヴェルダの御使いはヒラクが飛び出した入り口から出て声を掛けた。


「どうしておれの名前知ってるの?」


 ヒラクは不思議そうに尋ねる。


「話は中でしましょう」


 ヴェルダの御使いはそう言って、半球型の小屋の中に引っ込んだ。ヒラクも続いて中に戻った。


 中に入るとヒラクはヴェルダの御使いに矢継ぎ早に尋ねた。


「なんでおれの名前知ってるの? これって家? 他にもあるけど誰が住んでるの? あの山の向こうはアノイの地なの? セーカはどこにあるの?」


「落ち着いて、ヒラク。一つ一つ説明するから」


 ヴェルダの御使いはそう言って、自分の前にある敷物の上にヒラクを座らせた。


「まず、ここがどこにあるかだけど……。セーカから見て北西に位置する場所で、アノイは東の山の向こう。これは組み立て式の家。私たちは砂漠から砂漠へ、オアシスであるプレーナを求めて移動している砂漠の遊牧民よ。セーカの民には黒装束の民と呼ばれている」


「黒装束の民? ここにいる人たちが? 聖地プレーナを守っているって人たちのこと?」


「事実はそうじゃないわ」


 ヴェルダの御使いは軽くため息をついた。


「この地が砂漠と化す前にこの地で暮らしていたのは、セーカの民だけではなかった。セーカの民のように一所に留まらず、遊牧生活を続けていた民族がいた。突然渇きの地となったこの砂漠で生き延びるために、彼らはセーカを襲い、水や食糧を奪った。プレーナに大地を奪われたプレーナ教徒たちは、地下で怯えて暮らしながら、砂漠の果てからやってきて食糧や家畜を強奪する遊牧民の存在さえ、プレーナの怒りとして受け止めた。そして、遊牧民の暴挙を防ぐために自ら食糧を差し出すことを、プレーナの怒りを静めるための行為だとして正当化した。食料調達は狼神の旧信徒たちの役目だった。プレーナ教徒たちはセーカを襲う遊牧民を神聖化することでもっともらしい理由を作り、遊牧民へ差し出す分の食糧も含めて、すべての負担を狼神の旧信徒たちに引き受けさせた」


「そんなの不公平じゃないか」


 ヒラクは口をとがらせた。


「そもそも狼神の旧信徒とプレーナ教徒の関係は対等ではないの。プレーナ教徒たちは、プレーナの怒りを買ったのはプレーナではない神である狼神を信仰した狼神の旧信徒たちのせいだと思っている。だから、同じセーカの民でありながらも、狼神の旧信徒のことは自分たちプレーナ教徒よりも罪深い存在だとみている。プレーナの怒りが静まるよう祈りを捧げるのは自分たちプレーナ教徒の役目であり、そのプレーナ教徒が生きるための労働をすることが、狼神の旧信徒たちの罪の贖いであると考えられたのよ」


「もとは同じセーカの民なのに……」


 ヒラクは納得いかない思いでつぶやいた。


「プレーナからみれば同じではない。神は自分を信じる者を救うのよ」


「救われなかったら信じられなくなるんじゃないの?」


 ヒラクがなにげなく言った言葉にヴェルダの御使いは言葉を失った。


「プレーナ教徒ばかりひいきする神さまに救いなんて求めたって仕方ないじゃないか」


 事実、狼神の旧信徒たちは自分たちだけが労働の負担をかけられることに納得しているわけではなかった。プレーナ教徒への不満はそのままプレーナへの恨みとなり、狼神の旧信徒たちの中には、プレーナに封印された狼神こそが自分たちを救う神であると信じる者も少なくなかった。


「私には、狼神の旧信徒たちのことはよくわからないわ」


 ヴェルダの御使いはヒラクの言葉をはぐらかすように言う。


「ただはっきりしているのは、プレーナ教徒たちがプレーナの怒りを静める手段を必要としていたということ。そして、プレーナの仲介者としての役割を砂漠の遊牧民たちに求めたということ。プレーナ教徒たちは砂漠の遊牧民をプレーナの守護者として偶像化し、遊牧民たちもプレーナ教徒が求める役割を演じるようになった。プレーナ教徒を通じて遊牧民がセーカの食糧や物資を得るということではこれまでと何も変わらない。ただ強奪する必要がなくなったというだけ。遊牧民が望むものをプレーナ教徒たちは差し出してくる。遊牧民たちはただそれを受け取ってやればいいだけ。そんな関係がずっと続いていた」


「それっていつの話?」


 ヒラクはヴェルダの御使いに尋ねた。


「遠い昔よ」


「誰から聞いたの?」


「見たのよ」


「見た?」


「私には、人には見えないものが見える。私はその当時の遊牧民たちがオアシスで話している場に確かにいた。だけど彼らには私の姿は見えていなかった」


「それって……」


 ヒラクの胸は高鳴った。

 今ヴェルダの御使いが言っているのは、自分が体験したこととよく似ている。

 今まで誰にもわかってもらえなかったこと、自分でも理解に苦しんできたことが、今ここで明らかになるのかもしれないと思うと、ヒラクの胸は高ぶった。

 

(神さまって何?)


 自分がみてきたものの正体、プレーナの秘密が今明らかになろうとしていた。


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