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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
プレーナ編
47/65

誕生

(前回までのあらすじ)

プレーナを受け継ぐ第一の地位である母ウヌーア。そしてフミカはそれに次ぐ第二の地位にあたるドゥーアは自分であると言った。第二の地位は自分であると聞かされていたヒラクは混乱する。しかも自分が聖堂にいない間も母はドゥーアとしてのヒラクと会っていたという。ヒラクはフミカが自分にとって代わろうとしているというような恐怖に駆られてフミカに手をかける。そしてフミカはヒラクの目の前であとかたもなく消え去った。

 それからもフミカはヒラクの前に現れることはなかった。

 そしてヒラクは母にも会おうとはしなかった。


 ヒラクは、一体何のために自分はここにいるのかと考えていた。母と一緒に祈りを捧げる人間は別にいる。母が必要としているのは自分ではない。それなのにここに存在し続ける意味は何か。

 今のヒラクには、母とフミカの存在するこの場所が、自分がいる世界のすべてである。父のこともユピのことも遠い昔の思い出のように感じる。ここはもう、あるはずのなかった五歳から分離したフミカの世界なのだ。重なるはずのない世界に迷い込んでしまった以上、元いた世界は消失したようなものだ。


 ヒラクは一人苦悩した。そもそも自分という人間はどんなものだったか。

 ただ与えられた環境の中で生きてきた結果、今の「ヒラク」になったのだ。そして今、ちがう環境で、知らない自分を目の当たりにすることとなった。フミカのことだけではない。自分のもろさ、弱さ、不安定さとも向き合うこととなった。自分は自分であると言える確かな根拠など何もない。それは単なる思い込みにすぎないのかもしれない。


 ヒラクは一日の大半を中庭で過ごした。そうしていると、自分がヒラクを待ち続けるフミカであるような気分になる。ヒラクとなったフミカが自分に会いに来るかもしれない……。ヒラクはそんな奇妙な思いにとらわれていた。


 ヒラクは泉の水面に映る自分の姿をじっと見た。青白い顔、うつろな瞳、そして小さな唇は、硬直したように動かない。疲れたような顔をした少女の姿が映し出された。


「フミカ……、そこにいるの?」


 ヒラクが呼びかけると、水面の少女が微笑んだ。ヒラク自身の微笑みが、そこに投影されたのだ。


「もう……一人はいやだ。おれを連れて行って」


(どこへ?)


 ヒラクの心の中でフミカが問いかける。


「どこへでも……、フミカが望むところへ」


 だが、水面の少女はそれを望んでいないかの表情だ。


「どうしてそんな顔するの? まだ怒っているの? おれがひどいことをしたから……。ごめん、おれ……、ごめん……」


 こぼした涙が水面に波紋を広げ、少女の姿が歪んでしまう。


「待って! 消えないでよ、フミカ!」


 ヒラクは指で涙を拭った。水面に再び少女が映る。


「泣いていたの? フミカ。おれのために?」


 水面の少女はうれしそうに微笑みかける。もうヒラクには、それが自分自身を映した姿とは思えなかった。フミカ本人がそこにいて、自分を迎え入れようとしてくれているにちがいないと錯覚していた。


「フミカ……、大好きだよ……」


 ヒラクは身を乗り出し、水面の少女に口づけようとした。


 その瞬間、ヒラクの体は泉に落ちた。


 ヒラクはすぐに浮上しようとした。だが緑の水草が体にからみつき、うまく手足を動かすことができない。ヒラクにはそれがフミカの長い髪のように見えた。


 ヒラクはごぼごぼと空気を吐いた。それと同時に水を飲み込んだ。


 呼吸をふさがれ、ヒラクは苦しみもがいた。だが、もがけばもがくほど、水草が体にきつくからみつき、ヒラクは沈みこんでいく。


(フミカ……)


 薄らぐ意識の中でヒラクはフミカのことを思った。


(おれは消えてしまっても、君の中には残るの?)


 意識が遠のいていく中で、ヒラクはまぶたの裏に光を感じた。体が水に溶け出していくようだ。息苦しさはもうない。


 ヒラクは自分が温かな液体の中に浸されているのを感じた。


 心臓の音が聞こえる……。


 鼓動が響くたび、水の振動が波のように打ち寄せる。それはヒラクを包み込む光のヴェールのひだになる。


 生まれる前の記憶……。


 ヒラクは今、淡い緑の水の中で胎児として存在している。


(おれは、フミカとして生まれなおそうとしているの?)


 ぼんやりと、ヒラクはそう思った。

 だがヒラクの心の奥底で、誰か別の者がヒラクに語りかけてくる。


―あなたはどうしたいのですか?


(おれは……)


―あなたの存在はあなたが生み出すのです。


(おれが……おれを生み出す……?)


―あなたが何者であるかは、あなたが自分で決めること。あなたはあなたが選択した人生をあなた自身に与えるのです。


(おれは……おれになりたい……おれとして生きたい……)


―あなたがあなたであるための人生を選びなさい。


(おれの……人生? おれがおれであるための……)


 ヒラクにはその言葉の意味がわからなかった。

 だが、自分が自分であることを望むことだけははっきりとわかっている。

 自分はフミカになりたいわけじゃない。自分はヒラクとして存在している。ヒラクとして考えている。不確かさもあいまいさも、ヒラクとしての自分が思ってきたことだ。自分はここにいる。


(おれはおれとして生まれたい!)


 その叫びが産声に変る。



 ヒラクは水の中からすくい上げられ、大きな手の中にいた。


「おまえは俺の息子だ! 誰が何と言おうとな」


 父イルシカが、水がめの中からすくい上げた生まれたばかりのヒラクを高々と持ち上げて叫んでいた。


 ヒラクはアノイの地で生まれた。五歳の頃に母と離別し、母を見失った砂漠でユピと出会い、イルシカとユピと三人で暮らした。いとこのイメル、アスル、ピリカと小さな冒険の毎日を過ごした。イルシカの姉であるルイカ、その夫のペケル、ペケルの母である村の大巫女の老婆に見守られて育った。祖父サマイクルは父と母の結婚を許さず、父を村から追放したが、孫のヒラクのことはかわいがった。ヒラクはヌマウシと名づけた子グマをサマイクルの家で育てた。クマ送りの儀式で殺されると知って、ヒラクはアスルと一緒にヌマウシを逃がそうとした。暴れ狂うヌマウシはヒラクを襲おうとした。そしてその場でイルシカに殺されてしまった。その時、頭にあった言葉……


(神さまって何?)


 なぜヌマウシは殺されなければならなかったのか? 儀式で殺して魂を神の国に帰すことができれば、ヌマウシは幸せになれたのか? 儀式を果せなかった哀れなクマを神は救おうとはしないのか?


(神さまって何?)


 悪夢にうなされて眠れないユピが涙を流す姿に、ヒラクは心を痛めながら、すべての苦しみから救う存在はないのかと思った。


(神さまって何?)


 だがその問いの根本にあったのは何であったか? 

 それは母が信仰した神プレーナの存在だ。


 母は自分よりもプレーナを選んだ。そのことがずっとヒラクの心の傷だった。プレーナが母を奪ったと思った。だが神を恨むことが怖かった。罰が当たると思った。なぜそう思ったのか? 誰がそう言ったのか? 誰が裁くのか? 神が人を苦しめるのか? 


 ヒラクはセーカの民と出会った。彼らは地下で暮らしていた。プレーナを信仰する人々は、プレーナに地上の生活を奪われたのは罪深い自分たちのせいだとして、自らを責め、裁き、罪の意識に苦しんだ。プレーナの怒りを招くきっかけとなったのは、セーカの民が狼神という別の神を信仰するようになったからだ。神は唯一無二の絶対者であることを自ら望むようだ。他の神の存在を許さない。ましてやそれを信仰する人々を。


 アノイの人々にとっては、自然の中のあらゆるものが神だった。火の神、川の神、木の神……、さらに山に住む動物は神の仮の姿とされていた。誰が一番で何が絶対かなど、アノイの人々は突きつめて考えようとはしない。その中にあって、ヒラクが神とは何かと一つの答えを求めたのは、唯一絶対の神であるというプレーナの存在の影響が大きかったからだろう。だがヒラクはアノイの地で川の神を見ている。沼の神も見た。アノイの神々はヒラクには親しみ深い存在だ。


 ウヌーアはアノイの神々を否定した。認めればプレーナが唯一絶対の神ではないということになってしまう。本物と信じるもの以外はすべて偽物となる。もしもヒラクがプレーナの地で育ち、それを絶対と信じていれば、アノイの神々はやはりまがいもので、目にした川の神の姿もまやかしとしか思わなかっただろう。だが母が信じるものを知らなければ、神という存在をこれほど意識することもない。


(神さまって何?)


 それはヒラクにしか抱けない疑問だった。知りたいと思う気持ちも、確かなものを求める気持ちも、ヒラクがヒラクとして生まれたこと、そして今まで育ってきた過程の中でしか生まれないものだった。


(ああ、そうか……。おれがおれであること、それは、おれが抱いたこの想いそのものにあるんだ……)


 ヒラクは再び淡い緑の水の中に浸されていた。体が溶け出し、光と水の中に実体はない。だが意識はしっかりとしていた。


……生まれておいで、プレーナの子よ


 内側から声が響いた。それは母ウヌーアの声だった。


(ごめん、母さん。おれは、母さんが望むプレーナの子としては生まれない)


……プレーナと一なる者よ


(おれは神さまを探すために生まれてくるよ)


……生まれておいで


(母さん、それでもおれを生んでくれる?)


 暗闇が辺りを包む。


 ヒラクは光射す出口を探していた。




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