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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
プレーナ編
44/65

ウヌーア・ディンゴ

(前回までのあらすじ)

プレーナ教徒の娘たちが集う聖地から再び扉を開けて戻るとそこはセーカの町だった。地下の町となる前の地上のセーカだ。そこにはセーカのプレーナ教徒たちが穏やかに暮らしていた。彼らもまた扉の向こうを穢れた世界と呼んだが、今度は扉の向こうは水の中で、かつての老主たちの意識が溶け込んでいた。ヒラクはそこからフミカのいる中庭に浮上し、フミカと再会する。そしてフミカと自分を同一化していくのだった。

 水晶の館に戻ったヒラクだったが、取り戻した記憶は消えることはなく、プレーナに対しての謎は深まるばかりだ。


水晶と樹木の聖室でヒラクは疑問を母にぶつけた。


「母さん、ここは何かおかしい。プレーナって一体何?」


 ヒラクの母は小さな子どものたわいもない言葉を扱うような態度だった。


「プレーナはプレーナよ。唯一無二の偉大なるお方よ」


「そんなんじゃわからない」


「そのうちわかるわ。あなたはまだまだ子どもなの。私の言うことを聞いてただひたすら祈り続けていればいいのよ」


「自分が納得できないのに、ただ言うことだけ聞いて、そのとおりにするなんてできない」

 

ヒラクはまっすぐに母を見た。

母は少しうろたえたが、すぐに笑顔で繕った。


「どうしたの? 私の言うことが聞けないの?」


「おれは人の言いなりにはならない。たとえそれが母さんでも」


 ヒラクの言葉で母の顔が凍りついた。


「母さん、本当のことを教えてよ。おれにはわからないことばかりだ。外の世界って一体何のこと? プレーナの娘は他にもたくさんいた。聖地プレーナっていうのもここだけじゃない。まるでたくさんの聖地があるようだった。一体みんな何に祈っているの? 全部ばらばらのものみたいだ」


「……外に出たのね」


「うん、そうだよ。だけどそこも聖地だった。たくさんのプレーナの娘たちがいて、噴水に現れたプレーナに祈っていた。そこからさらにちがう場所に出た。そこはたくさんの人たちが暮らす地上の町だった。そこからまたちがう場所に出た。そこにはセーカの老主たちがいた。重苦しくて嫌な場所だった。そこからおれはここにまた戻ってきた。どういうこと? プレーナって一体何?」


「落ち着きなさい。だいじょうぶよ」


 ヒラクの母は優しく言った。

 まるで相手にされず、軽くあしらわれていることにヒラクは腹を立てた。


「質問に答えてよ!」


 ヒラクは声を荒げた。


「ああ、もう、大きな声を出さないで。頭が痛くなるわ」


 ヒラクの母は眉間にしわを寄せ、額に手をあてた。


「何か悪いものでもとりついたのかしら。言ったでしょう? 外には不浄の者たちがいるの。だからここから出てはだめと言ったの。あなたはプレーナの娘なのだから」


「母さん、おれの話聞いてるの? プレーナの娘は他にもいたんだ。あの人たちが祈るとプレーナが現れ、現れるとそこに吸収されて一つになった。それをずっと繰り返していた。それがプレーナと一つになるということなら、おれはそんなのごめんだ」


「何を言っているの? プレーナの娘も、プレーナと一つになる者も選ばれた私たちしかいないわ」


「でも、プレーナの娘というのは、セーカから聖地を目指した娘たちのことでしょう? いや、それとも祈りを捧げたプレーナ教徒の女たちのこと?」


「セーカ? プレーナ教徒? 一体何のことを言っているの」


 ヒラクの母は困惑顔だ。


「いい? ヒラク。プレーナの娘というのはね、代々一人しか存在しないの。プレーナから生まれ、プレーナに還る者のことよ。女神プレーナは大いなる母。そこから生まれたプレーナの娘が母となり、そして新たな娘を産む。娘を生み出した母は再びプレーナに還元される。永劫回帰、それがプレーナとプレーナの娘の関係。生命はあまねく水のように分断されることなく行き渡る。私たちこそプレーナそのものであり、永遠なる者なのよ」


 ヒラクの母は、ヒラクの両肩に手を置いた。そして厳粛な面持ちで、ヒラクの目をみつめて言う。


「私はウヌーア。ウヌーア・ディンゴと呼ばれる者」


「ウヌーア・ディンゴ(第一の地位)?」


「そう、そしてあなたはドゥーア。ドゥーア・ディンゴ。第二の地位にある者よ」


「おれは、ヒラクだ」


「そんな名前……私がつけたかった名前じゃないわ」


「じゃあ、ウヌーアっていうのが母さんの名前?」


「それが私を示す呼び名であるのは確かよ」


 ヒラクはずっと母の名前を知らなかった。アノイの村では、ヒラクの母は「イルシカの妻」と呼ばれていた。アノイの地を去って山の向こうに戻ってしまってからは、村人に「ホルカ」と呼ばれていた。それはアノイの言葉で「後戻り」という意味だ。ヒラクはその呼び名を母の名前と思っていた。


「ウヌーア……母さんの名前……」


「ちがうわ……」


 ヒラクの母ウヌーアの表情が曇った。


「今は私の呼び名であるというだけよ」


 ウヌーアはすぐに笑顔を作った。


「いずれあなたがこの名を継ぐの。ドゥーアからウヌーアへ、そしてプレーナへと変化していくのよ」


「おれはヒラクだ」


 ヒラクはきっぱりと言った。

 ウヌーアの笑顔が歪んだ。


「おれは母さんが望むようにはなれない。したくないことはできない」


「ああ……」


 ウヌーアは額を押さえてその場に崩れ落ちた。


「頭が痛いわ。あなたの中に入り込んだ不浄の者が私を苦しめる……!」


 ウヌーアは苦しそうに床の上にうずくまる。


「母さん、どうしたの? しっかりして!」


 ヒラクは母の肩に手をかけた。


「とにかく、横になって……」


「そんなことはいいから!」


 ウヌーアはヒラクの手を振り払った。


「プレーナに祈ってきてちょうだい。聖堂に行って、早く!」


「母さんを置いてここから離れるなんてできないよ」


「……ああ、ひどい子ね。母さんがこんなに苦しんでいるというのに、あなたは母さんのために何もしてくれないの?」


「だけど……」


 ヒラクはどうしていいかわからなかった。

 ウヌーアは苛立ち、顔にかかった乱れた髪の隙間からヒラクをにらみつけた。


「いいから行くのよ! ここにいてあなたにできることなんて何もないわ。少しでも母さんのためを思うなら、さっさと行って祈ってきてちょうだい!」


 ヒラクは仕方なく聖堂に向かった。


 そして聖堂で祭壇に向かって祈りながら、こんなことが何になるのかと思った。

 見様見真似で母と同じように太ももをこぶしで打ちながら、リズムに乗せて空しくヒラクは言葉を吐き出す。


「……命の源、還元の主……永久に一なるものよ……」


 意味もわからずただくりかえす。

 これで本当に母の具合がよくなるのだろうか……。

 けれどそんなことを考えてもしかたない。母の望みどおりに振舞ってやりさえすればいい。それが母への思いやりでありやさしさになる。そこに自分の気持ちがあろうとなかろうと関係ない。ヒラクはそう思っていた。

 五歳の頃の自分ならどうしただろう。ヒラクはふと思った。

 母のそばで成長した自分だったら? 

 母が望むことと自分がしてやりたいことが一致していたのだろうか。そこには気持ちのすれちがいなど存在せず、わかりあえることができたのだろうか。

 この時からヒラクは、今の自分ではないもう一人の自分というものを想像するようになった。

 父ではなく、母と一緒に暮らしていたらどうなっていたのだろうか。男の子としてではなく女の子として育っていたら? 祈りの生活が当たり前であり、何の疑問も持たずに母の望むとおりの振る舞いをしていたのだろうか。今このように考えている自分は存在していなかったはずだ。

 そう考えると、ヒラクは、今の自分がひどくあいまいで不確かなものに思えてならなかった。

 母の望む自分こそが本来ここにいるべき自分だった……。

 そう思うと、ヒラクは自分が自分のにせものであるとさえ感じるのだ。


 ヒラクは不安に駆られて聖堂を飛び出した。


 自分以外に自分が存在するはずがない。だからこそ、母は自分を待ち望み、必要としてくれたのだ。そう自分に言い聞かせながら、ヒラクは母のもとへと急いだ。

 今も自分を待っている、自分が戻れば喜んでくれる! 


 だが、水晶と樹木の聖室に、すでにウヌーアの姿はなかった。


 ヒラクは息を切らしながら冷たい床に座り込んだ。


「……おれが何をしたって、母さんを喜ばせることなんてできない。もう一人のおれならきっと……」


 つぶやいた言葉で自分の心を切り刻む。


 ヒラクは、母と別れた五歳の頃を岐路にして、母が望むものとはまったく別な人生を歩んできた自分に対して強い劣等感を抱いた。




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