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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
プレーナ編
43/65

聖地から聖地へ

(前回までのあらすじ)

聖堂の外は穢れた世界だという母の言葉を確かめるべく、ヒラクは扉の向こうに出る。そこではセーカのプレーナ教徒の女たちが噴水の巨大な女へ祈りを捧げていた。それこそがプレーナなのか? 神への好奇心が蘇り、ヒラクは神探しの冒険に出たこと、最愛の少年ユピのことを思い出す。

 扉の向こうは緑の大地だった。


 ヒラクは一瞬、プレーナの地から抜け出せたのかと思った。

 だが、そうではなかった。

 見上げた空は淡い緑の水の膜で覆われている。


「ここは一体……」


 ヒラクは辺りを見渡した。

 遠くにうごめく白いものがある。

 放牧された羊の群れだ。


 ヒラクはそこまで近づいてみることにした。

 久しぶりに踏みしめる大地だ。

 しかしヒラクはどこか違和感を覚えた。


「風がない……」


 日差しは柔らかで穏やかだ。温かく過ごしやすい温度である。

 自然の厳しさを感じさせるものは何もなく、時間さえゆるやかに過ぎていくかのようだ。

 ヒラクは初めて見る羊を不思議そうにしげしげと眺めた。


 ヒラクが近づこうとすると羊たちは早足に離れていく。おとなしく臆病な性格らしい。

 もこもことした羊たちの毛がどういうものかその手で確かめてみたかったが、ヒラクはしつこくは追わなかった。


 木蔭で男が居眠りをしていた。

 男は、たっぷりとした白の衣服を着ていた。

 プレーナ教徒であることを示す緑の紐を衣服の上から巻きつけてはいないが、赤茶色の髪をしたセーカの民の特徴を持っている。地下から外に出ることのなかったプレーナ教徒のように病的な感じはない。黄みがかった肌の血色はよく、何の悩みもない顔で幸せそうに眠っている。


(これが羊飼いってやつかな?)


 ヒラクは男をじっと見下ろした。

 男はヒラクが自分の頭のそばに立っていることにまったく気がついていない。


「ねえ、ちょっと」


 ヒラクが声をかけると、男はゆっくりと目をあけた。

 男は寝ぼけ眼でヒラクをぼんやりと見る。


「あんた、羊飼いでしょう? 羊から目を離していていいの? 狼がきたらたいへんだよ」


 ヒラクは、セーカの民が羊を襲う狼に悩まされてきたことを知っている。

 だが男は再び目を閉じて、にやりと笑うだけだった。


「なあに、ここらに狼なんて出やしねぇよ。ここはプレーナの聖地だからな」


「聖地? ここも? 一体どういうこと……?」


「ああ、もう、うるさいなぁ、とっととどこかに……」 


 男は身を起こしてヒラクをにらみつけた。が、すぐに言葉を失い、驚愕した。


「あ、あなた様はヴェルダの御使い様では? どうしてこのようなところに?」


 男は目を見開き、魚のように口をぱくぱくと動かした。


「ここではヴェルダの御使いってわけか……。プレーナの娘と呼ばれたり、一体何だっていうんだ」


 ヒラクはわけがわからないというように頭をぼりぼりとかいた。


「あの、あなた様は、門の外から聖地へ入ることはないと聞いてますです。あなた様は、聖地から汚れた世に遣わされた方と……」


「門の外って、ここが外だよね?」


 ヒラクの母がいる水晶の建物から外に出ると、そこはプレーナの娘たちのいる噴水のある場所だった。

 噴水のあった場所から母のいる場所に戻ろうとすると今度は緑の大地が広がるこの場所に出てしまった。

 おそらくここはプレーナの娘たちが「外」と呼んでいる場所だ。

 そしてここにいる男はさらにこの場所の外があると言っている。

 何より、母がいる場所も、プレーナの娘たちがいる場所も、そして今いる大地も聖地であるということが、ヒラクの頭を混乱させる。


「一体外ってどこのこと? どこが本当の聖地でどこが穢れた外の世界だっていうんだ。大体、プレーナの娘たちは、ヴェルダの御使いはさっきの噴水の場所には存在しないと言っていた。でもここにはいるってこと?」


 ヒラクは男に尋ねた。


「いえ、ですから、ヴェルダの御使い様は、本来ここにはいらっしゃらないのであります。なのになぜ……」


「あーもういいよ」


 ヒラクはうんざりした様子で会話を打ち切った


「ここでじっとしていてもしかたない。とりあえず、外に出る門っていうのに案内してよ」


「はあ、あの、あれです」


 男がおずおずと指差したのは、ヒラクがたった今通り抜けてきたアーチ型の扉のある場所だった。

 その扉は両側を尖塔に挟まれていた。

 そしてプレーナの娘たちがいた場所と同じように、石を積み上げた高い壁が城壁のようにどこまでも伸びている。


「そんなのおかしいよ。おれはたった今あそこから入ってきたんだ」


 ヒラクは納得いかない様子で言った。


「はあ、ですから、なぜ門の外からお入りになったのかと……」


「外? プレーナの娘たちがいる場所が外ってこと? でもあっちから見ればここが外みたいだよ」


「門の外がどうなっているかなど知りませんよ。ただ、外は穢れた世界だから、扉を開けちゃいけないとされていて、ここで暮らす者たちはそれを守らなきゃいけないんです」


「他にもここで暮らす人間がいるの?」


「いますよ。何なら町までご案内しますよ」


 そう言って男は立ち上がり、羊たちを集めはじめた。


            


 岩を穿って作られた家が立ち並んでいる。

 その間の大路を人々が行き交う。

 誰もが赤茶色の髪、黄みがかった肌のセーカの民の特徴を持っている。

 水がめを運ぶ女が大路を行くヒラクを見て足を止めた。

 女は同じく水がめを運ぶ女にひそひそと何か耳打ちする。

 岩屋には四角い小窓があいている。

 家から飛び出してきた子どもはヒラクを見てきょとんとした顔をする。

 後から追いかけてきた父親らしき男は子どもを抱き上げ、ヒラクの姿を見て首を傾げる。

 道脇に座り、老人たちが談笑している。ヒラクにちらっと目をやるが、無関心な様子だ。

 人々の反応は様々で、ヒラクの前にいきなりひれ伏す者もいれば、まるで興味を示さない者もいる。


 いつのまにか羊飼いの男の姿もなかったが、そのことすら気づかず、さきほどからヒラクは一つのことばかり考えている。


(この町、以前どこかで見たような……)


 ヒラクは両脇の家々を眺めながら歩き続けた。

 初めて来た場所にはちがいない。

 ただ、このような町の作りをどこかで見たような気がしていた。


 やがてヒラクは立ち並ぶ家の間に井戸をみつけた。

 ヒラクは井戸の底を覗いてみた。

 暗がりに緑の光がぼんやりと浮かぶ。


 ヒラクは足元にある小石を落としてみた。

 水面に波紋が広がるのと同時にヒラクは気がついた。


 そこはセーカの民が地上で暮していたときの町だ。

 砂嵐に削り取られて奇岩となる以前の岩屋の住居だ。

 ヒラクが不思議な狼の背に乗り山越えをしてたどり着いた奇岩住居郡。セーカの町はかつては地上に存在したが、砂に飲まれてしまったという。その町がなぜかここに存在する……。


 ヒラクは不思議に思いながら、大路を歩く一人の男に声をかけた。


「ねえ、聞きたいことがあるんだけど……」


 呼び止められた男は、きょとんとした顔でヒラクを見た。

 羊飼いの男とちがい、あわてふためく様子はない。

 男はヒラクにのんびり尋ねる。


「あんた、妙な姿してるな。何者だ?」


「ここではヴェルダの御使いっていうんじゃないの?」


「ああ、何だかそんなもんがいるって言っている奴もいるなぁ」


 男は朗らかに笑った。


「……おれのことを知らないの?」


「さあな。あんたがヴェルダの御使いっていうものだろうと俺には関係ねぇ。騒ぎ立てる奴らもいるが、大体、ここにはいないって話なんだから、どうでもいいことだろう」


「ここは、かつてのセーカの町なの?」


「かつて? 意味がわからねぇが……」男は首をひねる。


「地上の町はもうないんだ。セーカの民はプレーナの怒りを買い、地上の暮らしを奪われて、地下で生活していた」


 そこまで言うと、やっと男は合点がいったというようにうなずいた。


「ああ、それは罪が許される前の話だろう。今じゃプレーナに許されて、俺たちは地上の生活を取り戻したんだよ。永遠にな」


「永遠? どういうこと?」


「もう祈ることもない。いつまでもずっとここでのんびり暮らしていけるんだ。それが俺たちの望みのすべてだったのだから」


 男は満足そうに微笑んだ。


 男と別れた後もヒラクは町の人々に話を聞いて歩いた。

 そこでわかったことは、まず、ヴェルダの御使いのことを知る者と知らない者がいるということだった。

 前者の間では、ヴェルダの御使いというのは、聖地からの使いとして外の世界に向かった者とされている。自分たちはヴェルダの御使いに導かれてここまで来たのだという者たちもいた。

 だが後者の間ではそんな話は出てこない。気づけばこの町で暮らしていたという者がほとんどだ。

 両者の間で共通しているのは、地下で暮らしていた頃は、いつかプレーナの許しを得て地上の生活を取り戻すのだという思いで祈り続けていたということだ。

 それこそが彼らの求める救いであり、聖地プレーナには永遠の地上の暮らしがあるとされてきた。

 ここでは「プレーナの娘」について語る者は誰一人いなかった。


 ヒラクはアクリラの母親が言ったことを思い出した。

 彼女は、聖地プレーナに到達することができるのは、若い娘のみだと言った。そこで娘たちは祈りを捧げ、プレーナと一つになることができるのだとも言っていた。老いた女もプレーナの息吹で若返り、娘の姿を取り戻すことができるのだという。


 では、ここにいる者たちは一体何だというのか? 

 彼らもまた自分たちは聖地プレーナに到達したのだと思っている。

 中には女の姿もある。

 彼女たちはなぜ噴水に集う女たちのようにプレーナに祈りを捧げることはないのか?

 地上の町で暮らす人々のいる聖地とプレーナの娘たちのいる聖地、一体どちらが本当の聖地プレーナの姿なのだろうか?

 そして、母親とフミカのいる場所もまた聖地だというのか?

 それともこれとは別に聖地と呼ばれる場所が存在するのだろうか?


 ヒラクはそれを確かめるために、自分が通り抜けてきた扉のある門まで戻ることにした。


            


 ヒラクは尖塔に挟まれたアーチ型の扉の前に立った。


 ここに入ってきたときに、扉は背後でプレーナの娘により固く閉ざされた。

 向こうの扉にはかんぬきがかけられているはずだ。

 でももしもまたこの扉の向こうが別な場所につながっているのだとしたら? 

 ヒラクはそう考え、両手で扉を押した。


 ゆっくりと扉が開いた。


 隙間から緑の光が差し込む。


 吸い寄せられるようにヒラクは扉の中に入っていった。


 緑の光が充満していた。

 ヒラクは体の重さがなくなったように感じた。

 動かす手足が重い。

 息苦しい。


(ここは……水の中だ!)


 ヒラクはごぼごぼと口から空気を吐き出した。

 そして水を飲み込んだ。

 水というよりも密度の濃い空気のようなもので、肺に吸収されるように重い水が体の中に溶け込んだ。

 見上げれば、そこには水膜の空がある。

 それこそ本当に水の中から見上げた空だった。


 ヒラクはとにかく浮上しようとした。

 だが急に何者かに足をつかまれた。


 ヒラクは下を見た。

 老人が足にしがみついていた。


(……老主!)


 ヒラクの足にしがみついていたのは、プレーナ教の前老主だった。

 ヒラクはこの老人を二度見たことがある。

 一度目は、前老主がミイラと化していた「老主の聖室」で。

 二度目は、シルキルの祖父の中に入り込んで見た記憶の光景で。

 いずれの時も前老主はヒラクの存在にまったく気づいていなかった。


 だが今はちがう。

 しっかりと足にしがみつき、血走った目を向けて、哀願するようにヒラクの顔を見上げている。


「ヴェルダの御使いよ、私をお救いください。あなたとともに高みへと引き上げてください」


 ヒラクは足を動かし、しがみつく前老主を振り払おうとした。


「なぜですか? なぜ私はこんなところに一人でいるのですか? 私に与えた生命の水は特別なものではなかったのですか? 私は選ばれた者のはず……」


 ヒラクは息苦しい水の中でじたばたと手足を動かしてもがく。

 だが前老主は頑としてヒラクから離れようとはしない。


 愚かな……


 哀れな男だ……


 もはや老主の資格なし……


 水の振動を伝えるように声が耳に届いた。


 周りには誰もいない。

 それでも気配が感じられる。


 瞳を閉じたヒラクのまぶたの裏に声の主らしい老人たちの顔が浮かんだ。

 その中の一人にヒラクは見覚えがあった。

 「井戸の間」で見た幻で、プレーナに向かう娘たちを送り出していた老人だ。

 それは前老主よりさらに前の老主だった。


 他の老人たちも代々の老主たちだ。

 なぜそれが自分にわかるのかヒラクには不思議だったが、すでにもう息苦しさはなかった。


 ヒラクの体は淡い緑色の水に溶け出して、光を放ちながら形を失い始めていた。


(消える! おれが……)


 前老主がしがみついていた足も形を失い、水に溶け込んでいった。


「ヴェルダの御使いよ! 私を見捨てるのですか……! 私はプレーナと一つとなることも叶わず、この醜悪な鉛の鎧の肉体で……再び……澱みに……沈みこむ……」


 前老主は悲痛な表情で暗い水底に沈潜し、その姿はやがて見えなくなった。


 ヒラクは自分の意識に老主たちの意識が入り込んでくるのを感じた。

 ある老主はプレーナの娘たちの祈りで穏やかな眠りにつくことを望みとしていた。

 別の老主はプレーナの懐で平安を得ることを望んでいた。

 さらに別の老主は自分の存在がプレーナそのものになることを願っていた。

 ただ、どの老主たちも自分たちが老主であるという特権意識は常につきまとっているようだった。

 プレーナ教徒のためにプレーナへ我が身を捧げようとする崇高な精神も、プレーナ教の最高権威である老主としての立場からきているものにすぎなかった。


 実体のない老主たちの意識が、淡く発光する水の中を漂いながらゆっくりと沈み込んでいく。

 澱のようなものが沈殿し、水底は暗く淀んでいた。


 ヒラクの意識は何とか水面に浮上しようとしていた。


(誰か……おれをここから出して!)


 その時、ヒラクは、中庭の泉の水草の隙間から仰向けの状態で浮かび上がってきたフミカのことを思った。

 初めて出会った時のフミカの姿だ。

 ヒラクは、その時のフミカに重ねて、水底から浮上する自分の姿を想像した。



 気がつくと、ヒラクは何か柔らかいものが自分の体にまとわりつくのを感じた。

 それは小さな白い花をつけた鮮やかな緑の水草だった。


 ヒラクはゆっくりと目を開けた。


 水膜の空が琥珀色の瞳に光を落とす。


 ヒラクが泉の端に目をやると、自分とよく似た緑の髪の少女と目があった。

 少女の琥珀色の瞳に映るのは、自分があの日見たフミカの姿だとヒラクは思った。


 ヒラクが体を起こそうとすると、全身が水の中に沈んでしまった。


 ヒラクは泉の底にある段差を足で確かめながら、少しずつ水の中から上がってきた。


 緑の髪には白い小さな花が絡みついていた。

 濡れた衣服は体にぴたりとはりついて、ひざ下のすそからしずくが落ちる。

 ヒラクは琥珀色の瞳で水際の少女をじっと見た。


「……おれは誰?」


 ヒラクは、まるで自分がフミカになったような気がしていた。

 今目の前にいるのがあの日の自分なのではないか。


「……ヒラク」


 少女はヒラクをまっすぐにみつめて言った。


「……ヒラク?」


 ヒラクは少女に近づき、目の前に立った。

 少女の瞳にヒラクが映る。

 ヒラクの瞳にも少女がいる。

 奇妙な既視感だ。

 出会ったときの場面を逆の立場で演じている。

 それなのにお互いの存在が重なり合うような感覚は同じだ。


「名前は?」


 ヒラクは確かめるように少女に尋ねた。


 少女は静かにつぶやいた。


「……フミカ」


「フミカ……」


 ヒラクはかみしめるように繰り返した。


「フミカ……フミカ……フミカ……」


 だが、そんなヒラクをフミカは悲しそうにみつめていた。

 ヒラクは気づかない。

 そしてフミカに笑いかける。


「おれがヒラクで君がフミカ。そうだよね?」


 フミカはただ困ったように微笑んでみせるだけだった。


 その微笑の裏にある秘密にヒラクは気づかない。


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