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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
プレーナ編
42/65

扉の向こう

(前回までのあらすじ)

聖堂で母とともにプレーナへの祈りを捧げる以外、ヒラクは中庭でフミカと過ごすことが多くなった。母と再会しても寂しさを抱えるヒラクにフミカは「不完全ではないから満たされないのだ」と言う。互いの不完全さを埋めあうように寄り添う二人だったが、プレーナに選ばれた者しか存在できないという水晶の館になぜ彼女がいるのかヒラクにはわからない。その答えを求めるようにヒラクは聖堂の扉の向こうに何があるかを確かめようとする。

 ヒラクは早くに目を覚ました。


 水膜の空が明るくなりかけている。

 夜の空は暗いが、空を透かす水の膜は常に淡い緑の光を放っている。そのため夜といってもいつもぼんやりと明るい。

 空が暗くなる分、樹木を浸す水面が一層明るく発光しているように見える。

 透明な水晶の床も暗がりに浮かび上がるようだった。


 ヒラクは聖堂に向かった。

 廊下を歩きながら右に連なるアーチ窓をのぞく。そこにフミカの姿を探した。だが、どこにもその姿はなかった。


(あとで来てみよう……)


 廊下を突き当たったヒラクは、そのまま左手の階段を上っていった。

 母には一人でも祈りにきていると言ったが、本当は一人で聖堂に来るのは今日が初めてだ。

 母を喜ばせることがまず先で、それが嘘かどうかなど、ヒラクはどうでもいいことと思っていた。

 だが相手が父だとそうはいかない。嘘をつかれて喜ぶ父ではなかった。


 ヒラクは父に会いたかった。

 父といても、母のいない寂しさは確かにあった。それでも今感じているような寂しさはなかった。

 ヒラクは母に対して不信感を抱いていた。いらないものを手放すように簡単に捨てられてしまう。そんな不安がヒラクの中にある。


 壊れたものや使えない道具を見ると、ヒラクはどこか悲しい気持ちになる。それに対してもういらないと思う自分の気持ちは、母が自分に感じた思いと同じなのではないかと思えた。

 母にとって不必要となった自分は、壊れて使えない物と何ら変わらない。無価値で、劣っていて、役に立たないつまらない物だ。

 そんな潜在的な劣等感がヒラクの中にある。


 階段を上りきったところで、緑の水を湛えた四角い堀池にざばざばと浸かり、ヒラクは濡れた体のまま聖堂に入っていく。


 体も衣服もすぐ乾いた。


 聖堂はしんと静まり返り、誰の姿もなかった。

 天井の水膜から白く明るい光が差し込む。

 ヒラクは祭壇に背を向けて、水晶の床の先にあるアーチ型の銀の扉に向かって歩いた。

 この閉ざされた扉の向こうが母の言う「外」なのだろうか。

 ヒラクは緊張した面持ちで、扉を両手でゆっくり押した。


          


 気がつくと、ヒラクは扉の外にいた。


 背後のアーチ型の扉は木でできていてかんぬきが差してある。

 四角い石を整然と積み上げた壁がそびえたち、扉の左右に伸びている。


 ヒラクは辺りを見渡した。

 柔らかな地面に瑞々しい柑橘系の果実を実らせた樹木が生えている。

 空一面に広がる水の膜はよく見なければわからないくらいで、青空に薄い雲がかかっているほどにしか気にならない。

 明るい日差しが降り注ぎ、小鳥のさえずりが聞こえる。


 ヒラクはどこかなつかしさを覚えながら木立の中を歩きだした。

 若い娘たちの笑い声が聞こえる。


 やがて木々が途切れると芝生が広がり、木に囲まれた大きな噴水があった。淡い緑の水が噴出している。十数人の娘たちがそこで水遊びでもするように、足を浸したり、水を浴びたりしながら、楽しそうに笑い声をあげている。


 ヒラクは娘たちに近づいた。


 娘たちはヒラクに気がつくと、迎え入れようとするように親しみをこめた笑みを向けた。


「あなた、新しくここに来た人?」


 茶色の瞳と黄みがかった肌と赤茶色の髪をもつ娘がヒラクに声をかけた。


「新しく来た人の髪がこんなに鮮やかな緑色のわけないじゃない」


 すぐそばにいた娘が言った。

 その娘の髪は赤茶けていたが、部分的に緑の髪が生えていた。


「まさかヴェルダの御使いなんてことはないわよね?」


 近寄ってきた別の娘が言った。

 娘の髪は毛先が茶色で根元の方は黄色と緑が混ざったような色をしていた。


「そんなわけないわ」


 噴水に足を浸していた娘がヒラクのそばに近づいてきた。


「ヴェルダの御使いはこの聖地には存在しない」


「そうね、存在しない」


「ここにはいない」


 娘たちは口々に言う。


「ヴェルダの御使いはセーカとプレーナの仲介人。生命の水を運ぶ者。私たちの姿を借りて」


 噴水に足を浸していた娘はヒラクの目をじっと見た。

 その娘の瞳は赤く、そして髪は緑色だった。


「おまえたちは一体……」


 ヒラクは娘たちを一人一人見た。

 そこにいる娘たちは全員セーカの娘と思われるが髪の色が緑色か、もしくはそのようになりかけていた。


「私たちはプレーナの娘。聖地プレーナに到達した者よ」


 赤い瞳で緑の髪の娘が言った。


「プレーナの娘? こんなに?」


 ヒラクは驚いた。

 ヒラクの母は、プレーナの娘は一人だと言った。選ばれた者は一人であり、ヒラクの母とヒラクこそがそうなのだと言った。


 ヒラクは混乱していた。

 そしてその混乱の中でも「ヴェルダの御使い」というのにひっかかりを感じていた。それに「プレーナの娘が聖地プレーナに到達する」といった言葉にも、記憶を揺さぶる何かがある。


 噴水から緑の水が勢いよく噴き出した。


「祈りの時間だわ」


 一人の娘が言うと、他の娘たちは一斉に噴水の周りをぐるりと取り囲んだ。


 木立の中から、さらに別の娘たちも集まってきた。


 噴水を取り囲む娘たちとさらに外側を囲む娘たちが輪になり、立ちひざで両手をだらりと下げる。


 噴水の水が空をめがけてそそり立つ。

 きらきらとしたしぶきが娘たちの頭上に光のように降り注ぐ。

 娘たちは両手で椀を作り、それを頭上に掲げた。

 椀を作った手の中に淡く発光する緑の水がたまっていく。

 娘たちは手の椀の水を飲み干した。

 そして両手を胸にあてて目を閉じた。


「偉大なるプレーナよ。

 我と共にあれ。

 すべての罪を呑み込み、

 我が身があなたと一つとなることをお許しください」

 それは、ヒラクが聖堂で聞いた祈りの声と同じものだった。


 娘たちの声が空気を振動させる。

 ヒラクが娘たちの顔を一人一人見ると、何人か見覚えがあった。

 聖堂の床に浮かび上がった娘たちと同じだ。

 セーカの地下で祈りを捧げていた娘たち、病に苦しみ緑の光に照らされると安堵して死んでいった栗色の髪の娘もいる。

 聖堂で見たときとはちがい、そこにある姿がちがう者の姿に変化することはない。ただ、あの時と同じように、娘たちの体から緑の光が天をつく柱のように伸びた。


 娘たちは緑の光と同化していく。

 光の柱は水幕の空に届くか届かないかの地点で屈折し、噴水の中心をめがけて、それまで吹き上がっていた水とともに水底に沈みこんだ。


 そうかと思うと、水面全体が吹き上がるように勢いよく水が噴出した。

 それはもはや水ではなかった。

 水とも光ともいえない形状で、巨大な人間の姿を作っていく。

 噴水の中に、水のような光のような、髪の長い巨大な女が現れた。


「……プレーナ?」


 ヒラクは噴水の前に立ち、緑色に発光する巨大な女を見上げて呆然とつぶやいた。


「おまえはプレーナなのか?」


 ヒラクは巨大な女の形をしたものを射抜くように見た。

 それが何かを確かめようとするその目には、失いかけていた強い意志の光が宿っていた。

 巨大な女はヒラクを見下ろし、口を大きく開けた。


「私はプレーナ」


「偉大なる者」


「一つとならん」


「お許しください」


「この罪もろとも」


「プレーナと共に」


 巨大な口から吐き出されたのは娘たちの声だ。


「おまえの中にさっきの女たちが? いや、ちがう……、さっきの女たちがおまえを生み出した?」


 ヒラクの言葉で巨大な女の形状が崩れていく。


「私はプレーナ……」


「私もプレーナ……」


「私は一なる者……」


「だからプレーナ……」


「プレーナこそ私……」


「私が……」


 巨大な女が放つ淡い緑の光が明滅しはじめた。

 ヒラクは形を崩していく女をみつめながら言った。


「おまえはプレーナじゃない」


 その瞬間、巨大な女ははじけるように一瞬で姿を消し、しぶきが飛び散った。

 細かな水の粒子が空中に薄い光の膜を作っている。

 ヒラクはまぶしそうに目を細めた。


「おれは、プレーナを探しにきたんだ……」


 自分の中にある衝動に突き動かされてここまでやってきたことをヒラクは思い出した。


「神さまを探す……」


 つぶやいた言葉でヒラクの鼓動が高鳴った。


「母さんに会いたかったからじゃない。プレーナと一つになりたかったからじゃない。おれはただ、神にたどりつきたかった。それがプレーナであるのかどうか確かめたかった。だからあの日、おれは山を越えたんだ!」


 ヒラクは記憶を取り戻した。


 父と別れてアノイの地から旅立ったこと。狼に導かれて地下の町セーカにたどり着いたこと。

 そして……


「ユピ……」


 ヒラクの目に涙が溢れた。


 どうして忘れていられたのか不思議だった。ヒラクにとって誰よりもかけがえのない存在、幼い頃からずっと一緒だった少年……。


 ヒラクは手の甲で涙を拭い、鼻をすすってため息をついた。


「ユピと一緒にここまで来るはずだったのに……。せっかくヴェルダの御使いに会ったのに……」


 ヒラクは分配交換の儀式で会ったヴェルダの御使いのことを思い出していた。


「あれは確かにヴェルダの御使いだった。黒装束の民……おれと同じ緑の髪をした……」


 そしてヒラクはハッとした。


「あの声、あれは……」


『おまえは一体……』

 ヒラクの髪に触れて言ったヴェルダの御使いの言葉、その声にヒラクは聞き覚えがあった。


「母さん……?」


 ヒラクはすぐにその考えを打ち消した。そんなわけがない。

 それならここで出会った母は一体誰なのか……。


「さっきの女たちはここにヴェルダの御使いは存在しないと言っていた。聖地にはいないと……」


 そもそもここが聖地であるなら、ヒラクが母と一緒に過ごした水晶の建物は何なのか。

 母はここを外だと言った。ヒラクにはわけがわからない。


 噴水の前で立ち尽くしたまま、あれこれと考えを巡らせるヒラクのそばに、木立から姿を現した数人の女たちが近づいてきた。

 今度は若い娘たちではない。顔にしわを刻む、年のいった女たちだ。

 女たちはヒラクに会釈すると、噴水の前でひざをつき、両手で椀を作って水をすくい、それを口に運んで飲み干した。


「偉大なるプレーナよ……」


 女たちは水を飲むだけでなく、お互いの頭や体にかけあった。

 すると女たちの顔からしわが消えていき、姿が娘のように若返った。

 娘の姿になると、女たちは最初にいた娘たちと同様の祈りを捧げ始めた。

 その女たちの中に、ヒラクがセーカで知り合った娘アクリラに似た女がいた。


「アクリラ」


 ヒラクが呼びかけると、若い娘の姿になったアクリラに似た女は一瞬動きを止めかけた。だが女はかまわず祈りの動作を続ける。


「……いや、アクリラじゃない。でもその名前を知っているはず。それとも忘れてしまったの?」


 ヒラクの言葉に動揺し、アクリラに似た女の動作が止まる。

 他の女たちは娘になった姿で祈りの動作を続けていた。

 アクリラに似た女もそれに合わせようと、あわてて両手で椀を作り、頭上に掲げた。


 噴水が勢いよく噴き出した。

 先ほどとまったく同じようにその場にいる女たちは自ら放つ緑の光に取り込まれていく。

 女たちの体が溶け込む光の柱は宙で屈折して水底の一点に集まった。


 水底から湧き上がるようにして光と水の形状の女が姿を現す。


「……おまえは、さっき姿を消したはずじゃないのか?」


 先ほど消滅したはずの巨大な緑の光と水の女が再び姿を現した。


「私はプレーナ……」


「プレーナの娘……」


「プレーナと一つになる……」


 巨大な女の口から、声色のちがう途切れ途切れの言葉が重なり合って出てくる。


 アクリラに似た女は、あわてて祈りの動作をして、光に取り込まれた女たちに続こうとする。だが椀を作った女の手はかすかに震えていた。


「これはプレーナじゃない」


 ヒラクの言葉で再び女の祈りが止まる。


「あんたもプレーナじゃない」

 

 女は娘の姿から、もとの姿に戻った。


「アクリラを知っているよね?」


 女は力なくその場にうなだれた。


 すでに噴水の巨大な女の姿はなかった。

 プレーナではないとヒラクが言った瞬間、それは跡形もなく消えていた。


「なんてひどいことを……」


 女はその場にはいつくばったまま嗚咽した。


「ひどい? おれはただ、あんたを救いたくて……」


「救う? 私の前から祈るべきものを消失させて何を言うの? あなたは一体誰? ヴェルダの御使いはここには現れないわ」


 女は怒りと恨みのこもる充血した赤い目でヒラクを見た。

 ヒラクは自分がしたことがわからなかった。

 ヒラクの中に以前感じた後悔がよみがえる。


「おれはヴェルダの御使いじゃない。だから、あんたのことが救えなかった」


「どういうこと?」


「アクリラに頼まれたんだ。病気の母親を救ってほしいって。でも、おれには何もできなかった」


 なぜここで出会うのかはわからなかったが、目の前にいるアクリラに似た女は、病死したアクリラの母カトリナにちがいないとヒラクは確信していた。


「……わかる? アクリラのこと」


「……娘の名前よ。忘れるわけないじゃない」


 アクリラによく似た女はふと表情を和らげて小さく笑った。


「なんでこんなところにいるの?」


 ヒラクはアクリラの母親に尋ねた。


「ここが聖地だからよ」


「聖地?」


「そう、聖地プレーナ。ここで偉大なるプレーナと一つになることができる。けれどプレーナを目指すことができるのは若い娘たちだけとされている。娘たちは祈りそのものになり、プレーナに還元されて永遠の命を得るの。でもセーカから娘たちが聖地をめざしていたのはもう昔のこと。敬虔なプレーナ教徒なら誰でもプレーナと一つになることができる。老いて死んだ女たちもプレーナの生命の息吹を浴びて若返り、プレーナの娘として祈りを捧げることができる。そう伝わってきたわ。ここに来てそれが本当だとわかった。ここはまちがいなく伝えられてきたとおりの聖地よ」


 アクリラの母親は頬を紅潮させた。


「それで? あんたは幸せなの? ここで毎日祈りを捧げて、プレーナと一つになって、それで一体何になるっていうの?」


 ヒラクの中には疑問がうずまく。アクリラの母親の心理はまるで理解できない。


「長年思い描いてきたとおりの場所に行き着いたのですもの。これ以上の幸せがどこにあるというの? プレーナと一つになることこそ最上の喜び。それ以外に何を望むというの?」


 アクリラの母親もまた、ヒラクの質問がまったく理解できない様子だった。


 そこにまた、数人の女たちが現れた。

 木立の隙間から姿を見せたのは、アクリラの母親と同じぐらいの中年の女たちだ。

 女たちは噴水の前でひざを落とし、両手で椀を作って祈りはじめた。


 噴水の中から再び光と水の巨大な緑の女が現れた。


「ああ、偉大なるプレーナよ。あなたはやはり永遠なるお方……」


 アクリラの母親は吸い寄せられるようにふらふらと噴水に近づいていった。そしてまた同じように娘の姿になって祈り始めた。


 目の前に現れた水と光の形状の巨大な女は、祈る者がいればすぐに形を取り戻す。

 ヒラクはわからなかった。この巨大な女が存在するから祈る者たちがいるのか、それとも、祈る者たちがいるからこの女が存在するのか……。


 セーカのプレーナ教徒たちは、プレーナの怒りを買って地上の生活を奪われた。それ以来、地下に潜って罪の意識を深めながら、プレーナにひたすら祈りを捧げて生きてきた。

 それは救いを求める祈りだったのか? 死後に罪が許されて、プレーナと一つになることで救われると考えていたのか? ではなぜまだここで祈り続けるのか……。

 ヒラクにはどうしてもわからない。

 敬虔なプレーナ教徒であったというアクリラの母親は、罪の意識で己を責めて、病に陥り死んだのだ。罪の自覚こそがプレーナ教徒のあるべき姿であり、信仰の篤い者たちほど、罪の意識で己を罰し、精神と肉体を病み、苦しみの果ての死に救いを求めた。

 何のため、彼らは祈ってきたのだろう。求めてたどり着いたという聖地に心の平安はあるのだろうか。そこで繰り返される祈りは何を意味するのだろう。


 プレーナと一つに溶け込んだ娘たちが再び木立の隙間から姿を見せた。

 娘たちが現れる限り祈りは繰り返され、巨大な緑の女は何度でも現れる。

 光に溶け込み、プレーナと崇める存在に吸収されるその瞬間だけが彼女たちの祈りの成就といえるのだろう。

 そのために繰り返される聖地での祈り。

 それはとても救いようのないことにヒラクには思える。


 ヒラクには、人が求める「永遠」というものがわからない。


 アノイの地では、死者は死者の国で生前と変わらない暮らしをいつまでも続けるといわれていた。その途方もない年月を思うと、ヒラクはぞっとする思いだった。アノイの人々は、死んでも存在が消えるわけではないということで安心できたのかもしれない。

 だがヒラクは、終わりがないということは、何の始まりもないことだということを知っていた。そこには何の希望も芽吹かない、そんな気がしてならなかった。

 けれども、死んでただ骨になるという父の考えも、ヒラクは真実として受け止めることはできない。自分という存在が消える、無になるというのは、むなしさを通り越して恐怖を覚えさせるものだった。

 だから人は神という絶対者に永遠を願うのか?

 だが、それにただすがり従うだけの存在は、なんと悲しいものだろう。死後もただひたすら祈りを捧げ続けるプレーナ教徒の女たちを見ていると、ヒラクはそう感じずにはいられない。


 ヒラクは緑の光を放つ噴水に背を向け、木立の中に姿を消した。


 途中、何人もプレーナ教徒の女たちとすれちがった。

 最初に噴水の周りにいた娘たちの姿もあった。

 彼女たちはプレーナへの祈りと同化を繰り返し、聖地で祈りを捧げ続けるのだ。


 ヒラクはすれちがう娘たちの後ろ姿を振り返りながら、どうしようもなくやるせない気持ちになった。


(自分もあの女たちと同じじゃないのか?)


 元の場所へつながっていると思われるアーチ型の扉の前に立ったとき、ヒラクはふと思った。

 この扉の向こうに待つのは、時間の止まったような水晶の館での静かな祈りの日々だ。

 同じことを繰り返すだけの毎日に、一体何の意味があるのか。自分はそこに何の希望を抱くのか。

 ヒラクは、母と再会してから初めてこの場所を離れたいと思った。

 それでもまだ自分をここにひきとめる何かがある。それは母の存在か、それとも中庭の少女フミカの存在か……。

 ヒラクはもう一度フミカに会いたいと思った。

 自分の心をかき乱すあの少女のことが気になってしかたなかった。なぜそれほど彼女に執着するのか、ヒラクにはわからなかった。

 ユピのことを思い出した以上、一刻も早くここを抜け出してユピに会いたい。そう思うのに、心に住み着くフミカが、ヒラクのことを引き止める。


「フミカのことが好きなのかな……。でもだからってユピのことを嫌いになったわけじゃないんだ……」


 迷いながら、ヒラクは扉に差し固めてあるかんぬきを引き抜いた。


「あなた、なんてことするの!」


 背後から声がして、ヒラクは驚いて振り返った。

 そこに立っていたのはプレーナ教徒と思われる娘だ。栗色の髪は緑に変化しつつあるが、瞳は茶色のままである。その目が非難がましくヒラクを見ている。


「扉を開放する気? その扉からこの聖地に入り込みたい人々がどれだけいると思っているの?」


 ヒラクはきょとんとした顔で女を見た。


「ここはプレーナの娘しか存在できない聖地よ。選ばれた者しか入れないの」


 ヒラクは、この娘も母とまるで同じことを言うと思った。


「とにかく外の人間はここに入れちゃだめよ。わかった?」


 女はヒラクがはずした横木を扉の金具に差し込んで戻そうとした。


「ちょっと待って」


 ヒラクは女の手を止めた。


「おれはこの向こうから来たんだ。もとの場所に戻るだけだ」


「あなた、外から来たの?」


 女は怪訝顔でヒラクを上から下までじろじろと見る。


「だってあなたもプレーナの娘でしょう? 外の世界から来たって新参者って意味? それなら物を知らなくて当然ね。いい? この向こうは穢れているの。ここから出ちゃだめよ。外は危険だわ」


 ヒラクには女の言っていることがさっぱりわからなかった。


「外って、ここが外でしょう?」


 ヒラクの母は確かにそう言った。自分たちより下等な者が水晶の館の聖堂に向けて祈りを捧げていると。それはここにいるプレーナの娘たちのことだったのだろうか。ヒラクはそれを母に確かめたかった。


「とにかくおれはここを出る。ひきとめても無駄だ」


 ヒラクは女の手から奪ったかんぬきをその場に放り捨てると、横木を差し通す左右の金具を両手でつかんで扉を開けた。


 向こうに出ると、背後ですぐに扉が閉まった。

 先ほどの娘があわてて閉めたのだろう。


 固く閉ざされた扉は二度と開かなかった。


 一体どちらが「聖地」でどちらが「穢れた世界」なのか?

 ヒラクの中の疑問はそのまま母への疑念となっていく。



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