狼神の旧信徒居住区
(前回までのあらすじ)
ヒラクとカイルが睨み合っているところにアクリラが現れた。ヒラクをヴェルダの御使いだと信じるアクリラは、ヒラクがカイルを救いに来たのだと誤解する。ヒラクがいる場所は罪人たちが放り込まれる「審問の牢獄」で、老主の命により投獄されたカイルを助けるためにアクリラはやってきたという。カイルからここにユピがいないことを聞かされたヒラクは、ユピの居所を知っているテラリオを追うことにする。同じくテラリオを追う目的があるカイルは、ヒラクと共に審問の牢獄を出ることにする。アクリラが入り口から伸ばしてきた糸を頼りに、神経をすり減らしながら、三人はついに出口にたどりつこうとしていた。
三人は、審問の牢獄の入り口についにたどりついた。
連なる空洞が途切れ、目の前にただ一つの通路が延びているだけで、ヒラクはまるで地下から外に出たかのような開放感を覚えた。
地下世界になじんでいるカイルとアクリラもつかれきっていた。
まるで一日が一年にも感じられるほど、果てしない距離を歩いてきたような気分だった。
入り口をふさぐための石の円盤と壁の隙間に糸の先を巻きつけた弓矢が挟まれている。
カイルはその弓矢を不審そうに見てアクリラに言う。
「見張りはいないのか?」
「カイルを連れてきた看守が出ていったばかりって聞いてすぐに来たから大丈夫よ。灯り番は一日に二度入るというけれど、目や耳が不自由な人たちだって聞いているわ」
セーカでは、生まれつき体に不自由のある人間はそれだけ罪が深いのだと考えられ、罪の軽減を祈ることすら許されていなかった。灯り番とされた者たちは、一度中に入れば数日間は延々と牢獄の中をさまよわされ、中には戻って来れない者もいる。それもまた罪の裁きだと老主は言うが、このような現実があることを、ほとんどのプレーナ教徒は知らされていない。
「……ずいぶんくわしいな」
「テラリオが教えてくれたのよ」
アクリラが言うと、カイルは「やっぱり」というように舌打ちした。
テラリオはアクリラを利用したのだ。おそらく糸巻きの糸をのばしながら進むことを提案したのもテラリオだとカイルは思った。アクリラが弓矢を持っているはずがない。アクリラを先に行かせて、後から自分がそこをたどれば間違いなくカイルに行き着ける。それが果たせなくとも糸を切ることで邪魔なアクリラは始末することができる。テラリオはそこまで考えたにちがいない。
そう思うとカイルは怒りを感じずにはいられない。
だが実際は、テラリオはアクリラをも連れ出せと言った。
そこには、カイルとここから出たいというテラリオの強い願いがあり、駆け引きのない必死さがあった。それを思うと怒りはひいて、かわりに不安がカイルの心を占めた。
「とにかく出よう」
カイルはそう言って、アクリラにかわり、今度は自分が先を行く。
まっすぐ伸びた通路を進み、別な通路に行き当たると、カイルは十分辺りに注意を払い、狭い孔から飛び出した。
そして、誰も近づいてくる気配がないとわかると、手招きしてアクリラを呼んだ。
通気孔のような壁の横穴から、アクリラに続き、ヒラクが飛び出した。
「よし、とりあえずだいじょうぶみたいだな。行くぞ」
カイルの言葉にうなずき、アクリラは通路を右方向に進んだ。
反対に進めば下の階の老主の間につながる。
ほとんどのプレーナ教徒はこの通路の存在を知らない。
ヒラクは、灯りのない通路を両側から迫る壁に触れながらそろそろと進んで行く。暗闇に慣れたアクリラたちの歩く速さにはとうてい追いつけない。
闇の通路は上り坂になっていて、ヒラクは何度も前のめりになり、声を上げてつまづいた。
そのたびに、舌打ちしながらカイルが戻ってきて声をかける。
しまいには、カイルは自分の服のすそをつかませて、ヒラクの前を歩いて誘導した。
やがて通路の出口の先が明るく見えた。
「これをかぶってください」
アクリラは立ち止まり、自分がかぶっている白布をヒラクに手渡した。所持品はすべてプレーナからの借り物という意識があるプレーナ教徒にとって、自分が使用した物を尊ぶべき存在に又貸しするような形になることを不敬であるとは感じない。
アクリラはむしろ尊い緑の髪を人目に晒すことの方こそ不敬に当たると考えて、ヒラクに素早く白布を頭からかぶせて身を覆わせると、通路の孔から飛び出した。
「……こんなところにつながっていたなんて」
後に続いて孔から出たヒラクは驚いた。
そこは町の広場だった。
ヒラクが初めて来たのは早朝だったので、今ほど人は多くなかった。きょろきょろと辺りを見ながら、今にも雑踏の中に飛び込んでいこうとするヒラクの手をカイルがつかむ。
「こっちに来い」
「カイル、どこに行く気?」
アクリラはカイルの隣を歩きながら尋ねた。
「食糧庫だ」
食糧庫は狼神の旧信徒たちの居住区へ続く孔の先の通路の途中にある。広場と居住区を結ぶ孔は円石でふさがれている。円石の石扉のすぐ向こうには調理場があるが、居住区側からは円石は動かすことはできない。「罪深き信仰者」たちが居住区の外から毎日決まった時間に円石を動かすのだ。
そして食糧庫に保存している食糧を狼神の旧信徒の調理番に渡し、調理された食事を彼らから受け取る。食事は朝晩決まった時間に広場の中心にいくつかある大きな石の台に運ばれ、プレーナ教徒たちに配分される。労働を罪とするプレーナ教徒たちは食糧庫に近づくこともなく、罪深き信仰者たちでさえ、見回りと点検の決まった時間以外は立ち入りを許されていない。
アクリラは躊躇しながらも、カイルの後に続き、広場と通路を結ぶ孔に入った。
広場とは打って変わって人はなく、誰一人通路を歩いてはいない。
居住区への入り口が円石で塞がれているとはいえ、狼神の旧信徒たちも利用するこの通路は、多くのプレーナ教徒たちにとって忌まわしいものだった。
ヒラクは、カイルの後に続いて食糧庫に入った。
チーズや穀物や加工肉などの食糧が保存された広い室だ。
人の気配はなく、しんとしている。
ヒラクが珍しそうにチーズなどを見て回っている間、カイルはアクリラにセーカの言語を使って言った。
「アクリラ、よく聞け。神帝国がセーカに攻撃をしかけてくるかもしれないんだ」
アクリラは小さく驚きの声をもらし、両手で口元をおおった。
「食糧配分の時間に居住区の石扉が開いたら、俺は狼神の旧信徒たちのもとへ行き、ヴェルダの御使いと一緒に攻撃を阻止しようと思う」
カイルの言葉にアクリラは心得たようにうなずいた。
「そうね。彼らも今はプレーナを信仰しているのですもの。ヴェルダの御使いが言ってくだされば、きっとプレーナ教徒を守ってくれるわよね」
「……ああ、そうだな。すべてうまくいくさ」
「老主様にご報告は……」
「それはいい」
カイルはアクリラの言葉にかぶせるようにして言った。。
「ヴェルダの御使いが一刻を争うときだと言っている」
カイルはヒラクを振り返り、祈りの言葉で呼びかける。
「おまえ、老主のところになんて行きたくないよな」
ヒラクはもちろんだと言わんばかりに何度も大きくうなずいた。
「わかったわ。ヴェルダの御使いはあなたを救いに現れたのですもの。老主様ではなくあなたに使命が下ったということなのね」
アクリラは微笑んで、栄誉を讃えるような目でカイルをみつめた。
カイルはその言葉を聞き流し、アクリラに指示を与える。
「とにかくそういうわけだ。それより、サミルとジライオを呼んでくれ。くわしいことは俺が話す」
いまやそれはヴェルダの御使いの命令とばかりにアクリラは黙ってうなずくと、食糧庫から出て行った。
サミルとジライオもまたカイルたちと同じく親の代から引き継いだ「罪深き信仰者」だ。カイルやテラリオと一緒に神帝国に逃亡する気で行動を共にしていたが、カイルがテラリオから離れたとき、彼らもまた逃亡をせずにプレーナ教徒として生きていく道を選んだ。カイルを中心にした若者たちのグループの結束は固い。
アクリラが食糧庫を出て行ってから、もう一時間はたとうとしていた。
広い食糧庫の中で、積み上げられた粉袋の隙間に身を隠しながら、ヒラクとカイルは休息した。
ヒラクはいつのまにか眠ってしまったが、カイルはまんじりともせず、仲間の到着を待った。
カイルがしびれを切らした頃、サミルとジライオがやってきた。サミルの弟のセミルもいる。三人とも広場にいるプレーナ教徒たちよりもたくましい体格をしている。
カイルから事情を聞くと、三人はカイルと共に狼神の居住区に続く孔をふさぐ円石を動かした。
青年たちの身長ほどの高さしかない円石はそれほど大きいものではないが、動かすとなると最低でも三人は必要だ。慣れた仕事とはいえ、重い石を動かすのは容易なことではなさそうだった。
一度動くと石はゆっくり回転し、扉の隙間を広げていった。
ヒラクとカイルが狼神の旧信徒たちの居住区へと続く孔をくぐりぬけると、その先には調理場があった。働いていた女たちは一瞬ヒラクたちを見たが、その手を休めることはなく、まるで労働のためだけに存在しているかのように、忙しく働き続けていた。
作業場には彼らの監視役でもある罪深き信仰者たちも出入りするため、カイルが姿を見せるのは珍しいことではない。見慣れないヒラクがいても、この場にいる人々は特に関心も示さない。彼らは日々の労働をこなすことだけ考えて、あとは何も考えないようにしていた。
さらに通路を進んだところにある広い作業場には、たくさんの女たちがいて、棒と岩のかけらを組み合わせたいざり機の前に何列にも連なって座っていた。女たちは二種類の布を織っている。一つは目数が多く、織るのに手間もかかり、図柄も複雑で専門的技術を要する絨毯で、もう一つは織りも粗く、図柄も単純で簡素な厚手の敷布だ。いずれも羊毛を草木で染めた糸を使っている。
織物作業場の女たちもみな疲れた顔をしながら、ただ黙々と働いていた。
ヒラクは通路につながる孔から物めずらしげにその様子を眺めていたが、すぐにカイルに腕を引かれて、通路のさらに先へと進んだ。
階段を上っていくと、三階層の狼神の旧信徒たちの居住区にたどりついた。多くのプレーナ教徒たちが五階層以下の地下深くに住んでいるのに対し、狼神の旧信徒たちは地上に近い階層に住んでいる。
この時期、多くの男たちは南の地へ労働に出かけていてしばらくは帰ってこない。そのためほとんど人目につくことなく、カイルとヒラクは居住区の中を歩くことができた。
やがて、数ある室の一つにカイルは足を踏み入れた。
そこには多くの病人や年寄りがいた。
疲れきったようにその場に座り込む老婆、やせこけてうつろな目をした子どもたち、そのそばにいる母親らしき女は目が見えないらしく、カイルとヒラクの気配に気がつくと、片足をひきずりながらはうようにして施しを請おうとした。
「ここは働けなくなった者たちの室だ。労働に従事できない者はここでは生きていけない。ただでさえ食糧の配分は限られている」
カイルは目の前の光景に顔をしかめる。
「……何が罪の贖いの労働だ。一部の奴らが利益を得るために無理矢理働かされているだけだ。さっき織物の作業場で二種類の織物が織られているのを見ただろう。美しい方の織物はミカイロが神帝国に献上して利益を得るために女たちに織らせているものだ」
カイルは憎々しげに言った。
やせ衰えた子どもの体をただなでさすってやるしかできない盲の母親を見ていると、その不条理に怒りがこみ上げてくる。ヒラクはそんな状況に少なからず疑問を感じていた。
「……この人たちは老主を憎んでいるの? だからプレーナよりも狼神を信じるの?」
ヒラクが言うと、カイルは鼻で笑った。
「そんな単純なことじゃない。狼神の旧信徒たちはミカイロの支配も受けながら、狼神の使徒たちにも搾取されている」
「さくしゅ?」
「わからなくていい。どのみちおまえには関係のないことだ」
カイルは首をかしげるヒラクを冷たくあしらった。
そして室の隅に行くと、壁にもたれて座り込んでいた片足の男に食糧庫から持ち出したチーズの欠片と干し肉を手渡した。
男は尻を横にずらしてその場所をよけた。そこには男の座高ぐらいの孔があいていた。
「行くぞ」
カイルは四つんばいになり、孔の中に入っていった。足の先までカイルがすっかり孔の向こうに隠れてしまうと、ヒラクもあわてて後に続いた。
孔の向こうはすぐ立ち上がれるようになっていた。
暗闇で何も見えず、四つんばいのままさらに先へ進もうとするヒラクをカイルが抱き起こす。
「ここからはまっすぐだ。壁づたいについてこい」
カイルに言われたとおり、ヒラクは両手で狭い隙間を確かめながら、慎重に前に進んだ。
カイルはとうに先を進んでいる。
ヒラクは同じように早く進めない自分に少し苛立った。
暗闇の中、両側の壁に圧迫されて、ヒラクは息苦しさを覚えた。
閉塞感が不安を掻き立てる。
(ユピ……どうか無事でいて……)
ユピの白い横顔が、暗闇の中、浮かんで消えた。
(登場人物)
ヒラク……北の少数民族アノイの長の息子と山の向こうの「神の国」から来た異民族の母との間に生まれた緑の髪の子ども。13歳。昔から川の神の姿を見るなど、人とはちがう能力がある。「神とは何か」の疑問を胸に、母が信仰するプレーナの正体を求めて、山を越える。
ユピ……ヒラクが五歳の頃、砂漠でみつけた神帝国の美しい少年。15歳。神帝国の言語を母語とするが、ヒラクと話すときはヒラクの母親の言葉である「禁じられた言葉」を使う。
老主……プレーナ教徒の教主。プレーナそのものとされる「生命の水」を与えるヴェルダの御使いと同じ緑の髪をもつヒラクが何者であるかを探ろうとし、老主の間で監視下に置こうとした。
ミカイロ……プレーナに背信し、狼神を信仰する「狼神の使徒」の中心人物
カイル……労働が罪とされるプレーナ教徒の中であえて労働に従じる仕事をする「罪深き信仰者」。テラリオとは幼馴染。二人でいつかセーカを出て自由になろうと誓っていたが、プレーナ教徒としてアクリラと共にセーカで生きたいと願うようになった。
アクリラ……敬虔なプレーナ教徒であるセーカの少女。自分のせいでカイルが審問の牢獄に囚われたと思い、助けに来る。ヒラクのことをヴェルダの御使いと信じていたり、テラリオや老主に悪意がないと疑わずにいたり、思い込みが強いところがある。
テラリオ……カイルと同じプレーナ教徒の「罪深き信仰者」であると同時に、ミカイロとも通じている狼神の信徒。ユピを捕らえてミカイロの前に差し出した。地上での自由を得るためには手段を選ばない利己的な青年。カイルにだけは心を開いている。




