審問の牢獄
(前回までのあらすじ)
カイルの前に現れたのはテラリオだった。テラリオは狼神の使徒と神帝国を結びつけるために生命の水を神帝国の手に渡した過去をカイルに告白する。さらにユピを分配交換の場で死なせ、神帝国にセーカを攻め込ませる計画があることを明かす。テラリオはカイルにセーカを離れるよう言い残してその場を去る。二人の話を聞いていたヒラクは、ユピの危機を知り、カイルの前に飛び出した。ランプが灯る狭い室の中、ヒラクとカイルは一触即発の状態で睨み合っていた。
「まあ、あなたはヴェルダの方ではありませんか」
一触即発の沈黙を破ったのは、アクリラの驚きを含む声だった。
ヒラクが飛び込んできた孔からアクリラが姿を現すと、その手を引いて自分のそばに引き寄せた。
そして再びヒラクへの警戒心を強めて言う。
「……おまえ、ここで何してるんだ?」
アクリラはヒラクに通じるように「祈りの言葉」の言語で話したが、カイルはあえて神帝国の言語で問いかけた。ヒラクがどこまで話を理解していたかを確認するかのようだった。
けれどもヒラクが答える前に、アクリラが二人の間に割って入った。
「ああ、ありがとうございます。ヴェルダの方がカイルを救いに来てくださるなんて。カイル、やっぱりあなたは何も悪くないのよ」
アクリラは喜びをかみしめるように胸の前で手を合わせ、祈りの言葉をつぶやいた。
「ユピはどこ?」
ヒラクはアクリラの言葉を無視して言った。
「ユピはここにいるんだろう?」
アクリラはきょとんとした顔でヒラクを見た。
「一体何のことですか?」
「だって、ユピがここにいるって聞いたんだ!」
「え……、この審問の牢獄にですか?」
「牢獄……?」
「ええ、ここは罪人に裁きを与えるための場所……」
アクリラは表情を曇らせて目を伏せた。
「あなたを母のもとにお連れしたときには、母はすでに息をひきとっていました。もう少し到着が早ければ……。でも母はこうなることを望んでいたのかもしれません。己の罪の深さを受け入れて、母は安らかに逝きました。それなのに母が死んだのはヴェルダの御使いに失礼があったから、そのための怒りではないかと老主様がおっしゃって、カイルをこの審問の牢獄に投獄したのです」
同じような空洞が連なるこの場所は、「審問の牢獄」と呼ばれていた。
プレーナ教の教えに背いたり、老主に歯向かう者や何らかの咎を負う者が放り込まれる場所である。
囚人を放りこむ際、出口まで戻れないよう混乱させるために数人の看守が空洞のランプに無作為に火を灯してまわる。それでもここから抜け出せた者は、プレーナから見逃された者とされ、その咎を責められることはない。
生まれつき罪を背負って生きることを定められたプレーナ教徒にとって、互いを裁くことは許されず、すべてプレーナに委ねなければならないとされている。
この場所は、かつて狼神信仰が栄えたときには処刑の場とされていた。背信者とされる多くのプレーナ教徒が中心の柱にしばりつけられ、そのまま暗闇に放置されていたのである。
そのような忌まわしい場所にたった一人でアクリラはやってきたのだった。
「カイルは何も悪くありません。私の祈りがヴェルダの御使いをここに導いたのです。そのことはあなたが一番ご存知でしょう? だから今、カイルを救いに来てくださったのですよね」
アクリラは何の疑いもない目でヒラクを見る。
それでもヒラクはきっぱりと言った。
「おれはヴェルダの御使いなんかじゃない」
アクリラはよくわからないといった顔で首をかしげる。
「なぜそのようなことをおっしゃるのですか?」
「なぜって、ちがうからちがうって言ってるんだよ」
ヒラクの言葉にアクリラはますます困惑する。
「そんなことよりおまえ! ユピをどうする気だよ!」
ヒラクは切迫した様子でカイルに言う。
「ユピはここにいるのか? さっきの男といっしょなのか? ユピはあいつのせいでひどいめにあわされようとしているんだろう?」
「おまえ、やっぱり聞いていたんだな」
「聞いてたらなんだって言うんだよ!」
祈りの言葉のカイルに対し、ヒラクは神帝国の言語で答えた。
ヒラクはユピにアノイの言語を教えながら、自分もまたユピの言語を教わっていた。それほど流暢には話せないが、何を言っているかぐらいはわかる。
ただ、カイルとテラリオの話す神帝国の言語は、ユピが話すそれとはちがい、独特のなまりのようなものがあり、ところどころわからない部分もあった。
それでも、二人の表情や言葉の調子から、ヒラクはなんとなくは話の内容を理解していた。そして「神帝国の人間」とはユピのことで、何かとんでもないことに巻き込まれようとしているというのだけはわかった。
「答えろよ! ユピはどこだ!」
「知るかよ。少なくともこんなところにはいない。誰に聞いたか知らないがお前は謀られたんだよ」
カイルはおおかた老主のしわざだろうと思った。
「くそっ、じゃあ、あいつなら知ってるんだな。おまえと話してたあの長髪野郎! あいつのところに連れて行け!」
ヒラクがわめくと、今度はカイルも少し考え込むような顔をした。
「……そうだな。わかった、いいだろう。俺もあいつのすることをこのまま見過ごすわけにはいかない」
そう言うと、カイルはすぐそばにいるアクリラを見た。
「アクリラ、行くぞ」
アクリラはまだ困惑していたが、それまでこの場を動こうとはしなかったカイルが初めてここを出ると言ったことにほっとした様子で、糸巻きを手に持ち直してうなずいた。
アクリラは、先を確かめながら糸を静かに巻いて、ここまで来るのに自分が通ってきた空洞を引き返していく。カイルとヒラクはその後に続いた。
ところどころ明かりはあるが、出口はわからずずっと同じところを歩いているような感覚だった。
これならば暗がりをただひたすら前に進む地下通路のほうがよっぽどましだとヒラクは思った。
ここには前も後ろもない。暑さも寒さも感じない。時間が進んでいるのかも止まっているのかもわからない。薄暗さと閉塞感が断続的に続く中、疲労だけがじわじわと蓄積されていくようだった。
なかでもアクリラが一番疲れた様子だった。
手繰り寄せる糸が切れてしまわないように神経を使い続けているからだ。
「アクリラ、少し休もう」
真ん中の柱に置かれたランプに照らされた空洞で、カイルは腰を下ろして言った。
「ねえ、早く行こうよ」
ヒラクは座り込むカイルを見て、焦れた様子で言った。
「そんなに行きたかったら一人で行け。迷子になっても知らないけどな」
「だけど、こうしている間にもユピが……」
「いいから座れ」
カイルはヒラクの腕をつかんで座らせた。
「心配するな。分配交換の儀式までにはまだ時間がある。それまではあいつも動かない」
ヒラクは渋々言うことを聞いて休息をとったが、焦りや不安は増すばかりだ。
「ねえ、分配交換ってどんなことするの?」
カイルはヒラクを相手にせず、話すのもめんどくさそうに固く目を閉じた。
「分配交換のことだったら私が……」
カイルの隣に座っていたアクリラがカイル越しにヒラクに言った。
「分配交換は満月の夕べにおこなわれます。プレーナの仲介者であるヴェルダの御使いが老主様にお会いになり、捧げものと引き換えに生命の水を与えてくださいます」
アクリラはプレーナ教徒として模範的な回答をした。プレーナのこととなるとアクリラは饒舌になる。
「ささげものって何?」
ヒラクは続けて尋ねた。
「おもに羊などの家畜や麦や野菜などの食糧だと聞いています。黒装束の民が望まれるものです」
アクリラの言葉に、ヒラクは聖地プレーナへ向かわんとするキルリナも含めた七人の娘たちのことを思い出した。彼女たちは黒装束の民に導かれてプレーナを目指すと言っていた。
(黒装束の民が望むもの……)
「ねえ、黒装束の民ってどんな人?」
ヒラクはアクリラに尋ねた。
「黒装束の民は、ヴェルダの御使いに付き従う聖者です。ヴェルダの方をお守りする方々のことです」
そこまで言って、アクリラは、先ほどから思っていたことをおそるおそる口にした。
「あの、あなたは、本当に何も知らないのね……」
アクリラの口調は自然と子ども相手のものに変わっていた。それでもまだヒラクがヴェルダの御使いであることを疑ってはいない。ヒラクの無知は幼さからくるものだとアクリラは誤解していた。
「黒装束の民は、ヴェルダの御使いの下で聖地プレーナを守っているの。彼らは荒ぶる神の民とも呼ばれ、粗暴で気性も荒く、聖地に足を踏み入れようとする侵入者をことごとく打ち払うというわ。ヴェルダの御使いしか彼らを統率することができない。でも、あなたにはまだ早いのではないかしら」
「さあね」
ヒラクはどうでもいいことのように聞き流した。
「それよりさ、プレーナって神さまなんでしょう? 生命の水ってのもプレーナだっていうし、聖地って場所もプレーナなんだよね? どういうことだか全然わからないよ」
「プレーナは、世界にあまねく行き渡る偉大なお方。生命の水はあの方の一部であり全体です。それは形を持たず、分断されることもなく、永遠に湧き出す泉のようなもの。祈りは私たちを満たし、祈りそのものであるプレーナに還元され、私たちもまたあの方の一部となる。地上のどこかにいらっしゃるあの方の居所こそ聖地。プレーナはその場所に、生命の水の源として存在しているの」
よどみなく話すアクリラの様子をヒラクは呆気にとられて見ていた。
「もういいだろ。行くぞ」
カイルはそう言って立ち上がった。
「そうね、もう行かなきゃ。老主様の誤解をとかなきゃいけないわ」
アクリラが言うと、カイルは不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。
「俺は老主のところには行かないぞ」
「カイル……」
アクリラは悲しそうな目でカイルを見た。
「あなたが老主様の誤解を受けたことで傷ついているのはわかるわ。でも、ヴェルダの御使いはあなたを救いに現れたのですもの。ヴェルダの御使いのお怒りなんてありえない。ね、あなたも一緒に行ってくれるでしょう? そして老主様の誤解をといてくれるわよね?」
アクリラは自分の申し出は当然受け入れられるだろうといわんばかりだった。
だがヒラクは即座に反発した。
「冗談じゃない! おれは今すぐユピに会いたいんだ。それに、あのくそじじいには何言ったって無駄だ。あいつは自分さえよければそれでいいって奴だ」
「それには俺も同感だ。忘れたのか、アクリラ。老主はいくら頼んでも一滴たりともおまえに生命の水を分け与えなかったんだぞ」
「でもカイル……それは、だって、私の方が無理なお願いを……」
アクリラは困ったようにうつむいた。
「それに、老主が俺をここに放り込んだのは、俺が狼神の旧信徒たちとともに働いていたからだ。老主は、いまだに狼神の旧信徒たちのことを狼神を信仰するプレーナへの反逆者として見ている」
「カイル、そんなことないわ。狼神の旧信徒たちは己の罪を悔いて働いているじゃない。それに私たちプレーナ教徒はみんな『罪深き信仰者』たちを尊敬している。老主様だって感謝しているわ。あなたたちは罪を深めながらも、セーカの民の祈りの生活を守るために働いてくれているじゃない」
「……ああ。そうだな……」
カイルはばつが悪そうに目をそらした。アクリラと話していると、カイルは自分の考えの方が間違っていて、ねじまがった心から事実を歪めてみてしまっているのではないかと錯覚してしまう。
実際は、事実を事実として受け入れていないのはアクリラの方だった。それでもカイルはアクリラが信じる世界をそのままにしておいてやりたいと思った。
「行くぞ」
カイルはそれ以上何も言わず、アクリラに糸を手繰り寄せさせながら先へ進んだ。
「ねえ、その糸どうして緑なの?」
何度目かの休憩で、ヒラクはアクリラが持つ糸巻きの糸をじっと見て言った。
「これは御使いの御髪とも呼ばれる糸で私たちが体に巻きつけているものと同じものよ」
アクリラは、白い衣服の上から腕と腰に巻きつけた緑のひもを示して言った。
「私たちが罪の意識を忘れず、プレーナの拘束を望む証でもあるの。とても丈夫で、きつくしめれば体に痕が残る。それはプレーナが私たちに与えた罪の刻印でもあるの」
アクリラの言うことを聞いて、ヒラクはやはりプレーナ教徒は自分で自分をいじめるのが好きなのだと思った。
「この糸にはプレーナの力が宿っているのよ。だからきっとここから出られる。だいじょうぶよ」
アクリラは、ヒラクを力づけながら、不安を感じる自分をも鼓舞しているかのようだった。ヒラクはアクリラを悪い人間ではないと思ったが、少し面倒に思い始めていた。
その後は黙って先へ進んだ。
ランプの灯る室がほとんど稀になり始め、じわじわと真の暗闇に圧迫され始めてきた。
カイルはアクリラの肩を抱き、糸の先を暗闇を共にゆっくりと進んだ。
ヒラクは二人のそばを離れないよう呼吸に耳を傾けながら歩幅を合わせる。
もう手に持つランプもとっくに消えていた。
なかなか次のランプの室までたどりつかない。
暗闇の中、細い糸だけが三人の命綱だった。
そうしてどれほどの時間が経過しただろう。
侵食してくる暗闇に輪郭を同化させながら、三人はやっと空洞の迷宮を抜けようとしていた。
(登場人物)
ヒラク……北の少数民族アノイの長の息子と山の向こうの「神の国」から来た異民族の母との間に生まれた緑の髪の子ども。13歳。昔から川の神の姿を見るなど、人とはちがう能力がある。「神とは何か」の疑問を胸に、母が信仰するプレーナの正体を求めて、山を越える。
ユピ……ヒラクが五歳の頃、砂漠でみつけた神帝国の美しい少年。15歳。神帝国の言語を母語とするが、ヒラクと話すときはヒラクの母親の言葉である「禁じられた言葉」を使う。
老主……プレーナ教徒の教主。プレーナそのものとされる「生命の水」を与えるヴェルダの御使いと同じ緑の髪をもつヒラクが何者であるかを探ろうとし、老主の間で監視下に置こうとした。
ミカイロ……プレーナに背信し、狼神を信仰する「狼神の使徒」の中心人物
カイル……労働が罪とされるプレーナ教徒の中であえて労働に従じる仕事をする「罪深き信仰者」。アクリラのためにヒラクをアクリラの母親のところへ連れて行こうとする。
アクリラ……敬虔なプレーナ教徒であるセーカの少女。母親の病を癒すため、ヴェルダの御使いと信じるヒラクを地下へと案内した。
テラリオ……カイルと同じプレーナ教徒の「罪深き信仰者」であると同時に、ミカイロとも通じている狼神の信徒。ユピを捕らえてミカイロの前に差し出した。




