地底の町
(前回までのあらすじ)
奇岩群の中、突然の攻撃に応戦しようとするヒラクだったが、敵と思われた相手はヒラクの姿を確認すると、なぜか戦意を喪失させて近づいてきた。見たこともない異民族の男たちがヒラクの前で敬服するような動作を示す。さらにアクリラと呼ばれる少女が現れ、「プレーナ」という言葉を口にする。彼女はヒラクを自分たちの町まで案内すると言うが、カイルと呼ばれる青年は神帝国の人間であるユピは連れて行けないと言う。反発するヒラクだったが、テラリオという青年がユピも案内すると言い、四人は共に地下通路から地底の町を目指した。
アクリラは暗がりに目が慣れているらしく、どんどん先へと進んでいくが、ヒラクは両側にせまる岩壁を手で確かめながら、心もとない足取りで歩いていた。
地面は緩やかな傾斜の下りだったが、ところどころ段差があり、歩きにくい。ヒラクは何度かつまづきかけた。
灯りもなく、先を行くアクリラの姿も、後についてきているだろうユピの姿も見えない。
天井は低く、手をのばせばさわることもできる。
どれほど進んでいるのかはわからないが、時々話しかけてくるアクリラの声で前方に向かって歩いているのだけがわかる。
やがて闇の濃度が薄れ、ヒラクはその目にぼんやりとアクリラの後ろ姿を捉えた。
少し幅の広がった場所に出ると、三箇所ある壁のくぼみに置かれたランプが空洞の中を照らしていた。
ヒラクは部屋の隅にある水瓶に目をやった。
「これ、もらっていい?」
そう言って、ヒラクは携帯していた鹿のぼうこう袋に水を補給した。袋の中はすでにからっぽだった。
アクリラは一瞬ヒラクを咎めるような目でみたが、ヒラクのすることに何も言えなかった。
川筋のアノイの地で育ったヒラクには、この土地で水がどれだけ貴重なのかはわからない。ただ水がなくなればいつものように補給すればいいという考えだった。
「ユピの分と、これぐらいあればいいかな」
ヒラクは鹿のぼうこう袋にたっぷり水を入れると、少しだけその場で飲んだ。
「あの、先を急いでも……?」
アクリラは自分たちが来た通路の様子を気にして言った。水瓶の水を勝手に飲ませたことをカイルに知られたくないと思っていた。
「ユピを待つよ」
ヒラクはのんきにそう言うが、アクリラはそこは強く言い返した。
「いいえ、母が待ってるんです。わたしたちは急がなければなりません」
そしてアクリラはヒラクに背を向け、さっさと先へ進もうとする。
「二階層は侵入者を防ぐため複雑な作りになっています。はぐれないようにしてくださいね」
どうやら地下は何階層にもなっているらしい。今は地下の二階だ。下に向かって行くにつれ、道が枝分かれしていく。
アクリラは二つある孔のうちの一つに姿を消した。
空洞からはさらに二つの道がのびている。
ヒラクはアクリラを見失うまいと必死に後を追った。
そうしてどれぐらいの時間が経ったのだろう。
闇の中では時間の感覚さえも曖昧だ。狭い道を壁に圧迫されながら少しずつ歩き進むのは、体はもちろん精神的にも疲れを感じさせる。ヒラクの足取りは重かった。
やがてアクリラは立ち止まり、自分がかぶっていた白布をヒラクにかぶせ、頭頂部に装身具をはめさせた。
「姿を隠していてください。もうすぐ四階層の広場に出ます。人目につかないよう、すぐ五階層に下ります。母はそこにいます。急ぎましょう」
そう言うと、アクリラはまた先を急いだ。ヒラクはわけもわからないまま、言われたとおり白布で全身を隠してアクリラの後を追いかけた。
やがて傾斜がきつくなり、大きく曲がる通路を進むと、ヒラクはアクリラと一緒に広い場所に出た。
外に出たように感じるほど広々とした空洞の天井部は地下三階分かそれ以上の高さがあり、通気孔のような小さな孔がいくつもあいている。
あちこちでかがり火がたかれ、煙が上がり、辺りは夕暮れのような暖色の空気に包まれている。
往来する人々の白い衣服が暗がりに浮び、灯火の影がちらついて、かげろうのようにゆらめいている。
ささやき声と衣擦れの音が重なる雑踏の中で、ヒラクは見知らぬ異国の町に迷い込んでいた。
「すごい! 地面の下にこんな場所があるなんて」
ヒラクは広場の真ん中に駆け出した。
アクリラが一瞬目を離した隙に、ヒラクの姿は白い布の波の中に呑まれてすぐに見えなくなった。
広場の壁にはいくつもの孔があいていて、アクリラやカイルと同じ格好の者たちが出入りしていた。
子どもたちが入っていく孔もあれば、大きな円形の石でふさがれた孔もある。
どの孔も気になったが、最も人の出入りの多い孔にヒラクは目を留めた。
人々はその孔に入るとき、両手を胸の前にあて深々と礼をし、出た後も孔に向かってまた同じように礼をする。ヒラクは吸い寄せられるように孔に入っていった。
孔の奥には岩を削りだしたような祭壇があり、中央にはなみなみと水を張った銀の器が置かれていた。
男たちの後ろで老婆と中年の女たちが祭壇に向かってひざまずき、椀で水をすくうような動作で祈りを捧げている。祈りの際、女たちは頭からかぶる布を取り去るようだ。
ヒラクは内部をぐるりと見た。
半球型の天井と壁の境目の岩棚にランプがずらりと並んでいる。
ランプの炎に周囲を照らされて、鮮やかに彩色された天井画が浮かび上がる。
天井には七人の黒衣の人物が描かれていた。左右対称に外側から、血まみれの狼に槍を突き刺す者、水瓶の水をまく者、椀を捧げるような祈りのしぐさをしている者……。その向き合って祈りを捧げる二人の間には、立ち姿で両手を胸に合わせた人物がいる。立ち姿の中心人物は、一際目立つように描かれていた。背後には白い放射状の線が伸びている。勢いよく噴き出すように描かれた白い線は、うねり、広がり、次第に色を失っていく。描かれているのは水だった。まるでこの静寂の冷気漂う空間全体が、噴き出した見えない水に浸されているかのようだ。
ヒラクは天井を見上げ、一点をじっとみつめていた。
「おれと同じ髪……そうか、だからヴェルダ(緑)なんだ……」
天井に描かれた黒衣の中心人物は、一人だけ鮮やかな緑の髪をしていた。
「御使いの聖室にまで入り込むとは、図々しいにもほどがある」
低い声がしたと思うと、いつのまにかヒラクの隣にはカイルが立っていた。
「ユピは?」
ヒラクは尋ねるが、カイルは答えようとしない。
「……いいから一緒に来い」
カイルはヒラクの腕を引き、孔の外に連れ出そうとするが、ヒラクはその手を振り払った。
「ユピはどこ!」
そのときヒラクの頭頂部から装身具がずり落ち、全身をおおっていた白布ごと足元に落ちた。
その声で、静かに祈りを捧げていた人々がいっせいにヒラクを見た。
あらわになったヒラクの姿を見て、人々はどよめいた。
「ヴェルダの御使いだ!」
「ヴェルダの方が現れたぞ」
カイルはヒラクをその場から連れ出そうとして腕をつかんだが、ヒラクはその手を再び振り払おうとする。
「はなせっ」
騒ぎが大きくなり、広場の人々が聖室の前に集りはじめた。
カイルは舌打ちをして、暴れるヒラクのみぞおちに拳を打ち込んだ。
ヒラクは一瞬体を硬直させると、そのまま全身の力が抜けたようにぐったりし、カイルの腕に身をあずけた。
女たちの悲鳴が響く。
カイルは下に落ちた白布をひろい上げ、ヒラクの頭にかぶせると、そのまま肩にかついで、入り口に押し寄せる人々をかきわけて外に出た。
「カイル!」
駆けつけたアクリラにカイルは言う。
「アクリラ、おまえの母親のもとへ連れて行くぞ」
「でも……」
「いいから早く」
わけがわからないまま、アクリラはヒラクをかついだカイルと一緒に逃げるように広場を駆け抜けた。
ヒラク……北の少数部族アノイの長の息子と「神の国」と呼ばれる山の向こうから来た異民族の女との間に生まれた緑の髪の子ども。「神さまって何?」という疑問を胸に、母が信仰したプレーナを求めてアノイの地を旅立つ。
ユピ……「神帝国」と呼ばれる国の異民族の美しい青年。ヒラクと共にアノイの地で育つ。ヒラクの母親が使っていた言語を「禁じられた言語」と呼ぶ謎の多い少年。ヒラクと話すときはこの言語を共通言語としている。
アクリラ……奇岩住居郡に現れた少女。ヒラクを「ヴェルダの方」と呼び、地下の町へ来るよう懇願する。ヒラクとユピの共通言語を話すことができる。
カイル……ヒラクを警戒する若者。アクリラのためにヒラクを地下へと導く。
テラリオ……アクリラとカイルと同じ民族の青年。「神帝国」の人間であるユピが地下に入るのを反対するカイルを説き伏せ、ユピを地下に案内する。




