夜明けの奇襲
(前回までのあらすじ)
ヒラクは砂漠の砂に埋もれかけた奇岩住居の中で目を覚ました。満ちていた月はすでに欠け、山越えからすでに数週間が経過していた。ヒラクは奇岩群の中、ユピを必死に探した。そしてついにユピをみつけるが、喜びもつかの間、携帯していた水も残りわずかで、とても二人で明日を乗り切るような状態ではなかった。
夜が明けきるのも待ちきれず、ヒラクは井戸を探していた。
井戸らしきものをみつけても、水は干からびてしまっている。手持ちの水はほとんどない。それでも乾きに耐えられず、ヒラクは携帯していた残り少ない水を少しずつ口にしていた。
そのとき不意に視線を感じた。
周辺の奇岩住居の窓の一つ一つからヒラクを刺すような視線の数々……。
浴びせられる殺意にヒラクは身が総毛立つ思いがした。
ヒラクはゆっくりと後ずさりし、岩壁に背中をつけて、矢筒から取り出した矢を弓につがえた。
すると突然ヒラクの右耳で、ひゅいっという音がした。
ヒラクに向けて放たれた矢が岩に跳ね返って地面に落ちた。
ヒラクはとっさに隣の奇岩住居に身を隠し、身をかがめたまま、入り口から外の気配をうかがった。
相手が何者か確かめようとヒラクが身を乗り出そうとしたとき、再び矢が飛んできて、石の矢じりが岩にはね返った。まだ明けきらない朝の薄暗い中で、相手は正確に矢を放ってくる。
ヒラクは、もう少し明るくなれば反撃ができると思った。明るみに身をさらせば、自分もまた標的になりやすいということまでは考えが及ばない。
(どういうつもりか知らないけど、このまま黙っていられるか!)
恐怖よりも反撃の闘争心の方が勝り、ヒラクはすでに臨戦態勢だった。
緊迫した空気の中、辺りが明るくなりはじめると、突然、ヒラクは外に飛び出した。
ヒラクは弓をかまえ、自分を狙うそれぞれの奇岩の窓穴を順に狙うように矢じりの先を向けた。
「どうした! 来い!」
弓をひきながらヒラクが叫ぶ。
砂漠に昇る太陽の光が奇岩の隙間から射し込み、弓をかまえるヒラクの姿を照らし出す。
ヒラクの緑の髪が明るく輝いた。
それを見た一人の男が奇岩住居の一つから姿を現した。
ヒラクは警戒し、弓を向けたが、男はまるで無防備で、呆然とした顔をしている。
男は、ひざのあたりまでくる白い上衣を身にまとっていた。腰の辺りとズボンの膝からすねにかけて衣服をおさえつけるように緑のひもでしっかりと巻きつけている。袖も同様に、手首からひじにかけて緑のひもをきつく巻き、二の腕の辺りは布がたるんでいる。
他にもさらに二人の青年が姿を現した。赤茶けた髪と黄土色の瞳、それが彼らに共通した特徴だった。骨格のしっかりとした体つきだが小柄で、ひもをしばりつけた腕も足も棒のように細く、どこか不健康そうな印象だ。
ユピともまるでちがう、異民族の彼らの風貌をヒラクは物めずらしげに見た。
すると突然、最初に出てきた男がよろめきながらその場にひざを落とした。そして、ヒラクに手のひらを見せるようにして、両腕を下にのばした。手に武器は持っていない。だが、ヒラクは男が何をしだすのか警戒し、かまえる弓をおろすことができなかった。
男は歓喜と恐怖が入り混じったような表情で、両手で椀の形を作り、何かをすくい取るような動作をして頭をたれた。そして椀を形作った手を頭上に掲げると、そのままの形で手のひらを自分の方に向け、顔をぬぐうようにおろしながら口の前で止めて目を閉じた。男は隠された口元で何かをつぶやくと、そこからさらに両手を下げ、胸を押さえながら再び頭を下げた。
他の者たちもヒラクに向かって同じ動作をした。
気づけばヒラクの前には十名ほどの者たちが集っていた。
男たちはヒラクに敬服するように頭をたれ、目を伏せたまま静止している。
ヒラクはわけがわからなかったが、彼らに戦意がないことを見て取ると、ゆっくりと弓をおろした。
だが、ほっとしたのも束の間、突然、ひざまずいていた若者の一人が、ヒラクの後方の気配に殺気立った。
その視線の先にはユピがいる。
若者はさきほど投げ捨てた弓を拾い、ユピを狙った。
「やめろ!」
叫び声と同時に矢が放たれた。
はじけ飛ぶように、若者の手から弓が落ちた。
矢を放ったのはヒラクの方だった。
腕を負傷した若者がヒラクに向かって何かわめいている。その言語はヒラクが理解できないものだ。
若者よりも年が上らしい男がわめきちらす若者をなだめる。
ヒラクは男たちを威嚇するようににらみつけながら、ユピのそばに駆け寄った。
「ユピ! だいじょうぶ?」
ユピは青ざめた顔でヒラクを見た。
「ぼくは、だいじょうぶだよ。それより、あの人たちは……」
ユピは赤茶色の髪の男たちに目をやった。
男たちは困惑した様子でヒラクたちを見ていたが、何事かを話し合うと、一部の男たちは負傷した若者を抱えて前方の小山のような奇岩住居の背後に退いていった。
残ったのは戻った男たちよりもはるかに年若い者ばかりだ。
青年たちは遠巻きにヒラクたちを眺めていたが、そのうちの一人が他の者たちの制止を振り切って歩み寄ってきた。
「おまえたちは何者だ」
ヒラクが聞いたこともない言語だった。
黄土色の瞳が鋭くヒラクをにらみつけている。
その青年はやせてはいるが、他の者よりも背が高く、引きしまった体つきをしていた。骨格のしっかりしたあごの線と無精ひげは野性味を帯び、不健康な印象はどこにもない。
「ヴェルダの方!」
さらに後方から声がしてヒラクが振り返ると、少し離れた場所に、白布で全身をおおい隠している一人の小柄な少女が立っていた。布は頭頂部にはめた輪状の装身具で押さえられ、顔は隠れてよく見えないが、赤茶色の三つ編みが腰のあたりまで伸びている。
少女は大きく息を吸い込むと、意を決したように全身をおおう白布をはぎとり、ヒラクの前に姿をさらした。
少女のたっぷりとした一つなぎの白い上衣は足首まで達し、腰には緑のひもを巻きつけている。袖にも同様に、ひじから手首までしっかりと布を押さえつけるようにひもを巻きつけ、袖口は手の甲を隠すように広がっていた。
全身を覆う布を脱ぎ捨てた少女は、まぶしそうに顔をしかめながらも、黄土色の瞳を潤ませて、ヒラクをまっすぐに見た。筋の通った鼻ととがったあご先の間にある薄いくちびるは震えている。その少女の貧弱な体、病的なほど青白い肌の色は、アノイのものとは異なる。それでも少女はどことなくヒラクに似ているとユピは感じた。
「あなたはヴェルダの御使いですね」
少女は頬を紅潮させ、目を潤ませながら、声を上ずらせて言った。
少女は、ヒラクがユピと会話するときに使う言語で話していた。それはヒラクが母親が使っていた言語で、ユピが「禁じられた言葉」と言っていたのと同じ言語だ。
少女は立ちくらみを起こして足元をふらつかせながら、その場にひざまずき、手で椀を作り、何かをすくいあげる動作をした。
そして少女の口元が手でおおわれたとき、つぶやいた言葉をヒラクははっきり聞き取った。
「偉大なるプレーナよ」
(プレーナ……!)
その言葉を聞いて、ヒラクははっとした。
「アクリラ」
先ほどヒラクに歩み寄ってきた無精ひげの青年は、アクリラと呼んだ少女の手首をつかんで無理矢理立たせようとした。
「こんなところで何やってるんだ。中に戻れ」
青年はヒラクたちがわからない言語で話した。それに対して少女も同じ言語で返す。
「はなして、カイル。ヴェルダの方に祈りを捧げているの、じゃましないで」
「こいつはヴェルダの御使いなんかじゃない。よく考えてみろ。分配交換の日でもないのにどうしてここに現れるんだ」
「私の毎日の祈りが通じたのよ。だからこの場に現れてくださったのよ」
アクリラは胸の前で手を合わせ、喜びをかみしめるように言った。
「ねえ、さっきプレーナって言ったよね?」
ヒラクがアクリラに尋ねると、カイルと呼ばれた青年は驚いたようにヒラクを見た。
「祈りの言葉……」
「え? 何?」
カイルの言葉はヒラクにはわからない。
するとカイルもまたアクリラのようにヒラクと同じ言語で言い直した。
「祈りの言葉が使えるのか?」
今度は言語は理解できたものの、「祈りの言葉」がそもそも何なのかがヒラクにはわからなかった。
「祈りの言葉って何?」
ヒラクが聞き返すと、カイルの代わりにアクリラが答えた。
「偉大なるプレーナを崇めるための言葉です。ヴェルダの方、私は毎日祈りの言葉を捧げておりました。どうか生命の水を我が母カトリナにお与えください」
アクリラは胸に手を当てひれ伏した。
「ちょっと待ってよ。何が何だかさっぱり……」
アクリラは顔を上げ、目を細めながらヒラクを見る。
「あなたは私の願いを叶えるために来てくださったのでしょう?」
アクリラはどこか陶酔した目でヒラクを見た。
相手が拒むことなどあり得ないと言わんばかりのアクリラの様子に、カイルは軽くため息をつくと、困惑するヒラクを見た。
日差しが強さを増し、太陽がさらに高く昇ろうとしている。
カイルの手を借りて立ち上がったものの、アクリラはまぶしくて目も開けられないといった様子で、足元をふらつかせている。カイルは、アクリラの肩を抱き支えながら、覚悟を決めたように言った。
「……ヴェルダの御使いよ。町までご案内します」
「町ってここじゃないの?」
ヒラクは取り囲む奇岩住居を見渡した。
「ここは廃墟と化した町。ここには誰も住んでいません」
「え? じゃあ町ってどこにあるの?」
「ヒラク」
ユピはヒラクの腕をつかみ、自分のそばに引き寄せた。
「わけもわからずついていくなんて危険だよ。それに、僕たちの目的は、黒装束の女に会うことだ」
ユピはカイルたちには聞こえないように小声で言った。
「でも、プレーナについて何かわかるかもしれないよ。目的は黒装束の女じゃなくてプレーナだよ。それに彼らの町に行けば、水と食糧も手に入ると思うし」
すでにもうヒラクは疲れきっていた。何より喉の渇きが耐え難い。それはユピも同様だった。
「とにかく、少し休んでから次のこと考えようよ。だいじょうぶだって、とりあえず危害は加えてこないみたいだしさ」
言葉が通じるということにヒラクは安堵し、いつのまにか彼らへの警戒を緩めていた。
ヒラクはためらうユピの手を引き、カイルの前に進み出た。
「行くよ。案内して」
カイルは警戒するようにユピを見た。
「この者は連れて行くことはできません」
「えっ、どうして?」
「その者は、神帝国の人間です」
「シンテイコク……?」
「神帝国の人間を中に入れることはできない。一人で来てください」
「いやだ。ユピが一緒じゃなきゃ行かない」
「とにかく今はお一人で……」
「いやだ。一人じゃ行かない」
聞き分けのないヒラクと、苛立ちをあらわにするカイルの間でアクリラはおろおろとしている。
「いいから早くお二人をご案内しろよ」
どこからかまたヒラクたちにわからない言語が聞こえ、若者が一人近づいてきた。
「テラリオ、おまえ、どこにいた?」
カイルは険しい顔つきで青年を見た。テラリオと呼ばれた青年は、肩までまっすぐに伸びた赤い髪と明るい茶色の瞳を持ち、他の者よりも背が高く、カイル同様、不健康さを感じさせるほどにはやせ細っていなかった。
「ちゃんとここらで見張っていたさ。侵入者を警戒しながらね」
テラリオは肩にかかる髪をかきあげると、口の端をねじ上げて笑った。
「それより早くヴェルダの御使いをご案内しろよ。老主の犬どもが戻ってくるぜ」
それを聞いたカイルは忌々しげに舌打ちすると、不安げに様子を見守るアクリラに目をやった。
アクリラは青白い肌に汗をにじませながら、まぶしそうに目を細めている。
「……急ぐぞ」
カイルはアクリラが脱ぎ捨てた布を再び頭からかけてやると、隣にいるヒラクの手を乱暴につかんだ。
二人の青年の会話がわからないヒラクは、強引にユピと引き離されると思い、カイルの手を振り払おうとした。
「いやだってば! ユピも一緒じゃなきゃ行かないよ!」
ヒラクはカイルにひきずられながら必死にユピを振り返った。
「ヒラク」
そばに駆け寄ろうとするユピの腕を後ろからテラリオがつかむ。
「大丈夫ですよ。あなたは私がご案内します」
そう言って、テラリオはにやりと笑う。
「神帝国人を中に?」
「テラリオ、おまえ何考えているんだ」
「そんなことが知れたら……」
青年たちは口々に言うが、今度はカイルも反対しなかった。
「行くぞ」
カイルはアクリラを支えながら、ヒラクの手を引いた。その後にユピを連れたテラリオも続く。
そして彼らは奇岩群の中にある積み石の囲みの枯れ井戸の前で足を止めた。
「さあ、こちらへ」
アクリラはカイルの手を借りて井戸の端によじ登ると、くるりと体の向きを変え、すっぽりと中におさまった。
「この中に入るの?」
ヒラクは井戸をのぞき込んだ。
井戸の縁につかまりながら、アクリラはようやく安心したといった様子で下に向かって下りていく。
「ここは地下への通路の一つです。さあ、どうぞ」
ヒラクはアクリラの後に続き、井戸の中に入った。内側には足場があり、数段下りるとすぐ下に着いた。井戸の内側からはさらに横穴がのびている。
「こちらです」
アクリラは、横穴の先へ進んでいく。暗がりの中では足取りも軽やかだ。
人一人分の幅しかない穴の先へと進むには、一列に並んで行かねばならない。アクリラのあとにヒラクが続き、カイルがその後を追い、ユピ、テラリオの順に進んだ。
中はひんやりと肌寒い。暗闇が全身を包み、外気が遠ざかっていく。
ヒラクはアノイの死者の穴のことを考えていた。
(この先にあるのは死者の国なのだろうか……)
わずかな不安もあったが、それに勝る好奇心がヒラクを先へと進ませた。




