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神ひらく物語―プレーナ編―  作者: 銀波蒼
セーカ編
17/65

山越え再び

《アノイ編 あらすじ》


 北方の少数民族アノイの地に緑の髪の赤ん坊が生まれる。名前はヒラク。父は長の息子イルシカで母は山の向こうの神の国から来た異民族の女だった。母はプレーナという神を信仰し、ヒラクが五歳の頃、ヒラクを捨てて山の向こうの「神の国」へと去った。

母を追いかけ山を越えたヒラクはそこが一面の砂漠であることを知る。そこでヒラクは母とはちがう異民族の美しい少年と出会う。少年はユピと名づけられ、アノイの地でヒラクと共に育つ。謎が多いユピだったが、二人は互いにかけがえのない存在となっていく。

ヒラクには、川の神の姿を見る特別な能力があるが、まだ見ぬプレーナの存在に強い興味を抱き、いつしか「神とは何か?」という疑問を抱くようになっていった。父イルシカはヒラクが自分自身でその答えをみつけることを願い、アノイの地から旅立たせる。

 ヒラクはプレーナを求めて、ユピと共に出立した。


 ヒラクの父イルシカは、山の向こうに海とも見まごう砂ばかりの広大な地を見た。

 その砂漠へと去ってしまったヒラクの母。

 その地の果てにはユピの国もあるという。

 ヒラクたちの目指すすべては、アノイの人々が「神の国」と畏れる稜線(りょうせん)の向こうにある。


 山越えは、想像以上に困難なものだった。


 父が道案内をしてくれた歩き慣れた道までは、なんとか来ることができたが、その先はヒラクにとって果てしなく遠い道のりに思えた。


 ヒラクは歩き進むたび、イルシカがどれほど強靭(きょうじん)な肉体の持ち主であるかを痛感した。

 父が水瓶(みずがめ)を背負い、何度も往復した山道は、傾斜(けいしゃ)も厳しく足への負担も大きい。

 雪解けのぬかるみに足を取られるたび、確実に体力は奪われ、進むほど先が遠くに感じられた。


 日はとうに傾きかけていたが、山歩きに慣れないユピの足取りは重く、なかなか先へ進まない。


『砂の地に出る前に、山を下りたところで狩り小屋を作り、そこで満月を待て。黒装束の女が現れるはずだ。その女がプレーナへと導き、母親に会わせてくれるだろう。』


 イルシカの言葉がヒラクの頭をよぎる。


 このままでは満月までに山を越えることは難しい。それどころか父が目印をつけておいたという狩り小屋の場所までもたどりつけないかもしれない……。

 焦りを感じるヒラクは知らず知らず足を速めていた。

 追いつこうとするユピは息を切らし、そのたびに休息を必要とした。


「ごめん、ヒラク、ぼくのせいで……」

 

 木陰に腰をおろしたユピは肩で息をしながら言った。

 消耗するユピの様子に、ヒラクは自分がユピの体力を考慮する余裕をなくしていたことに初めて気がついた。


「おれの方こそ、ごめん。ユピ、疲れただろう?」


 ヒラクが聞くと、ユピは弱々しく微笑んで首を横に振る。


「ぼくはだいじょうぶ。それよりヒラクおなかすいてない?」


 そう言って、ユピは袋を差し出した。中には川魚の燻製(くんせい)を細かく(くだ)いたものが入っている。


「父さんが持たせてくれたんだ。狩りがうまくできなかった時のためにと言っていたけど、僕がヒラクの足をひっぱることもわかった上で、この袋を持たせてくれたのかもしれない」


「父さんが……」


 確かにもう狩りをしている時間はない。

 弱っているユピを残してヒラクが狩りに行くこともできない。

 もしクマの縄張りに入っていたら、ユピは逃げることもできない。

 ヒラクは袋を受け取ると、燻製をいくつか口の中に放り込んでユピに返した。


「あとはユピの分。おなかすいたら食べて」


 ユピは袋を受け取り、笑ってうなずいたが、残りを食べる気にはなれなかった。

 まだ一日目で激しい疲労を感じているユピは、すでに山を越えることをあきらめかけていた。


 その夜、父が設営していた狩り小屋まで何とかたどりついたヒラクは、火をおこして、何とか(だん)をとった。夜の暗い冷気が辺りを支配する。決して火を絶やすわけにはいかない。(かたわ)らでは青白い顔をしたユピが眠っている。ヒラクは何度かうたたねをしつつも、火がはぜるたびに目を覚まし、朝が来るのを待った。


 やがて朝の光が差し込み、ユピが目を覚ますと、今度はヒラクが安心したように眠ってしまった。

 日が高くなる頃、再び二人は歩き始めた。

 昨日よりさらに足取りが重い。

 休息を取ることでかえって疲労が増すように感じられた。

 本当は一気に進んでいきたいとヒラクは考えていたが、ユピを置いてそれはできない。当然歩みは遅くなる。その後ユピは休息をとることを拒みながら懸命に歩いたが、途中何度も足が止まり、結局は同じことだった。

 

 やがて谷が狭くなってくると、残雪が目立つようになってきた。わらじをはいている足がひんやり冷たくなってくる。山歩きに慣れているはずのヒラクでさえ、すでに疲労困憊(ひろうこんぱい)だった。


 その夜は、倒木のうろの中で夜を明かした。大木の太い根は、倒れた勢いで土を持ち上げ、地面から飛び出し、ひさしのようになっている。イルシカは目印となる矢じりをひさしの部分に突き刺していた。

 奥行(おくゆき)のあるうろの中には、風で吹き寄せられた落葉がたまり、ふかふかの寝床のようになっていた。子ども二人が横になって休むには十分な広さがある。

 二日連続火の番をするのはヒラクには無理だった。いつしか()き火は消えていた。それでも寒さをしのげたのは、イルシカが置いていった獣皮衣のおかげだろう。二人は身を寄せ合い、うろの中で泥のように眠った。


 翌日もひたすら川を上り進んだ。

 そして水が枯れると思われる場所で、ヒラクは父に言われたとおり、鹿のぼうこうをふくらませた水袋に水をたっぷりと入れた。ユピの分も含めて水袋四つを抱えたヒラクの歩みは荷の重さでさらにきついものとなった。

 水袋のうちの一つはあっという間に空になった。ユピはヒラク以上に水分を必要とした。

 ユピの陶器(とうき)のような肌から(すべ)り落ちる汗の量も尋常(じんじょう)ではない。疲労は限界まで達していた。


 やがて川筋は枯れ沢になり、ヒラクは背丈以上の笹やぶの中を突き進まざるを得なくなった。

 ユピを自分の背後に歩かせて、ヒラクはやぶをかきわけ、踏みしめながら、汗だくになって進んでいった。すね当てはいつのまにかボロボロで、腕にも無数のすり傷ができている。

 体重が軽いせいか、やぶを踏みしめても地に足がつかない浮遊感がある。父からは方向だけは見失うなと言われていたが、いまや自分がまっすぐに進んでいるのかどうかすらわからない。不安とあせりで精神的にも体力的にもヒラクは消耗しきっていた。

 

 やがて、やぶの中にぽつんと一本の木が生えているのが見えた。

 吹きすさぶ風に(さら)されて、幹も枝も曲がりくねった白樺(しらかば)の木だ。

 木までたどりつくと、ヒラクは上までよじ登り、辺り一帯を見渡して、今いる位置を確認した。

 延々と続くかに思われた笹やぶはまもなく途切れ、その先はゆるやかな斜面になり前方に尾根が延びている。ハイマツにおおわれた尾根の向こうは次第に岩場が多くなり、緑が少なくなっていく。


「ユピ、もうすぐだよ。あとちょっとで山を越えられる」


 ヒラクは憔悴(しょうすい)しきったユピを励ますように大声で叫んだ。ユピは木の上のヒラクを見上げるのがやっとで、もう声も出せないほどに疲れきっていた。。

 先が見えたことで安堵(あんど)したヒラクは、山頂の冷たい風に吹かれながら、一面の笹の海を見下ろした。まるで波が打ち寄せるように笹の葉が音をたてて揺れていた。


 やがて笹やぶを抜け、低木地帯に入ろうとしていたが、ユピはもう足を前に出すことすらできなくなっていた。


 ヒラクはユピの前にかがんで背を向けた。


「ユピ、おぶさって」 


 その小さな背中をじっと見て、ユピは困ったように笑う。


「無理だよ、ヒラク」


「だいじょうぶだよ。ユピの一人ぐらい軽いって」


 ヒラクは明るく笑ってみせるが、顔にはいちじるしい疲労に加え、不安と焦りがにじみ出ている。

 その様子にユピはいたたまれなくなった。


「……もういいよ、ヒラク、僕のことはもういい」


「どういうこと?」


「ここからはヒラク一人で行くんだ。君一人なら、山を超えられる」


 ユピは静かにきっぱりと言った。


「何言ってるんだよ、そんなのいやだ。ユピを置いていけるもんか」


「だけど僕が一緒だといつまでたっても先へ進めない」


「そんなこと……」


 ヒラクは否定できなかった。そして、歩みの遅いユピに対して感じていたわずかな苛立(いらだ)ちを申し訳なく思った。


 傾きかけた太陽が山の端をかすめている。


「今のうちに燃やせるものを集めてくる。ユピはここにいて」


 気まずい沈黙を破るようにヒラクはすばやくその場から離れようとした。


 その時、ヒラクは山に響く遠吠えを聞いた。


「狼だ」


 ヒラクは表情をこわばらせた。


 遠吠えが四方で呼応し始めた。


            

 夜になり、辺りは闇に包まれて、木々は形を失った。

 ヒラクたちはなんとか笹やぶを抜けて、ハイマツの低木地帯の境までたどり着いた。

 ハイマツの枝と枝の隙間に子どもが入れるほどの空間ができている。風よけにはちょうどよく、木に守られる格好で夜を明かすことができそうだったが、狼にみつかればひとたまりもない。

 ヒラクは笹とハイマツの境で火をたき、辺りの気配をうかがいながら夜を明かすことにした。

 火がはぜる音を聞きながら、ヒラクもユピも黙り込んでいる。

 ユピはあきらめたような目で、たき火をぼんやりと見ていた。

 けれどもヒラクの瞳に映る炎は生き生きと激しく燃えている。


「……来る」


 ヒラクは、笹やぶにひそむ狼の低いうなり声を耳にとらえた。


「ユピ、おれが弓を引いたら白樺の木があった場所まで走って。おれが追いつくまで、振り返らずに全速力で走るんだ」


 ヒラクは弓に矢をつがえ、目の前の茂みに向けた。


「ヒラク、無茶だよ。僕を置いて今のうちに逃げて。僕のことはもうあきらめて……」


「あきらめるもんか!」


 ヒラクは茂みの一点に狙いを定め、力いっぱい弓をひいた。

 矢が放たれた直後、茂みから飛び出した狼が苦痛の声をあげ横転(おうてん)した。


「走って」


 その声に(はじ)かれるように、ユピはヒラクに背中を向けて走りだした。


 次々と笹の茂みから狼が飛び出してくる。

 ヒラクは矢を放ち続けた。

 矢がなくなると、ヒラクは弓を背負い、(やり)を手に構えた。

 その目でにらみつけているのは、ひときわ体の大きな狼だ。


「おまえが頭か。来い!」


 ヒラクが叫ぶと、ひときわ大きな狼は、牙をむき出して飛びかかってきた。

 ヒラクは上体を低くして横にかわすと、すぐさま体勢を整えて、全体重をかけるように狼のわき腹に槍を突き刺した。

 狼は地面にのた打ち回る。

 茂みの向こうにいる他の狼たちの気配が遠ざかっていく。

 ほっとしたのも束の間、遠くで再び狼の遠吠えが響き渡った。

 ヒラクはすぐにユピの後を追った。

 襲いかかってくるような笹の海をかきわけて、ヒラクは走った。


「いたっ」


 ヒラクは立ち止まり、痛みを感じた左の二の腕を触った。

 ぬるりとした血の感触が手に残る。いつのまにか笹で腕を切りつけられていた。

 ヒラクは、闇に息を潜める自然の冷たい敵意のようなものを感じて身震いした。


『……血の臭いに獣たちはすぐ群がってきやがる……』


 父イルシカの声が頭に響いた。


『……足を止めるわけには行かねぇ……』


 ヒラクは再び走り出した。


『……だが、痛みと焦りが方向を狂わせた……』


 ヒラクは再び足を止めた。

 ヒラクもまた山で行方知れずになったときのイルシカ同様、いまや完全に方向を見失っていた。


 ヒラクは恐怖を感じた。

 今までそばにいたユピの存在が、どれほど自分を(ふる)い立たせていたかを思い知った。


「ユピ、どこ? ユピーっ!」


―ヒラク


 誰かが、ヒラクの叫び声に答えた気がした。


「ユピ? ユピなの?」


 ヒラクは歩き始めた。前へ、自分を呼んでいる声が感じられる方へ。


 歩き進んだ方向には笹を踏み固めた跡がある。

 狼が通った跡なのか、自分が道をつけてきた跡なのかはわからないが、ヒラクはひたすら闇の中を歩き続けた。時間の感覚もなく、頭の奥がやけにしんとしていた。踏み出す足は重く、前に進んでいるのかどうかもわからない。


 そしてヒラクは闇に浮かぶ銀の狼を見た。


 遠くにいた狼が、瞬きのたびに拡大して近づいてくる。


 気づけば狼はヒラクの目の前にいた。


「おまえは……あのときの……」


 忘れもしない夜の記憶がよみがえる。

 目の前にいるのは、母を追いかけた幼い頃、ヒラクが出会った狼だ。


―乗りなさい


 その声が、記憶の中のものか、今聞いたものかはわからない。

 それでも背にまたがったヒラクを狼は拒むこともなく、闇の中を疾走(しっそう)した。


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