表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

初 ‐"introduction" Full.ver‐ ②


*******



「失礼します」

扉のこちら側で一度断ってから中へ入る。

きちんと整理整頓された室内、ローテーブルに広げられようとしていた参考書にノート。彼はそのそばに正座していた。

「あの、お茶をお持ちしたのでよかったらどうぞ」

「ありがとう」

簡潔なそれと視線を受けつつ、テーブルの側に膝を落とし、盆を置いて準備を始める。

普段は兄に倣ってコーヒーばかり飲んでいるため、正式な作法などよくは知らないが、緑茶と同じ茶の類なのだし、まぁなんとかなるだろう。手前に置かれた小さな網を手に取るとカップの上に掲げ、そこに向けてポットの口を傾ける。飴色の液体がカップに落ちていくのを見るうちに、徐々に気持ちが落ち着いていくような気がした。

そうして満たされたカップを、ソーサーの上に移してから伺う。

「あの、お砂糖は」

「そのままで構わないよ」

「そう、ですか」

クールで知的といえば聞こえはいいだろうが、先程来感じている、どこか近寄りがたい雰囲気はやはりぬぐえなくて。

「どうぞ」

言われた通りのストレートティーを差し出すものの、慣れない所作も手伝って、指先の震えがかすかに受け皿に伝わってしまう。

「ありがとう」

何気なしに受け取った彼を少しだけ覗き見る。眉目の整った涼やかな外見に、芯の入ったきれいな姿勢、どこか近寄りがたい壁。けれど手にした器の中で揺れる紅茶が存外似合うな、と直感的に思った。

よかった。

これで、言い付けは無事終わり。

だけど。

『あの子もきっと同じよ』

先程の母の一言が、今更どうしようもなく気になり始めて。手持無沙汰ながらも、まだこの場に残っていたいような、そんな何かが湧き上がる。

もうちょっとだけ。

初めてのおもてなしだし、何か粗相があったら、取り替えなくちゃならないし。取ってつけのようにも聞こえるそれを、心中で何度となく転がしながら彼の反応を待つ。

当の彼はこちらを気にした風もない。直後かちりと受け皿が鳴り、白磁のカップが持ち上げられた。ゆるりと揺れる飴色を、一口含み、そうしてこくりと喉が鳴った後、そこに初めて人気ひとげじみた表情が現れたように思えた。

「美味い」

小さな息が漏れ出すのと共に、ほのかな笑みが面に浮く。緩められた口元、少し和らいだ視線。氷の壁の内側から突如洩れ出た、まるで少年のような無垢を映したそれに、心の底からほっとして全身から力が抜けていくのに合わせ、唇から安堵が零れ落ちた。

「よかった」

「え?」

それを捉えたのだろう彼が、今度は微かな驚きをその面に灯してこちらを見つめてくる。眼鏡の奥から向けられる視線の中に、柔らかで親しげな光を見つけた気がしてどきりとした。

「あ、いえ、なんでもないです……」

重なった視線に耐え切れず、ふっと視線を外して俯く。どきどきと打ち始めた鼓動を耳の側に聞きながら、言葉も、次に取るべき行動も一切がわからなくなってしまい、もじもじとその場にとどまるしかなかった。

「お。いたのか、香奈」

その直後、扉が開いて兄が部屋に戻ってきた。殊更にびくりと全身で反応したせいか、怪訝な視線を向けられておろおろする。

「どうかしたのか」

兄の心配そうな声に、慌てて場を繕った。

「えと、あの……あ、あとは兄貴がやってよね! あたしもう戻るから」

言いながらそそくさと立ち上がり、振り返ることなくそのまま部屋を出た。ばたばたと足早に階段を下り、そのままの勢いで誰もいないリビングに飛び込むと、まっすぐソファにダイブした。

「はあぁぁぁぁ」

クッションに顔を埋めてため息をつく。ドキドキと激しく打つ鼓動と、熱くなった頬がなんとも落ち着かなかった。

「やだもう、なんなの?」

「あら、香奈?」

その時どこからともなく戻ってきた母の声が聞こえて、全身でビクリと反応する。

「お茶、上手くいった?」

さらりとこともなげに聞いてくる。途端どっと押し寄せてきた疲労感に、ソファに沈み込みながら生返事で答えた。

「んー、まぁ」

刹那、先程対面した微笑みが脳裏にフラッシュバックし、再び耳まで熱くなる。

「〜〜〜〜っ!」

「何? どうしたの?」

クッションから顔を上げない娘に、流石に気付いたらしい。けれど、その声色にかすかなからかいの色を感じ取って、なおさら顔が上げられなくなる。

「なんでもない! だっ、大丈夫だからっ!」

ふごふごと答える娘に、あらそう、と珍しくあっけなく引き下がった母の、その短い反応すら揶揄やゆに聞こえて。

「ばかみたい、あたし」

ぼそりとそう口にして自分に言い聞かせると、少し冷静さが取り戻せたような気がした。

そう、これはきっとただの「混乱」だ。同じ人物から、一時のうちに感じたあまりの温度差に、受け止めきれなくてパニックになっているだけ。

「そう、だよね」

こんな遭遇は二度もあるまい。兄の友人とはいえ、こんなふうに顔を合わせ接する機会など、今後あるはずもないのだから。

自ら導いた結論に納得する。

偶然に偶然が重なったがゆえの、奇跡に近い出逢い。

「もう二度と、こんなことないよね」

繰り返し唇に載せて思う。

多分きっと。

心の奥底に眠る、ひっそりとした思い出になっていくんだ。


今はまだ、そんな気がしていた。

そう。


今は、まだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ